第15話 和解
文字数 2,060文字
こんこん、と遠慮がちなノックの音を聞いて、ルナ=サリナイはよろよろと布団から這い出した。
狩りの日からもう2日たつが、疲れがとれない。
寝間着にかいまき布団を背負ったまま、のそのそとドアを開ける。
目をまん丸くする。
そこに立っていたのは、エル=サラナであった。
なんとなくよそいきじみた、えんじ色の寛衣と、ふんわりとした上着をまとっている。右手に、布で包んだ箱のようなものを抱えて、左手には買い物に使うような麻の袋を下げている。
ルナより、頭ひとつ分は背が低いので、見上げるようにして、
「あの、」
かすかにうわずった声で、
「この間は、……ごめんなさい。」
と、言った。
こんな人だっただろうか。
ルナは、胸のうちで少し疑問に思いながら、
「どうぞ、入ってください。」
と、言った。
*
そういえば、たった2つしか年は離れていないのだった。
*
引っ越してから15日ほどたつが、まだ身の回りの品もろくに揃っていない。
食器も足りていないが、茶器だけは、僧院を出たときに餞別にもらったものがある。
種火が残っているのを確認し、火鉢に炭を入れた。水をくんでおいた土瓶を火にかける。
「……少し待って下さいね、」
言ってから、自分の格好に気づく。
かいまきはさすがに脱いだが、寝間着のままである。まさか、ここで着替えるわけにもいかない。
「あの、……おかまいなく、」
なんとなく居心地悪そうな顔をして、エル=サラナは床に座っていた。
「敷物もなくて、……すみません」
「そんな、……それより、これ」
上着のかくしから手巾をだして、差し出してくる。
「あの、ちゃんと洗ったから、」
「お気になさらず」
正直言って、貸したことも忘れていた。
少し、気まずい沈黙。
「あ、これ、」
脇に置いていた箱を出し、包んでいた薄布をほどく。
きれいな木箱だった。蓋のうえに、なにか書いてある。
大きな丸の中にレ点がひとつ。それから、下に3文字の銘柄。
エルが箱をあけるよりも一瞬はやく、ルナは、
「朱餅ですか。」と、つぶやく。
かすかに高くなった声音に、エルは首をかしげた。
「知っているの?」
「ええ、」
ルナは少し顔を赤らめて頷いた。
フリウス通りの甘味屋で売っている名物である。高級品というほどではないが、庶民が仕事帰りに買うような駄菓子ではない。
「僧院にいたころに。たまに、お土産で持ってきてくださる方がいて。」
「そうなんだ。……あと、これ。」
とん、と麻袋から陶瓶を取りだす。これも、どこかの店の符号が刻んである。
「なんですか?」
ルナが首をかしげる番だった。
「ベーリーの酒店で、……あの、お詫びに。」
は、とルナは少し眉をひそめた。
「やっぱり、……まずかった?」
「いえ…、」
僧院でも、べつだん飲酒が禁じられているわけではない。
ただ、あまり好まれないだけだ。
「ごめんなさい。あの、……、お詫びの品というと、こんなものしか思いつかなくて。」
小さくそういって、エルは目を伏せた。
顔が熱い。
ふと、ルナが立ち上がる気配がした。
かちゃかちゃ、と何かをとりだす音がする。
茶器であった。
「こんなものしかありませんが。」
そういって、座りなおした巫女の目は、かすかに笑っていた。
*
はじめて酒を飲んだのは、カルナーに拾われてからすぐのことだ。
ひどく不味かったのを覚えている。
*
木製の、ちいさな茶飲みに、薄紅色の液体が注がれる。
はるあかり、燈、シルナ。三種類の果実酒をブレンドしたものである。
「甘いよ、」
ルナが口をつける前に、エルはつぶやくように言った。
気にする様子もなく、こくん、と飲み干す。
「そうですね、」
と、答えて、ルナは笑った。
エルは少し意外そうに、
「お酒、好きなの?」
「いいえ、」
首をふる。
「儀式で何度か飲みましたが。あまり、おいしいとは思いませんでした」
ぽおっと、頬を赤くして、
「でも、このお酒はいいですね。甘くて、飲みやすい。」
ことん、と茶飲みをおく。
「そうでしょう。」
エルは少し早口になっていた。自分の杯をかたむけ、思いきって全部のみほす。
「兄にいわせると、こんなのは酒じゃないって。」
そう言ってから、不適切な話題だったかと口をつぐむ。
ルナは何も言わなかった。
安心して、また口を開く。
「甘いものをつまみにするのも。おかしいってさ。」
「そうですねえ……。」
なんとなく遠慮がちな手つきで、ルナは朱餅に手をのばした。
まだ、ねっとりした甘さと痺れが残る口のなかに、思いきって放り込む。
「どう?」
「……味がわかりません。」
目をしばたかせてルナがいうと、エルはくつくつと笑った。
*
その日、エルは夜半を過ぎてから自分のアパートへ帰った。
