第6話 失血死

文字数 731文字

「妻は、苦しまずに死んだんでしょうか」自分の声も遠く、夢の中をさまよっているようだった。
「脳や臓器に大きな損傷は見られません。外傷性の失血死ですね」医師は沈痛な表情を浮かべた。

「それは、痛いんでしょうか、苦しいんでしょうか」
「痛みは誰しもご経験があるように」医師は唇を尖らせ、スーッと音をさせて息を吸った。
「スポーツの時とか、まあ、今回のような突発的な事態で発生する、エンドルフィンという脳内物質によって緩和されたでしょう。夢中で気が付かない怪我とかありますね、あれです。しかし、寒さや……不安を覚えたであろうとは思われます」

 妻は道路に横たわり、薄れゆく意識の中で、自分はこのまま死ぬのではないかという不安と、大量出血による寒さに襲われていたのだろうか。



 いつも通い慣れた、家からわずか100メートルの道路に、スーパーの袋から飛び出したジャガイモやニンジンが散乱していたそうだ。
幾度も通ったその道に、妻は鮮血を流して死んだ。

 昨夜のビーフシチューは私のリクエストだった。そして妻が今夜作りましょうかと言ったカレーは、私の好物だった。

 妻の料理は美味しかった。リクエストした料理を作れないことはなかった。初めて作ったと自信なさげにしているものでも、そつのない味に仕上げた。

 それが当たり前のことで、感謝することすら忘れていた。

 最後の最後は、罵倒して終わった夫婦生活。悲しいままに終わらせてしまった妻の人生。『そんなものいちいち聞くな』が妻が耳にした私の最後の声だったとは。

 私は、なんと取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。
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