第21話 地霊宮

文字数 3,321文字

 馬とは、パンドル国の火山帯に棲む猛獣である。草食だが気は荒く、野生では人間をみつけると集団で襲いかかる習性がある。火口に棲む精霊を守っているのだともいう。
 もし肉食であれば、魔獣と呼ばれていただろう。
 牛や鴉に比べて、家畜としての歴史は浅い。古くは、火山周辺の少数民族が馬を手懐け、利用していたともいうが、人間の手で管理し、繁殖させられるようになったのは、アルセア帝国崩壊の前後であるからおよそ200年前である。
 今のアルセアにその技術はなく、パンドルから輸入した馬を使っているにすぎない。

 さて──
 
 アーサーとルナは、フォスターにともなわれて、アルセア宮廷内の地霊宮へとやってきていた。
 地霊宮とは、策軍寮、王立学問所、史官局の4つの部署からなる行政組織である。
 宮頭は、アラン=フェルナンデス老師。
 おもてだってはいないが、カルリア家が後ろ盾についているといわれる。

 やってきたのは、策軍寮が普段つかっている訓練場の一部だ。
 まばらに草の生えた、二百歩四方くらいの空き地である。
 むろん、本来は乗馬のためのスペースではない。
「やあ、来たな」
 カルリア侯爵がふりむいてそう言った。フォスターたちはあわてて姿勢をただした。
「そう緊張するな。……アーサー、久しぶりだな」
 侯爵はそう言ってにっこりと笑った。きょうは騎士団の平服姿だが、帯剣はしていない。侯爵家の紋が入った黒いマントを羽織っている。
 アーサーとは、ミナの薬草店で、何度も顔をあわせている。最後に会ったのは、ルパード隊が壊滅した日であった。
「夢見の巫女よ。初めてお目にかかる」
 すこし、かたい表情になって、侯爵はルナに目をむけた。
 ルナは、無言で手を前において、深く頭をさげた。
 侯爵は、つかつかと歩み寄って手をさしだした。
「ルナ=サリナイ。……君たちは、アルセアの希望だ。よろしく頼む」
 ルナは顔をあげて、目をまん丸くしてしばらく硬直してから、手をとった。
 侯爵は、おちついた目でルナの瞳をみつめて、かるく頷いてから、握った手をはなした。
「……エルは、いかがですか。侯爵」
 フォスターが、どことなく暗い声でそういった。侯爵は、広場の真ん中へと目をむけた。
「俺も乗馬のことはよくわからないが、筋はいいようだな。」
 アーサーも、侯爵の目線を追って、エルのほうをみた。
 ルナやアーサーにとっては、馬を見ること自体が初めてである。ただ、想像していたよりもずいぶんと筋肉質で、大きな動物であるように感じた。
 エルは、大きな馬のうえにちょこんとまたがって、片手でゆるく手綱をにぎっている。馬は、人が走るのと同じくらいの速さで進んでいる。上下動はかなり激しいが、エルは、かるく体を前後させて、うまくバランスをとっているように見えた。
「かなり、いいですよ。上達が早い」
 侯爵にそう応えたのは、エルが走るのをすぐ側で見ていた、初老の男性であった。
「獣の扱いにも慣れているようですね。このぶんなら、ふつうに走るのはもう問題ないでしょう」
「そうか。……すまんな、クレス。もうしばらく付き合ってくれ」
「お気になさらず。」
 男はかるく微笑んで、エルのほうに目をもどした。
「……そこまで! とまれ」
 男が鋭くいうと、エルが反応するより先に、馬が勝手にうごいた。
 走りながら、後ろ足に体重をかける。
 次の瞬間、後肢をそろえて大きくのけぞり、前足を空転させるようにして、急停止した。
 エルは、手綱を強くにぎって、バランスをとるのにせいいっぱいである。
「言葉がわかるのですか?」
 ルナは、思わずそう口にだしていた。
「限られた命令はね。そのようにしつけてある。本当は、騎手が、言葉と動作で指示をだすんだが」
 男は、少し自慢げな様子で、そう答えた。
 エルは馬をおりて、大きく息をついた。汗だくのまま、侯爵にむかってぺこりと頭をさげる。
「綱で姿勢を保とうとするのはやめなさい。手綱は、馬に指示をあたえるためだけに使うんだ」
「はい、」
 男の言葉に、エルは真剣な目でうなずいた。
「脚で馬の体をしめつけるのも、馬によけいな指示を与えることになる。あの程度の揺れであれば、上半身の動きだけで耐えられるはずだ」
「はい。」
 エルはもう一度うなずいた。その手はかたく握りしめられていた。
(緊張しているな、)と、フォスターは胸のなかでつぶやいた。
「もう一度、」と男がいうと、エルは黙って、馬の背に手をかけ、またがろうとした。
「まって下さい」
 ルナがそれを制した。男は、ぎょっとしてルナのほうをみた。
「これだけ大きな獣なら、後ろに、もうひとり乗っても、同じように走れるのではありませんか。」
「少し練習すれば、まあ……。それが?」
 男がけげんそうに言うのにかさねて、フォスターが問い返した。「どういうことだ?」
「私がエルと乗れば、閃光弾の魔法で、足止めの役に立つと思います」
「なんだと、」
 フォスターはしばし絶句した。
 たっぷりひと呼吸のあと、眉をしかめて、男にむけて問う。
「強い光と音が炸裂しても、走り続けるように指示できますか?」
「なんとも……。平地をまっすぐ走り続けるだけなら、慣れさせれば、できるかもしれないが。うまく視界をさえぎるとか、何か工夫をすれば……」
「そうですか、……」
 フォスターは首をひねった。
 侯爵は、ふむ、と唸り声をあげた。ようやく意味がわかったらしい。
「やってみろ、フォスター。できることはなんでも試してみるがいい」
「……はい」
 フォスターは頷いた。
「ルナ、エルのうしろに乗ってみろ。……クレスさん、お願いします」
「ありがとうございます、」
 ルナはフォスターに礼をいって、エルのうしろに乗ろうとした。
 届かない。
 エルが、手をさしのべた。
 ルナは、もう一度、ありがとうございます、といって、エルに体重をあずけて馬の背にあがった。

