第19話 子供たち

文字数 3,009文字

「違うよ。俺が君から抜き取ったものは『怯え』なんかじゃない。『神への信仰』なんだ。ごめん、本当に、ごめん」などという嘆きの声はリオメルに聞こえるはずもない。うつむく季朽葉の姿はやがて消える。
 季朽葉の悲しみも後悔もリオメルにはなんら関係のないことだった。以前はデニムパンツにティーシャツといった性別を感じさせない服装を好んでいたリオメルだったが、いまや高いヒールを履きこなして、身体の線があらわとなるスカートなどを身に着けていた。何度、リオメルの履くヒールが、この国の宗教に冒涜という杭を打ち込んだだろうか。リオメルが立ち止まるとその音が消える。
 歴史を感じさせるこぢんまりとした建物。エントランスゲートはゆるやかにアーチを描き、太陽光を反射させる白い外壁はまぶしいほどだ。高くそびえる鐘塔は薄緑の屋根で、さらにうえにはノーデンスを象徴する三又の槍を模したシンボルがある。薔薇窓の額縁は、町の教会なのもあって小規模で、額縁の意匠もそこまで凝ってはいない。
 リオメルははじめてまじまじと教会を見たがすぐに視線を前に戻した。教会の横に併設されている建物の前に行き、呼び鈴を鳴らす。ばたばたと元気な足音が迫ってきたかと思うと、二人の子どもが扉を勢いよくひらいて飛び出してくる。
「神父さま! おかえり!」
「おかえりー!」
 リオメルと鉢合わせた二人は、玄関に現れた人物が想像とは違ったためなのか肩を落とし、さらには顔をくしゃくしゃにして涙ぐみはじめる。
「う、うええ」
「誰なの、おばちゃん! 神父さまはどこ」
「……」
 おばさん、と言われたリオメルの口の端と眉頭が一度だけぴくりと動く。子供相手に本気で怒るのも大人げない。リオメルはひとつ咳払いをしてから小さな子どもたちを見下げた。
「あなたがた。神父さまからは礼儀というものを教わらなかったのかしら? わたくしはリオメル。神父さまからあなたたちの監視を頼まれましてよ」
 リオメルは無遠慮に孤児院の内部へ入っていくが、子どもたちが必死に静止をはじめる。
「あ! だめだよおばちゃん!」
「片付いていないの!」
 子供たち二人はリオメルの足とスカートにしがみつく。
「離しなさい。このスカートは、あなたがたが大人になって身を粉にして働いても、とうてい払いきれないほどの値段ですわよ」
 うわー! やだー! というかん高い悲鳴に耳をふさごうにもスカートを引きずり降ろされかねない状況に手を離すこともできない。なんとか子供たちごと引き摺って、エントランスを通り抜けて居間と思われる扉のドアノブを握る。
 ドアをひらいた先は凄惨としか言えなかった。壁には画用紙にクレヨンで描かれた、子ども特有の雑なポスターが連続で貼られており『神父さまおかえりなさい』とある。机のうえには二人が料理に挑戦しようとしたのだろう痕跡があった。置かれた金属ボウルからはケーキの種と考えられる液体が飛び散り、ガスレンジには焦げ付いた鍋が放置されている。リオメルは額に手を当てて大きく息を吐いた。
「神父さまからやんちゃな子たちだと言われておりましたけれども、ここまでとは」
「……」
「……さっきからおばちゃんなんなのさ。僕たちになにも関係ないくせに!」
 ギロリ、と冷たい色の瞳が下に動いて、二人のうちの薄い茶色の少年のほうが竦み上がる。
「関係ないことはありませんわ。わたくしは神父さまに命を助けられました。これはいわば恩返し。……あなたがたもそうなのでしょう? なのに、よくもまあこんな恩を仇で返すような真似ができますこと」
「わざとじゃないもん……一所懸命にやったらこうなったんだもん」
 今度は髪を三つ編みに結んだ女の子のほうが目に涙をためる。そんな彼女を、リオメルは慰める気もないらしい。
「結果がともなわなければ意味がありませんわ」
「おばちゃん、ひどいよ」
「うう。ううう……」
「……だから、きちんとした成果になるように、わたくしができることをお教えしますから。泣くのはおやめなさいな」
 リオメルは腕を組んだ。彼女は変わらず子供たち二人を見下げていたが、表情は幾分か和らいでいる。子供たちは泣くのをやめ「おばちゃん、大好き」だの「ありがとう、おばちゃん!」などと言いながら、鼻水と涙を出してリオメルのスカートに抱き着いた。
