I - 2
文字数 3,453文字
絶望の淵に堕ち、もう死んでしまおうかとも思っていたわたしを支えてくれ、親しく思っていた彼が、そのように言ってくれたのは素直に嬉しかった。
その顔には困惑が見える。こんなわたしにプロポーズをしてくれたあなたに対して、真摯に応えたいと思う。それがあなたにとってどんなに現実的ではない、文字通り”夢”のような話だとしても話さなければいけない。それはこのわたしにとって大事なことで、そして本質的なことなのだから。
窓の向こうの漆黒の海に浮かぶ一輪の月は手に取れそうに見えた。その正円を捉えていたはずのわたしは、ふと窓に重なる自身の虚像に絡め取られる。
果たして、上手く話せるだろうか。
まず最初の言葉を話し出せばよい。そうすれば、あとはもう語るしかなくなる。ただ自分の国の言葉で話せないのも少しもどかしい。さらに言えば、”このわたし” の言葉でしか話せないのも不自由だ。
きっとわたしの言葉は、彼にとってはぐちゃぐちゃとしたものになってしまうだろう。この世界に言葉があるいつもの会話とは違う。いつもの習慣と同じように、奥底に閉じ込めた引き出しを開けるように頭を切り替える。可能な限り、彼に伝わるように話さなければいけない。
彼はわたしが話し始めるのをじっと待っている。喉の奥から押し上がってくるような緊張と不安を飲み込み、押し戻しながら、わたしは最初の言葉を吐き出した。
「いつから始まったことなのか、今となってはもう覚えてない。そして、それはつまり、どちらから始まったのか覚えていないということ。気づいたときには、もうそうなっていたの。
月連合王国 第3王女。2074年、月面第17都市 η願ςτ ΛΕίπίλη ςμναδ 生まれ。幼少期に前王である父と家族を事故で亡くし、若くして王位を継承して女王に。王族ながら民間大学に首席入学。専攻は ιήκβιτμανη学χκ と ノΚ理νήα量 と 。卒業時の研究テーマは aμ我脆tρiuεo弱gΤ在gトτoό sitΓr壊ω の社会的利用と、νo界οm時用seノρ転όρ空ο世ςω」
彼は小さく口を開けて唖然としている。耳慣れない、というよりも理解できない言葉を当然のように並べられれば、そうなるのは当然だろう。
わたしにとっては当たり前で、自分の理解に沿った言葉であっても、それが彼にとってどれほどの異物で、混沌としたものであるのかは分からない。今から二世紀近い未来の、それも異星の話なのだから。
質問をさしはさむ様子はない。最初の言葉をなんとか出したことで、わたしは軽い興奮状態にあった。自分の心臓が鼓動がよく聞こえる。ここまで言ってしまえば、もう後戻りはできない。わたしはそのまま話を続ける。
「ごめんなさい、わたしもできるだけ、あなたにも理解できるように話しているつもりなのよ。今話したのは夢の中でのわたし。わたしは毎晩いつも同じ夢を見ているの。
それは、同じ夢を何度も繰り返し見ている、という意味ではなく、”ある同じ人間としての夢”を見続けているということ。それは、わたしがこの世界で生きているような在り方で、月の人間として生きている、ということなのよ。
今日の次には明日が来るように、目が覚めるとまた昨日の続きから今日が始まるように。わたしは眠る度に月の女王として目覚めている。
不思議なのは、その月でのわたしも夢を見ているということ。その夢というのが、わたし。ごめんなさい、紛らわしいわね。あなたの眼の前にいる、”この”わたし。
ただ月のわたしはこのわたしの夢でもある。だから、このわたしの夢は、月のわたしの夢の中の夢。その月の女王の夢の夢は、このわたしの夢の夢の夢。
これはこうやって内と外を巡るように、νf機eρ及οααοάτのように、 永遠に続いていくわけなのだけど。でも、もし夢ならばその根源となる、ηρ本αρτκααότ存ππττ、”現実”で夢を見ている主がいるはずよね。
残念なことに初めに言った通り、いつからこの不思議な夢が始まったか、どちらからこの夢を見始めたのか、もう覚えていないの。小さな頃の記憶がいずれ溶けていってしまうように。気づいたときには既にそうなっていた。
