細やかで温かな光
文字数 2,521文字
神父と出会ってから二日後の朝、黒髪の少年は孤児院の周りを歩いていた。彼は、そうしながら孤児院の様子を窺い、中の様子を探ろうとする。しかし、小さな少年は窓から中を覗くことは出来ず、ただただ孤児院の周りを歩くばかりだった。
少年が孤児院を何度か回った時、大きな籠を抱えたリタが建物から出てくる。リタが抱える籠には、洗ったばかりの洗濯物が入れられ、そこからは微かに洗剤の香りが漂っていた。彼女は、少年の存在に気付くなり籠を置き、しゃがみ込んで笑顔を浮かべる。
「君、この間の子だよね? 今日、トマス神父は居ないけど、どうしたの?」
リタの質問を受けた少年は無言で口を開閉し、何かを伝えたい様子で手を動かした。しかし、それが言葉となって発せられることは無く、リタは首を傾げて言葉を紡ぐ。
「ごめんね。この間は、自己紹介してなかったか」
リタは苦笑し、気まずそうに頬を掻いた。
「私の名前はリタ。この孤児院で、子供達の為に料理を作ったり、小さな子達の服を代わりに洗ったりしているの。君の名前は?」
リタの話を聞いた少年は目を伏せ、ゆっくり首を横に振る。彼は、そうした後で唇を噛み、呟くように話し出した。
「分かんない……名前を呼ばれたこと、無い」
少年は地面に座り、リタを拒絶するように膝を抱えて縮こまる。一方、彼の様子を見たリタと言えば、無言で返す言葉を考えた。
「じゃあ……トマチョでどう? トマス神父が、チョコを買いに行った時に出会った子だから」
リタの話を聞いた少年は首を傾げ、彼女が何を言っているのか分からない様子だった。この為、リタは気まずそうに苦笑し、小さな声で言葉を加える。
「ほら、呼ぶ名前が無いと不便って言うか、仲良くなれないって言うか」
リタは頭を掻き、少年から目を逸らして立ち上がった。
「なんかごめんね、困らせちゃったみたいで。お姉さん、洗濯物片付けてくるから」
リタは、そう言うと地面に置いた籠を抱えて歩き始める。一方、黒髪の少年は、膝を抱えたままリタの背中を目で追った。
その後、洗濯物を干し終えたリタは、空の籠を持って少年の居る方へ向かっていく。すると、それに気付いた少年は立ち上がり、リタが目の前に来たところで声を上げた。
「あの! この間の美味しかった! です」
そう話す少年の頬は赤く、彼の声を聞いたリタは柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、美味しいって言ってくれて」
リタは、言いながら少年の頭を撫で、優しい声で話を続けた。
「そうだ。良かったら、今日も食べていかない? 少し待ってくれたら、温かいものも出せるから」
リタの問い掛けを聞いた少年は頷き、彼の仕草を見た者は左目を軽く瞑ってみせた。
「じゃ、付いておいで。途中で籠を置くけど直ぐだから」
そう伝えると、リタは少年の手を掴む。彼女は、そうした後でゆっくり歩き、少年を食堂まで連れて行った。そして、少年を食堂に残して調理場へ向かうと、十数分程してから料理を乗せたプレートを持って戻る。
プレートの上には、丸いパンや丸ごとのバナナが乗せられ、焼きたてのベーコンや炒り卵も用意されていた。また、温かなスープの他に牛乳も添えられ、それを見た少年の腹は小さく鳴った。
「お待たせ。足りなかったら言ってね。パンなら、まだ沢山残っているから」
そう言って、リタはプレートを少年の前に置く。少年はリタに礼を述べ、パンを掴んで口に押し込んだ。彼は、パンを半分食べたところで牛乳を飲み一息つく。その後、少年は順に料理を食べていき、リタは彼の様子を見守っていた。
全てを食べ終えた少年は、食器を綺麗に並べてからリタの目を見つめた。彼は、そうした後でリタに礼を言い、ゆっくり椅子から下りて立ち上がる。一方、リタは軽くなったプレートを引き寄せ、それを持って立ち上がった。
「ねえ、君。良かったら、うちの子になっちゃわない? そうしたら、同じ位の年の子達だって沢山居るし」
