三角山の骨董店 【無縁仏坂の逆打ち】
文字数 8,762文字
七夕の朝、昨夜から篠突く雨が降り続いていた。教室から望む海は、鉛色に澱み霞むから煩わしく感じる。高校一年のナミカは、隣のクラスを覗いた。幼稚園からの親友を探すと、登校したばかりのメグが窓際席でカバンを開けているところだった。端正な男顔のナミカは、背丈があるから目立った。綺麗な立姿に同性でも振り返る。
「おっ、はぁ、よぅ。」
ナミカが明るく声を掛ける。メグは、週明けから元気がなかった。大人しく引っ込み思案な性格だから分かりづらいが。幼馴染のナミカは微妙な変化に気付いていた。
「……おはよう。」
「よく降るね。短い髪でもベッタリだ。嫌だ嫌だ。」
「うん……、だね。」
メグが寂しく笑う。ナミカは、メグの手を取って教室から連れ出した。廊下の隅で顔を寄せて心配した。
「大丈夫。」
「うん……、たぶん。」
「大丈夫じゃないよね。何かあった。話聞くから。」
「うん……、そうだね。」
「顔色悪いよ。保健室いこう。」
「……うん、大丈夫だよ。お昼休みに話せると思う。」
「お悩みメグなんか嫌だよ。」
ナミカは、陽気に揶揄う。学期末テストが近い週末の学校が始まる。
雨が止んだ校舎の屋上に生徒の姿は疎らだった。メグは、自分で作る小さなお弁当を持参していた。売店のミルクと菓子パンが昼食のナミカは、家から持参の丸ごと生キュウリと一緒に食べる。メグは、なかなか話を切り出さなかった。ナミカは、急かすことなく辛抱強く待った。メグの箸が進まない。ナミカは、キュウリの端でメグの頬を突く。
「食欲ないんだ。」
「うん……、」
メグは、小さく溜息を零した。昔から親友のナミカに甘える。
「あの……ね。嫌な夢、見るの。毎晩なんだけど。それで寝不足。」
メグが重い口を開いた。ナミカは、思い当たることがあった。先週の土曜日に無縁仏坂で人を助けた話をメグから聞いていた。
「何時から。もしかして、この前に話してたれど、お爺さんを道案内したのと関係あったりしてる。」
「うん……、どうだろう。」
「嫌な夢って、どんなの。」
「ちょっと、……マジヤバなエッチかな。」
詳しく話さず言葉を濁すようすからメグの深刻さが伺えた。
「……夜中に何度か目が覚めるんだけど、朝方まで同じ夢を見続けるの。」
メグは話すだけでも想い出してしまうのか気分が悪そうだった。
「それでね……。お祓いに行こうかと。思うんだけど。どうかな。」
「その前に医者だよ。」
「……疲れているけど、そうじゃないと思う。」
メグは、小さい頃に祖母から聞いたお祓いの逸話を持ち出した。ナミカも、メグの祖母の優しい姿を覚えていた。メグの家は農家で遊びに行くと可愛がられた良い思い出があった。ナミカは、実の祖母を知らなかったから身内のように思えるのだ。
「ねぇ……、一緒に行ってくれる。」
「もちだよ。」
ナミカは、人情深いから頼まれれば嫌と言えない性格だった。
学校帰りにそのまま向かった。尾根の一つから伸びる山裾の尾先に地元の人が【三角山】呼ぶ小山があった。昭和の高度成長期に住宅地として開発された。緩やかな斜面に家が積み重なる景色は、外国のように異国情緒があった。幼い頃に移り住んだナミカは、その風景を目にして子供ながら感動したのだ。住宅地の間を廻るように道が頂に続いていた。
リアリストを自認するナミカは、お祓いに抵抗があったからメグの話を聞く時点で秘かに警戒して思った。
『胡散臭いなら、速攻退散ね。』
麓にコミュニティバスの停留所があった。坂を上るメグの気怠い動きをみれば、体調の深刻さが見て取れた。山頂の広場の奥に骨董店があった。注意しなければ見落とす店の構えだった。
「何で、骨董店?」
ナミカは、素朴な質問を口にした。ガラス窓越しに中を窺いながら呟いた。
「骨董店がお祓いしてるって、意味わからないし。」
「たぶん……、ここだと思う。」
メグも自信がなさそうだった。
「山頂の骨董店って、云っていたはずだけど。」
「まぁ、いいっか。聞けばいいし。解決。」
物怖じしないナミカは、先頭に立って扉を潜った。澱んだ空気に黴の匂いが混ざっていた。外から見るよりも奥行きの広い店内の至る所に骨董品が置かれていた。弱い照明の中で古時計の振り子音が聞こえた。
「開店休業状態だったりして。」
「そうだね……。」
二人は、顔を見合わせて含み笑った。
「何かお探しですか。」
突然の声に、二人は飛び上がった。古い姿見の前に長身の女性が立っていた。緋色のアンティークな衣装を着る黒い髪をアップに整え浅黒い肌に翡翠色の瞳が鮮やかな彫の深い異国美人だった。ナミカは、気持ちを落ち着かせ尋ねた。
「間違っていたらすみません。こちらでお祓いができると、窺ったのですが。」
「そのような者もいます。」
大人の美女は、抑揚が少なく取っ付きにくかった。
「今、裏山に上がっています。間もなく戻るかと。」
勧められるまま中央の円卓の椅子に座った。薄暗い部屋に振り子時計の音だけが響き、時間が逆行し間延びする感覚に委縮した。
『わぁ、時間の流れが見えそう……。』
ナミカは、不意に浮かぶ異様な感覚に戸惑いながらも傍らで固まるメグを目で気遣った。
