第9話 願い
文字数 2,930文字
長身のレネーヴェと、がっしりとした体形でひげを蓄えたヘンリーが並んで歩いているさまは、周囲から見れば威圧感しかない。
二人がコンビを組んだのはレネーヴェが捜査局に入局したときからだ。そもそもヘンリーの相棒はレネーヴェの父親で、それが、ある邪教団体の捜査・突入の際、信者たちが使う武器と呪いにあてられて殉職したのだった。当時カレッジで学んでいたレネーヴェは捜査局に入局できるほどの成績はなかった。父の死をうけて勉学に励んだ結果、首席で卒業、異教捜査局に入局したという経緯がある。
ヘンリーは乗り込んだ車のハンドルを握り、レネーヴェが後部座席に乗ったのを確認してからエンジンスターターボタンを押した。立場上、ヘンリーは叩き上げでレネーヴェがキャリアと呼ばれる立場のためいつもヘンリーが運転している。
「……いま思えば、おまえはよくここに就職できたなと思うよ。今度カレッジに通ううちの娘にもその秘訣を教えてやってくれないか。勉強嫌いでなあ」
「やめておいたほうが良いですよ」
レネーヴェは口元に指を持っていき顎を撫でながら薄く笑う。
「ああん? 出し惜しみかあ?」
「そんなんじゃないです。絶対に復讐をすると、ただ俺は
「おまえ、変な神にアクセスしたんじゃないだろうな。そうだとしても俺はおまえを告発したりしねえけどよ」
「ふふ。どうでしょうね……」
信号が赤になる。ヘンリーは謎めいた笑みを浮かべるレネーヴェをバックミラー越しに見てから、最近発売された無煙無臭の電子タバコを咥え、電源ボタンを押した。
「おやっさん、昨日禁煙宣言したばかりじゃないですか」
「おまえがヘンテコなことばかり言うからだ!」
呆れ色の青の瞳が中空を見る。信号もおなじく青に変わって、車が発進する。竦めた肩を下げてレネーヴェはふたたび連絡端末を取り出した。画面をタップし整理された写真群から選び出したのは、リオメルとの結婚式のときの写真と、そして、死んでしまった父親の写真。順に見ていって、もう一度リオメルの花のような笑顔を瞳に焼き付けてから、スーツの内ポケットに仕舞う。無言の時間が数分経ったころに車が止まった。彼らが乗る車両を見るや否や、停車した商店から、小太りの男が額に汗を垂らしながら駆け足でやってくる。
「捜査局の者です」
降車し、商店の店長のまえに立って局員証を見せる二人。店長は、言葉を詰まらせながら彼らを呼んだ経緯を説明した。
「そ、そこに、段ボール箱が」
震える声で店長が指を差す。そこには、すでに外装が破れて汚らしい液体を吹き出させた、両手で抱えられるくらいの箱があった。ときどき動いて無数に開いた穴からにゅるにゅると触手を出している。
「……レネーヴェ。爆発物処理班と神話生物討伐班に連絡を」
「了解」
レネーヴェは対象を見ながら無線で連絡をする。一方のヘンリーは懐から小さなカプセルを取り出して地面に置いた。革靴の踵で勢いよく踏み潰すと、そこから、雷のような一筋の光が段ボール箱に向かって走り、対象にはぶつからずに周りを囲い五芒星がえがかれた。さらに、ヘンリーはポケットから三又のフォークのようなものを五本取り出して、五芒星の頂点へ、対象を刺激しないように地面へと差していく。一連の作業が終わると段ボールの動きが弱まった。
「いつもこのときだけは緊張するなあ、おい」
「ええ。申し訳ありません。本来なら俺がやるべきなのに」
「仕方ねえだろ。おまえはなんでか旧神との共鳴適正がねえんだから。しっかし、大抵の人間にあるもんなんだが、おまえだけはからっけつってのがわけがわかんねえよなあ。――あ、もしかしておまえ、邪神の生まれ変わりかもなあ?」
「笑えない冗談はやめてくださいよ」
ニヒヒ、と意地悪く笑うヘンリーに対し、苦笑いで返すレネーヴェ。彼らが仕事の息抜きで喋っていると、ほどなくして局車両のサイレンの音が近づいてくる。数台の車が彼らの近くで止まって、作業服を着た者たちが降り、ヘンリーとレネーヴェに敬礼をしたあと段ボール箱を囲んで処理をはじめる。最後まで気を抜けないもののもう爆発の心配はない。
「おまえの親父さんのためにも、早く実行犯を見つけないとな」
懸命に処理をつづける作業班の姿を見ながら、レネーヴェは同僚の言葉に、やや遅れて返事をした。
レネーヴェとの通信を切ったあと、一通りの家事を終えたリオメルは、気分を変えてコーヒーではなく紅茶を淹れていた。唇から紅茶のカップを離して湯気越しにカレンダーを見る。そのときドアフォンが鳴った。
「はい」
「お届け物です」