「スカートを汚したらクリーニング代を請求します」
 凄む声に、ぱっ、っと離れる二人。だが二人はもう笑顔だ。リオメルはさっそく子どもたちに指示を飛ばす。自身はそばにあったソファに腰掛け、足を組み、キッチンを勝手に借りて入れた茶の香りを楽しんでいる。
「変わった香りと色をしているわ。神父さまの私物かしら。あのお顔立ちは東国の血が入っていそうですものね」
 ティーカップに入った黄緑色の液体。そばにはティーポッドがあり、隣には東国柄の茶筒が並んでいる。カップを持ってひとくち含み、リオメルは、茶筒とおなじく、戸棚から拝借した濃い紫いろの四角い菓子をフォークで切って、口に入れた。
「まあ、上品なお味」
 リオメルがパッケージを見るも読むことができない。かろうじて、原材料のところに小さな豆という字はわかったものの、菓子そのものの名前はわからなかった。菓子を頬張りながらてきぱきと動く子どもたちを詰まらなさそうに見ると、男子の方が優雅に茶を嗜むリオメルの方を向いた。
「そのおやつとお茶、僕たちが食べようとしたら、神父さまがものすごい勢いで怒ったやつだよ。大丈夫?」
「あらそう。……ふうん。たしかにそうかもしれませんわね。神父さまったら、神さまに仕える身で、こんなものを秘密に楽しんでいたなんて。よほど故郷が懐かしかったのかしら?」
 リオメルは茶筒と菓子の包装を手に持った。そこには大きく当局認証のスタンプが押されている。異国の文化を、神父が楽しんでいたのなら、表立っては言えないはずだった。
「おばちゃん、掃除が終わったよ」
「よろしい」
 リオメルは飲みかけの茶を机に置いてソファから立ち上がる。腰に手を当てながら彼女は言った。
「あなたがた、空腹の具合は?」
「おなかすいた」
「ペコペコ!」
 見ればもう時刻は正午だ。リオメルは、冷蔵庫にかけられた、女性には少々大きいエプロンを身に着ける。
「冷蔵庫にある材料からできるものを作りますからそれで我慢なさい」
 子供たちは両手を挙げ、全身で喜びを表現した。
 ……冷蔵庫を躊躇なく開けるリオメル。なかには、魚、サラダに仕えそうな野菜。調味料類と、チーズがある。別の棚には小麦粉とベーキングパウダーと調味料が入っていた。
「さて」
 手早く粉類を計量して水で混ぜて生地をフライパンで焼き上げる。魚はグリルで焼いて荒くほぐし、焼き上がったパンケーキの横に乗せて、最後に野菜とチーズを添える。子どもたちはすでに着席している。リオメルはそれらパンケーキプレートを机のうえに置いて、自身も席に座った。
「おばちゃん、ミニトマト三つは?」
「お祈りのフォークもないよ」
「……別にいいんじゃありませんこと? 神父さまもいらっしゃらないんだし」
 そうもいかないよ、と、男子の方が冷蔵庫からミニトマトを取り出して、女子の方がフォークと小皿を三つを用意し、盛り付ける。その小皿はリオメルのまえにも差し出された。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リオメル【主人公】

自分に自信の無い、おどおどした地味な主婦。あることをきっかけに妖艶な美女に変容する。

レネーヴェ【主人公の夫】
容姿端麗、非の打ちどころのない男。リオメルのことを愛している。彼の就いている職業を、リオメルは知らない。かつて、アルとは深い仲だったようだが……。

アル【レネーヴェの幼馴染かつ親友】

街の芸術家。レネーヴェの親友だが、アル自身はそうとは思っていない。レネーヴェに対して偏執的な愛を向ける。

小山内【街の教会の神父】

東国とのハーフで、故郷を離れて、リオメルたちが住む街に移住してきた。非常に信心深い。孤児院を営んでいる。

季朽葉【祈りの門の番人】
リオメル、アル、レネーヴェの三人を、高次元の場所である『祈りの門』から見守っている。アルと強く関わることになり、彼にこきつかわれている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み