奥の扉が音もなく開き、香しい冷気と共に七歳ぐらいの色白の幼女が現れた。ロリータ風の黒いワンピース姿に白銀の御河童の髪型は人形のようだった。手に飾の細工が美しい香炉を下げていた。部屋に甘怠い香が広がった。目を瞑ったままの幼女は、無表情でその場に足を止めた。
その後から姿を見せたのは、小柄な老人だった。洗いざらしの白シャツとベージュのスラックスのラフないでたちで好々爺に見えた。円卓の近くまで来ると、メグを静かに眺めた。
「お茶をお願いできますか。」
老人の言葉に長身の女性がお茶の用意を始めた。
ナミカとメグは、次々に起こる不可思議な展開に圧倒され座り続けた。女性が用意する紅茶の香りは、爽やかな柑橘の香りがした。
「よく、入っています。」
老人の賛辞に女性は、軽く腰を下げ受けた。
「さてと、面白い客人が御一緒ですね。」
老人から言葉を向けられナミカとメグは、夢から覚めたように慌てて立ち上がり訪問の挨拶をした。
「お祓いをお願いに来ました。貴男で宜しいですか。」
ナミカの問いに老人は、頷き見詰め返した。
「……貴女、珍しい運を持っていますね。」
老人の言葉に意表を突かれナミカは、困惑するばかりで言い返せなかった。それでも老人の物腰の柔らかさにメグも少しばかり安堵したようだった。
「話を戻しましょう。お祓いでしたか。そちらの可愛らしいお嬢さんが御所望ですね、お名前は……。」
老人は、メグの名前を聴き取ると呪文を呟き続けた。
「七日前……、黄昏どき……、坂道……、六地蔵……、谷川に沿って……、後ろ向きに坂を上がる。振り返ると、高齢の人らしきモノが途方に暮れたかのように立っていましたか。」
メグは、老人に次々と言い中てられ圧倒されながらも頷き答えた。
「道に迷っているように見えました。それで……、坂の下まで。」
「心根の優しい人に付け入るのです。その悪戯な霊がお嬢さんに憑依した。」
ナミカは、元々が霊とか怪奇現象を信じたくない性格だった。老人の誘導尋問に見えて思わず口を挟んだ。
「どうして分かるのです。」
「どうしてか。それは、見えるからです。」
「はぁ……?、見えるって。」
「人それぞれに身体能力や才能の違いがあるように、我々は、大小の差があるものの誰しも力を授かっているのです。儂は、その力が少しばかり秀でているというわけです。」
老人の言葉が現実離れしていくのにナミカは、警戒した。
「貴女は、稀に見る星の下に生まれている。メグさんに付着する貴女の気に霊が引き寄せられたのです。」
「それって、わたしが原因なわけですか。理解しがたいのですが。」
ナミカは、老人の言葉の不可解さに嫌悪を覚え戦闘的になった。老人が片手を出すと、幼女が壁に並ぶ中から朱い木の面を選び手渡した。
「これを顔にあててお友達を御覧なさい。」
ナミカは、恐る恐る面を顔に近付けた。細い目の隙間からメグの姿を見て声を上げそうになった。メグの背後に黒い影が尻尾のように伸びていた。
「これって……、なに。」
ナミカは、驚嘆し面を外して心配顔のメグを見比べた。狐につままれたかのような奇異な感覚に戸惑うばかりだった。
「憑き物の印です。その道を通って霊が訪れお友達に悪戯をするのです。」
「何かの手品ですか……、」
「その面を通して見れるのは、貴女に力が備わっているからですよ。」
「いゃいゃ、それは別においてですね。では、これ、お祓いできますか。」
「問題なく。少々御代はかかりますが。」
老人が提示するお祓い料の金額にナミカも、絶句した。相場としてみていた金額よりもはるかに高く。一介の学生では払えない金額だった。思わずナミカは、否定した。
「高いと思います。それ、高いでしょう。」
「皆さんそう仰いますね。良心価格です。残念なことに、保険ききませんので。」
ナミカは、メグの手を取って立ち上がらせた。
「帰るよ。他をあたろう。」
「えっ……、でも。」
メグは、どうしていいか判断に困っていた。老人は、表情を崩さず話を続けた。
「お友達が見る夢は、辛いものですよ。夢か現実か見分けがつかない、実際と遜色ない体感ですからね。」
「脅かしは、反則でしょう。」
「ナミカ、お金用意できるよ。」
ナミカは、メグを引っ張って言った。
「ちょっと、考えてからにしよう。」
「それなら、お友達の代わりに貴女が体感してみますか。これは、サービスです。」
そう言って老人が、面を裏返すと手にかざし何事か呪文を唱えた。
「気が変わりましたなら、お越しください……。」
ナミカは、メグの手を引いて最後まで話を聞かずに店から飛び出した。
「まったく、これだから。この手の輩は信用できない。塩持って来ればよかったし。」
「でも……、悪い人に見えなかったよ。」
「あんなのインチキ。ボッタくりでしょう。メグは、人が良すぎ。」
ナミカは一方的に断言して手を握ったまま坂を下った。
「何か美味しいもの食べよう。奢るよ。」
麓のファストフードに立ち寄った。メグの様子が明らかに変わっていた。物静かでお淑やかだから分かりづらいが、ナミカは親友の変調に気が付ける。メグの声の調子も幾分明るくなった。
「なんだろう……。ちょっと気持ちが楽になったって感じ。」
「それなら、良かったじゃん。」
