第6話 とかげ鳥

文字数 2,615文字

「……何か、あったのですか」
 アーサーと二人で表通りに出ると、ルナは少しだけ緊張がとけたような顔つきになった。
「どういう意味?……ですか」
 なんとなく、どういう態度をとるべきかはかりかねたまま、アーサーは聞き返す。
「あのお店には、いつもはもっと人がいるのでは?」
 意味がよくわからず、見返すと、ルナはふしぎそうに続けた。
「ミナ=ブルガナンの薬草店は、この街でもっとも大きな退魔師の拠点の一つだと聞きましたが」
「そんなこと……、知っていたんですか」
「もちろんです。」
 かすかに、笑ったようにみえた。
「何も調べずに、声をかけたとお思いでしたか。」
 言われてみれば、その通りであったが──、
 なんとなく、釈然としないものを感じる。
「わかりました。……歩きながら話しましょう。」
 ともかくも、アーサーは語りだした。



 100日ばかり前。
 テベーからアルセア市へ、定期的に往復していた隊商が、ふっつりと来なくなった。
 少人数で街道を旅する吟遊詩人や商人が魔獣に殺されるのは、珍しいことではない。しかし、少なくとも10人の退魔師が護衛する隊商が、とつぜん消息を絶つというのは、滅多にあることではなかった。
 次のテベーゆきの隊商には、通常より多い13人の退魔師がついた。退魔師たちは、隊商がテベーにつきしだい、すぐにアルセア市に戻り、街道の状況を知らせることになっていた。
 しかし、その隊商も、退魔師たちも、アルセアに戻ってこなかった。
 そして、ついに、30人の退魔師からなる大調査団が編成され、テベーへと出発したのである。



 転び猫、雪ねずみ、とかげ鳥。
 このあたりに出る魔獣といったら、そんなところだ。
 いちばん厄介なのは、転び猫か。しかし、13人の退魔師隊が全滅するとは思えない。
 百鬼夜行が出たのだ、と言う者もいる。
 そうであれば、そこらの退魔師が100人集まってもどうにもなるまい。十数年前、勇者ランガが鬼と一騎打ちをして退けたという話もあるが、真似できるものではない。
 アルセア市を出て、およそ半日。
 山道をいったん抜けて、草原地帯へ入る。街道沿いはすこし高台になっていて、遠くに水平線が見える。草が生い茂っていてよく見えないが、海のほうへ少し進むと急斜面があって、その先は海岸まで平地になっているはずだ。
 先頭を歩く男が、あっと声をあげた。
 
 赤黒く染まった、布鎧の切れはしが落ちている。

 匂いはしなかった。しかし、引き裂かれた毛皮と綿材のかけらを見れば、その持ち主が辿った運命は容易に想像できた。
「このあたりか。」
 隊長格の男がつぶやいた。すぐに、全員が周囲に目を向ける。
 その気になって探してみると、痕跡はいくらでもあった。
 服のきれはし、地面に残る血のあと、放棄された武器、壊された荷車。それから、散らばった羽根。
 誰かが、とかげ鳥のくちばしと頭蓋の一部を見つけた。
 死体といえるようなものはほとんど残っていなかった。喰いつくされたのだ。最初の襲撃者か、後からやってきた屍肉喰いの獣か。あるいは、その両方に。

 隊商はここで全滅したのだ。おそらく、二度とも。

 誰かが、嘔吐していた。
 骨があるということは、おそらく最初の襲撃者はとかげ鳥だ。
 だが、普通、とかげ鳥は二頭か三頭で行動するし、統率された退魔師の集団を蹴散らすほどには強くない。たとえその倍でも、13人の退魔師がいれば難なく対処しただろう。
 何か、よほどのことがあったか──
「おい、」
 誰かが、青ざめた声で言った。
「あれ、見えるか。」
 
 ばさばさっ、と何かが風をたたく音がした。森のほうだ。

 木々のあいだで、何かが動くのが見えた。
 ひとつ、ふたつ、みっつ…
 茶色い尾羽根。ここらに散らばっているのと同じものだ。
 くちばし。牙。
 とびあがったときに見える、後ろ足の鋭い鉤爪──

 とかげ鳥だ!

 反射的に、かれは仲間たちに背をむけて走りだした。嫌な予感が全身を這いまわっていた。
 それが、命運を分けた。
 背を向けるまでの一瞬に見えた影の数は、やけに多かった。

 戦う音、悲鳴、爪をたてられた肉の音。
 すべてを振り払うように、息が切れるまで走ってから、振り返った。
 木々のあいだに身をかくすようにして、29人の退魔師が一方的に虐殺されるのを見る。

 とかげ鳥は、けっして恐ろしい敵ではない──ただし、こちらが数で大きく勝っていればの話だ。

 すぐに遠くに離れるべきだったが、そこから目が離せなかった。
 かわりに、とかげ鳥の数を数える。正気を保つためと、自分に言い聞かせながら。
 途中でわからなくなって、何度も数え直した。
 
 正確な数は、わからない。わかりようもない。
 だが、少なくとも40。多ければもっとか。
 そう、数え終わってから、かれはそっと目を閉じた。嗚咽が喉元までこみ上げてきた。



 一人だけ生き残った退魔師が、アルセア市に戻って状況を告げた。
 とかげ鳥が大きな群れをなして隊商を襲うというニュースは、それだけでアルセア王国の流通を脅かすに十分だった。
 2、3頭のとかげ鳥と戦うには、一人前の退魔師が5人は必要だ。
 ならば、40〜50頭の群れに対抗するには、退魔師が80人か、100人は要るか。
 しかし、通常、退魔師たちは3人から10人ほどの小集団で魔獣狩りをする。大人数で戦うのには慣れていない。
 まして、アルセア市に住む退魔師を全員あわせても300人はいない。祓いが専門で魔獣狩りには出ない者もいるから、実際の戦力はもっと少ない。

 だが──

 15日後、あらゆる困難を乗り越えて、100余名からなる退魔師隊が編成され、魔獣退治に向けて出発した。
 この隊には、アルセア市に根城をもち、魔獣狩りを生業とする退魔師のほとんどが参加していた。
 ……少数の例外を除いて。



「……そうして、また、全滅した。今から10日前のことだけど。」
 アーサーはそう言って、大きく息をついた。
 少し不正確な言い方だったが、それ以上言葉を続ける気になれなかった。
「それでは、あなたたちは……」
 ルナが何かいいかけたとき、二人はちょうど鎧店の前に立っていた。アーサーは、かまわず扉を開けた。
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