第22話 壮行会
文字数 3,543文字
その、前日の夜──
ミナの薬草店で、壮行会がもよおされた。
ちかごろ、この店を溜まり場にしているのはこの四人だけであるから、わざわざ貸し切りの札を出す必要もない。ミナのつくった料理と、果実酒、芋の蒸留酒で乾杯した。
真夜中、アーサーはふらりと店の外に出た。
酔いざましのためである。
エルとフォスターは、まだ飲んでいる。エルは、なかば潰れていたが。
夜の冷気に身をふるわせながら、あずまやに身をよせると、先客がいた。
ルナであった。
「少し詰めましょうか。」
そういって、少女はにっこりと微笑んだ、ような気がした。
今夜は月もなく、星あかりでぼんやりとしか見えない。
「おこごとは、終わりましたか。」
すこし、おどけたようにそう言われて、アーサーは笑った。
「小言じゃないよ。まあ、……」
「助言、でしょうか。お酒を飲んだ殿方は、口数が多くなるものですね」
「そうかもね。フォスターと飲んだのははじめてだけど……」
少し、誇らしくもあった。このあいだまで、見習いにも入れてもらえなかった自分が。
「きみこそ、エルにずいぶん飲まされていたじゃないか。」
「それほどでも。この間は、この倍は飲みましたから」
この間、だって?
アーサーは首をかしげて、目線で問い返した。ルナはそれには応えず、
「……明日は、いよいよ決行ですね」
そう、言った。
思いつめたような口調ではなかった。
「……そう、だね」
アーサーは、何かいわなければ、と思いながら、ただそう返すしかなかった。
そして、
「前から、きこうと思っていたんだ、」
気がつくと、べつの言葉が口をついていた。
「きいていいのか、わからなくて。でも、教えて欲しい」
「なんです?」
ルナは、べつに怒ったふうもなかった。
「……人を鬼に喰わせた、ときいた」
「ああ、……」
小さく首を振って、
「そのようなこともありました。でも、……」
「本当なのか。」
アーサーは思わず、強い声をだしていた。
ルナは口もとに笑みをうかべて、首をふった。
「そうは言っていません。いえ、ある意味では、本当かもしれませんけど。」
「……どういう意味なんだ」
やっぱり聞くべきではなかったと、謝ってしまいたい気持ちをこらえて、アーサーは問い返した。
「そうですね。……あまり、人に話すべきことではありませんが、あなたにはお伝えしたほうがよろしいでしょう。もう終わったことですし……。」
そういって、少女は語りはじめた。
アーサーとルナが出会う、ほんの少し前のこと。
下町の長屋に、若い焼き物職人と、その妻が住んでいた。
男はまだ見習いであったが、まじめな仕事ぶりで親方に気に入られ、将来は独立する目星もついていた。妻は口数は少ないが気だてのよい女で、二人は仲睦まじく暮らしていた。
ある日、妻が、頭が痛いと言った。
男は、疲れているのだろうとおもい、夕食後すぐに妻を寝かせた。
それっきり、妻は目覚めなかった。
「死んでなどいない、とかれは言ったのです」
ルナは横をむいたまま、淡々と語り続けた。
医師が死を告げても、大家が情理をつくして説き伏せても、男は妻の死を認めなかった。
僧院から、『夢見の巫女』がやってきて、葬儀の始まりを告げても。
「長屋の、遺体のあるへやで、二人きりで話をしました。
しばらく話したあと、かれは言いました。
時間をくれ、と。」
妻は死んでなどいない。
眠っているだけだ。今にも、起きてくる筈──
そう、主張しながら、一方で男は、こんなことを言った。
皆がそう言うのなら、あるいは妻は死んでいるのかも知れない。
けれども、自分には未だそれを納得する事が出来ない。
できない以上は、妻を引き渡すことなどできよう筈もない。
落ち着いた様子で、そう言ったかと思うと、次の瞬間には涙を流して、頬を歪めていた。
そして、半日ほども話したあと、かれは言ったのだ。
「どうしても、妻を連れてゆくのなら、別れを惜しむだけの時間をくれ。ほんの少しだけ、時間をくれれば、きっと、妻を手放す決心がつくから──と」
その言葉をきいて、すぐ、というわけではなかったが。