玄関の扉をひらくと、ふわふわとその場に浮いているドローンが両手で抱えられる大きさの荷物を吊り下げていた。リオメルは両腕を伸ばしてその荷物を受け取る。
「ありがとうございました~」
ドローンロボットは陽気な声で礼を言った。一度ホバリングをしてリオメルの元から飛び去っていく。いま受け取ったものは通販サイトから買った人体デッサン図である。家での自学習に使おうと購入していたものだった。いったん机のうえに置いて丁寧に包装を取り去ると、ま新しいインクの匂いがさきほど飲んだ紅茶の匂いと混ざった。
自分を見つめなおす。教室にてアルに言われたことを反芻 する。そして……記憶の片隅にある言葉も、水泡のように浮かび上がった。
――ははは! 悩むよね。でもね、いま君が考えたことよりも、もっと深い、心の奥底にあるものを探してごらん。大丈夫、時間はあるから。
いったいあの夢は何だったのか。異国の地の神殿に、夫と同じ顔をした優しい男。そして、願いを叶えられる場所。――願い。
方眼紙を広げ、リオメルは鉛筆をそのうえに走らせる。デッサン図を見ながら、ときどき消しゴムで消しながら、等身が、肉付きが、骨の太さが徐々に定まっていく。
十歳前後の少女。ふくよかで、頬は丸く、愛らしく……。
「……」
そこまで方眼紙に描いて、リオメルはいったんそれらすべてに消しゴムを掛けた。そして再度、筆跡の残る紙に描き込んだ。
食べることができず痩せ気味で、部屋に閉じ込められ、日を浴びることなく育てられ、血色の悪い青白い肌を持つ少女。仮にこの人形を作って家に持って帰ってきたら。夫は気味悪がるだろうか? それとも抱き締めてくれるだろうか? そんな思いがリオメルの胸に沸き上がるがそのどれにも恐怖は無かった。そうだ。この心だったのだ。アルが言った言葉の意味は、この境地だったのだ。だが、骨盤付近を描こうとしたとき唐突に手が止まった。
鱗を、皮膚に刻むかどうか。
教室で教える傍ら、自分の作品を作っていたアルを見ていて、リオメルは分かったことがある。粘土で作られる人形は乾燥した後に削って形を整える。粘土を盛る作業よりも実はこちらの作業のほうが多い。リオメルは人形に彫刻刀の刃を立てることになる。
「大丈夫。きっと、大丈夫」
鉛筆が握りなおされ、図は徐々に精度が増していき、まもなくして完成となる。リオメルは、次の教室が楽しみで仕方がなかった。
二人がコンビを組んだのはレネーヴェが捜査局に入局したときからだ。そもそもヘンリーの相棒はレネーヴェの父親で、それが、ある邪教団体の捜査・突入の際、信者たちが使う武器と呪いにあてられて殉職したのだった。当時カレッジで学んでいたレネーヴェは捜査局に入局できるほどの成績はなかった。父の死をうけて勉学に励んだ結果、首席で卒業、異教捜査局に入局したという経緯がある。
ヘンリーは乗り込んだ車のハンドルを握り、レネーヴェが後部座席に乗ったのを確認してからエンジンスターターボタンを押した。立場上、ヘンリーは叩き上げでレネーヴェがキャリアと呼ばれる立場のためいつもヘンリーが運転している。
「……いま思えば、おまえはよくここに就職できたなと思うよ。今度カレッジに通ううちの娘にもその秘訣を教えてやってくれないか。勉強嫌いでなあ」
「やめておいたほうが良いですよ」
レネーヴェは口元に指を持っていき顎を撫でながら薄く笑う。
「ああん? 出し惜しみかあ?」
「そんなんじゃないです。絶対に復讐をすると、ただ俺は
あの場所
に祈っただけ」「おまえ、変な神にアクセスしたんじゃないだろうな。そうだとしても俺はおまえを告発したりしねえけどよ」
「ふふ。どうでしょうね……」
信号が赤になる。ヘンリーは謎めいた笑みを浮かべるレネーヴェをバックミラー越しに見てから、最近発売された無煙無臭の電子タバコを咥え、電源ボタンを押した。
「おやっさん、昨日禁煙宣言したばかりじゃないですか」
「おまえがヘンテコなことばかり言うからだ!」
呆れ色の青の瞳が中空を見る。信号もおなじく青に変わって、車が発進する。竦めた肩を下げてレネーヴェはふたたび連絡端末を取り出した。画面をタップし整理された写真群から選び出したのは、リオメルとの結婚式のときの写真と、そして、死んでしまった父親の写真。順に見ていって、もう一度リオメルの花のような笑顔を瞳に焼き付けてから、スーツの内ポケットに仕舞う。無言の時間が数分経ったころに車が止まった。彼らが乗る車両を見るや否や、停車した商店から、小太りの男が額に汗を垂らしながら駆け足でやってくる。