ナミカは、笑顔で受け答え気遣った。
「でもね。やっぱ、先ずは病院だよ。保険も使えるしね。一緒に行ってあげるから。」
「うん……、でも何故かな。大丈夫な気がする。」
メグの表情から陰が消えていた。
「ちょっと、ようすみるよ。どうかな。」
「そぅ、それならいいけど。」
三角山の骨董店で興奮したからだろうか。ナミカは、気分が悪く胸がむかつき好物のバーガーの味も分からなかった。
ナミカは、メグと別れてからも体の芯が重怠かった。
『ちょっと感情的になりすぎたかな。でも、あんな胡散臭いボッタくり。嫌だ嫌だ。』
不愉快な思いを引きずりながらナミカは、寄り道をせずに帰った。叔母のヒノカが出張中で気兼ねない独り生活だった。ベッドに倒れ込み気持ちを休め過ごした。時差の関係で夕刻が叔母との定時連絡だった。ナミカは、その日にメグと出掛けたお祓いの顛末を詳しく説明した。
「学生だからって足元見るんだから。なめんなよって感じ。」
「お祓い料ってそんなものじゃないの。」
「ちゃうちやう、ちゃいます。高いでんねん。」
ドラマで見た関西弁で笑いを誘った。動画の中の叔母は、三十歳を過ぎているが見た目も若く綺麗だった。後ろの古い建物群が哀愁を帯びて魅力的な街にしていた。その景色を見るたびに訪れてみたい気持ちになった。
「あたしも、噂で聞いたけど。三角山のお祓いの人って、昔から有名だよ。」
「あのお爺ちゃんが。」
「お爺ちゃんだった? 若い女性じゃないの。」
「若い女性もいたよ。インド系ぽい感じの。」
「色白の別嬪さんって聞いたけど。」
「そんな人いなかったよ。」
姉妹のように仲が良いから気兼ねなく話が弾んだ。出社する時間が迫り叔母のヒノアは、揶揄い軽口を残した。
「一人だかって、カレシ連れ込まないでよ。そろそろ出掛けるから。」
「それ、いいですね。カノジョならあり得るかも。」
ナミカも笑った。
「じゃ、定時連絡。またしまぁす。本日は、怒りのナミカでした。」
一日に出来事が沢山あったからだろう。日頃から寝つきの良いナミカは、引き込まれるように寝落ちした。
ナミカは、自分の悲鳴に目が覚めた。緩くエアコンを使っていたが、全身が汗まみれだった。
「……なに、夢。」
息が乱れ小さく喘ぎ呟いた。力なく気怠い体を起こした。人に話せない辛い夢だった。真夜中を過ぎ二時を回っていた。眠りが深く夢をあまり見ない体質だから夜中に目が覚めるのが珍しかった。
「気持ち悪い……、嫌だ嫌だ。」
あまりのリアルな感覚を想い出して鳥肌が立ち背筋に悪寒が走った。半ば意識があるのに体の自由が利かず、黒い影の群に好きに肉体を蹂躙されたのだ。終わりが見えない中で甚振られ怖く情けなく悔しいのに肉体の痛みの中で身悶えしまった。体中に男の匂いが残っていそうに感じ吐きそうになった。
火照る下半身に手を伸ばし確かめ唇をかんだ。
「……メグが見た夢と同じなの。こんなの毎晩見てたなら狂っちゃう。」
ナミカは、怒りが沸々と湧き上がるのを止められなかった。
「夢で済ませられないじゃない。……これって、なに。」
怒りの矛先が定まらずに気持ちが焦り苛立ちが募るばかりだった。お祓いの老人が悪いと一方的に決めつけた。
「あのジジィ、何かしたな……。」
下着の汚れが気になり浴室に飛び込んだ。シャワーを使いながら悔しくて泣き続けた。冷たいシャワーでも体の芯まで冷やせなかった。気持ち悪さに苛立つナミカは、朝まで眠れなかった。
朝一でメグに連絡を入れて状態を確かめた。思いのほか元気になっていた。
「昨夜はよく眠れたよ。なんだろう。もぅ大丈夫みたい。」
「安心した。メグは、そうでないとね。」
親友の落着きに安堵してナミカは、複雑に絡む気持ちを隠し笑顔で答えた。
ナミカは、特注レッドカラーの五十ccカブで三角山に向かった。赤ヘル姿で戦闘モード全開で急ぐ雄姿を知り合いのオヤジは、【赤いド彗星】と呼ぶ。怒りで思考が沸騰状態。柔術が特技のナミカは、格闘に自信があるから負ける気がしない。情け容赦なく勝つ想像で口元に笑みが浮かぶ。
『メグが元気になったのはいいけど。ジジィ、ぶっ飛ばす。固めて壊す。蹴り上げてやる。ああぁ、悔しい。どうしてくれようか。』
振りかかる起因がすべて昨日の老人から始まっているのをナミカは疑わなかった。
「催眠術? 薬? 何かしたか、待ってろよ。はっきりさせてやる。」
土曜の朝、既に店は開いていた。店の前で体をほぐし呼吸を整える。一度、気持ちを落ち着け冷静に扉を潜った。奥の机でインド系美女が店番をしていた。
「ご店主は、御在宅でしょうか。お会いしたいのですが。」
ナミカが勢いに任せ尋ねた。美女は、只ならぬ気配に驚きもせず静かな視線を返した。
「店主は、わたくしですが。」
「えっ、昨日のご年配の方が店主じゃないのですか。」
「居候です。」
「ええっ……、居候。スミマセン、勘違いしていました。」
「気になさらずに、あの者に何か御用ですか。」
「話があります。」
「残念です。昨夜から遠出しています。」
「今日、お帰りでしょうか。」
「何時になりますか。直ぐに戻ることもあれば、暫く戻らないこともあります。」
「ご連絡は、できますか。」
「携帯持っていないので。」
「……マジですかぁ。」
