第11話 骨の折れる男
文字数 2,051文字
「落ち着いて。俺は君の夫じゃない」
節の目立つ大きな手が、リオメルの肩にそっと添えられる。季朽葉は、いまだに震えるリオメルへ、心配そうに声をかける。
「わたくしは、わたくしは! 娼婦も同然なのです! わたくしは、綺麗な身体で夫と出会いたかった!」
「……それが君の願い?」
ゆっくりと頷くリオメル。彼女は決意する。
「良いだろう。では、天寿を全うしたあとに、ふたたび君が夫の生まれ変わりと出会い、人生をやりなおせるように、願いを叶えてあげる」
季朽葉の手のひらがリオメルの胸に翳される。まばゆい光が放たれて、ゆっくりと、小さな小さなもみじの葉が抜き取られていく。がくん、とリオメルの身体が力を失くした。その軽い身体を季朽葉が抱きかかえると、すぐに指先や足先から崩れはじめ、小さな葉となって風に煽られて消えていった。
現実のリオメルが起きはじめている。
すると、そこで不機嫌そうな男の声が、祈りの門の入口にひびいた。アルだった。
――おい。キクチバ。やってほしいことがある。
「……わかったよ」
アルは感傷に浸る時間も与えないらしい。季朽葉は手に持った鈴を鳴らして祈りの門をくぐる。出る場所は、アルの工房の倉庫だ。そこでは、衣服を破られた人間の姿のリオメルが倒れていて、そばでは半裸のアルが床で座り込んで煙草をくゆらせていた。季朽葉はそこで何があったのかを察した。
「ちょっと、これ。持ってて」
アルは、吸っていた煙草を季朽葉に持つように指示し、不思議に思いながら季朽葉はそれを受け取る。すると。
「う、うぉえぇっ……!」
床にかがみ込んで、アルはその場で胃の中身を吐き出した。なにも食べていなかったらしく胃液と思われる液体しか出てきていない。一通り吐いて、エプロンで口を拭きつつ、アルは季朽葉に渡した煙草を奪う。
「どうして女はどこもかしこも柔らかくて気持ちが悪いんだろうね。この女がレネーヴェと同じ髪と目のいろで助かったよ」
「……俺を呼んだ理由は?」
「本当ならここに監禁しておくつもりだったんだけれども、どうしてか邪神の姿が戻っちゃったから、この女を門を介して自宅まで送っておいて。ここから出したんじゃあ足がついちゃうからな」
「わかった」
床に倒れたままのリオメルを季朽葉は横抱きにして音もなく姿を消す。アルは、まぐわいの痕跡を誤魔化すように紫煙を吐き続けている。
一方の季朽葉は、アルから背を向けた一瞬の隙に魔法を使い、リオメルの状態をできる限り修復したあと、いったん祈りの門に戻った。しかし両手でリオメルを抱きかかえているので開門の鈴を鳴らすことができない。仕方がなく、季朽葉は社のまえで大きな声を出して番人のひとりの名前を叫んだ。
「獅黒! 聞こえるか!」
はーい! と、真っ暗な廊下の奥から上機嫌な返事があった。木製の廊下を踏み鳴らしてやってきたのは、黒い狐面を頭に乗せた、黒髪黒瞳の、骨のように細い男。それは比喩表現ではなく、男の身体の半分は骨が露出していて肉とのつなぎ目は幽霊のように透明だった。周囲には青紫の鬼火がゆらゆらと漂い、服装は現代的だが、醸し出す雰囲気のためか江戸時代の妖怪浮世絵にも感じられる。しかし、異世界に居た季朽葉にはそのように思い起こすことはできなかった。その骨だけの手には鈴が持たれている。
「おや。どうしました。その可愛い女の子は青螺でしょうか」
「ああ。客からの依頼で移動させることになったから、門をひらいてくれないか」
「困りましたねえ。僕は門を開くのが苦手なのに。なにせほら、筋肉が無くて腕が振れませんので」
ね? と骨だけの右腕を揺らす獅黒。季朽葉は彼の小馬鹿にするような態度にむっとしながらも、彼に代替案を出す。門を開くのには多大な集中力を必要とする。つまり獅黒は面倒なのだった。
「ならば、俺が門を開くから、彼女を抱きかかえてくれないか」
「んふふふ。良いですよ。まったく季朽葉の要求は骨が折れますね」
入れ替わりにリオメルを抱く獅黒。肉が無いという割にはしっかりと抱き支えている。二人は連れ立って鳥居のまえに立ち、獅黒は微動だにせず、季朽葉は目を閉じて意識を統一する。さまざまな世界を検索。すくいあげて、形を明確にし、よどみなく、一気に鈴を鳴らすと、鳥居のさきに虹いろの水面があらわれた。季朽葉は獅黒からリオメルを受け取り、前へと踏み出す。
「すまないがあとを頼む」
「いいですよ。お代はあなたの首の骨が折れる音でおねがいしますね」
「残念だが俺の首はもう無い。ほかのものにしてくれ」
くすくすくす。獅黒は、その貴公子然とした後ろ姿を、骨だけの手のひらを頬に当てて嘲笑う。そんな笑い声をあとにし、季朽葉はリオメルを抱いて彼女の部屋に戻り、周囲を見回す。ベッドサイドテーブルにはライトが置いてあり、すぐしたには時計が時を刻んでいた。季朽葉にはその数字が読めなかったものの、外の明るさから、夜明けであると推測をした。
