初夏に近い場所で 

文字数 1,584文字

 都会の梅雨空は、気紛れだ。
 明日を想う気持ちのように目まぐるしく移りゆく。
 雨の合間に見える遠い青空が、暫しの安堵を誘う。

 今朝も同じ時間に家を出る。中学の三年間、休んだ記憶がなかった。
 バスから降りて駅前の雑踏に向かう。足取りが重い。
 「……少年、元気しているか?」
 後ろから追いつくミヤマの声が明るい。気付いた頃からお姉さんだった。明瞭で綺麗なミヤマに仄かな憧れを抱いていた小学生の頃が懐かしい。
 「お早うございます……。」
 何時も同じ返事をした。横に並んだミヤマからの移り香が中学男子の気持ちを昂らせる。
 「よく降るね。」
 「はぁ……。」
 「今年の梅雨って、好きかな?」
 「靴が濡れるから……。」
 「濡れるから、なに?」
 「たぶん、……分かりません。」
 「ふふっ、そうか。」
 耳元の近くにミヤマの顔を感じた。囁くような言葉に緊張する。
 「少年、悩めるのは今だ。先に行くよ。」
 ミヤマは、柔らかい笑顔を残して足早に急いだ。大人の後ろ姿を見送りながら思う。
 『何学部なのかな……。』
 超有名な大学に通っているのは知っていた。ミヤマの家は、母親が開業医だった。
 「ミヤマさんは、勉強得意だから……。」
 脈絡もなく呟く自分が凹みそうになった。

 次に来る車両も人で溢れていた。雨の匂いが無口にする。車内で自分の中に埋もれていく。
 『……海に行きたいな。』
 取り留めなく想った。
 高校生になって海に行く姿が想像できなかった。電車を幾つか乗り継いでいけば、母親の実家近くの海に辿り着けた。子供の頃に家族で出掛けた海が遠くなってる。想い出は、祖父の死と共に色褪せていた。
 気が付けば駅を乗り越していた。初めての駅に降り立った。あのまま乗り続けていそうな複雑な気持ちが重い。

 知らない街なのに、なぜか安心した。
 駅前の低いビル谷間、鉛色の雨雲が気怠く見える。気持ちを塞ぐ軽い雨が降り始めた。
 歓楽街だった。裏通りの狭い路地、夜に賑わう景色が想像できた。眠っているように静かな朝の街。迷路のような深みが続く。ただ、歩いてしまった。
 路地裏の通路を女子中学生が、傘もささずに駆けてくる。ツインテールの長い髪が跳ねる。周りを気にも掛けずに走り寄る。立ち止まり道をあけた。
 その姿に魅かれた。見送り、歩き出して気付いた。
 『そうか……、泣いていた。』
 夢の続きのような記憶の端に女子中学生の姿がこびり付いた。

 学校に連絡を入れた。列車に乗り遅れたと。言い訳を並べる気持ちが怠かった。真面目な性格が、疎ましく少しばかり嫌悪感に堕ちた。
 地下鉄に向かう途中でコンビニに入った。前のベンチでアイスを食べた。ぼんやりと考えてしまう。将来の不安。明日の姿が想像できなかった。
 雨が止んだ。あのまま篠突く雨が降り続いていたなら学校に向かえなかっただろう。そう思うと、少し気持ちが楽になった。

 着いたのは、三時間目が始まる前だった。教室で浮いているのは分かっている。
 「受験勉強、ダルィよな。」
 中学に入って親しくなった数少ない友達のハルが、書き取ったノートの画像を転送してくれた。
 「俺なんか、親がうるせし。」
 「同じ……。」
 「だよなー。同じ高校行きたいな。」
 ハルは、進路を迷っていた。
 その日の授業も時間がゆっくりと過ぎたからだろうか。繁華街で見かけた女子中学生の横顔が心から離れなかった。

 小学六年生の妹は、難関の中高一貫校を目指している。母親似で要領がいいから落ちることもないだろう。どうでもいいけと、密かに思う。
 一人で食べ始めると、妹が塾から帰ってきた。話し方が母と同じで自然と口が重くなる。
 「お母さん、遅くなるって。」
 「分かった……。」
 「アイス、食べる?」
 「いらない……。」
 「どうかした?」
 「べつに……。」

 塾に向かう。模試のC判定が重い。
 駅前の塾まで自転車を使った。
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