残夢

文字数 1,289文字

 難しい年頃の娘を持つ男親の気持ちを諦めに似た想いの中で他人と比べてしまう。何処の家庭でもそうなのだろうかと。男兄弟の中で育った身に考えが及ばない。
 駅までの短い時間を娘は、後部座席の隅でスマホから手を離さない。車から降りる時、じゃ、と短く言い残す。視線も合わさずに。後ろ姿が、妻に似てきたように思えた。

 始発電車を使う乗客の多いことに驚かされた。平日の早朝に来ることがなかった。いつもなら駅までの送迎は、妻の役割だった。
 駅前のローターで通り過ぎる同じ世代の女性が目の端に入った。少し車を走らせて、遠い記憶の中で重なる幼馴染を想い出した。迷いのない綺麗な歩き方が似ていたからだろう。思わず呟いていた。
 「アキ姉も、そうだったな……。」
 小学生の頃に古武術の道場で知り合った。中学生のアキ姉は、背が高く短髪だから精悍な顔立ちが男の子のような印象を与えた。面倒見がよく隣町から通うのを気遣ってか真っ先に声を掛けてくれた。幼い頃から習っているアキ姉に稽古の相手をしてもらいながら、独り密かに恋心を募らせた。
 稽古が終わるとアキ姉は、必ずバス停まで送ってくれた。短い距離の中で交わす会話が楽しかった。
 ──ユウキって、いい名前だね。
 アキ姉は、最初に名前を褒めた。それまでは、あまり気にしなかったが改めて自分の名前を意識した。戸惑うように見えたのだろう。その様子が面白かったのかアキ姉が小さく笑いながら続ける。
 ──えっ、もしかして、自分の名前が嫌いなの。
 ──たぶん、違う。褒められたの初めてだから、そう見えたのかも。
 はにかむ年下の男子に笑顔で頷くアキ姉の歩く姿に憧れた。姿勢の美しさは、意志の強さから来ていたのが今なら分かる。
 或る夕刻、にわかに降り出した雨の中をアキ姉は傘に入れて送ってくれた。照れ臭くていつもより緊張してしまった。微かに汗が混じる石鹸の匂いが不思議と懐かしく感じた。
 ──夢って、叶うかな。
 唐突なアキ姉の言葉に驚き横顔を見上げた。遠くを見るような横顔が少し寂しそうだった。
 ──ユウキは、大人になったら何になりたい。
 訊ねられて直ぐに思い付かなかった。正義感の強いアキ姉から尊敬を得たかったから、返事を探して考え込んでしまったが辛抱強く待ってくれた。焦る中であの頃に弟と競って観ていたアニメが思い浮かんだ。
 ──ヒーローに、なりたいかな……。
 ──そうなんだ。
 立ち止まりアキ姉は、優しい眼差しを向けた。
 ──ユウキなら、なれるよ。
 秘かに想う人から期待されれば将来に希望が抱ける気がした。その後、アキ姉の悩むような表情で呟く声が、心に引っ掛かった。
 ──わたしは、どうかな。
 中高一貫校の私学に進学してからは、習い事もやめアキ姉と疎遠になった。甘酸っぱい片想いのまま、いつしか記憶の深みに埋めてしまった。誰かから伝え聞いたアキ姉の身に起こった信じられない辛い噂と共に。

 中年になり妻や娘に手を焼きながらも家族を守る日々を暮らす。あの頃に想い描くヒーローとは程遠い生活をしている。でも、心の片隅では無垢な気持ちのままに夢は残している。アキ姉に約束したから。
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