第14話 くらやみのなか

文字数 4,011文字

 魔獣を狩ったあとは、すぐに血抜きをする。地面の傾斜に沿って仰向けに寝かせ、首の動脈を切断するのだ。
 毛皮は、すでにかなり汚れてしまっているが、それでも、できるだけ血をかぶらないように気をつかう。
 幸い、死ぬまでにずいぶん出血していたので、あまり血は出なかった。
 それから、喉元から股間まで、ナイフで一直線に刃を入れる。
 白い肉が、一気に露出する。
 その線にそって、二人がかりで皮をはいでいく。
 アーサーにとっては、はじめての作業である。フォスターの指示をうけながら、ていねいに刃を入れる。
 うまくいかない。
 刃の向きが悪いのか、皮と肉の間にうまく入らず、何度もひっかかってしまう。
「角度をつけろ」
 言われて、刃を斜めにする。
 入らない。
 フォスターのほうを見る。さして力を入れているようでもないが、なめらかに刃が動いている。
 しばらく、悪戦苦闘する。
 手がかじかんで動かなくなるころ、ようやく、腹の皮が剥げた。
「よし、」
 フォスターが、こちらを見て頷く。
 ほっと安心して、顔をあげる。
 そこに、エルの姿はなかった。



 焚き火から少し離れると、もう足元も見えない。
 さきほどまで月が出ていたはずだが。
 エルは、よろよろと足を進めた。
 気分が悪い。
 
 つきあたった木の根本にうずくまって、嗚咽する。

 解体作業など、珍しくもない。自分でやったことだって、何度もある。
 血のにおいには慣れている。

 だが……、

 急に、胃の中のものが暴れだした。
 こらえるいとまもなく、勝手に喉から逆流してくる。
 地面に落ちる。
 すえた匂い。
 体の自由がきかない。
 くそ。
 じんわりと痺れたような嫌な感覚が、全身を這い回っている。
 脂汗がひどい。

「大丈夫。治癒魔法の後遺症が出ているだけですよ」

 ふいに、背後から女の声。
 血の気がひく。
 いくら暗闇だって、普通なら、足音か気配に気づいたはずだ。

 私は、そんなに鈍っているのか?

「ルナ、……」
 何も、言葉が出てこない。
 ぐっと、手の先に布のようなものが押しつけられた。
「使って下さい。」
 手巾であった。



「……なぜ、退魔師に?」
 くらやみのなか、ぼんやりと座り込んだまま、エルは、巫女に問いかけた。
 べつに、知りたいわけではない。
 ただ、何か喋ろうと思っただけだ。

「夢を見たからです」
 端的に返ってくる。

 闇が深すぎて、距離がつかめない。すぐ隣にいるような気もするし、十歩ほども離れているような気もする。

「夢って、」
「かれが、──アーサー=ブルガナンが、アルセア王となる夢を。」
「そう、……」

 それで、終わるはずだった。
 だが、
 次の言葉が、口をついて出てしまった。

「……それで、なぜ退魔師に?」
「それは、」
「アーサーを王にしたいのなら、それなりの方法があるでしょう。」
 考えがあっての言葉ではなかった。
 が、巫女は、
「そうですね、」
 と、つぶやくように言って、
「それでも、この街で退魔師をすることには、意味があると思います」
「なぜ?」
「……でなければ、誰がとかげ鳥を倒すのです?」
 いつのまにか、ルナの声は冷え冷えとして、するどい刃で刺すように触れてきていた。
 闇のなか、姿は見えない。だが、嗤っているようだった。いや、エルには、そのように思われた。
「そんなこと、……」
 あんたの知ったことか、と言ったつもりだったが、途中で消えていた。
 ぞわり、と闇が動いた。
 すっくと、立ち上がるような気配がして、まっすぐにこちらに向けた視線が刺さる。
 顔はまだ見えない。
 いや、
 ぼんやりと、にじむように浮かびあがってくる、その姿は。
 血に、まみれて。

(まさか──、)

 眼窩から、こぼれ落ちんとする眼球が、こちらを見ていた。
「やめろッ!」
「……どうか、しましたか?」
 巫女の声がする。
 いいしれぬ悪寒が首筋を這う。

 死霊術。

 ききかじった単語が頭をかすめる。
 呼吸を整えようとする、が、肺がいうことをきかない。
 立ち上がる。
「エル=サラナ、あなたは、」
 ろうろうと、呪文を唱えるように、巫女の声が響く。
 死者の幻は、いつのまにか消えていた。
「とかげ鳥を倒すのは、誰であるべきだと?」
 誰、だと。
「どういう意味、」
 問い返したのは、理解できなかったからではない。
 理解したくなかったから。いや、
 理解するのが怖かったからだ。
「この街で、退魔師を名乗るならば、──」
「勝手なことを!」
 振り払うように大声で叫ぶ。
 思わず、剣に手をかける。
「何も知らぬくせに……!」
 声がかすれる。
「思い出して下さい、エル=サラナ。あの日のことを。」
 なぜ、そんなことをいうのか。
 私は、

 いや、我々アルセアの退魔師たちは、あの日、とかげ鳥に負けた。
 それだけのことではないか!

