秋の空と夏の海と春の香と冬の夢と クロエ

文字数 1,964文字

 お盆に、従弟から連絡が届いた。母は、予め知らされていたのだろう。わたしは、突然の頼まれごとに不機嫌な素振りをした。予定より早く、路面電車を使い私鉄の乗り換え駅まで迎えに赴いた。
 ホームから賑わう駅の人混みをぼんやりと目で追った。
 『いつ以来だろう……。』
 わたしは、数少ない思い出を手繰り寄せた。従弟は、髪を肩まで伸ばし女の子のようだった。その頃、既にわたしの背丈に追いついていた。絵が得意で物静かな本好きは、離島の中学に進学した。
 二年振りに会った従弟は、予想を良い意味で越えていた。背丈は頭一つ高くなり少年の面影を残し青年になっていた。東欧生まれの叔父の血が混じるからか。金髪の碧眼が魅力的だった。

 わたしは、列車で座らない。何時も海側の車窓に立った。海を眺めたい理由からではなかった。その姿は、物思いに更けているように見えるのだろう。誰も話しかけてこなかった。
 体を斜めにして座る従弟の横顔が呆れるぐらい美しい。どこかの美術館で見た大理石の彫刻に見える。その穏やかな姿に微かな憧れを抱いてしまう。決して口にできないけれど。
 お互いが一人っ子だったから、実弟のような親近感を覚えた。誰に似たのか紳士で理知的。そのうえに、気遣いのできる寛容さを備えていた。初対面の人は、大学生に見てしまうだろう。未だ十五歳なのに。
 従弟の脛を優しく蹴った。驚くこともなく視線を海から移した。小さい頃から大人びていた。わたしよりも冷静だった。
 「何、考えていた?」
 わたしの質問に従弟は、肩を竦めた。その仕草の鷹揚さに内心苦笑した。従弟が逆に尋ね返した。碧眼の瞳の中に吸い込まれそうになった。
 「何だと思う?」
 「バカ……。年上を試すな、いけない奴。」
  二人の姿を、どう見るだろうか。学生のカップル。たぶん憧れ嫉妬されるだろう。従弟と一緒にいても遜色ない自負はあった。遠巻きに視線を感じた。背筋を伸ばして立ち姿を意識する。同じ高校の制服が目の端に入った。
 『うっとおしいな……。』
 その視線を挑発するように指先を従弟の髪に触れる。車中の期待に添う恋人のような仕草で演技をする。状況の認識力が高い従弟は、わたしの悪さに合わせてくれた。両手でわたしの腰を優しく抱いた。わたしは、とびっきりの笑顔で囁く。
 「向こうでカノジョできたの」
 「友達はできたよ。」
 「どんな子。」
 「大人しく見えるけど、話好き。自分を表現するのが苦手。よく気が付くように見せたいから無理している。自分のことは、解っていない……。」
 相変わらず洞察力が鋭い。説明に無駄がなく端的に表現するから想像できる。
 「その子も離島留学生?」
 「島の子だよ。」
 「名前は?」
 「チエコ。」
 名前の綺麗な響きに含み笑った。
 「あんたの名前と、いい勝負だね。」
 従弟は、風貌に似つかわしくない日本の古典的な名前が気に入っていた。話していると気持ちが紛れた。数日来の悩みが少し和らいだ。
 わたしは、車窓の外の海に視線を向けてから話題を変えた。
 「九月から向こうでしょう。」
 「うん、来週の飛行機に乗るよ。」
 「リトアニアって、どんなとこ。」
 「遊びにおいでよ。」
 大人っぽい誘いに従弟を小突く。
 「ナマね。」
 遠い異国を想像してしまう。静かで綺麗な田舎街だと叔母が話しているのを聞いたことがあった。あの時、叔母の目は幸せに満ちていた。
 身を屈めて従弟の耳元に顔を寄せる。囁くわたしは、微笑んでいた。
 「……あんたね。もう少しバカになりなさい。カノジョできないよ。」
 「カレシならできそうだよ。」
 従弟の拘りのない自然な返事に、優しく額に口付けた。
 「そういう返し、お姉ちゃんだけにしなさいよ。フツーは、ドーンと引かれるから。」
 「どうしたの。今日のクロエ、優しすぎだよ。」
 「昔からでしょう。」
 「相談に乗るよ。」
 「だから。それ、ナマよ。」
 従弟と話を重ねると、全てが曝け出されそうになる。気付かれていてもいいかと思いながらも、注意して話を続ける。相談すれば的確な答えを導くだろう。それができる感性を持っていた。年下の従弟が遠く感じた。優しい言葉にわたしの気持ちを揺らしながらも。
 『こんなプライドなんて、いらないよね……。』
 わたしは、憂いを隠して独り思った。
 「何時でもいいよ。話、聞くから。」
 「ふっふふふふ……、勇気あるじゃん。乙女の話は、怖いよ。」
 「辛いの、……。」
 従弟は、言葉の途中から英語に変えた。わたしは、応えるように小突き中指を立てて脅した。
 「アンタの英語、訛っているよ。聞き取りにくいし。マジ殴る。」
 その日、わたしの笑顔は切なく温かかっただろう。

 二つ手前の駅で降りた。少し歩けば寂れたホテル街があった。わたしは、従弟の腕を絡めとった。
 「少し歩こうよ……。」
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