I - 24

文字数 8,334文字

コンクールの提出課題を学長に提出した後、すぐに推薦に関して呼び出しを受けた。

「君の作品は好きなんだがね。斬新な和声、不協和感を用いながらも、あくまでロマン派的な物語を感じさせる構成が持ち味なのは分かっているが、流石にこれは私にも受け入れらないな。

調性が殆ど感じられない。というよりも、もはや意図的に調性を避けようとしているだろう。確かに、新しいものを求めているとは言ったがね。これはいくらなんでもやり過ぎだよ」

院長は机に置かれた楽譜を指で叩く。当然それくらいの反応は想定内だ。学長の指摘は当たっているが、受け取り方が誤っている。私は学長の機嫌を損ねないように説明を試みる。

「調性は既に人間の音楽的な感性において内面化されています。つまり、人はある特定の音のパターンに対し、それが期待を裏切らずに続く時そこに調性を感じます。そしてそのパターンから逸脱した音を不協和音として異物で不快なものだと感じます。ですが、そこに本来必然性はないのです。

東洋の旋法、アラビアの音楽体型などは全く西洋の機能和声的な語法とは異なるものですが、それこそが彼らにとっては自然であり、自分たちの育んできた豊かな音楽なのです。

私たちの音楽は自らが気づきあげてきた規則によって窒息死しかけている。大バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、リスト、シューマン、ブラームス、偉大な先人たちがその枠組みの中で多くの素晴らしい音楽を築き上げてきました。

しかし、彼らと同じ枠組みの中で、後代の我々がどのように創意工夫をしようとも、ただそこに先人の仕事の偉大さを見出すのみなのです。私たちの耳はそれほどまでに彼らの作り上げた音楽に調教されてしまっています。純粋で何も色のついていない透明な音として耳を傾けることが出来ない。巨人たちの背中に乗っている我々が更に先に進むには、私たちの乗っている足場そのものを意識的に壊さなければいけないのです。でなければ我々に待っているのは、停滞と倦怠です。

私たちがそこから抜け出すには、音楽を一から作り直さなければいけないのです」

学長は腕組をしながら、首をかしげている。

「御説ごもっともだがね。創作者たちが先人を踏み越えようと新しさを求める志は分かる。私もその一人であったからね。だが、なんでもありということは無い。そこにもルールや程度はある。籤を引いて音符を並べた曲に芸術性など認められるはずがない。

君のこの曲も同じだ。これはそれから外れている。弾いてみるまでもなかったよ。譜面を見れば分かる。こう言いたくはないが、何も感じられない音楽はただの雑音、価値がないのと一緒だと言わざるを得ないよ」

学長も同じ作曲家として、若い頃の作品には、先人を超えんとする瑞々しい志や熱意に満ちあふれていることはよく知っている。彼も分かっているのだろう。そう、”程度”はとても重要なのだ。目を瞑った落書きを新しい芸術と唱えたところで仕方ない。その感性で私はこれまで曲を作り続けてきたのだから。

でも今は少し違う。そこにさえ必然性は無かったのだ、ということが今の私には分かる。それは、”目を瞑った落書きこそが新しい芸術になる” という地点に立つことができる、ということなのだ。そして、今私たちが立っているのがその場所ではなく、今ここに立ってるのは一切の偶然だった、というだけだ。

「それこそが、枠組みに囚われている証拠です。

音における美に本来枠組みは関係ありません。波の音や小鳥の歌に調性など存在しませんが、それらの音を私たちが美しく思うことがそれを証明しています。しかし、現在の私たちの音楽的な審美眼は、調性的に規定されていることと思います。さらにその規則に沿ったものを”協和”的、沿わないものを”不協和”的といってさえ居ます」

「音と”音楽”を混同してはいかんよ。音は単なる現象だが、音楽は文化であり、人による営みだ。そうであるならば、その規則は人の都合によって築き上げられるべきものだろう」