「捜査局の者です」
降車し、商店の店長のまえに立って局員証を見せる二人。店長は、言葉を詰まらせながら彼らを呼んだ経緯を説明した。
「そ、そこに、段ボール箱が」
震える声で店長が指を差す。そこには、すでに外装が破れて汚らしい液体を吹き出させた、両手で抱えられるくらいの箱があった。ときどき動いて無数に開いた穴からにゅるにゅると触手を出している。
「……レネーヴェ。爆発物処理班と神話生物討伐班に連絡を」
「了解」
レネーヴェは対象を見ながら無線で連絡をする。一方のヘンリーは懐から小さなカプセルを取り出して地面に置いた。革靴の踵で勢いよく踏み潰すと、そこから、雷のような一筋の光が段ボール箱に向かって走り、対象にはぶつからずに周りを囲い五芒星がえがかれた。さらに、ヘンリーはポケットから三又のフォークのようなものを五本取り出して、五芒星の頂点へ、対象を刺激しないように地面へと差していく。一連の作業が終わると段ボールの動きが弱まった。
「いつもこのときだけは緊張するなあ、おい」
「ええ。申し訳ありません。本来なら俺がやるべきなのに」
「仕方ねえだろ。おまえはなんでか旧神との共鳴適正がねえんだから。しっかし、大抵の人間にあるもんなんだが、おまえだけはからっけつってのがわけがわかんねえよなあ。――あ、もしかしておまえ、邪神の生まれ変わりかもなあ?」
「笑えない冗談はやめてくださいよ」
ニヒヒ、と意地悪く笑うヘンリーに対し、苦笑いで返すレネーヴェ。彼らが仕事の息抜きで喋っていると、ほどなくして局車両のサイレンの音が近づいてくる。数台の車が彼らの近くで止まって、作業服を着た者たちが降り、ヘンリーとレネーヴェに敬礼をしたあと段ボール箱を囲んで処理をはじめる。最後まで気を抜けないもののもう爆発の心配はない。
「おまえの親父さんのためにも、早く実行犯を見つけないとな」
懸命に処理をつづける作業班の姿を見ながら、レネーヴェは同僚の言葉に、やや遅れて返事をした。
レネーヴェとの通信を切ったあと、一通りの家事を終えたリオメルは、気分を変えてコーヒーではなく紅茶を淹れていた。唇から紅茶のカップを離して湯気越しにカレンダーを見る。そのときドアフォンが鳴った。
「はい」
「お届け物です」
玄関の扉をひらくと、ふわふわとその場に浮いているドローンが両手で抱えられる大きさの荷物を吊り下げていた。リオメルは両腕を伸ばしてその荷物を受け取る。
「ありがとうございました~」
ドローンロボットは陽気な声で礼を言った。一度ホバリングをしてリオメルの元から飛び去っていく。いま受け取ったものは通販サイトから買った人体デッサン図である。家での自学習に使おうと購入していたものだった。いったん机のうえに置いて丁寧に包装を取り去ると、ま新しいインクの匂いがさきほど飲んだ紅茶の匂いと混ざった。
自分を見つめなおす。教室にてアルに言われたことを
――ははは! 悩むよね。でもね、いま君が考えたことよりも、もっと深い、心の奥底にあるものを探してごらん。大丈夫、時間はあるから。
いったいあの夢は何だったのか。異国の地の神殿に、夫と同じ顔をした優しい男。そして、願いを叶えられる場所。――願い。
方眼紙を広げ、リオメルは鉛筆をそのうえに走らせる。デッサン図を見ながら、ときどき消しゴムで消しながら、等身が、肉付きが、骨の太さが徐々に定まっていく。
十歳前後の少女。ふくよかで、頬は丸く、愛らしく……。
「……」
そこまで方眼紙に描いて、リオメルはいったんそれらすべてに消しゴムを掛けた。そして再度、筆跡の残る紙に描き込んだ。
食べることができず痩せ気味で、部屋に閉じ込められ、日を浴びることなく育てられ、血色の悪い青白い肌を持つ少女。仮にこの人形を作って家に持って帰ってきたら。夫は気味悪がるだろうか? それとも抱き締めてくれるだろうか? そんな思いがリオメルの胸に沸き上がるがそのどれにも恐怖は無かった。そうだ。この心だったのだ。アルが言った言葉の意味は、この境地だったのだ。だが、骨盤付近を描こうとしたとき唐突に手が止まった。
鱗を、皮膚に刻むかどうか。
教室で教える傍ら、自分の作品を作っていたアルを見ていて、リオメルは分かったことがある。粘土で作られる人形は乾燥した後に削って形を整える。粘土を盛る作業よりも実はこちらの作業のほうが多い。リオメルは人形に彫刻刀の刃を立てることになる。
「大丈夫。きっと、大丈夫」
鉛筆が握りなおされ、図は徐々に精度が増していき、まもなくして完成となる。リオメルは、次の教室が楽しみで仕方がなかった。