落胆するナミカに女主人は、文箱から封書を取り出した。
「貴女に、お手紙預かってます。」
ナミカは、巻紙にドン引きし毛書の達筆に絶句した。読めなかった。ナミカは、恐縮して頼んだ。
「すみません……、文字凄すぎで無理です。読んでいただけますか。」
「崩しがぷっとびですからね。」
女主人は、淀みなく読み上げた。
【……お友達に繋がる霊の道を貴女に移しました。お友達の夢は、さぞかし酷いと心中お察しします。さて、儂は出張のお祓いで不在になります。お急ぎならご自分でお祓いをお勧めいたします。お祓いに必要なアイテムは、お貸しできます。貴女なら使えますよ。この度の悪い霊は、元から断たないと祓えないので、道案内を置いておきます。】
文章の内容を読み進め脱力した。不可解さに苛立つよりも当惑するばかりだった。
何時の間にか、ロリータ衣装の幼女が傍らに立っていた。手に持つの盆に面と手袋と小さな壺が乗っていた。子供らしからぬ落ち着いた言葉遣いだった。
「主からの預かり物になります。面は観る為、手袋は捕まえる為、壺は収める為。」
使用マニュアルを口頭で伝えた。
ナミカがお祓いを行う前提の話に呆れた。が、理由もなく出来る気がした。
「やってみますか。君が案内でいいの。」
出かける段になって困った。カブは一人乗り。どうしょうかと悩む先に幼女が荷台で横乗りになった。
「原チャだから、二人は無理なんだけど。」
「大丈夫です。誰にも気づかれませんから。」
平然と話す幼女を見てナミカは、腹をくくった。
「なら、ままよ。しっかり摑まっててね。」
カブを倒し元気にカーブを攻めて下った。幼女の軽さの奇妙さに理解が及ばなかった。
幼女の指示のままに走り辿り着いたのは、寺町の外れの坂だった。メグの家に向かう近道でもあった。幼女は、カブから降りると坂の麓に壺を置いて説明した。
「壺の周りに霊が入れば、オートマチックで壺に納まります。」
ナミカは、面をあて手袋をはめた。面を通してみえる景色は、重くくすんでいた。壺の周りに朱色の文様が浮き出るのを見ても驚きもなかった。ナミカは思わず笑い呟いた。
「これって、アニメじゃん。」
「後ろ向きに坂を上がれば、背後に気配を感じます。御武運を。」
「了解、やってみる。」
ナミカは、元気に指を立てて答えた。坂の途中の六地蔵を過ぎた場所で、背後に昨夜の覚えある気配が伝わった。片手を肩に伸ばすと感触が手袋越しにあった。
『触れるなら、やれる。』
そう思うナミカは、迷わなかった。掴んだまま振り返りざまに倒れて体ごと引き落とした。両足で首から肩にかけて極めた。暴れる力は獣のように強く狂暴だった。ナミカは、跳ね上げられ逃げられた。
「やるな。上等じゃん。」
一気に間を詰め足元に飛び込んだ。人相手のように組み付き体位を巧みに移動させて抑え込んだ。人と思えない動きで速さもあった。ナミカは、手袋が自分の能力を増幅し霊と対等以上に渡り合えるのに気付いた。
「これ使える。それなら、」
ナミカの技が次々と決まった。暴れる陰の力を削いだ。激しく戦いながら自分で気づいていなかったが、笑っていたのだ。その至福の表情から見えるのは純粋に争いだけを突き詰める戦士の顔だった。
「なめるな。」
最後は逃げようとするのを極めたまま坂を転がり壺に近付いた。霊も壺の存在に慌てふためき最後の抵抗を試みた。
「諦めろ。昨夜の恨み忘れていないからな。三倍替えしだ。」
ナミカは、叫び霊を極めたまま壺の周り押し込んだ。吸い込まれるように壺に収まった。壺の蓋を閉めると、次の瞬間、辺りの気配が明るくなった気がした。幼女がすぐ傍で見守っていた。
「お見事です。」
「これで、あの気持ち悪いの解決でたりしてる。」
「はぃ、退治できました。」
そう言って幼女は、懐からもう一通の封書を取り出した。
「お読みしましょうか。」
「お願い。」
【霊を納めた壺は、カエリに渡しなさい。この童は、心得ています。】
幼女が難なく読むのに感心しながらナミカは、呼吸を整えた。
【今回の面と手袋との賃貸料は、……。】
「ええええっ……、お金取るの。それも大金じゃん。」
ナミカは、料金の大きさに絶句した。
【それから、お嬢さんは、なかなか見所があるので骨董店でバイトをしないかな。お祓い一件で……。】
提示されたバイト料の金額の大きさに驚いて時給を計算した。高校になって始めたレジのバイトが嘘のようだった。
「マジかぁ、」
「もう一度、お読みしますか。」
「けっこう。」
幼女が茶封筒を取り出した。
「今回のお祓い料からアイテムの賃貸料を引いての残りが御代です。お検め下さい。」
ナミカは、紙幣を確かめた。
「なんだろう、損したみたいな気がするけど、まぁ、いいか。カエリちゃんと云うの。送って行くよ。」
「お気遣い痛み入ります。」
冷静に考えれば、言葉遣いや仕草は、年上の大人に思える鷹揚さがあった。それでも目が不自由な姿を見れば心配だからナミカは尋ね確かめた。
「遠慮してない。」
「大丈夫です。近くに寄せてもらえる場所もありますので。」
「そう。じゃ、ご老人に伝えて。バイト考えて置くって。でも、その前に、昨日のゴチャゴチャしたのハッキリさせてもらうし。覚悟させておいて。」