「確かにその通りです。ですが、因果は既に逆転しているのです。自分たちが美しいものを生み出すため、そういった都合で作ったはずの規則が、いつしか”規則に沿ったものこそが美しく、それに沿わないものは美しくない”、という美の定義それ自体にすり替わり、規則が美を語ろうとしているのですから。規則とは本来、美という現実の後追いでなければならないはずなのにです。

私たちの音楽的な感性には、既に調性が深く内面化されています。緊張した音には解決を求める。無調的な作品でさえも、ドミナント-トニックという構図にすがってしまう。その期待に応えてもらえないから”分からない”と感じる。それこそが規則から美を判断しようとしているということです。

本来的に音には緊張も解決もあるはずがない。ただそれはそのように鳴っているだけです。そこに 緊張や解決といった”意味”を付与したのは、その”体系”に参入させたのは、学長が言うように私たちの都合に他なりません。

しかし、このことに自覚的になり始めているこの時代において、私は調性という現在の音楽の根幹概念自体を抜本的に刷新した音楽や、そのための作曲技法が必要だと考えます。例えば、音階上の十二音をすべて均等に使うことで、調性は全くに回避することができます」

「そんなもの音楽になるのかね」

学長の険しい顔は崩れない。しかし感情的に否定しているというようには思えず、あくまで冷静に私の言うことを吟味しているように思えた。学長は音楽院を代表する立場として今後の音楽界に対しても影響力を持ち、その責任がある。個人としての納得だけでなく、その立場として推薦の判断が必要なのだろう。

「極論すれば、美しいものは全て音楽に成り得ます。そして、その美を語ることができる、その地点に立つことができる規則が必ず存在します。なぜなら美を根拠付けるものこそが規則だからです。

しかし、古い規則で新しい美を見ようとしてはなりません。それは測る物差しを間違えています。それはレンブラントの絵に耳を当てて”何も聴こえない”とか、シェークスピアの戯曲を食べて”これは美味しくない”とか言っているようなものです。可笑しなことでしょう。

作品には、それぞれに即した、その作品に込められた美の受け取り方が存在し、それこそが規則と呼ばれるということです」

「どんな雑音にもか?」

「どんな雑音にも、です。美しい雑音とは、少々撞着語法めいていますが」

私は嫌味の無い笑みで返す。それが一層嫌味らしく見えたかもしれない。

「雑音に美がどうしたら見いだせるというのだね」

「簡単なことです。それは解釈しないことです」

「そんなこと不可能だろう。解釈しない音など、”音のしない音” というようなものだ」

そう、不可能なのだ。どこまで言っても。私の限界はどうしても、そこにある。

「そうです。原理的には、仰るように不可能です。

しかし、解釈という行為がそうであるという理解を持つことで、我々の固定化された理解を一つ一つ解体し、遡っていくことでそれが成立する地点に立とうと最大限近づく努力をすることは出来ます」

「あまり、そんなことをする意味があるとは思えんな。

それに君の言う無調音楽の作曲体系が仮に成立したとして、それは調性の規則に成り代わるだけではないのかね。また、それも調性と同じことが言える。さらに次の世代を、その無調の体系から解釈・評価を下すようになる」

「さすが学長、慧眼です。まさにおっしゃるとおりです。

批判は常に、ある視点に立たなければ行えません。しかし、私の批判は言ってしまえば ”ある視点に立つこと” 自体を批判しようとしている。この批判は自己矛盾を抱えざるを得ません。思うに全ての問題の根幹はそこにあります」

今の私にとって、様々な理解が繋がっている。私を取り巻く出来事や概念は、ある一つの在り方によって支えられている。そして、それはある一点に収斂している。

「調性が無調を支え、無調が調性を支える。同じように例えば、夢が現実が夢を支え、現実が夢を支える。蝶が蛾を支え、蛾が蝶を支える。私があなたを支え、あなたが私を支える。これらの概念はある見方において、片方の存在の前提とした互いに排他的な存在です。

