第18話 水を得た魚

文字数 3,577文字

 同時にヘリコプターのプロペラ音もリオメルほか住民たちの耳に入る。救急車が止まると、なかから応急処置の道具を大量に抱えた隊員たちが彼らのもとへと走った。
「もしもし! 聞こえますか!」
 退院はリオメルの横で寝かされている小山内に大きく声を掛ける。即座に彼の所持品を取り出して名前を確認、彼の名を呼んだ。
「小山内さん、聞こえますか! 小山内さん!」
「……は、はい……」
 顔を歪ませながら応答する小山内。その間に、別の隊員が怪我をした腕の処置を施していく。同時にリオメルらも処置が行われたが、リオメルは小山内に庇われたために軽傷で、レネーヴェも、爆発位置から離れていたために手のひらの擦った以外はほぼ無傷である。
「彼の付き添いのかたですか」
「はい」
 リオメルとレネーヴェはそのように答えた。念のために隊員らは彼女らの状態も確認したのち、救急車に乗って病院に向かうことを伝え、他のけが人たちの方へと走っていった。
「大丈夫かい」
「ええ」
 リオメルの態度が落ち着いているので、レネーヴェは、彼女の気が動転していて反応が薄いのだろうと考えた。自分が来ていたジャケットを脱ぎ彼女の肩に掛けたあと、肩をそっと(いだ)いた。小山内はすでに担架に乗せられて救急車に入っている。二人もまた救急車に乗り込んだ。救急隊員は二人の指にクリップのようなものをつけた。
「脈をはかりますね」
 すぐにサイレンがなり、救急車はスピードをあげていく。内部は人命救助に使われる機材がところ狭しと並べられており、人の座るスペースは非常に少なかった。リオメルはともかく背の高いレネーヴェには窮屈だ。しばらくして救急車が停まる。二人は隊員に促されて車から降りた。
 病院のなかは怪我人でごった返していた。かろうじて空いていた椅子に二人は並んで座った。数分待たされたのち、二人に近づいてくる人物があった。
「いくつかお聞きしたいことがございます」
 どうやら警察官のようだ。二人は、彼に手渡されたファイルに挟まれた紙に記入したのち、解放される。入れ替わりで看護師がやってくる。
「お連れの方ですが命に別状はありませんでした。骨折などはありませんが、念のためしばらく入院することになります」
「彼の意識は?」
「意識もはっきりしています。お会いしていきますか?」
 二人は同時に返事をする。
「ではこちらへ」
 看護師に連れられて病室へ向かうレネーヴェとリオメル。歩いて行く廊下にもけが人が溢れかえっている。レネーヴェはその様子に顔をしかめたが、リオメルはいまだ無表情のままだ。やがてやってきたのは六人部屋。入ってすぐ左のベッドに小山内が横になっていた。看護師が退室する。
「お二人とも、怪我はありませんか」
 彼が掛ける割れた丸眼鏡のレンズが、爆発の衝撃の強さを物語っていた。リオメルはそばにあったパイプ椅子を取り出して腰掛ける。
「リオメルさん……。無事でなによりです」
 レネーヴェの手前、二人のあいだに会話は少ない。
「ところで神父さま。お怪我をされている状態で、教会のことなどは可能なのでしょうか?」
 とレネーヴェは彼に問いかける。小山内は静かに首を振った。
「教会は他の地域の神父に頼んで開くことはできるでしょう。ですが、子どもたちが、わたしは心配です」
「子どもたち、とは」
「教会の横に孤児院があります。わたしもそこに住んで、一緒に暮らしているのですが……まだやんちゃざかりの幼い子たちなのです……」
 ベッドに横になっている小山内は怪我をした腕をさする。そこでレネーヴェがリオメルにこう提案をした。
「ねえ、リオメル。孤児院を手伝うことはできない?」
「え? ええ」
 うっかりと返事をしてしまったリオメルに、「本当ですか!」と小山内はベッドから勢いよく起き上がる。が、すぐに痛みを感じたのか、すぐに身をかがめて呻いた。
「ありがとうございます!」
 息も絶え絶えながら嬉しそうに礼を述べる小山内と、ニコニコ顔のレネーヴェに、リオメルは完全に負けてしまい、静かにひとこと「はい」とつぶやいた。