あなたがそういう表情になるのはわかるわ、本当にややこしい話よね」
彼は微動だにせず、小さく口を開けて黙ってこちらを見ている。
わたしは既に話し始めたことを少し後悔し始めていた。一体どれだけのことが、わたしの世界があなたに伝えられたのだろう。それでも、こうするしかなかっただろう。
この話が終わった時、ここまで続いてきたわたしとあなたの関係が、どのような結末を迎えようとも、あなたの気持ちに誠実に向き合うにはこうするほかない。
「わたしにとって夢は、もうひとつのわたし。というよりも、どちらも同じわたし。
夢と現実を廻り巡るわたしから生み出される二種類の記憶。つまり、このわたしが月のわたしである記憶と、月のわたしがこのわたしである二つの記憶は、わたしの中で1つに溶け合っている。わたしは月でのことも、こちらのことでも同じように記憶しているの。
もちろん、このわたしが自分の身の回りの些細な出来事を次第に忘れてしまうように、月での出来事を忘れてしまうこともあるけれど。
例えば、女王は昨日何を食べたのか、女王が密かに誰に思いを寄せているのか、6歳の時に ατ.ι殿άλハπ. で誰にも気づかれず終わってしまった悪戯になりそこねた小さな悪戯、その全てを知っている。
この夢と現実の関係性が円環的なのか、ημσ生σρντ廻εωκεάか、螺旋的なのかは分からないけれど、今ではどちらが本当は夢を見ているのか、一体どちらが夢の主なのかを意識することは殆どないの。
だって、結局どちらも ”わたし” だから。それにどちらも同じ記憶を共有しているのだから、わたしにとって眠ることは、ある意味で目覚めること、目覚めることは、ある意味で眠ることなのよ。それらを通じて、わたしは二つの世界を行き来している。
時空間的に遠く離れた世界を生きる二人のわたしが現実で出会うことは決してないけれど、お互いの全てを知っているという意味で、誰よりも強く繋がっている。
はじめこの夢に気がついた時、この夢をとても疎ましく、それどころか憎んでさえいたわ。夢を見ている間、自分の感情、言動、願望、全てを知りながら、まるで別の人間になっているようだったから。そんな存在、鬱陶しくて仕方ないでしょう。ある見方をすれば、自分のことを常に監視しているような存在なのだから。何をする時にでももう一方の存在がちらつくのよ。”απρ未τοα ροςρςαηι υκθοο監τα ηέτουπソλίςΠε” ああ、ごめんなさい。これはこちらの諺じゃないわね。
だけど、ある時から多くの人間が、孤独に苦しみ、愛に飢え、誰かに理解されることを渇望し、それが満たされないことに絶望していることを知ったとき、わたしはむしろ幸運なのだと気が付いたわ。わたしは一人でも、夢を通じて、私は自身の悩みや葛藤、その全てを内からだけでなく、外からも理解することができるのだから。
そして、気づいたわ。これは別の存在、別の人間などではない。どちらも同じわたしなのだと。
今ではどちらもわたしも欠かせない存在、どちらもわたし自身を形作る本質として強く想っている。半身として、お互いに。二つの世界で生きるわたしを、一つに結びつけているこの関係は、本νυε在χσρノίυοα融、“愛”というに他ならないでしょう。
以前に娼館を追い出された理由。あなたは聞かないでいてくれたけど、本当は原因はこの夢にあるの。この特別な夢を見ること、これの影響、それは副次的なものだけれど、少し取り乱してしまったことがあって、お客の前で暴れてしまったのよ。それを理由に女将にクビにされてしまった。
また同じようなことにもならないとも限らないし、気味が悪いやつだと思わないかしら。それにプロポーズの返事に、こんなことを話すような女には幻滅しないかしら。もっとマシなこと言えなかったのかって。
それでも、こんなわたしと結婚すると言ってくれる?あなたはわたしのこと、わたしがわたしを愛するように、あなたもわたしを愛してくれるのかしら」
これで話せる限りのことを話したつもりだ。わたしの手は震えていた。