ナミカは達成感から心身とも爽快だった。カブを走らせながら流行り歌を口ずさんでいた。
ナミカを見送る幼女の後ろで何時の間にか大きな人影が佇んでいた。
【無縁仏坂の逆打ち】終わり
「おっ、はぁ、よぅ。」
ナミカが明るく声を掛ける。メグは、週明けから元気がなかった。大人しく引っ込み思案な性格だから分かりづらいが。幼馴染のナミカは微妙な変化に気付いていた。
「……おはよう。」
「よく降るね。短い髪でもベッタリだ。嫌だ嫌だ。」
「うん……、だね。」
メグが寂しく笑う。ナミカは、メグの手を取って教室から連れ出した。廊下の隅で顔を寄せて心配した。
「大丈夫。」
「うん……、たぶん。」
「大丈夫じゃないよね。何かあった。話聞くから。」
「うん……、そうだね。」
「顔色悪いよ。保健室いこう。」
「……うん、大丈夫だよ。お昼休みに話せると思う。」
「お悩みメグなんか嫌だよ。」
ナミカは、陽気に揶揄う。学期末テストが近い週末の学校が始まる。
雨が止んだ校舎の屋上に生徒の姿は疎らだった。メグは、自分で作る小さなお弁当を持参していた。売店のミルクと菓子パンが昼食のナミカは、家から持参の丸ごと生キュウリと一緒に食べる。メグは、なかなか話を切り出さなかった。ナミカは、急かすことなく辛抱強く待った。メグの箸が進まない。ナミカは、キュウリの端でメグの頬を突く。
「食欲ないんだ。」
「うん……、」
メグは、小さく溜息を零した。昔から親友のナミカに甘える。
「あの……ね。嫌な夢、見るの。毎晩なんだけど。それで寝不足。」
メグが重い口を開いた。ナミカは、思い当たることがあった。先週の土曜日に無縁仏坂で人を助けた話をメグから聞いていた。
「何時から。もしかして、この前に話してたれど、お爺さんを道案内したのと関係あったりしてる。」
「うん……、どうだろう。」
「嫌な夢って、どんなの。」
「ちょっと、……マジヤバなエッチかな。」
詳しく話さず言葉を濁すようすからメグの深刻さが伺えた。
「……夜中に何度か目が覚めるんだけど、朝方まで同じ夢を見続けるの。」
メグは話すだけでも想い出してしまうのか気分が悪そうだった。
「それでね……。お祓いに行こうかと。思うんだけど。どうかな。」
「その前に医者だよ。」
「……疲れているけど、そうじゃないと思う。」
メグは、小さい頃に祖母から聞いたお祓いの逸話を持ち出した。ナミカも、メグの祖母の優しい姿を覚えていた。メグの家は農家で遊びに行くと可愛がられた良い思い出があった。ナミカは、実の祖母を知らなかったから身内のように思えるのだ。
「ねぇ……、一緒に行ってくれる。」
「もちだよ。」
ナミカは、人情深いから頼まれれば嫌と言えない性格だった。
学校帰りにそのまま向かった。尾根の一つから伸びる山裾の尾先に地元の人が【三角山】呼ぶ小山があった。昭和の高度成長期に住宅地として開発された。緩やかな斜面に家が積み重なる景色は、外国のように異国情緒があった。幼い頃に移り住んだナミカは、その風景を目にして子供ながら感動したのだ。住宅地の間を廻るように道が頂に続いていた。
リアリストを自認するナミカは、お祓いに抵抗があったからメグの話を聞く時点で秘かに警戒して思った。
『胡散臭いなら、速攻退散ね。』
麓にコミュニティバスの停留所があった。坂を上るメグの気怠い動きをみれば、体調の深刻さが見て取れた。山頂の広場の奥に骨董店があった。注意しなければ見落とす店の構えだった。
「何で、骨董店?」
ナミカは、素朴な質問を口にした。ガラス窓越しに中を窺いながら呟いた。
「骨董店がお祓いしてるって、意味わからないし。」
「たぶん……、ここだと思う。」
メグも自信がなさそうだった。
「山頂の骨董店って、云っていたはずだけど。」
「まぁ、いいっか。聞けばいいし。解決。」
物怖じしないナミカは、先頭に立って扉を潜った。澱んだ空気に黴の匂いが混ざっていた。外から見るよりも奥行きの広い店内の至る所に骨董品が置かれていた。弱い照明の中で古時計の振り子音が聞こえた。
「開店休業状態だったりして。」
「そうだね……。」
二人は、顔を見合わせて含み笑った。
「何かお探しですか。」
突然の声に、二人は飛び上がった。古い姿見の前に長身の女性が立っていた。緋色のアンティークな衣装を着る黒い髪をアップに整え浅黒い肌に翡翠色の瞳が鮮やかな彫の深い異国美人だった。ナミカは、気持ちを落ち着かせ尋ねた。
「間違っていたらすみません。こちらでお祓いができると、窺ったのですが。」
「そのような者もいます。」
大人の美女は、抑揚が少なく取っ付きにくかった。
「今、裏山に上がっています。間もなく戻るかと。」
勧められるまま中央の円卓の椅子に座った。薄暗い部屋に振り子時計の音だけが響き、時間が逆行し間延びする感覚に委縮した。
『わぁ、時間の流れが見えそう……。』
ナミカは、不意に浮かぶ異様な感覚に戸惑いながらも傍らで固まるメグを目で気遣った。
奥の扉が音もなく開き、香しい冷気と共に七歳ぐらいの色白の幼女が現れた。ロリータ風の黒いワンピース姿に白銀の御河童の髪型は人形のようだった。手に飾の細工が美しい香炉を下げていた。部屋に甘怠い香が広がった。目を瞑ったままの幼女は、無表情でその場に足を止めた。