 エルの体は、かすかに震えていた。

 ルナは、後ろからそっとエルを抱きしめた。耳元でそっとささやく。
「大丈夫。……私が、一緒にいます。たとえ、逃げきれず、とかげ鳥に喰われるとしても、その最後の瞬間まで、私はあなたと共にいます。ですから……安心して下さい」

 エルは、かすかに笑った。胸元にまわされた巫女の手を握ると、体のふるえがとまった。

 手綱と馬の頭の位置を確認し、脚をのばす。
 声で指示をだしながら、両足で、胴を軽くしめつける。
 馬が歩きだした。もう、迷いは消えていた。

 遠ざかっていく馬を見つめながら、フォスターは低い声でいった。アーサーは少し離れたところにいた。
「……侯爵。実は、言っておかなければならないことがあるのですが。」
「何だ?」
「あの馬、……生きて返せないかもしれませぬ」
「そんなことか。」
 侯爵も、おなじくエルとルナのほうを見ながら、少し口角をあげた。
「かまわんよ。おれが、テベー公に頭をさげればすむことだ。ことと次第によっては、陛下にもな。あとは、金と爵位でかたがつく。たいしたことじゃあない」
 本当にたいしたことではないように、侯爵はいった。
「それより、約束してもらわなければならないことがある。」
「何です?」
「お前らは、アルセア市を守る最後の退魔師だ。必ず生きて帰れ」
 長い沈黙があった。

 訓練場のむこうで、ルナがバランスを崩して落ちそうになり、馬が歩みをとめた。それから、もちなおしてまた歩きだした。

 フォスターは、ようやく口を開いた。
「……努力します。できうるかぎり」



 決行の時刻は、明け方ときまった。
 とかげ鳥の主な活動時間は、昼間であるからだ。
 営巣地の近くで準備をしなければならないし、いざ戦いのときには、とかげ鳥たちが十分に動ける状態でなければ、作戦が成立しない。
 真昼に街を出て、夜になってから現場近くへたどりつく。夜中に準備をして、明け方、とかげ鳥たちが目をさましてから、作戦を開始する。そういうことになった。
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