彼は一体なんと答えるだろう。プロポーズにこのような全く意味不明な返答をされては、いくら温厚な彼であっても、戸惑い、怒ってしまっても仕方がない。
その顔には困惑が見える。こんなわたしにプロポーズをしてくれたあなたに対して、真摯に応えたいと思う。それがあなたにとってどんなに現実的ではない、文字通り”夢”のような話だとしても話さなければいけない。それはこのわたしにとって大事なことで、そして本質的なことなのだから。
窓の向こうの漆黒の海に浮かぶ一輪の月は手に取れそうに見えた。その正円を捉えていたはずのわたしは、ふと窓に重なる自身の虚像に絡め取られる。
果たして、上手く話せるだろうか。
まず最初の言葉を話し出せばよい。そうすれば、あとはもう語るしかなくなる。ただ自分の国の言葉で話せないのも少しもどかしい。さらに言えば、”このわたし” の言葉でしか話せないのも不自由だ。
きっとわたしの言葉は、彼にとってはぐちゃぐちゃとしたものになってしまうだろう。この世界に言葉があるいつもの会話とは違う。いつもの習慣と同じように、奥底に閉じ込めた引き出しを開けるように頭を切り替える。可能な限り、彼に伝わるように話さなければいけない。
彼はわたしが話し始めるのをじっと待っている。喉の奥から押し上がってくるような緊張と不安を飲み込み、押し戻しながら、わたしは最初の言葉を吐き出した。
「いつから始まったことなのか、今となってはもう覚えてない。そして、それはつまり、どちらから始まったのか覚えていないということ。気づいたときには、もうそうなっていたの。
月連合王国 第3王女。2074年、月面第17都市 η願ςτ ΛΕίπίλη ςμναδ 生まれ。幼少期に前王である父と家族を事故で亡くし、若くして王位を継承して女王に。王族ながら民間大学に首席入学。専攻は ιήκβιτμανη学χκ と ノΚ理νήα量 と 。卒業時の研究テーマは aμ我脆tρiuεo弱gΤ在gトτoό sitΓr壊ω の社会的利用と、νo界οm時用seノρ転όρ空ο世ςω」
彼は小さく口を開けて唖然としている。耳慣れない、というよりも理解できない言葉を当然のように並べられれば、そうなるのは当然だろう。
わたしにとっては当たり前で、自分の理解に沿った言葉であっても、それが彼にとってどれほどの異物で、混沌としたものであるのかは分からない。今から二世紀近い未来の、それも異星の話なのだから。
質問をさしはさむ様子はない。最初の言葉をなんとか出したことで、わたしは軽い興奮状態にあった。自分の心臓が鼓動がよく聞こえる。ここまで言ってしまえば、もう後戻りはできない。わたしはそのまま話を続ける。
「ごめんなさい、わたしもできるだけ、あなたにも理解できるように話しているつもりなのよ。今話したのは夢の中でのわたし。わたしは毎晩いつも同じ夢を見ているの。
それは、同じ夢を何度も繰り返し見ている、という意味ではなく、”ある同じ人間としての夢”を見続けているということ。それは、わたしがこの世界で生きているような在り方で、月の人間として生きている、ということなのよ。
今日の次には明日が来るように、目が覚めるとまた昨日の続きから今日が始まるように。わたしは眠る度に月の女王として目覚めている。
不思議なのは、その月でのわたしも夢を見ているということ。その夢というのが、わたし。ごめんなさい、紛らわしいわね。あなたの眼の前にいる、”この”わたし。
ただ月のわたしはこのわたしの夢でもある。だから、このわたしの夢は、月のわたしの夢の中の夢。その月の女王の夢の夢は、このわたしの夢の夢の夢。
これはこうやって内と外を巡るように、νf機eρ及οααοάτのように、 永遠に続いていくわけなのだけど。でも、もし夢ならばその根源となる、ηρ本αρτκααότ存ππττ、”現実”で夢を見ている主がいるはずよね。
残念なことに初めに言った通り、いつからこの不思議な夢が始まったか、どちらからこの夢を見始めたのか、もう覚えていないの。小さな頃の記憶がいずれ溶けていってしまうように。気づいたときには既にそうなっていた。
あなたがそういう表情になるのはわかるわ、本当にややこしい話よね」