“現実” と ”夢” は相互を区別するための概念であり、”蝶” は ”蛾” でないものであり、”蛾” は “蝶” ではないもの。これはあくまで私の祖国では、なのですが。そして、”私” とは ”あなた” ではないものであり、”あなた” とは “私” ではないものです。

同じように、常に、私たちは。いえ、私はどちらかに立たなければいけません。というよりも、私はこの世界に投げ出されたように、もう既に気づいた時には立っています。私はあなたでは無いもの、あなたは私では無いものです。その中間などは存在しません。

あなたも、あなた自身から見れば一人称的な意味で私になる、などということも本当は申し上げられないのです。その発言自体が、どこまでもこの私から発せられたものにならざるを得ないからです。私はその外に出ることが出来ません。”外”に”出る”ことが出来た時、そこは既に”内”になっているはずですから。

これは、解釈されない音が鳴っているなど、存在し得ないということと同じです。”鳴っている” という言葉の裏には”聴いている” 存在があること、それは三人称的な、神的な存在も含めて、それを示します」

「回りくどい言い方は止し給え。つまり結局のところは新しい規則を作り出すしかないのだろう」

「新たな規則を作り出すというよりも、新たな規則にならざるを得ない、という方がニュアンスとして正確かもしれませんが」

「君の言い回しはいつもややこしいな」

学長は、はあ、とため息をつき、机上の私の楽譜を再び手に取る。

「聞いておきたかったんだが、なぜこの曲には冒頭に ”ad libitum” 以外、演奏記号が一切書いていないんだ。速度もフレージングさえも分からない。本当に曲全てを自由に弾かせるつもりじゃないのだろうね。このまま楽譜を渡して、十人が弾いたら、十通りの演奏が出来上がるだろう。君は前まで言っていたじゃないか。自分の作品に解釈は不要で楽譜に書かれたままに弾けばいいのだと。ピアノは再現芸術なのだから、演奏家の解釈は認めないと」

そんなことを言っていたことが、今となっては気恥ずかしく思われる。

「以前の私は視野が狭かったと思い知らされました。お恥ずかしい限りです。それから色々と考えが変わったのです。 本当に ”ad libitum” の言葉通り、演奏者の解釈で自由に弾いてくれればいいと。もはや私の置いた音符自体を無視しても構いませんし、好きに音を付け加えてもらっても構いません」

「それは作曲家としては、怠慢ではないかね。音楽を提示するのが作曲家の仕事だ」

「その指摘はごもっともですが、作曲家と演奏家の関係性を考え続け、至った私なりの一つの結論です。どんなに精緻に指示を書き込んだ楽譜を書いても、たとえ同じ演奏家が弾いたとしても、全く同じ演奏というのはあり得ないのです。楽譜はただの記号です。それがそのままに鳴るような音楽にはなり得ません。演奏家を媒介として、その解釈を持って初めて音楽は成立します。それは程度の違いではありません。その二者の本質的な距離感だったのです。

ショパンも自身の曲を毎回違ったように演奏していた、というのは学長もご存知でしょう。作曲と演奏とは、それがたとえ自分自身が作曲したものでさえも、根本的に違う次元にあるのです。特に、即興演奏を愛する彼は、それに自覚的だったのでしょう。

だから再現芸術という考えが初めから誤っていました。あるのはどこまでも解釈のみです。解釈なき演奏などあり得ないのだから、それは”鳴らない音”というようなものなのですから。いっそ初めから演奏家に解釈を委ねることを前提に作曲したということです。この演奏は徹頭徹尾、演奏家のものです」

「つまり、ここでの君の仕事は夜空に星を散りばめることまでだと」

一瞬、学長は何を言っているのかよく分からなかったが、すぐにその粋な表現を解する。

「そうです。そこで新たな星座を結ぶのは演奏家に委ねます。

それでも、その星を散りばめたのは私の恣意性からは逃げられないのですが。それも拒むならば、もう作曲家は存在できず、そのとき演奏家は同時に作曲家を意味することになります。だから、星空の中で価値ある何かを見出すことが出来た人にこの曲は弾いてもらえればよいのでしょう」