その後から姿を見せたのは、小柄な老人だった。洗いざらしの白シャツとベージュのスラックスのラフないでたちで好々爺に見えた。円卓の近くまで来ると、メグを静かに眺めた。
「お茶をお願いできますか。」
老人の言葉に長身の女性がお茶の用意を始めた。
ナミカとメグは、次々に起こる不可思議な展開に圧倒され座り続けた。女性が用意する紅茶の香りは、爽やかな柑橘の香りがした。
「よく、入っています。」
老人の賛辞に女性は、軽く腰を下げ受けた。
「さてと、面白い客人が御一緒ですね。」
老人から言葉を向けられナミカとメグは、夢から覚めたように慌てて立ち上がり訪問の挨拶をした。
「お祓いをお願いに来ました。貴男で宜しいですか。」
ナミカの問いに老人は、頷き見詰め返した。
「……貴女、珍しい運を持っていますね。」
老人の言葉に意表を突かれナミカは、困惑するばかりで言い返せなかった。それでも老人の物腰の柔らかさにメグも少しばかり安堵したようだった。
「話を戻しましょう。お祓いでしたか。そちらの可愛らしいお嬢さんが御所望ですね、お名前は……。」
老人は、メグの名前を聴き取ると呪文を呟き続けた。
「七日前……、黄昏どき……、坂道……、六地蔵……、谷川に沿って……、後ろ向きに坂を上がる。振り返ると、高齢の人らしきモノが途方に暮れたかのように立っていましたか。」
メグは、老人に次々と言い中てられ圧倒されながらも頷き答えた。
「道に迷っているように見えました。それで……、坂の下まで。」
「心根の優しい人に付け入るのです。その悪戯な霊がお嬢さんに憑依した。」
ナミカは、元々が霊とか怪奇現象を信じたくない性格だった。老人の誘導尋問に見えて思わず口を挟んだ。
「どうして分かるのです。」
「どうしてか。それは、見えるからです。」
「はぁ……?、見えるって。」
「人それぞれに身体能力や才能の違いがあるように、我々は、大小の差があるものの誰しも力を授かっているのです。儂は、その力が少しばかり秀でているというわけです。」
老人の言葉が現実離れしていくのにナミカは、警戒した。
「貴女は、稀に見る星の下に生まれている。メグさんに付着する貴女の気に霊が引き寄せられたのです。」
「それって、わたしが原因なわけですか。理解しがたいのですが。」
ナミカは、老人の言葉の不可解さに嫌悪を覚え戦闘的になった。老人が片手を出すと、幼女が壁に並ぶ中から朱い木の面を選び手渡した。
「これを顔にあててお友達を御覧なさい。」
ナミカは、恐る恐る面を顔に近付けた。細い目の隙間からメグの姿を見て声を上げそうになった。メグの背後に黒い影が尻尾のように伸びていた。
「これって……、なに。」
ナミカは、驚嘆し面を外して心配顔のメグを見比べた。狐につままれたかのような奇異な感覚に戸惑うばかりだった。
「憑き物の印です。その道を通って霊が訪れお友達に悪戯をするのです。」
「何かの手品ですか……、」
「その面を通して見れるのは、貴女に力が備わっているからですよ。」
「いゃいゃ、それは別においてですね。では、これ、お祓いできますか。」
「問題なく。少々御代はかかりますが。」
老人が提示するお祓い料の金額にナミカも、絶句した。相場としてみていた金額よりもはるかに高く。一介の学生では払えない金額だった。思わずナミカは、否定した。
「高いと思います。それ、高いでしょう。」
「皆さんそう仰いますね。良心価格です。残念なことに、保険ききませんので。」
ナミカは、メグの手を取って立ち上がらせた。
「帰るよ。他をあたろう。」
「えっ……、でも。」
メグは、どうしていいか判断に困っていた。老人は、表情を崩さず話を続けた。
「お友達が見る夢は、辛いものですよ。夢か現実か見分けがつかない、実際と遜色ない体感ですからね。」
「脅かしは、反則でしょう。」
「ナミカ、お金用意できるよ。」
ナミカは、メグを引っ張って言った。
「ちょっと、考えてからにしよう。」
「それなら、お友達の代わりに貴女が体感してみますか。これは、サービスです。」
そう言って老人が、面を裏返すと手にかざし何事か呪文を唱えた。
「気が変わりましたなら、お越しください……。」
ナミカは、メグの手を引いて最後まで話を聞かずに店から飛び出した。
「まったく、これだから。この手の輩は信用できない。塩持って来ればよかったし。」
「でも……、悪い人に見えなかったよ。」
「あんなのインチキ。ボッタくりでしょう。メグは、人が良すぎ。」
ナミカは一方的に断言して手を握ったまま坂を下った。
「何か美味しいもの食べよう。奢るよ。」
麓のファストフードに立ち寄った。メグの様子が明らかに変わっていた。物静かでお淑やかだから分かりづらいが、ナミカは親友の変調に気が付ける。メグの声の調子も幾分明るくなった。
「なんだろう……。ちょっと気持ちが楽になったって感じ。」
「それなら、良かったじゃん。」
ナミカは、笑顔で受け答え気遣った。
「でもね。やっぱ、先ずは病院だよ。保険も使えるしね。一緒に行ってあげるから。」
「うん……、でも何故かな。大丈夫な気がする。」
メグの表情から陰が消えていた。
