他人の嫌いな彼女に溺れる

文字数 2,827文字

 他人の嗜好をとやかく意見する程も野暮でないが、リルの趣味は不味く危険さえも感じてしまう。自己愛とは、究極の自虐趣味ではないのか。そのような女子を愛おしく思い溺れるわたしは、歪なのだろうか。
 リルと初めて言葉を交わしたのは、一週間前の部活帰りに遡る。高校三年生の九月まで挨拶さえもしない別のクラスの女子だった。わたしが美術方面に進学するのを誰かから聞いたのか、向こうから会いに訪れた。そのリルを入学式で見掛け一目惚れしたわたしは、彼女の出身中学や友人関係、身長体重、嗜好、癖、など羅列すれば限りがないほどに、個人情報を密かに収集していた。遠くから眺めるだけで心昂り妄想の中で幸せだった。運命ってあるだろうか、と思って観たりしながら三年間を独り悶々と恋心を募らせていた。
 奇跡とも思える偶然の幸せに緊張で苦しくなり、引っ込み思案だからわたしは、あの時、顔を真っ赤に高揚させていただろう。美術部での三年間の数々の出来事が次々に想いかえった。
 『部活続けて好かったよ……。』
 わたしは、心の中で感謝した。リルの背丈がある細身はマニッシュ的で、目鼻立ちの整った派手な相貌にうっとりとしてしまう。
 「三年生って部活は辞めてるんじゃないの。」
 「デッサンの練習です。実技が必要なので。」
 「そうなんだ。もしかして、もう直ぐ受験。」
 九月末に一次選抜の受験を控えていた。一緒に帰ろうと、リルから誘われファミレスに立ち寄った。
 「困っているんだ。」
 席に着くなりリルの告白に驚いた。未だ友達にもなっていない同級生の言葉としては重かった。けれど、心情の吐露が相談が嬉しく気持ちの昂りを抑えて彼女の言葉に集中する。噂で変人と聴いていたが、男言葉を使うマイペースなその少しズレように心がざわついた。間近で見るリルの少し影がある愁いを帯びた仕草に見とれてしまい一挙手から目が離せない。
 「粘土で人体を作ってているんだけど。」
 自分の姿を等身大で制作するリルの意外な話に新たな一面を知り尊敬に近い愛情が加わった。自身を表現しようとする行為は、古今東西の先人たちが試みているから分からない話もない。制作状態の説明に強い興味が湧き、独り自室で鏡に映る己の姿を立像として表現しようとするリルに憧れる。同学なのに敬語を使ってしまう。
 「趣味ですか。」
 「そうじゃなくて。自分が知りたいのかな……。」
 リルの哲学的な言葉を解ろうと努力し寄り添ってしまう。
 「急だけど、これから家に寄ってくれないかな。感想が聞きたいんだ。」
 「大丈夫です。」
 わたしは、即答していた。そのまま地獄にでも付いていきそうな勢いだった。

 リルは、隣町からバスで通学していた。歴史がある土地柄の広い敷地に大きな家が並ぶ一角に生家はあった。大正の末期に建てられた西洋風の家の構えからして彼女の生活状態が想像できた。家政婦がいる家庭を見るのは初めてだった。老齢の家政婦に、さり気無く母の行き先を尋ねるリルの仕草が板についていた。
 お茶は後で頂くからと、リルは言い残してわたしを二階に案内した。古き良き時の面影を残す二階は、中廊下を挟んで幾つもの扉が並び突き当りが彼女の自室だった。
 七平方メートルはあるスクエアな部屋の中央に等身大の塑像が立つ姿を目にして、わたしの足は止まり唖然と眺めていた。粘土で肉付けされた塊は、最初何か分からなかった。干し肉の塊のようにも見え、その場にあること自体が異質なように感じたのは、部屋と作品とが喧嘩しているように思えたからか。
 学年成績がトップクラスのリルは、理系志望のはずだった。理系でも玄人はだしはいると思うが、どう見ても人体に見えない。ジャコメッティの作品を思い起こさせる個性的と思えばいいが、意識してデフォルメして作っているわけではなく、元々が不器用なのだろう、と考えてしまう。どう表現したいのか、真面目に直向きに制作している姿勢は評価に値するが、それでも、このまま終わりのない制作を続けるようにも思え微かに不安にさせる。完成が想像できなかった。
 「どうして、この部屋は何もないのですか。」
 わたしは、気持ちと考えを整えるつもりで新たな疑問を向けた。普通の学生の部屋にある机や本棚、ベッドがなかった。一畳は優にある大きさの姿見だけが置かれ、カーペットの上に敷かれた白い布の中央の塑像が無言で主張していた。
 「どこで勉強しているか、寝ているか、心配してくれてるの。」
 リルは、クローゼットを開けて見せた。マットレスの寝具が持ち込まれ、ご丁寧にスタンド付きの小机も収められ勉学に必要なものが揃っていた。
 「集中したいから、なにも無い方がいい気がするんだ。」
 恐る恐る厚いカーテンをめくる向こうの雨戸は固く閉じられていた。
 「外からの光は、今は必要ないから。」
 そう説明するリルを分かろうとする思いが、少し上滑りしていく、よくよく観察すれば壁の白いクロスは新しく、見上げる高い天井のクロスも最近貼り換えたようにも見えた。
 「巧く作れないんだよ。イメージに技術がついて行かないのかな。」
 リルの苦労している説明を聞きながら、気持ちが乱れた。
 「変かな……。」
 「全然……、ステキだと思います。」
 思わず本音が漏れた。わたしが隠す真意は伝わっていなかった。
 「率直な意見が聞きたくてね。物事に行き詰まると、第三者の感想が参考になるって聞いたから。」
 リルが鏡に映す自分の裸体をモデルに塑像を作っている姿を想像すれば、彼女と共に昇天しそうな至福感になった。わたしは、言葉を選び訊ねた。
 「どうして、これを作ろうとしたのですか。」
 「どうしてか。そうだな、たぶん今の姿を知っておきたいと思ったからかな。」
 屈折した自己陶酔だと思ったが、それも愛おしく感じる。
 リルは、苦々しく打ち明けた。
 「ボク、他人が好きでないから。」

 わたしは、その塑像に触れてみたい衝動にかられた。
 「触っていいですか?」
 それが、最初に試みたアプローチだった。生身の肌に触れるように優しく指先を添わせた。冷たい粘土の感触が彼女の肌に重なって妄想してしまう。体の奥底で疼くような感覚が忍び寄っていた。粘土は障り慣れているけれど別物のように愛しい。彼女が触っている形を手指と掌で追随して掌握しようとする。まるで、人肌を撫で摩るように。
 一生触っていたい想いの中に堕ちてしまいそうになった。
 「……どこか変かな。」
 リルの声に我に返った。わたしは、頬を火照らせていただろう。眼鏡の奥で瞳が潤んで、答える声が上擦った。
 「いいぇ、とても……、とてもいいです。貴女の気持ちが伝わります。もし、ご迷惑でなければ、これからも見せて頂いてもいいですか。」
 あの切っ掛けが、わたしに未来を開かせる気がした。一方的な叶わない夢であろうと、自分でも気づいているこの屈折する片想いに溺れたまま愛しい人に寄り添える至福を独り秘めやかに祝福した。
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