学長は腕を組んで椅子を揺らしている。しばらく黙って考えた後にこういった。

「君の意図や新しい音楽に対する取り組もうとするアプローチなどは理解した。その志には感心するよ。私もかつてはそれに日夜明け暮れていた人間だからね」

しかし、と彼は付け加える。

「この作品は、今回のコンクールに当音楽院からは推薦は出来ない。私個人としては実験的で野心的な挑戦は大いに推したいところだが、この音楽院には歴史と伝統があるし、コンクール自体も色々な利害関係の中で動いていて、結局学院もお金を必要としている。

そして、お金は多くの人の心を掴む作品の周りに集まるものだ。結局は売れる作品が皆にとって一番都合が良いということになる。その目線でいえば、この作品は売れないだろう。聴衆の理解が追いつくには、まだまだ時間がかかる」

こういうことだ。常に基準は聴衆にある。私の作品はその基準を逸脱しすぎたのだ。当然尖った作品だということは分かっている。しかし、新しい音楽を提示していくべき音楽院がただ ”売れない” という聴衆への迎合を理由に、この作品を突っぱねることには納得がいかない。

「芸術と学問が本当にそれでいいのですか。新しさを求めていると言いながら、聴衆の感性に迎合するなんて。”迎合した新しさ”なんて矛盾している」

「先程の話からすれば、君も本当は分かっているんだろう。音楽には必ず聴き手がいるんだ。誰も聞かない音楽に価値があるはずはないんだよ。君が言った、どんな音にもそれを美しく捉えられる場所がある、ということは分かる。でもそれが今立っている場所と違うなら、聴衆がそこに立つまでには時間や労力を要する。

聴き手は、結局今の自分に分かるものにしか美しさを見出さない。分からないものは、ただそれだけの理由で美しくないのだよ。調性が、機能和声による作曲技法が中心になったのは結局聴き手にとって、何よりも分かりやすいかったからだ。そしてそう始まったからこそ、”惰性”として、それは今もわかりやすいんだ」

学長に言われるまでもない。そう、そんなことは分かっている。誰にも読まれない物語に、物語としての価値はない。しかし決められた枠組みの中で ”迎合した新しさ” を求めるならば、そこに創作者としての存在意義は一体どこにある。

作曲家が後ろに向かって聴き手に迎合するのではなく、聴き手が前に向かって作曲家に食らいついていくべきだろう。そうでなくて、なぜ音楽が未来に、前に進んでいけるというのだろう。そのように怠慢でありながら、なぜ聴き手は”もっと新しいものを”などと、一体どの口が言えるのだろうか。前に行けばいくらでも新しいものはあるというのに。

「納得行かないのは分かる。しかし、これは様々な事情を加味した学長としての判断だ。すまないがわかって欲しい」

学長は申し訳無さそうな顔をする。これ以上学長を非難する気にはなれなかった。ここまでのやり取りの中で、彼が自身の意図を理解していることはよく分かったからだ。学長は立ち上がり、少しその表情を変える。これは厳しい学長として、というよりは、個人としての柔らかい顔だった。

「一応一つだけ聞いておこう。君自身はこの作品を美しいと思っているんだね」

「当然です。そうでなければ、こうして作曲してコンクールに出したりなどしません」

「それはこの夜空の中に、演奏家の君が気に入った星座を見つけたということだね」

学長は手に持った楽譜を指で叩く。

「そういうことになります。演奏の度にこぼれ落ちてしまう星座もありますが」

「それはどういうことだい」

「いくつかある自分の好きなフレーズの構成音が重複して、1回の演奏では両立できないのです。まさしくそう作ったのは自分なのですが。だから、気分に応じて、どちらかその時自分の聴きたい方を演奏します。本当は同時に聴きたいのですが。それはこの曲の性質上叶いません」