「ちょっと、ようすみるよ。どうかな。」
「そぅ、それならいいけど。」
三角山の骨董店で興奮したからだろうか。ナミカは、気分が悪く胸がむかつき好物のバーガーの味も分からなかった。
ナミカは、メグと別れてからも体の芯が重怠かった。
『ちょっと感情的になりすぎたかな。でも、あんな胡散臭いボッタくり。嫌だ嫌だ。』
不愉快な思いを引きずりながらナミカは、寄り道をせずに帰った。叔母のヒノカが出張中で気兼ねない独り生活だった。ベッドに倒れ込み気持ちを休め過ごした。時差の関係で夕刻が叔母との定時連絡だった。ナミカは、その日にメグと出掛けたお祓いの顛末を詳しく説明した。
「学生だからって足元見るんだから。なめんなよって感じ。」
「お祓い料ってそんなものじゃないの。」
「ちゃうちやう、ちゃいます。高いでんねん。」
ドラマで見た関西弁で笑いを誘った。動画の中の叔母は、三十歳を過ぎているが見た目も若く綺麗だった。後ろの古い建物群が哀愁を帯びて魅力的な街にしていた。その景色を見るたびに訪れてみたい気持ちになった。
「あたしも、噂で聞いたけど。三角山のお祓いの人って、昔から有名だよ。」
「あのお爺ちゃんが。」
「お爺ちゃんだった? 若い女性じゃないの。」
「若い女性もいたよ。インド系ぽい感じの。」
「色白の別嬪さんって聞いたけど。」
「そんな人いなかったよ。」
姉妹のように仲が良いから気兼ねなく話が弾んだ。出社する時間が迫り叔母のヒノアは、揶揄い軽口を残した。
「一人だかって、カレシ連れ込まないでよ。そろそろ出掛けるから。」
「それ、いいですね。カノジョならあり得るかも。」
ナミカも笑った。
「じゃ、定時連絡。またしまぁす。本日は、怒りのナミカでした。」
一日に出来事が沢山あったからだろう。日頃から寝つきの良いナミカは、引き込まれるように寝落ちした。
ナミカは、自分の悲鳴に目が覚めた。緩くエアコンを使っていたが、全身が汗まみれだった。
「……なに、夢。」
息が乱れ小さく喘ぎ呟いた。力なく気怠い体を起こした。人に話せない辛い夢だった。真夜中を過ぎ二時を回っていた。眠りが深く夢をあまり見ない体質だから夜中に目が覚めるのが珍しかった。
「気持ち悪い……、嫌だ嫌だ。」
あまりのリアルな感覚を想い出して鳥肌が立ち背筋に悪寒が走った。半ば意識があるのに体の自由が利かず、黒い影の群に好きに肉体を蹂躙されたのだ。終わりが見えない中で甚振られ怖く情けなく悔しいのに肉体の痛みの中で身悶えしまった。体中に男の匂いが残っていそうに感じ吐きそうになった。
火照る下半身に手を伸ばし確かめ唇をかんだ。
「……メグが見た夢と同じなの。こんなの毎晩見てたなら狂っちゃう。」
ナミカは、怒りが沸々と湧き上がるのを止められなかった。
「夢で済ませられないじゃない。……これって、なに。」
怒りの矛先が定まらずに気持ちが焦り苛立ちが募るばかりだった。お祓いの老人が悪いと一方的に決めつけた。
「あのジジィ、何かしたな……。」
下着の汚れが気になり浴室に飛び込んだ。シャワーを使いながら悔しくて泣き続けた。冷たいシャワーでも体の芯まで冷やせなかった。気持ち悪さに苛立つナミカは、朝まで眠れなかった。
朝一でメグに連絡を入れて状態を確かめた。思いのほか元気になっていた。
「昨夜はよく眠れたよ。なんだろう。もぅ大丈夫みたい。」
「安心した。メグは、そうでないとね。」
親友の落着きに安堵してナミカは、複雑に絡む気持ちを隠し笑顔で答えた。
ナミカは、特注レッドカラーの五十ccカブで三角山に向かった。赤ヘル姿で戦闘モード全開で急ぐ雄姿を知り合いのオヤジは、【赤いド彗星】と呼ぶ。怒りで思考が沸騰状態。柔術が特技のナミカは、格闘に自信があるから負ける気がしない。情け容赦なく勝つ想像で口元に笑みが浮かぶ。
『メグが元気になったのはいいけど。ジジィ、ぶっ飛ばす。固めて壊す。蹴り上げてやる。ああぁ、悔しい。どうしてくれようか。』
振りかかる起因がすべて昨日の老人から始まっているのをナミカは疑わなかった。
「催眠術? 薬? 何かしたか、待ってろよ。はっきりさせてやる。」
土曜の朝、既に店は開いていた。店の前で体をほぐし呼吸を整える。一度、気持ちを落ち着け冷静に扉を潜った。奥の机でインド系美女が店番をしていた。
「ご店主は、御在宅でしょうか。お会いしたいのですが。」
ナミカが勢いに任せ尋ねた。美女は、只ならぬ気配に驚きもせず静かな視線を返した。
「店主は、わたくしですが。」
「えっ、昨日のご年配の方が店主じゃないのですか。」
「居候です。」
「ええっ……、居候。スミマセン、勘違いしていました。」
「気になさらずに、あの者に何か御用ですか。」
「話があります。」
「残念です。昨夜から遠出しています。」
「今日、お帰りでしょうか。」
「何時になりますか。直ぐに戻ることもあれば、暫く戻らないこともあります。」
「ご連絡は、できますか。」
「携帯持っていないので。」
「……マジですかぁ。」
落胆するナミカに女主人は、文箱から封書を取り出した。
「貴女に、お手紙預かってます。」
ナミカは、巻紙にドン引きし毛書の達筆に絶句した。読めなかった。ナミカは、恐縮して頼んだ。
