I - 17

文字数 802文字

もうどうにもならないところまで来ている。仮初めの平和は終わりを告げ、月と地球は再び戦争に入る。不安と不眠、が重なって、頭は上手く回らない。

わたしは洗面台で水を掬い、顔に叩きつける。水の滴る顔をあげると眼の前の大きな鏡に顔が映った。鏡像を眺めていると段々に気分が悪くなり、下に顔を背ける。しかし、今度は洗面器に溜まった水にやつれた顔の人間が覗き込むようにこちらを見つめている。わたしは逃げ場を求め、咄嗟に目を瞑る。

これまで鏡を眺めていると、二人でいられるようで好きだった。わたしの中のもう半分が取り出されて、ここには欠けることのない完全があるように、完全なわたしで居られるように思えるから。

こんなに近くにあるのに、語りかけることも、手を触れることも出来ない、もう半分のわたしに、鏡の前では、お互いを見合い、お互いに手を伸ばし触れ合うことができるような気がして、なんだか心地がよかった。その鏡が、わたしと彼女を唯一目に見える形で繋いでいると思えた。

でも、そうではなかったのかもしれない。

鏡は、まるでわたしから離れた客体のように像を作り出す。しかし、すぐに自覚する。そこに映った姿はいつもどこまでも主体の虚像なのだ。それは徹頭徹尾、鏡に写った"この"わたし。どこを見てもわたしに跳ね返る。鏡は主体と客体を分離などしない。鏡が示すのは、客体に見えるものは全て主体の影なのだということだ。そこには初めから、わたししか無いのだという、その孤独を突きつけてくる。

わたしが鏡に見ていたのは、わたしではなく、”わたし“?

再び洗面器から水を救い、勢いよく顔に叩きつける。するとどこからともなく声がした。

「大丈夫かい」

目を開いて顔をあげると、鏡にはぼやけたわたしの像の隣には彼が映っていた。わたしは顔を擦る。彼の口は動いた。

「ここ最近、君の様子がいつもと違うことには気がついているんだ。話してくれるかい?」
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