「演奏される時、我が子はもう既に生みの親の手さえも離れている、ということか。

少なくとも君がこの曲を美しいと思っていることが最も大事なことだからね。この作品も別にこの学院として今回のコンクールに推薦出来ないというだけだ。君が個人で好きに発表したり、演奏するのは一向に構わない。

コンクールについては別の作品であれば再提出を認めよう。今ならまだ時間的には間に合うからね。前も言った通り、今回のコンクールを受賞すれば、君の作曲家としてのキャリアは安定したものになる。推薦が欲しいならば、迎合しろとは言わないが、もっと皆にその良さが理解できる物を書いてくれ」

学長は私の提出した楽譜を返す。真ん中に深い折り目と皺の付いたそれは惨めに見えた。

「君は少し生き急いでいるようにも見える。まだ若く時間はある。40-50代になって円熟した精神で素晴らしい作曲をしている作曲家も多い。君の才能を私は大いに評価している。そんなに焦る必要は無いのではないかね」

焦っている。その言葉に少々思わぬ違和感を覚える。学長が言うように私は目指す未来に向かっているのだろうか。確かに形としてはそう言えるのかもしれない。だが根源にあるものは異なるように思う。未来に向かって走っているのではない。ただこの場に、今という現実に、留まっていられないのだ。

「私は、長らく自分の存在を肯定出来ずにいます。その不安定性の中で、自分自身に対する根拠を求め続けているのです。私は今この仕事の中でそれを探そうとしています。そして、それが新しいものを生み出すという営みなのです。

創作者は、根本的に自己矛盾を抱えているとしても、既存の規則や体系を批判し、新しい体系を創造しようとする企てをやめることができません。なぜなら”創作者”としての矜持は常に、他でもない ”この私” が、これまでに無い新しいものを生み出すことにあるからです。

それこそが、そのように成し遂げられた仕事だけが、創作者が自身の存在意義・存在理由として縋れる唯一のものだからです。

その問題はただ私自身の中にだけあります。

他人にとっては、作品を誰が生み出そうが一切関係も興味もないでしょう。だから、仮に私が生み出したものを、別の誰かが生み出しても、他人にとってはどうでも良かったのです。別に人でさえ無くても良い。偶々籤を引いて出来上がった曲でも、それが気に入れば良い訳です。

しかし、この私にとってはどうでしょう。私が生み出すか、他の誰かが生み出すか、という違いは天と地ほどの差があります。その違いによって、夢と希望を持って打ち立てようとしたものが途端に、憎しみと嫉妬と共に打ち壊すべきものに変わるのですから。あなたが生み出した ”私の生み出したかったもの” に、わたしは一切興味がなく、むしろ忌むべきものにさえなるです。

創作者にとっては絶望的な事実ですが、創作物を表現するための手段は変わらないのに、歴史は淡々と無慈悲に命の砂が落ちていくように積み上がっていきます。

その創作は、音やキャンバスといった創作媒体によって定義された可能性の空間で、他人によって”既に試行された”という形で、水位がどんどんと上がっていきます。既に試行されたものでは、創作者は自己を肯定できません。二番煎じ、後追い、模倣は、創作者の存在意義自体を否定する言葉でしょう。しかし、空間の限界は決まっているのに、水位だけは今この瞬間も上がり続けている。逃げ場のない空間では、いずれ創作者は溺死する運命にあります。

私たち創作家は、自分が溺死しないために、その恐怖と共に、必死に創作空間の定義それ自体を拡張しつづけなければいけません。そうして新天地を求め続けていかなければ、生きてはいけないのです。

私の耳には、いつもその命の砂がさらさらと落ちていく音が聞こえています。そこで発狂せずにいるためには、五線譜に黒点を書きなぐり、鍵盤を叩きつけ、ここではない何処かへとただ必死にもがき続けるしかないのです」
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