さらにその翌日まで、ルナ=サリナイはおもてに出られなかった。
狩りの日からもう2日たつが、疲れがとれない。
寝間着にかいまき布団を背負ったまま、のそのそとドアを開ける。
目をまん丸くする。
そこに立っていたのは、エル=サラナであった。
なんとなくよそいきじみた、えんじ色の寛衣と、ふんわりとした上着をまとっている。右手に、布で包んだ箱のようなものを抱えて、左手には買い物に使うような麻の袋を下げている。
ルナより、頭ひとつ分は背が低いので、見上げるようにして、
「あの、」
かすかにうわずった声で、
「この間は、……ごめんなさい。」
と、言った。
こんな人だっただろうか。
ルナは、胸のうちで少し疑問に思いながら、
「どうぞ、入ってください。」
と、言った。
*
そういえば、たった2つしか年は離れていないのだった。
*
引っ越してから15日ほどたつが、まだ身の回りの品もろくに揃っていない。
食器も足りていないが、茶器だけは、僧院を出たときに餞別にもらったものがある。
種火が残っているのを確認し、火鉢に炭を入れた。水をくんでおいた土瓶を火にかける。
「……少し待って下さいね、」
言ってから、自分の格好に気づく。
かいまきはさすがに脱いだが、寝間着のままである。まさか、ここで着替えるわけにもいかない。
「あの、……おかまいなく、」
なんとなく居心地悪そうな顔をして、エル=サラナは床に座っていた。
「敷物もなくて、……すみません」
「そんな、……それより、これ」
上着のかくしから手巾をだして、差し出してくる。
「あの、ちゃんと洗ったから、」
「お気になさらず」
正直言って、貸したことも忘れていた。
少し、気まずい沈黙。
「あ、これ、」
脇に置いていた箱を出し、包んでいた薄布をほどく。
きれいな木箱だった。蓋のうえに、なにか書いてある。
大きな丸の中にレ点がひとつ。それから、下に3文字の銘柄。
エルが箱をあけるよりも一瞬はやく、ルナは、
「朱餅ですか。」と、つぶやく。
かすかに高くなった声音に、エルは首をかしげた。
「知っているの?」
「ええ、」
ルナは少し顔を赤らめて頷いた。
フリウス通りの甘味屋で売っている名物である。高級品というほどではないが、庶民が仕事帰りに買うような駄菓子ではない。
「僧院にいたころに。たまに、お土産で持ってきてくださる方がいて。」
「そうなんだ。……あと、これ。」
とん、と麻袋から陶瓶を取りだす。これも、どこかの店の符号が刻んである。
「なんですか?」
ルナが首をかしげる番だった。
「ベーリーの酒店で、……あの、お詫びに。」
は、とルナは少し眉をひそめた。
「やっぱり、……まずかった?」
「いえ…、」
僧院でも、べつだん飲酒が禁じられているわけではない。
ただ、あまり好まれないだけだ。
「ごめんなさい。あの、……、お詫びの品というと、こんなものしか思いつかなくて。」
小さくそういって、エルは目を伏せた。
顔が熱い。
ふと、ルナが立ち上がる気配がした。
かちゃかちゃ、と何かをとりだす音がする。
茶器であった。
「こんなものしかありませんが。」
そういって、座りなおした巫女の目は、かすかに笑っていた。
*
はじめて酒を飲んだのは、カルナーに拾われてからすぐのことだ。
ひどく不味かったのを覚えている。
*
木製の、ちいさな茶飲みに、薄紅色の液体が注がれる。
はるあかり、燈、シルナ。三種類の果実酒をブレンドしたものである。
「甘いよ、」
ルナが口をつける前に、エルはつぶやくように言った。
気にする様子もなく、こくん、と飲み干す。
「そうですね、」
と、答えて、ルナは笑った。
エルは少し意外そうに、
「お酒、好きなの?」
「いいえ、」
首をふる。
「儀式で何度か飲みましたが。あまり、おいしいとは思いませんでした」
ぽおっと、頬を赤くして、
「でも、このお酒はいいですね。甘くて、飲みやすい。」
ことん、と茶飲みをおく。
「そうでしょう。」
エルは少し早口になっていた。自分の杯をかたむけ、思いきって全部のみほす。
「兄にいわせると、こんなのは酒じゃないって。」
そう言ってから、不適切な話題だったかと口をつぐむ。
ルナは何も言わなかった。
安心して、また口を開く。
「甘いものをつまみにするのも。おかしいってさ。」
「そうですねえ……。」
なんとなく遠慮がちな手つきで、ルナは朱餅に手をのばした。
まだ、ねっとりした甘さと痺れが残る口のなかに、思いきって放り込む。
「どう?」
「……味がわかりません。」
目をしばたかせてルナがいうと、エルはくつくつと笑った。
*
その日、エルは夜半を過ぎてから自分のアパートへ帰った。
さらにその翌日まで、ルナ=サリナイはおもてに出られなかった。