結局、巫女は了承して、部屋をでた。
「──それで?」
「見張りを、することにしました。」
「見張り、だって?」
「戸口のまえで、誰も部屋に入れぬように──。
かれが、妻を手放す決心がつくまで、と約束をしましたので……」
「決心がつくまで、って、どのくらいの間……?」
「……15日ほど、かかりましたでしょうか。」
ルナは、なにかを思い返すように、抑揚のない声でそう答えた。
大家、隣人、女の血縁、医師。
15日のあいだ、幾人ものひとが、戸口の前にたって、ルナを非難した。
女が死んで、数日してからは、匂いもひどかった。
けれども、ルナは頑として動かなかった。最後には、床に頭をつけて猶予を乞うことまでした。
食事は僧院から運んでもらい、日に1度だけ、隣家の厠を借りて用を足して、戸口に立ち続けた。
幾度か、人のものとは思われぬ叫び声が聞こえてきた。
また、ものが壊れる音、床や壁を叩く音が、日に何度か響いてきた。
15日後の昼。
男は、やせおとろえていたが、つきものが落ちたような様子で、外に出てきた。
そして、ルナの顔をみて、ひとこと礼をいって、頭をさげた。
「……なかに入りますと、家のものはほとんど壊れていました。
ただ、遺体の寝かされていた夜具はきれいに整えられていて、その横には、手のつけられぬまま腐った食事が、何膳も並べてありました。
遺体は、蛆に喰われて、ほとんど原型をとどめてはおりませんでした。」
その後、布団にこびりつく肉塊のようになった遺体をかきあつめて、葬儀をおこなった。
男は、葬儀には出席しなかった。
「……それで、終わりです。」
そういって、ルナは語りを終えた。
男が、一度だけ礼を言いに訪ねてきたことは、言わなかった。言う必要もないと思ったからだ。
「それじゃ……鬼と、いうのは。」
「人が、鬼になるということが本当にあるのか、私にはわかりません。……けれど、もし、そういうことがあるとするなら……あのときの、かれの姿は、鬼に近いものだと、私は思いました」
「……では、なぜ?」
「わかりません。ただ……いま、かれに時間を与えねば、本当に、鬼となり、二度と人になれなくなるのではと、そのときはそう思いました。
15日のあいだ、かれが何をしていたのか、本当のところはわかりません。かれが妻の屍肉を喰ったとか、妻のからだを犯したとか、さまざまなことをいう人がいます。あるいは、本当にそういったことがあったのかもしれません。たとえ、そうであったとしても、それは夫婦の秘密として隠されるべきことだと思います」
「でも、それでは……。死者の尊厳は、」
「死者がそれを望んでいなかったと、どうしてわかります?」
いわれて、アーサーは口をつぐんだ。何も言葉が出なかった。
「それに、……知っていますか? 葬儀も祈りも、生者の心のためにあるのですよ」
「……巫女がそんなことを言って、いいの?」
「かまいません」
ルナは立ち上がった。大きく、手足を伸ばして、息をついてから、またアーサーのほうをむいた。
「少し……話しすぎました。お酒のせいですね」
「いや、……聞けてよかったよ。ありがとう」
自分に言い聞かせるように、アーサーはいった。
「話しすぎついでに、もうひとつだけ。」
「なに?」
「この戦いのことです。……葬儀は、生者の心のためと申し上げましたね。私は、この戦いは、とむらいのための戦いだと思います」
「……カルナーのことを言っているのか。君は、カルナーとは面識がないだろう?」
「ええ。ですが、エル=サラナのことは知っています」
アーサーはまた黙ってしまった。言葉を探しているうちに、ルナがまた口をひらいた。
「焼物師の男が、屍体とともに過ごすことで妻の死を受け入れたように、エルにも、仲間の死を受け入れる機会が与えられねばなりません。……今は、それが、私が戦いにゆく理由です。」
ルナはそこまでいってから、軽くいずまいを整えるように服の裾を握った。それから、少しだけ哀しげな目をして、
「アーサー。……あなたは、なぜ戦いにゆくのですか?」
それから、少しして、ルナは、失礼、といって歩きだした。
あとに残されて、アーサーはなんともいえない居心地の悪さを感じていた。