「幾人の退魔師が犠牲になったか。あなたの腹に傷を負わせ、息も絶え絶えにしたのは誰か」
 なぜ、そんなことを知っている?
 アーサーか、フォスターに聞いたのか。
 どうでもいいことだが、無性に腹がたった。
「……あなたの師を殺したのは?」
 そして、その決定的な一言を聞いたとき、
 エルは、全身の血が逆流するのを感じた。
 悪寒は消えていた。
 すっと、自然な動きでかまえ、右手で剣を抜き放った。ほとんど無意識のうちに。
「それ以上言ったら、殺してやる。」
 我ながら驚くほど、落ち着いていた。
 死者の幻はもう見えなかったが、別の確信があった。
 目の前にいるこの女は、人ではない。
 鬼だ。
「殺しなさい。…それが、あなたが信じる道であるならば。」
 女は、ぴくりとも動いた気配をみせなかった。

 ジャスの生首が。

「あなたに、退魔師の誇りがあるならば、」

 ついばまれるカルナーの屍体が、

「死した同胞を、魔獣にふさがれた街道を、そのままにできましょうか。」

 そして、肉を切り裂く、とかげ鳥の牙と鉤爪が、夜に浮かんで、消えた。

「あかしだてをなさい。サラナ通りのエル。あなたが、まだ戦士であるのだと。」

 エルは小さく呻いた。涙は出なかった。
 気配だけを頼りに、二歩、踏み出す。
 巫女はまだ動かない。
 やはり、本当に鬼か、気狂いか。
 剣を構える。

 ぽん、と、胸を叩くような音がした。合図のように。

「いやあぁぁぁッ!」
 無我夢中で、エルは体ごと剣を突きだした。何かに当たる。硬いものに刺さったようだ。
 さあっと、風が吹いた。
 月を隠していた雲が大きく動き、強い光がさしこんだ。エルは呪いが解けたように全身が軽くなるのを感じた。
 剣のきっさきは木の幹に刺さっていた。
 そして、その刃は、巫女の脇腹を裂き、地面に血溜まりをつくっていた。

 鬼などいなかった。

「ルナ、……」
 どうしていいかわからずに、エルはそうつぶやいた。
 巫女は、うすい笑みを浮かべたまま、柄を握るエルの手にそっと自分の手をそえた。
「よくぞ、臆さず剣を振るわれました」
 騎士の武勲を褒め称える貴婦人のように、
 しずかに、力強く。
「退魔師とは、魔を祓うもの。あなたが、これからも退魔師を名乗るのなら──」
「……わかってる。」
 かるく目を伏せて、エルは答えた。

 本当は、ずっと分かっていたのだ。



 解体をおおむね終えたころ、ようやく、エルが戻ってきた。
 アーサーは声をかけようとしたが、できなかった。なんともいえない違和感があった。
「フォスター」
 すこし高ぶった、硬い声で、エルはいった。
「話がある、」
 フォスターは、かわらず落ち着いた表情で、肉を包んだ袋をアーサーに渡し、手を拭いた。
「聞こう」
 エルは、しばらく目線をさまよわせて、
 やがて、すっと息をはいて、言った。
「とかげ鳥を、狩るべきだ。」
 そして、口からでた言葉を追いかけるように、もう一度、今度は早口で、
「退魔師の、私たちアルセアの退魔師たちの誇りを、取り戻すんだ。フォスター」
 そう、まっすぐにフォスターの目をみて、言った。
 復讐を、とは言わなかった。それは、彼女の矜持だった。
「わかった、」
 フォスターは、にやりと──本当に、似合わぬほどのはっきりした笑みを浮かべて、応えた。
「ならば、そうしよう」
 待ちかねていた、とでもいうように。



 ずいぶん遅いな、とアーサーが思いはじめたころ、木のかげでがさごそと音がした。
「……ルナ?」
 声をかけると、もごもごと小さな返事が返ってきた。
 目をこらして見る。白い肌が目に入り、あわてて目をそらす。
「何してるんだ!」
「……少し、汚れてしまったので」
 アーサーは眉をひそめた。汚れてしまった、だって? こっちは血まみれで獣を解体したっていうのに!
 しばらくして、着替えおわったルナがこちらへやって来た。ひどく、疲れた顔をしていた。
 ひとこと言ってやろうと思っていたが、なんとなく口を開けなかった。
「……治癒魔法を受けた奴は、寝ちまえ。見張りは俺たちがやる」
 フォスターがそう言うと、エルと、なぜかルナも頷いて、はい、と返事をした。
 いつのまにか、ルナの頭上の魔法球は、2つに減っていた。



 しらじらと、夜が明けはじめていた。
 フォスターは、ちらりと横を見た。見張りをしていたはずのアーサーは、座ったまま寝息をたてている。
 懐から一枚の布紙を取り出して、かるく息をつく。

 それは、とかげ鳥の営巣地の地図。
 かれが、カルナーから受け継いだ、たったひとつの遺産であった。
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