初夏の近い場所で 君を

文字数 1,561文字

 男が、レジ袋からアイスキャンディーを取り出した。
 「最近は、これが美味いらしいな。」
 棒状の形が、凶器に見える。
 「食べるかい。」
 「いいぇ……。」
 「今どきの中坊は好きなんだろう。」
 「有難う御座います。」
 丁寧に断る。気にする様子もない男、肩から力が抜けている姿が誰かと似ていた。男は、アイスを袋に収めた。コーラ味ばかり何本も見えた。
 思い出したように男が話し出した。
 「この前、都心に行ったんだ。高いビル多いよな。人も多いし。夢を見ているような非現実感になるよな。」
 男の気持ちに少し寄り添っているのが不思議だった。
 「軽く酔っている気分だな。あれは、ヤベェよ。夢か現か判断できずに、錯綜する。やっちまいそうになるよな。どう思う?。」
 「すみません。……たぶん、そうだと思いますが。」
 「用心深いな。少年、いいことだ。人生、焦った奴の負けだ。」
 男の言葉の端々に絡みつくような理屈っぽさが不思議と受け入れたからだろうか。少しばかり気持ちを許しそうになった。
 唐突に男が切り出した。
 「好きな子いるかい。」
 「いぇ……、たぶん。」
 脳裏をあの女子の顔がかすめた。
 「オレはガキの頃に、憧れる女子がいた。いっこ上でね。義理の父と暮らしていた。実の母親は、入院していたな。好い子だった。素直で辛抱強くて、勉強も良くできた。」
 朴訥な話に戸惑った。飛ぶ会話に心の中で思った。
 『……なにが言いたいのかな。』
 「たぶん、オレの初恋だな。」
 男の言葉が、遠く離れていく。
 「今なら、あのクソをぶん殴って助けた。」
 「……えっ。」
 「オレ、弱っちぃかったからな。」
 男の話が途切れた。雨が少し強くなった。
 「……そろそろ、失礼します。」
 丁寧に挨拶を残す。それを言わせる雰囲気がある男だった。今迄、会ったことのない感じなのに何故なのか記憶のなかで探してしまった。
 「傘、ないのか。」
 呼び止められた。そこで初めて男の傘に見覚えがあるのに気付いた。あの中学女子に預けた傘だった。
 「これ、使えよ。」
 男のお節介に視線を逸らす。
 「俺のじゃないが、使えるって。次に来た時、置いておけばいい。」
 「……いいぇ、走っていけます。」
 「いいね。少年。」
 一瞥した男の表情が、少しばかり嘲笑しているように見えたからだろう。
 頭を軽く下げて、一気に雨の中へ踏み出す。胸の中で小さく怒りが込み上げていた。離れていくたびに怒りが増していく。悔しさが雨の中を走らせる。涙が、雨を打つ顔に流れていた。はっきりとしない想像に惑わされながら理由も見つけられずに。

 家では、母が妹と夕食の準備していた。
 「時間、大丈夫なの?。」
 母の声が煩わしい。いつもと同じなのに。
 「来週の、三者面談だけど。お父さんとも話したんだけど。私学も受けなさいよ。」
 「近くがいいから。」
 「保険も必要よ。受けときなさい。」
 「……頑張るから。」
 力ない声に落ち込んでしまう。
 何も食べずにそのまま鞄を背負って塾に走った。
 塾から帰った後、母との話は平行線をたどった。偏差値が高い自転車で通える公立校の第一志望を心配しているからだろう。母は、最初から私学を進めていた。私学ばかりで大学まで進んだ母の気持ちは理解できるが、電車通学を考えると気持ちが塞いだ。勉強ができた父は、何も言わなかった。

 部屋で独りになっても傘のことが頭から離れなかった。
 コンビニに置いてきた傘が誰彼に使われているのが嫌だった。あの女子だけに使ってもらえると思った期待が儚かった。
 『……次、置いてあれば持って帰ろう。』
 心に誓った。それでも、女子中学生との出逢いが思い返され戸惑っていた。

 休日の塾帰り、あの街のコンビニに立ち寄った。あれから、女子中学生の姿は見かけなくなった。母に買ってもらった傘も。
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