ミナの薬草店で、壮行会がもよおされた。
ちかごろ、この店を溜まり場にしているのはこの四人だけであるから、わざわざ貸し切りの札を出す必要もない。ミナのつくった料理と、果実酒、芋の蒸留酒で乾杯した。
真夜中、アーサーはふらりと店の外に出た。
酔いざましのためである。
エルとフォスターは、まだ飲んでいる。エルは、なかば潰れていたが。
夜の冷気に身をふるわせながら、あずまやに身をよせると、先客がいた。
ルナであった。
「少し詰めましょうか。」
そういって、少女はにっこりと微笑んだ、ような気がした。
今夜は月もなく、星あかりでぼんやりとしか見えない。
「おこごとは、終わりましたか。」
すこし、おどけたようにそう言われて、アーサーは笑った。
「小言じゃないよ。まあ、……」
「助言、でしょうか。お酒を飲んだ殿方は、口数が多くなるものですね」
「そうかもね。フォスターと飲んだのははじめてだけど……」
少し、誇らしくもあった。このあいだまで、見習いにも入れてもらえなかった自分が。
「きみこそ、エルにずいぶん飲まされていたじゃないか。」
「それほどでも。この間は、この倍は飲みましたから」
この間、だって?
アーサーは首をかしげて、目線で問い返した。ルナはそれには応えず、
「……明日は、いよいよ決行ですね」
そう、言った。
思いつめたような口調ではなかった。
「……そう、だね」
アーサーは、何かいわなければ、と思いながら、ただそう返すしかなかった。
そして、
「前から、きこうと思っていたんだ、」
気がつくと、べつの言葉が口をついていた。
「きいていいのか、わからなくて。でも、教えて欲しい」
「なんです?」
ルナは、べつに怒ったふうもなかった。
「……人を鬼に喰わせた、ときいた」
「ああ、……」
小さく首を振って、
「そのようなこともありました。でも、……」
「本当なのか。」
アーサーは思わず、強い声をだしていた。
ルナは口もとに笑みをうかべて、首をふった。
「そうは言っていません。いえ、ある意味では、本当かもしれませんけど。」
「……どういう意味なんだ」
やっぱり聞くべきではなかったと、謝ってしまいたい気持ちをこらえて、アーサーは問い返した。
「そうですね。……あまり、人に話すべきことではありませんが、あなたにはお伝えしたほうがよろしいでしょう。もう終わったことですし……。」
そういって、少女は語りはじめた。
アーサーとルナが出会う、ほんの少し前のこと。
下町の長屋に、若い焼き物職人と、その妻が住んでいた。
男はまだ見習いであったが、まじめな仕事ぶりで親方に気に入られ、将来は独立する目星もついていた。妻は口数は少ないが気だてのよい女で、二人は仲睦まじく暮らしていた。
ある日、妻が、頭が痛いと言った。
男は、疲れているのだろうとおもい、夕食後すぐに妻を寝かせた。
それっきり、妻は目覚めなかった。
「死んでなどいない、とかれは言ったのです」
ルナは横をむいたまま、淡々と語り続けた。
医師が死を告げても、大家が情理をつくして説き伏せても、男は妻の死を認めなかった。
僧院から、『夢見の巫女』がやってきて、葬儀の始まりを告げても。
「長屋の、遺体のあるへやで、二人きりで話をしました。
しばらく話したあと、かれは言いました。
時間をくれ、と。」
妻は死んでなどいない。
眠っているだけだ。今にも、起きてくる筈──
そう、主張しながら、一方で男は、こんなことを言った。
皆がそう言うのなら、あるいは妻は死んでいるのかも知れない。
けれども、自分には未だそれを納得する事が出来ない。
できない以上は、妻を引き渡すことなどできよう筈もない。
落ち着いた様子で、そう言ったかと思うと、次の瞬間には涙を流して、頬を歪めていた。
そして、半日ほども話したあと、かれは言ったのだ。
「どうしても、妻を連れてゆくのなら、別れを惜しむだけの時間をくれ。ほんの少しだけ、時間をくれれば、きっと、妻を手放す決心がつくから──と」
その言葉をきいて、すぐ、というわけではなかったが。
結局、巫女は了承して、部屋をでた。