節の目立つ大きな手が、リオメルの肩にそっと添えられる。季朽葉は、いまだに震えるリオメルへ、心配そうに声をかける。
「わたくしは、わたくしは! 娼婦も同然なのです! わたくしは、綺麗な身体で夫と出会いたかった!」
「……それが君の願い?」
ゆっくりと頷くリオメル。彼女は決意する。
「良いだろう。では、天寿を全うしたあとに、ふたたび君が夫の生まれ変わりと出会い、人生をやりなおせるように、願いを叶えてあげる」
季朽葉の手のひらがリオメルの胸に翳される。まばゆい光が放たれて、ゆっくりと、小さな小さなもみじの葉が抜き取られていく。がくん、とリオメルの身体が力を失くした。その軽い身体を季朽葉が抱きかかえると、すぐに指先や足先から崩れはじめ、小さな葉となって風に煽られて消えていった。
現実のリオメルが起きはじめている。
すると、そこで不機嫌そうな男の声が、祈りの門の入口にひびいた。アルだった。
――おい。キクチバ。やってほしいことがある。
「……わかったよ」
アルは感傷に浸る時間も与えないらしい。季朽葉は手に持った鈴を鳴らして祈りの門をくぐる。出る場所は、アルの工房の倉庫だ。そこでは、衣服を破られた人間の姿のリオメルが倒れていて、そばでは半裸のアルが床で座り込んで煙草をくゆらせていた。季朽葉はそこで何があったのかを察した。
「ちょっと、これ。持ってて」
アルは、吸っていた煙草を季朽葉に持つように指示し、不思議に思いながら季朽葉はそれを受け取る。すると。
「う、うぉえぇっ……!」
床にかがみ込んで、アルはその場で胃の中身を吐き出した。なにも食べていなかったらしく胃液と思われる液体しか出てきていない。一通り吐いて、エプロンで口を拭きつつ、アルは季朽葉に渡した煙草を奪う。
「どうして女はどこもかしこも柔らかくて気持ちが悪いんだろうね。この女がレネーヴェと同じ髪と目のいろで助かったよ」
「……俺を呼んだ理由は?」
「本当ならここに監禁しておくつもりだったんだけれども、どうしてか邪神の姿が戻っちゃったから、この女を門を介して自宅まで送っておいて。ここから出したんじゃあ足がついちゃうからな」
「わかった」
床に倒れたままのリオメルを季朽葉は横抱きにして音もなく姿を消す。アルは、まぐわいの痕跡を誤魔化すように紫煙を吐き続けている。
一方の季朽葉は、アルから背を向けた一瞬の隙に魔法を使い、リオメルの状態をできる限り修復したあと、いったん祈りの門に戻った。しかし両手でリオメルを抱きかかえているので開門の鈴を鳴らすことができない。仕方がなく、季朽葉は社のまえで大きな声を出して番人のひとりの名前を叫んだ。
「獅黒! 聞こえるか!」
はーい! と、真っ暗な廊下の奥から上機嫌な返事があった。木製の廊下を踏み鳴らしてやってきたのは、黒い狐面を頭に乗せた、黒髪黒瞳の、骨のように細い男。それは比喩表現ではなく、男の身体の半分は骨が露出していて肉とのつなぎ目は幽霊のように透明だった。周囲には青紫の鬼火がゆらゆらと漂い、服装は現代的だが、醸し出す雰囲気のためか江戸時代の妖怪浮世絵にも感じられる。しかし、異世界に居た季朽葉にはそのように思い起こすことはできなかった。その骨だけの手には鈴が持たれている。
「おや。どうしました。その可愛い女の子は青螺でしょうか」
「ああ。客からの依頼で移動させることになったから、門をひらいてくれないか」
「困りましたねえ。僕は門を開くのが苦手なのに。なにせほら、筋肉が無くて腕が振れませんので」
ね? と骨だけの右腕を揺らす獅黒。季朽葉は彼の小馬鹿にするような態度にむっとしながらも、彼に代替案を出す。門を開くのには多大な集中力を必要とする。つまり獅黒は面倒なのだった。
「ならば、俺が門を開くから、彼女を抱きかかえてくれないか」
「んふふふ。良いですよ。まったく季朽葉の要求は骨が折れますね」
入れ替わりにリオメルを抱く獅黒。肉が無いという割にはしっかりと抱き支えている。二人は連れ立って鳥居のまえに立ち、獅黒は微動だにせず、季朽葉は目を閉じて意識を統一する。さまざまな世界を検索。すくいあげて、形を明確にし、よどみなく、一気に鈴を鳴らすと、鳥居のさきに虹いろの水面があらわれた。季朽葉は獅黒からリオメルを受け取り、前へと踏み出す。
「すまないがあとを頼む」
「いいですよ。お代はあなたの首の骨が折れる音でおねがいしますね」
「残念だが俺の首はもう無い。ほかのものにしてくれ」
くすくすくす。獅黒は、その貴公子然とした後ろ姿を、骨だけの手のひらを頬に当てて嘲笑う。そんな笑い声をあとにし、季朽葉はリオメルを抱いて彼女の部屋に戻り、周囲を見回す。ベッドサイドテーブルにはライトが置いてあり、すぐしたには時計が時を刻んでいた。季朽葉にはその数字が読めなかったものの、外の明るさから、夜明けであると推測をした。