彼は微動だにせず、小さく口を開けて黙ってこちらを見ている。
わたしは既に話し始めたことを少し後悔し始めていた。一体どれだけのことが、わたしの世界があなたに伝えられたのだろう。それでも、こうするしかなかっただろう。
この話が終わった時、ここまで続いてきたわたしとあなたの関係が、どのような結末を迎えようとも、あなたの気持ちに誠実に向き合うにはこうするほかない。
「わたしにとって夢は、もうひとつのわたし。というよりも、どちらも同じわたし。
夢と現実を廻り巡るわたしから生み出される二種類の記憶。つまり、このわたしが月のわたしである記憶と、月のわたしがこのわたしである二つの記憶は、わたしの中で1つに溶け合っている。わたしは月でのことも、こちらのことでも同じように記憶しているの。
もちろん、このわたしが自分の身の回りの些細な出来事を次第に忘れてしまうように、月での出来事を忘れてしまうこともあるけれど。
例えば、女王は昨日何を食べたのか、女王が密かに誰に思いを寄せているのか、6歳の時に ατ.ι殿άλハπ. で誰にも気づかれず終わってしまった悪戯になりそこねた小さな悪戯、その全てを知っている。
この夢と現実の関係性が円環的なのか、ημσ生σρντ廻εωκεάか、螺旋的なのかは分からないけれど、今ではどちらが本当は夢を見ているのか、一体どちらが夢の主なのかを意識することは殆どないの。
だって、結局どちらも ”わたし” だから。それにどちらも同じ記憶を共有しているのだから、わたしにとって眠ることは、ある意味で目覚めること、目覚めることは、ある意味で眠ることなのよ。それらを通じて、わたしは二つの世界を行き来している。
時空間的に遠く離れた世界を生きる二人のわたしが現実で出会うことは決してないけれど、お互いの全てを知っているという意味で、誰よりも強く繋がっている。
はじめこの夢に気がついた時、この夢をとても疎ましく、それどころか憎んでさえいたわ。夢を見ている間、自分の感情、言動、願望、全てを知りながら、まるで別の人間になっているようだったから。そんな存在、鬱陶しくて仕方ないでしょう。ある見方をすれば、自分のことを常に監視しているような存在なのだから。何をする時にでももう一方の存在がちらつくのよ。”απρ未τοα ροςρςαηι υκθοο監τα ηέτουπソλίςΠε” ああ、ごめんなさい。これはこちらの諺じゃないわね。
だけど、ある時から多くの人間が、孤独に苦しみ、愛に飢え、誰かに理解されることを渇望し、それが満たされないことに絶望していることを知ったとき、わたしはむしろ幸運なのだと気が付いたわ。わたしは一人でも、夢を通じて、私は自身の悩みや葛藤、その全てを内からだけでなく、外からも理解することができるのだから。
そして、気づいたわ。これは別の存在、別の人間などではない。どちらも同じわたしなのだと。
今ではどちらもわたしも欠かせない存在、どちらもわたし自身を形作る本質として強く想っている。半身として、お互いに。二つの世界で生きるわたしを、一つに結びつけているこの関係は、本νυε在χσρノίυοα融、“愛”というに他ならないでしょう。
以前に娼館を追い出された理由。あなたは聞かないでいてくれたけど、本当は原因はこの夢にあるの。この特別な夢を見ること、これの影響、それは副次的なものだけれど、少し取り乱してしまったことがあって、お客の前で暴れてしまったのよ。それを理由に女将にクビにされてしまった。
また同じようなことにもならないとも限らないし、気味が悪いやつだと思わないかしら。それにプロポーズの返事に、こんなことを話すような女には幻滅しないかしら。もっとマシなこと言えなかったのかって。
それでも、こんなわたしと結婚すると言ってくれる?あなたはわたしのこと、わたしがわたしを愛するように、あなたもわたしを愛してくれるのかしら」
これで話せる限りのことを話したつもりだ。わたしの手は震えていた。
彼は一体なんと答えるだろう。プロポーズにこのような全く意味不明な返答をされては、いくら温厚な彼であっても、戸惑い、怒ってしまっても仕方がない。