名も無き子供

文字数 2,285文字

 アランが少年を追い掛け始めてから数十分後、彼は目的とする家の近くに来ていた。そこは、家々がまばらに建てられた区画で、人の気配は殆ど無かった。また、どの庭にも植物は植えられておらず、それが住人の心情を表しているようでもある。

 アランが物陰から様子を窺っていると、少年は二階建て家屋の裏側に回った。暗がりに立つ少年は目を細め、やや高い位置に有る小窓を見上げる。窓の下には、壊れた家具が乱雑に積まれており、その左側には雨どいが在った。

 少年はそれらを足場にして窓に近付いて行き、充分に近付いた所で中に飛び込んだ。彼の動きを見たアランは口角を上げ、その家の番地を確認して教会へ戻っていく。

 教会に戻ると、アランは得た情報を伝えるためトマスの居る部屋へ向かった。アランは、トマスの部屋の前に立つとドアを叩き、反応をした部屋主が話し終わらぬ内に入室する。この為、トマスは呆れた様子で溜め息を吐き、片目を瞑りながら訪問者を見た。

「せっかちですねえ……誰か先客が居たら、どうするおつもりで?」
 トマスは首を傾げ、微笑みながらアランに近付いた。一方、アランは顎に手を当てて軽く笑い、神父の疑問へ答えを返す。

「俺は耳が良いからな。誰かが居れば察せる」
 訪問者は目を瞑り、ゆっくり息を吐き出した。

「万が一気付かなくたって、ここを訪れるのは知った顔ばかりだろ? 第一、教会側の都合が悪けりゃ、ここへ来る前に止められていた筈だ」
 アランは目を開き、トマスの顔を笑顔で見つめる。すると、部屋主は小さく頷き、ソファーを指し示した。

「かないませんね、アランには」
 トマスは苦笑し、彼の台詞を聞いた訪問者は何か言い返すことなくソファーへ向かう。一方、神父は彼の後を追うように歩き、アランが座る対面に腰を下ろした。

「あいつ、痩せこけた子供にしちゃ身体能力あるぜ? 鍛えたら、良い駒になりそうだ」
 訪問者の話を聞いたトマスは眉間に皺を寄せ、溜め息混じりに話し始めた。

「駒という言い方は感心しませんね。彼の素早さは私も認めますが」
 トマスは、アランの目を真っ直ぐに見た。対するアランは軽く笑い、顔の横に両手を上げる。

「はい、はい……トマス神父のおっしゃる通りで」
 そう言ってアランは手を下ろし、変わりに口角を上げた。

「でも、あいつを鍛えたいってのは譲れないな。家を離れる気が無いってんなら、護身術だけでも仕込みたい。あいつが、ちゃんと生き続けられるように」
 アランは自らの意見を伝え、目を細めてトマスを見た。すると、部屋主は暫く考えてから頷き、ゆっくり息を吸い込む。

「アラン、貴方にお任せします。あの子の家を調べに行ったのは貴方ですし……私は、表立って何かをすることは出来ませんから」
 神父は深く頭を下げ、彼の仕草を見たアランは苦笑した。

「頭を上げてくれ。そんなに改まる仲でも無いだろ」
 その言葉を聞いたトマスは顔を上げ、どこか不思議そうに首を傾げる。

「感謝の意を表すのに、仲の良さって関係あります?」
 神父の疑問を聞いたアランは目を丸くし、額に手を当てて小さく笑う。

「違いねえ」
 アランは額に当てた手を離し、太腿の上で手を組んだ。

「ところで、あの子の家の場所を教えて頂けますか? 万が一、貴男が動けなくなった場合に備えて」
「ルゥーイン通り八番地。ベルガウ・エメリヒ宅。奥さんらしき名前も有ったけど、子供の名前は無かった」
 アランの報告を聞いた神父は不安そうに目を細め、小さく息を吸い込んだ。

「ルゥーイン通り……以前、開発され掛けて放置された地域ですね。それにしても、あの子の名前がないとなると、子供が住んでいることすら知らない方も居るのでしょう」
 トマスは溜め息を吐き、アランは気怠るそうに頭を掻く。

「だろうな。だから、家に閉じ込められようものなら、あいつの命は」
 アランは、そこまで言ったところで話すことを止め、目を伏せて細く息を吐き出した。

「いや、これ以上言うのは止めておこう。そうなったら、俺が乗り込めば良いだけの話だ」
 そう続けると、アランは目を細めて口角を上げる。一方、彼の話を聞いたトマスは無言で頷き、二人の間には重苦しい空気が流れ始めた。しかし、その空気は直ぐにアランが払拭することになる。

「わざわざ家を突きとめたんだ。今のところ致命的な怪我は無いし、子供だって簡単にくたばりゃしない。俺が良い例だろ?」
 男性は、そう話すと歯を見せて笑い、彼の話を聞いたトマスは小さく頷く。

「そうかも知れないですね。今のところは深刻な病も患っていないようですし……自力で来られるうちは、彼に判断を任せておきましょう。何らかの変化が見受けられれば、リタが気付いて連絡をしてくるでしょう」
 神父は、そう言うと細く息を吐き出した。彼は、そうした後で顎に手を当て、軽く左目を瞑ってみせる。

「リタは、小さな変化に敏感だからな。加えて、二十そこそこにしちゃ包容力まである。そう言ったことを任せられるのは、あいつ以外にそうそう見つからねえだろ」
 アランはソファーの背もたれに体重を預け、両腕を広げて背もたれに乗せた。

「アランの言う通りです。私は、沢山の素敵な方々に恵まれているようです。これは、神に感謝せねばなりませんね」
 そう返すと、トマスは手を組んで目を瞑った。一方、彼の仕草を見たアランはゆっくり首を横に振り、神父が目を開く前に立ち上がる。

「俺はもう行くよ。伝えるべきことは伝えたしな」
 男性は、そう話すと踵を返し、静かに部屋を立ち去った。この時、トマスは目を開いて彼を見送り、訪問者が去った後で仕事机に戻っていく。
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登場人物紹介

主人公
ネグレクトされている系男児。
しかし、救いの手が差し伸べられて成長する。

神父
主人公に救いを差し伸べるが、差し伸べ方がやや特殊な年齢不詳な見た目の神父。
にこやかに笑いながら、裏で色々と手を回している。

兄貴分
ガチムチ系脳筋兄貴。
主人公に様々なスキルを教え込む。
難しいことはどこかに投げるが、投げる相手が居ないと本気を出す脳筋。

みんなのオカン
主人公を餌付けして懐かせる系オカン。
料理が上手いので、餌付けも上手い。

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