第22話 アル工房突入作戦

文字数 3,116文字

『おやっさん。聞いての通りです。どうしますか』
『……この現場の指揮はおまえだ。レネーヴェ。おまえが決断しろ』
 いつもは場を仕切りたがるヘンリーが指示をレネーヴェに求めてきた。レネーヴェは感づいた。恐らくレネーヴェにとっての因縁がこれで最後となることに。それを見越してヘンリーは自分に指揮を任せたということを理解し、取り付けられたマイクに返事をする。
『俺みずからが先頭に立つ。なかでは何が起こっているかわからん。SAN値に自信のある者だけが俺に続け!』
 一斉に『了解!』という雄たけびにも似た返答があった。レネーヴェは薄く笑い、さらにリオメルの後を追う。
 途中、公共交通機関を乗り継いで、着いては離れ、離れては着いてを繰り返し、レネーヴェ以下十数名の隊員たちがアルの工房を周囲の住民に気取られぬよう取り囲む。まさに一触即発。そんななかで、工房の奥、倉庫のなかでは、いままさにまがまがしい呪術が行われようとしていた。
 真っ黒なローブを身に纏い、目に入れれば一瞬で正気を失われそうになる装飾品を身に着けたアルが、ひとつの瓶を棚から取り出し(さかずき)にそそいでリオメルに渡した。リオメルはすでに裸で異様な造形の大きな椅子に腰掛けている。その装飾品類にあてられているからだろうか。絹のようにうつくしかった肌は深緑いろの鱗が生えており、つつましく花びらのような口は大きく裂けるようにひらいて、粒のそろった人間の永久歯はまるでのこぎりのごとく変貌してしまっている。
 リオメルは、アルから渡された杯をかぎづめが生えた手で不器用に受け取った。カチカチと爪を杯にぶつけながら中身を一気に飲み干すと彼女の体型に変化が起こった。下腹部が異様な速度で膨らんでいって、瞬く間に臨月の妊婦の姿となり、大きくなった腹には不気味な緑の血脈が走り、ぼこぼこと不規則な動きで波打っている。リオメルはその腹を愛おしく撫でた。
「――! ――!」
 アルがひとが発したとは思えない言葉を口にすると、いま二人がいる倉庫と同じような変化――あらゆるところに臓物や触手、蛸の吸盤のようなものが生えはじめる。それらは壁や柱、床だけではなく、アルが作った人形たちにも及んだ。美しい顔立ちをした人形から見るのも不快な触手が伸びる。それらが腹の球体関節パーツからも噴き出しているものだから腸が飛び出しているかのようにも見える。ゴムの張力をうしないバラバラとなっていた人形たちは触手という名の意志と糸を手に入れて自立をはじめた。触手たちは人体の構造を理解していなかったらしい。下半身だけだったり、逆に下半身に腕がついていたり、上半身だけが這いずり回っているのもある。
「すべてだ。オレも、レネーヴェも、神も宗教も、この国も! すべて破壊してしまえ!」
 アルが世界に対する憎しみを叫ぶ。リオメルの腹が胎動を起こす。同時に空から雷鳴が轟いた。海に囲まれたこの街の海岸が、にわかに騒がしくなる。雨も降りはじめた。
「さ、寒い……」
 そこからはるか上空。変わらず迷彩テントで監視をしていた季朽葉だったが、急にふりだした冷たい雨に、大きな身体を小さくして震えていた。彼が印を結んで魔法を使おうにも手がかじかんで動かすことができないでいた。となりで体育座りをしていた骨男の獅黒がそっと季朽葉に毛布をかける。
「いいかげんストーカーをするのをやめてください。帰りましょう」
 骨男の獅黒の言葉を無視し、手をもみ合わせて双眼鏡を構える季朽葉。獅黒はおおきくため息をついて、骨の手を季朽葉の肩に乗せる。
「季朽葉! いいかげんに」
「ん? なんだあれ」
「え?」
 厚く黒々と発達した雲に疾走するひとつの影を見つけた季朽葉は目を凝らす。……背びれと尾びれが生えた、灰青色の魚のような生物二匹に面懸(おもがい)手綱(たづな)をつけ、それらを運送用の獣のように操り、大きな貝殻の戦車の上で三又の槍を構える老人に季朽葉は見覚えがあった。
「うわっ! ま、まずい! 早く門に帰ろう!」
「どうしたんですか?」
「このままだと、俺たちがいまここで死んじゃうの! あいつはヤバイ!」
「……待ってください。季朽葉が作ったこのテントの出来がよほど良いのか、それとも別の目的があるのかは分かりませんが、我々を攻撃する意図はないと思いますよ?」
