その日、空が青かったから

文字数 1,930文字

 その日、空が青かったから。
 巡り会えたのだろうか。

 学校帰りのリオは、駅まで堤防敷を歩いた。路線バスを使えば、私鉄の乗り場までは近かった。独りで歩くと、少しばかりその日を長く感じることが出来たからだろう。入学の翌日からそうしていた。

 河川に降る緩やかな芝の法面勾配に女子が横たわっていた。同じ高校の制服、クラスの女子だった。
 頭を下に手足を投げ出した姿が、リオの視線を惹きつけた。彼女の虚ろな目は、青い空に向いていた。
 『名前、なんだったかな。』
 入学して一週間、顔と名前が一致しなかった。中学の時も小学校の時も、名前を覚えるのが苦手だった。
 『入学式で話題になっていた女子だよな。』
 教室では、目立たない女子だった。他の女子と集っている姿が思い浮かばなかったが、浮いているようにも見えなかった。リオの基準からしても麗しい美形女子だった。
 『逆さに寝っ転がるなんて。ヤバイ奴かな。』
 考えながら困惑した。今迄、迷って結果が良いことがあっただろうか。そう思うと不安が募った。昨日のような花曇りなら通り過ぎていただろうか。
 空は高く青く澄んでいた。
 リオは、堤を降り女子より低い位置から近付いた。ツインテールの髪の色が少し明るかった。前髪が後ろに流れて形の良い額を見せていた。
 女子の顔が軽く上気していた。逆さから見る顔が、少し変に感じた。
 リオは、そこでも迷いながら声を掛けた。
 「死んでるかと思った。」
 「……死人、見たことあるの。」
 抑揚が少ない綺麗な声音に驚いた。年末に亡くなった祖母の姿を想い出しながらリオは、尋ねた。
 「もしかして、気分が悪くなったりしたりしてた?」
 「……君、気分が悪くなると、頭を逆さにするの?」
 「しないけど。」
 リオは、女子の返事に戸惑いながら気遣った。
 「頭に血が上るよ。そんな姿勢でいると。」
 「……そぅ、だからかな。」
 そう言って視線だけを向けた女子の涼し気な眼差しにリオは、一瞬、たじろぎながら確かめた。
 「同じクラスだった?」
 「……名前、知っている?」
 「えっと、ゴメン。」
 「……いいよ。リオ君。」
 名前を呼ばれて、リオは驚いた。
 「……さて、わたしは、誰でしょう。」
 「ゴメン。」
 「……ミナミ・ナミ。」
 「ミナミさん。」
 「……君の後ろの席の女子、の名前でしょう。」
 「えっ。」
 「……誰でもいいのかな。」
 リオは、揶揄う女子に腹立たしさを憶えなかった。

 突然、話題が移った。気紛れな女子の思考が母親に似ていた。
 「……思い付いたことって、何かに残しておかないと、直ぐに無くしちゃうよね。」
 「そうかな。」
 「……記憶がいいの。それとも、あまり考えないタイプだった?」
 「分からないけど、たぶん、どうかな。」
 「……時間のように。戻せない。なんて、不自由なの。わたし達の思考って。」
 寝っ転がる女子との立ち話の奇妙さにリオは、困惑を拡げ思った。
 『メンドクサイ女子かな……。』
 不思議な会話に警戒しながらも離れられなかった。
 「起きた方がいいよ。」
 「……何を、見ていたでしょうか?」
 「知らないけど、逆さの空。」
 「……うふっ、面白君だったの。……空って、逆があるんだ。」
 そう言いながら女子は、起き上がった。小さく背伸びをして、顔を向けた。
 綺麗で端正な顔立ち。女子が近付いた。柔らかな移り香に戸惑った。顔が近くリオは、思わず息を止めた。瞳が青みがかっていた。
 「……君と、わたしが見る空は違うのかな?。」
 「解らない。」
 「……正直君なんだ。」
 リオは、思わず一歩下がった。口元に笑みを浮かべた女子が、また近寄った。
 「……君、小柄だった?」
 彼女は背が高った。鞄から眼鏡を取り出した。
 「……近く、苦手だから。」
 眼鏡をかけた顔が、幼い頃の記憶に引っ掛かった。
 「……君、良い顔になったね。」
 薄く笑った。甘い口臭に心が揺らいだ。
 「……想い出した?」
 「名前、憶えるの苦手なんだ。」
 「……そうなんだ。ここは、許そうかな。」
 話す前に少し間を得く気怠い話し方は、嫌味に感じなかった。
 「……ママ、再婚したから。でも、今の姓は気に入っているよ。」
 絡むように話を重ねる会話にリオは、困惑し最後まで圧倒された。

 歩き始めて羨望した。彼女の優雅な歩む姿に。背筋が伸び流れるように足が進んでいた。
 「……この季節の空は、好きだな。……君は?」
 「たぶん、嫌いでないと思う。」
 「……フフッ、どっちなの。」
 「考えたことなかった。」
 「……幸せ君なんだ。電車でしょう。」
 「一緒だった?」
 「……逆の方向だけど。」
 その日、駅までの道程は、短く感じた。

 それが、青い空のようにどこまでも続く始まりだった。
 
 
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