第3話 退魔師見習い

文字数 1,153文字

 くらやみの中で、エルはゆっくりと目を開いた。
 悪夢を見たようだが、はっきり思い出せない。
 ただ、全身が汗でべとついている。呼吸も、脈も荒い。
 いやな気分だ。

 肩口の傷がいたむ。治癒の魔法で、とっくに治ったはずだが──

 吐き気がする。

 ぼんやりと、まとまらない思いをたぐりながら、エルは起き上がろうとした。
 全身がじんわりとしびれて、力が入らない。
 長い長い時間をかけて、なんとか寝床から這いでる。
 もうとっくに夜は明けている。暗いのは、雨戸を閉めているせいだ。

 研ぎ師のところに剣をとりに行かなくては。

 そう思う。胸がずきりと痛む。
 もう7日ばかり、同じことを思い続けている。

 窓ぎわに立つ。
 雨戸をあけようと、手をかける。
 ひどく重い。

 急に、目の前が暗くなる。
 部屋のすみに、剣がたてかけてあるのが見える。

 いや、あるわけがない。研ぎ師に預けてあるのだ。

 目をとじる。まぶたの裏に、血に染まった剣がうつる。
 かろうじて悲鳴をこらえる。

 必死で、雨戸にかじりついて、わずかに隙間をあける。
 まだ、思ったほどの時間ではなかったらしい。早朝の市場から喧騒がきこえてくる。

 市場のはしに、見知った顔があった。
 銀髪に、赤い目。森妖精の末裔らしい、端正な顔だち。母親によく似ている。
 退魔師見習いのアーサーだ。

 とっさに目を伏せる。
 見られたただろうか?

 なぜ、隠れなければならないのか自問するが、答えはない。

 窓際にしゃがみこんだ。
 ひとりでに涙がながれてくる。

 このままではいけない。
 そう、思う。

 退魔師の誇りはどこへ消えた? 自問する。
 答えはない。誰もこたえてくれない。

 カルナーも、アスターも、ジャスも、そして兄も、とっくに死んでしまった。
  


 窓を見上げるのをやめて、アーサー=カルアは歩き出した。
 今、エルにかける言葉を自分は持っていない。
 まして、狩りに出たこともない見習いの身では…。

 ため息ひとつ。

 テべーとの輸送路が滞っているせいで、市場ではあらゆるものが値上がりしている。
 卵も、たたら芋も、予定の半分しか買えなかった。
 みんな、とかげ鳥のせいだ。

 口の中で愚痴をこぼしながら歩いていたせいで、前方に注意を払っていなかった。

 ふと、違和感をおぼえて顔をあげると、長髪の女が、じっとこちらをみすえて立っていた。
 知らない女だ。

 いや。
 一度だけだが、見たことがある。

 長髪、ぼんやりとした切れ長の目、のっぽでやせぎすな体型、姿勢のいい立ち姿、
 それに何より、頭のまわりに浮いている4つの白い魔法球。

 夢見の巫女、ルナ=サリナイだ。
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