 骨男の獅黒は季朽葉の手から双眼鏡を奪い取る。覗き込んだ視線の遥か先方。貝殻の戦車に乗ったノーデンスは周囲を見回るように駆けたあと海岸のまえで戦車を停めた。
「いったい、なにをしようとしているんでしょうか」
 骨男・獅黒がそう独り言を呟いたと同時に二度目の雷鳴が轟いた。町全体が停電を起こして、それをきっかけに地上のレネーヴェが叫ぶ。
『突入!』
 いくつもの事件を彼と共に解決してきたスニーカーが工房の扉を蹴り飛ばした。即座に銃を構えあちこちを見回す。追って別の捜査員も中に入ってくる。ざりざりとガラスの破片を踏み潰す音が鳴る。先頭のレネーヴェは、前方、柱のように大きい置時計に、何者かが動いているのを見た。
「動くな!」
 隠れている者は警告を無視しレネーヴェの眼前に躍り出る。全裸の、真っ白な肌をした人形だった。レネーヴェは瞬きひとつしないでそれと対峙すると、突如、腹部に設けられた球体関節から、不可視の触手が関節の隙間をこじ開けて飛び出してきた。それらはレネーヴェを攻撃せずに後ろからついてきた隊員の手足に絡みつく。現実離れをしたおぞましさと狂気にあてられて、隊員の一人が白目を剥き、もう一人の隊員は泡を吹いて転倒、別の隊員は腰を抜かして失禁した。正気を保っている隊員たちも、震え、奥歯を鳴らしている。レネーヴェはそんななかで銃の照準を正確定めた。静かに人形たちを撃っていくが、彼の機械のような銃撃も効いている様子はない。
「各員! イブン=ハジ五芒星弾装填! SAN値が減った者たちはその場で待機! 無駄撃ちするなよ!」
 レネーヴェが先頭で銃を撃ち、人形たちを牽制している後ろで、生き残った屈強な精神を持つ隊員たちは、すばやく銃の弾倉を交換する。交換を完了した隊員が、レネーヴェの弾倉を交換させるために、前方に出て射撃する。レネーヴェも弾倉を交換し前方に戻った。
 足元から、上半身が上下両方にくっつき、触手をムカデの節足のようにして歩いてくる人形がレネーヴェに迫る。
「実に悪趣味だな、アル!」
 その二つある顔はレネーヴェそのもの。無機質なガラスの瞳に見つめられるも、レネーヴェはいっさい冷静さを失わない。ただただ義務のようにして弾丸を打ち込んでいく。いままでの通常弾とは違い、特別製のこの銃弾は、神話生物ないし邪神に可視化と致命的ダメージを負わせるものだ。
 ――人形たちが倒されていく。レネーヴェと同じ顔が割れていく。アルの妄執が徐々に崩れていく。
 エントランス兼展示室を抜け、作業室を通り過ぎ、うねる触手が密集する扉のまえに彼らは辿り着いた。レネーヴェをサポートしていた隊員たちは減り続けて、すでに一名を残すのみとなった。二人は扉の横に張り付き、物音をうかがってから視線を交わした。レネーヴェはジェスチャーで突入の意志をもう一人の隊員に伝え、扉を勢いよく蹴り飛ばす。扉の向こう。時空が歪んだのだろうか。長く続く、廊下のさき。黒衣の装束に身を包んだアルが不気味な薄笑いを浮かべて立っていた。最後に残った隊員もここでSAN値を大幅に減少させて脱落、失神した。
「遅かったじゃないか。愛しのレネーヴェ」
「待たせたな。リオメルはどこだ?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リオメル【主人公】

自分に自信の無い、おどおどした地味な主婦。あることをきっかけに妖艶な美女に変容する。

レネーヴェ【主人公の夫】
容姿端麗、非の打ちどころのない男。リオメルのことを愛している。彼の就いている職業を、リオメルは知らない。かつて、アルとは深い仲だったようだが……。

アル【レネーヴェの幼馴染かつ親友】

街の芸術家。レネーヴェの親友だが、アル自身はそうとは思っていない。レネーヴェに対して偏執的な愛を向ける。

小山内【街の教会の神父】

東国とのハーフで、故郷を離れて、リオメルたちが住む街に移住してきた。非常に信心深い。孤児院を営んでいる。

季朽葉【祈りの門の番人】
リオメル、アル、レネーヴェの三人を、高次元の場所である『祈りの門』から見守っている。アルと強く関わることになり、彼にこきつかわれている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み