「すみません……、文字凄すぎで無理です。読んでいただけますか。」
「崩しがぷっとびですからね。」
女主人は、淀みなく読み上げた。
【……お友達に繋がる霊の道を貴女に移しました。お友達の夢は、さぞかし酷いと心中お察しします。さて、儂は出張のお祓いで不在になります。お急ぎならご自分でお祓いをお勧めいたします。お祓いに必要なアイテムは、お貸しできます。貴女なら使えますよ。この度の悪い霊は、元から断たないと祓えないので、道案内を置いておきます。】
文章の内容を読み進め脱力した。不可解さに苛立つよりも当惑するばかりだった。
何時の間にか、ロリータ衣装の幼女が傍らに立っていた。手に持つの盆に面と手袋と小さな壺が乗っていた。子供らしからぬ落ち着いた言葉遣いだった。
「主からの預かり物になります。面は観る為、手袋は捕まえる為、壺は収める為。」
使用マニュアルを口頭で伝えた。
ナミカがお祓いを行う前提の話に呆れた。が、理由もなく出来る気がした。
「やってみますか。君が案内でいいの。」
出かける段になって困った。カブは一人乗り。どうしょうかと悩む先に幼女が荷台で横乗りになった。
「原チャだから、二人は無理なんだけど。」
「大丈夫です。誰にも気づかれませんから。」
平然と話す幼女を見てナミカは、腹をくくった。
「なら、ままよ。しっかり摑まっててね。」
カブを倒し元気にカーブを攻めて下った。幼女の軽さの奇妙さに理解が及ばなかった。
幼女の指示のままに走り辿り着いたのは、寺町の外れの坂だった。メグの家に向かう近道でもあった。幼女は、カブから降りると坂の麓に壺を置いて説明した。
「壺の周りに霊が入れば、オートマチックで壺に納まります。」
ナミカは、面をあて手袋をはめた。面を通してみえる景色は、重くくすんでいた。壺の周りに朱色の文様が浮き出るのを見ても驚きもなかった。ナミカは思わず笑い呟いた。
「これって、アニメじゃん。」
「後ろ向きに坂を上がれば、背後に気配を感じます。御武運を。」
「了解、やってみる。」
ナミカは、元気に指を立てて答えた。坂の途中の六地蔵を過ぎた場所で、背後に昨夜の覚えある気配が伝わった。片手を肩に伸ばすと感触が手袋越しにあった。
『触れるなら、やれる。』
そう思うナミカは、迷わなかった。掴んだまま振り返りざまに倒れて体ごと引き落とした。両足で首から肩にかけて極めた。暴れる力は獣のように強く狂暴だった。ナミカは、跳ね上げられ逃げられた。
「やるな。上等じゃん。」
一気に間を詰め足元に飛び込んだ。人相手のように組み付き体位を巧みに移動させて抑え込んだ。人と思えない動きで速さもあった。ナミカは、手袋が自分の能力を増幅し霊と対等以上に渡り合えるのに気付いた。
「これ使える。それなら、」
ナミカの技が次々と決まった。暴れる陰の力を削いだ。激しく戦いながら自分で気づいていなかったが、笑っていたのだ。その至福の表情から見えるのは純粋に争いだけを突き詰める戦士の顔だった。
「なめるな。」
最後は逃げようとするのを極めたまま坂を転がり壺に近付いた。霊も壺の存在に慌てふためき最後の抵抗を試みた。
「諦めろ。昨夜の恨み忘れていないからな。三倍替えしだ。」
ナミカは、叫び霊を極めたまま壺の周り押し込んだ。吸い込まれるように壺に収まった。壺の蓋を閉めると、次の瞬間、辺りの気配が明るくなった気がした。幼女がすぐ傍で見守っていた。
「お見事です。」
「これで、あの気持ち悪いの解決でたりしてる。」
「はぃ、退治できました。」
そう言って幼女は、懐からもう一通の封書を取り出した。
「お読みしましょうか。」
「お願い。」
【霊を納めた壺は、カエリに渡しなさい。この童は、心得ています。】
幼女が難なく読むのに感心しながらナミカは、呼吸を整えた。
【今回の面と手袋との賃貸料は、……。】
「ええええっ……、お金取るの。それも大金じゃん。」
ナミカは、料金の大きさに絶句した。
【それから、お嬢さんは、なかなか見所があるので骨董店でバイトをしないかな。お祓い一件で……。】
提示されたバイト料の金額の大きさに驚いて時給を計算した。高校になって始めたレジのバイトが嘘のようだった。
「マジかぁ、」
「もう一度、お読みしますか。」
「けっこう。」
幼女が茶封筒を取り出した。
「今回のお祓い料からアイテムの賃貸料を引いての残りが御代です。お検め下さい。」
ナミカは、紙幣を確かめた。
「なんだろう、損したみたいな気がするけど、まぁ、いいか。カエリちゃんと云うの。送って行くよ。」
「お気遣い痛み入ります。」
冷静に考えれば、言葉遣いや仕草は、年上の大人に思える鷹揚さがあった。それでも目が不自由な姿を見れば心配だからナミカは尋ね確かめた。
「遠慮してない。」
「大丈夫です。近くに寄せてもらえる場所もありますので。」
「そう。じゃ、ご老人に伝えて。バイト考えて置くって。でも、その前に、昨日のゴチャゴチャしたのハッキリさせてもらうし。覚悟させておいて。」
ナミカは達成感から心身とも爽快だった。カブを走らせながら流行り歌を口ずさんでいた。
ナミカを見送る幼女の後ろで何時の間にか大きな人影が佇んでいた。
【無縁仏坂の逆打ち】終わり