「──それで?」
「見張りを、することにしました。」
「見張り、だって?」
「戸口のまえで、誰も部屋に入れぬように──。
かれが、妻を手放す決心がつくまで、と約束をしましたので……」
「決心がつくまで、って、どのくらいの間……?」
「……15日ほど、かかりましたでしょうか。」
ルナは、なにかを思い返すように、抑揚のない声でそう答えた。
大家、隣人、女の血縁、医師。
15日のあいだ、幾人ものひとが、戸口の前にたって、ルナを非難した。
女が死んで、数日してからは、匂いもひどかった。
けれども、ルナは頑として動かなかった。最後には、床に頭をつけて猶予を乞うことまでした。
食事は僧院から運んでもらい、日に1度だけ、隣家の厠を借りて用を足して、戸口に立ち続けた。
幾度か、人のものとは思われぬ叫び声が聞こえてきた。
また、ものが壊れる音、床や壁を叩く音が、日に何度か響いてきた。
15日後の昼。
男は、やせおとろえていたが、つきものが落ちたような様子で、外に出てきた。
そして、ルナの顔をみて、ひとこと礼をいって、頭をさげた。
「……なかに入りますと、家のものはほとんど壊れていました。
ただ、遺体の寝かされていた夜具はきれいに整えられていて、その横には、手のつけられぬまま腐った食事が、何膳も並べてありました。
遺体は、蛆に喰われて、ほとんど原型をとどめてはおりませんでした。」
その後、布団にこびりつく肉塊のようになった遺体をかきあつめて、葬儀をおこなった。
男は、葬儀には出席しなかった。
「……それで、終わりです。」
そういって、ルナは語りを終えた。
男が、一度だけ礼を言いに訪ねてきたことは、言わなかった。言う必要もないと思ったからだ。
「それじゃ……鬼と、いうのは。」
「人が、鬼になるということが本当にあるのか、私にはわかりません。……けれど、もし、そういうことがあるとするなら……あのときの、かれの姿は、鬼に近いものだと、私は思いました」
「……では、なぜ?」
「わかりません。ただ……いま、かれに時間を与えねば、本当に、鬼となり、二度と人になれなくなるのではと、そのときはそう思いました。
15日のあいだ、かれが何をしていたのか、本当のところはわかりません。かれが妻の屍肉を喰ったとか、妻のからだを犯したとか、さまざまなことをいう人がいます。あるいは、本当にそういったことがあったのかもしれません。たとえ、そうであったとしても、それは夫婦の秘密として隠されるべきことだと思います」
「でも、それでは……。死者の尊厳は、」
「死者がそれを望んでいなかったと、どうしてわかります?」
いわれて、アーサーは口をつぐんだ。何も言葉が出なかった。
「それに、……知っていますか? 葬儀も祈りも、生者の心のためにあるのですよ」
「……巫女がそんなことを言って、いいの?」
「かまいません」
ルナは立ち上がった。大きく、手足を伸ばして、息をついてから、またアーサーのほうをむいた。
「少し……話しすぎました。お酒のせいですね」
「いや、……聞けてよかったよ。ありがとう」
自分に言い聞かせるように、アーサーはいった。
「話しすぎついでに、もうひとつだけ。」
「なに?」
「この戦いのことです。……葬儀は、生者の心のためと申し上げましたね。私は、この戦いは、とむらいのための戦いだと思います」
「……カルナーのことを言っているのか。君は、カルナーとは面識がないだろう?」
「ええ。ですが、エル=サラナのことは知っています」
アーサーはまた黙ってしまった。言葉を探しているうちに、ルナがまた口をひらいた。
「焼物師の男が、屍体とともに過ごすことで妻の死を受け入れたように、エルにも、仲間の死を受け入れる機会が与えられねばなりません。……今は、それが、私が戦いにゆく理由です。」
ルナはそこまでいってから、軽くいずまいを整えるように服の裾を握った。それから、少しだけ哀しげな目をして、
「アーサー。……あなたは、なぜ戦いにゆくのですか?」
それから、少しして、ルナは、失礼、といって歩きだした。
あとに残されて、アーサーはなんともいえない居心地の悪さを感じていた。