 小山内の入院期間は意外にも短いものとなった。病床の数が少なく、比較的軽傷だったのもあり、早々に追い出されることになったのだ。小山内は、毎日通信で教会の子どもたちと連絡をしていたものの、心配になり、退院日の当日となってしまったが、リオメルに様子を見てもらうことにした。
 当のリオメルは、じつはそこまで忙しくはない。リオメルがアルの教室に行く日は毎週水曜日。ほかの日は家事をしたり、家での創作に当てている。もちろん空き時間は存在するが、ほぼほぼアルとの密会だった。メッセージアプリケーションを操作しながらアルへの文章を考えるリオメル。そのうち面倒になり、〝しばらくあなたとは会わないわ〟という簡単なメッセージを送ったあと、座っていたリビングのソファに連絡端末を放り投げた。
「子ども、ね……。神父さまの高潔な(つら)を崩してやりたいし……餓鬼どもの世話をしていれば良い案が浮かぶかもしれないわね」
 彼女の頭に浮かんだのは自室にある人形たちだ。どれも人の形を逸脱し、果ては鈍器でわざと壊されているものもある。リオメルが心底楽しそうに笑うと無造作に置かれた端末が鈍い音を立てて振動する。小山内だった。
「あら。神父さま、どうしました」
「いえ、その。声を……じゃなかった。あなたが今日、子どもたちのところに向かってくれるのか、心配になりまして」
 見え透いた嘘。吊り橋効果というやつだろう。しかも小山内自身に恋の自覚がないようだ。リオメルは電話越しの初心な男に妙な興奮を覚えながら、表向きは平静を装い、答える。
「まあ。信用がないのね。もちろん向かいますことよ」
「面目ない。それでは、よろしくお願い致します」
 すぐに通信が切れる。自分勝手で、余裕のない、若々しい切り方に、リオメルは、まるで肉食獣の如く舌で唇を舐めた。
「楽しくなりそうね」
 外出用のバッグを持って、リオメルは鼻歌を奏でながら玄関へと向かった。向かうは小山内の教会である。家を出て、車道沿いに歩いて、十字路を曲がり、路地に入ったところで、リオメルは違和感に気づいた。
 明らかに誰かが彼女のことを着けている。リオメルは化粧直しをするふりをして、ファンデーションのコンパクトの鏡を使い後方を見た。そこには夫レネーヴェとと同じ姿がある。リオメルは振り向いて、ヒールのかかとを大きく鳴らし、レネーヴェに近づいた。
「驚いたわ。あなた、夢から出られるのね。これはどういう風の吹き回しかしら」
「なっ……なんのことかな……?」
「しらばくれても無駄ですわよ。キクチバ」
 正体を看破されたレネーヴェ、もとい、季朽葉は、後ろでくくった首元までの長さの髪をほどいた。空気をふくんだ癖毛がふわりと広がる。
「その服はどうしたのかしら。たしか前は古めかしい格好でしたわね」
「ほかの依頼者に貰ったんだよ」
「あと、こそこそ着けて何の用?」
「君のことが心配になって、つい……」
「心配……?」
 は! と気弱な季朽葉の言葉を、リオメルは鼻で笑う。
「おあいにくさま。わたくしにはもう怖いものなんてないわ。あなたがわたくしの心から『怯え』を抜き取ってくれたおかげよ。わたくしは誰をも愛するし、誰をも憎むわ。わたくしを犯したアルのことも好き。もちろん夫レネーヴェも愛している。キクチバ。わたくしは感謝しているのよ。わたくしの心の枷をはずしてくれて本当にありがとう。みんな、みんな、わたくしのように壊れてしまえばいいの。自分の根底にあるものが崩れ去っていく瞬間はとても楽しいものよ? とっても楽になれるわ。そうそう、聞いてくださる? これから神父さまが大事にしている子供たちのところに会いにいくの。わたくし、愛されている子どもなんて大嫌い。どう料理してあげようかしら……」
 うふふ、とリオメルは歪んだ笑みを浮かべる。足を軽く上げ、踊るようにして一歩踏み出し、くるりとその場でターンする。ギャザーのたっぷりと入った二段切り替えのスカートが、魚のヒレのように緩やかに広がった。
「リオメル……その」
 悲痛な顔をする季朽葉へリオメルはしなを作りながら近づいた。季朽葉の胸に、白魚のような指先を這わせ、上目遣いに彼を見る。彼の記憶とは違う、彼の思い出のひとと同じ顔を見ていられなくなって、季朽葉はリオメルの顔から目を逸らす。
「うふふ。夫とおなじ顔の癖に意気地無しなのね。あのひとの方が何百倍もかっこいいわ。……それじゃあ、わたくし、さきに行くわね」
 その場に硬直して動けない季朽葉を置いて、リオメルは先に進んでいく。
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登場人物紹介

リオメル【主人公】

自分に自信の無い、おどおどした地味な主婦。あることをきっかけに妖艶な美女に変容する。

レネーヴェ【主人公の夫】
容姿端麗、非の打ちどころのない男。リオメルのことを愛している。彼の就いている職業を、リオメルは知らない。かつて、アルとは深い仲だったようだが……。

アル【レネーヴェの幼馴染かつ親友】

街の芸術家。レネーヴェの親友だが、アル自身はそうとは思っていない。レネーヴェに対して偏執的な愛を向ける。

小山内【街の教会の神父】

東国とのハーフで、故郷を離れて、リオメルたちが住む街に移住してきた。非常に信心深い。孤児院を営んでいる。

季朽葉【祈りの門の番人】
リオメル、アル、レネーヴェの三人を、高次元の場所である『祈りの門』から見守っている。アルと強く関わることになり、彼にこきつかわれている。

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