笑顔を浮かべて言うと、リタはプレートを持ったまましゃがみ込んだ。彼女は、そうした後で少年の目を見つめ、笑顔のまま首を傾げる。
リタに見つめられた少年は無言のまま口を開閉させ、それから下方に目線を逸らした。彼は、そうした後で首を振り、小さな声で話し始める。
「ごめんなさい。僕、帰らなきゃ」
少年は、そう言うなり走り出し、リタは悲しそうにその背中を見送った。そして、彼女は溜め息を吐きながら立ち上がり、食器を片付けるべく調理場へ向かう。
食堂を出た少年は、孤児院を出たところで蹲った。この時、彼の呼吸は酷く荒く、走ったせいで痛むのか腹を押さえている。少年は、暫く休んだ後で立ち上がり、とぼとぼと孤児院から離れていった。彼は、時折後方を振り返りながら歩き続け、重い足取りで家に戻っていく。
少年が家の近くまで来ると、その近くには誰も居なかった。少年は、慣れた様子で家の裏側に回ると、やや高い位置に有る小窓を見上げる。窓の下には、壊れた家具が乱雑に積まれており、その左側には雨どいが在った。
少年は、それらを足場にして窓へ近付いて行き、充分に近付いた所で中に飛び込んだ。その後、少年は近くに置かれた机に足を乗せ、音を立てないように床に下りた。そして、彼は震えながら歩くと、部屋の隅に座って縮こまる。
少年が居る部屋は暗く、その壁紙は剥がれている場所が幾つもあった。また、床には塵や埃が多く落ちており、室内の空気は淀んでいる。それでも、少年は多くの時間を部屋で過ごし、時折外に出ては孤児院で栄養を摂っていた。
リタは、少年が来る度に温かな料理を用意し、彼に話し掛けた。すると、始めのうちは口数の少なかった少年も段々と話すようになり、孤児院の子供達と会話をする時もあった。その一方、少年はきちんと自らの家へ戻り、謂われのない暴力や罵倒に耐えていた。
少年の表情は失われていったが、それでもリタや同年代の子供には笑顔を作っていた。とは言え、その体には傷が増えていき、着ている服も段々とみずぼらしくなっていった。
この為、リタは仕事の合間をぬって教会へ向かい、トマス神父の部屋で少年についての相談をすることにした。
少年が孤児院を何度か回った時、大きな籠を抱えたリタが建物から出てくる。リタが抱える籠には、洗ったばかりの洗濯物が入れられ、そこからは微かに洗剤の香りが漂っていた。彼女は、少年の存在に気付くなり籠を置き、しゃがみ込んで笑顔を浮かべる。
「君、この間の子だよね? 今日、トマス神父は居ないけど、どうしたの?」
リタの質問を受けた少年は無言で口を開閉し、何かを伝えたい様子で手を動かした。しかし、それが言葉となって発せられることは無く、リタは首を傾げて言葉を紡ぐ。
「ごめんね。この間は、自己紹介してなかったか」
リタは苦笑し、気まずそうに頬を掻いた。
「私の名前はリタ。この孤児院で、子供達の為に料理を作ったり、小さな子達の服を代わりに洗ったりしているの。君の名前は?」
リタの話を聞いた少年は目を伏せ、ゆっくり首を横に振る。彼は、そうした後で唇を噛み、呟くように話し出した。
「分かんない……名前を呼ばれたこと、無い」
少年は地面に座り、リタを拒絶するように膝を抱えて縮こまる。一方、彼の様子を見たリタと言えば、無言で返す言葉を考えた。
「じゃあ……トマチョでどう? トマス神父が、チョコを買いに行った時に出会った子だから」
リタの話を聞いた少年は首を傾げ、彼女が何を言っているのか分からない様子だった。この為、リタは気まずそうに苦笑し、小さな声で言葉を加える。
「ほら、呼ぶ名前が無いと不便って言うか、仲良くなれないって言うか」
リタは頭を掻き、少年から目を逸らして立ち上がった。
「なんかごめんね、困らせちゃったみたいで。お姉さん、洗濯物片付けてくるから」
リタは、そう言うと地面に置いた籠を抱えて歩き始める。一方、黒髪の少年は、膝を抱えたままリタの背中を目で追った。
その後、洗濯物を干し終えたリタは、空の籠を持って少年の居る方へ向かっていく。すると、それに気付いた少年は立ち上がり、リタが目の前に来たところで声を上げた。
「あの! この間の美味しかった! です」
そう話す少年の頬は赤く、彼の声を聞いたリタは柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、美味しいって言ってくれて」
リタは、言いながら少年の頭を撫で、優しい声で話を続けた。
「そうだ。良かったら、今日も食べていかない? 少し待ってくれたら、温かいものも出せるから」
リタの問い掛けを聞いた少年は頷き、彼の仕草を見た者は左目を軽く瞑ってみせた。
「じゃ、付いておいで。途中で籠を置くけど直ぐだから」
そう伝えると、リタは少年の手を掴む。彼女は、そうした後でゆっくり歩き、少年を食堂まで連れて行った。そして、少年を食堂に残して調理場へ向かうと、十数分程してから料理を乗せたプレートを持って戻る。
プレートの上には、丸いパンや丸ごとのバナナが乗せられ、焼きたてのベーコンや炒り卵も用意されていた。また、温かなスープの他に牛乳も添えられ、それを見た少年の腹は小さく鳴った。
「お待たせ。足りなかったら言ってね。パンなら、まだ沢山残っているから」
そう言って、リタはプレートを少年の前に置く。少年はリタに礼を述べ、パンを掴んで口に押し込んだ。彼は、パンを半分食べたところで牛乳を飲み一息つく。その後、少年は順に料理を食べていき、リタは彼の様子を見守っていた。
全てを食べ終えた少年は、食器を綺麗に並べてからリタの目を見つめた。彼は、そうした後でリタに礼を言い、ゆっくり椅子から下りて立ち上がる。一方、リタは軽くなったプレートを引き寄せ、それを持って立ち上がった。
「ねえ、君。良かったら、うちの子になっちゃわない? そうしたら、同じ位の年の子達だって沢山居るし」
笑顔を浮かべて言うと、リタはプレートを持ったまましゃがみ込んだ。彼女は、そうした後で少年の目を見つめ、笑顔のまま首を傾げる。
リタに見つめられた少年は無言のまま口を開閉させ、それから下方に目線を逸らした。彼は、そうした後で首を振り、小さな声で話し始める。
「ごめんなさい。僕、帰らなきゃ」
少年は、そう言うなり走り出し、リタは悲しそうにその背中を見送った。そして、彼女は溜め息を吐きながら立ち上がり、食器を片付けるべく調理場へ向かう。
食堂を出た少年は、孤児院を出たところで蹲った。この時、彼の呼吸は酷く荒く、走ったせいで痛むのか腹を押さえている。少年は、暫く休んだ後で立ち上がり、とぼとぼと孤児院から離れていった。彼は、時折後方を振り返りながら歩き続け、重い足取りで家に戻っていく。
少年が家の近くまで来ると、その近くには誰も居なかった。少年は、慣れた様子で家の裏側に回ると、やや高い位置に有る小窓を見上げる。窓の下には、壊れた家具が乱雑に積まれており、その左側には雨どいが在った。
少年は、それらを足場にして窓へ近付いて行き、充分に近付いた所で中に飛び込んだ。その後、少年は近くに置かれた机に足を乗せ、音を立てないように床に下りた。そして、彼は震えながら歩くと、部屋の隅に座って縮こまる。
少年が居る部屋は暗く、その壁紙は剥がれている場所が幾つもあった。また、床には塵や埃が多く落ちており、室内の空気は淀んでいる。それでも、少年は多くの時間を部屋で過ごし、時折外に出ては孤児院で栄養を摂っていた。
リタは、少年が来る度に温かな料理を用意し、彼に話し掛けた。すると、始めのうちは口数の少なかった少年も段々と話すようになり、孤児院の子供達と会話をする時もあった。その一方、少年はきちんと自らの家へ戻り、謂われのない暴力や罵倒に耐えていた。
少年の表情は失われていったが、それでもリタや同年代の子供には笑顔を作っていた。とは言え、その体には傷が増えていき、着ている服も段々とみずぼらしくなっていった。
この為、リタは仕事の合間をぬって教会へ向かい、トマス神父の部屋で少年についての相談をすることにした。