第21話 宿りしもの

文字数 3,265文字

 ☆

「なんの冗談だあ……? こりゃあ」
 翌日。教会に足を踏み入れたヘンリーは思わず顔をしかめた。ある程度の現場……神話生物や邪神事件などに慣れた彼でも、いま目の前にある惨状は筆舌に尽くし難い。一見するとただの殺人現場だ。教会の礼拝堂の中心である身廊に神父が倒れているという本当にただそれだけの殺人現場だ。しかしやり口がこの国に置いては特別な意味を持っている。
 神父の頭には三つの穴が開けられている。両目に二つ、眉間に一つといった具合に。そしてそばには小さなフォークが落ちていた。これはこの国では一般的な、食事のまえに使用する礼拝用のフォークだった。ノーデンス教の神父が、枯草などに使われるような爪フォークのようなもので、頭を突かれて死んだ。明らかな挑発行為とも言える犯罪にヘンリーの眉が歪む。
「ヘンリー殿。警察の鑑識が到着致しました」
「ああ、あとは任せるとするか」
「……ヘンリー殿。いつも隣にいらっしゃるレネーヴェ殿は?」
 隣で敬礼しそのまま直立している捜査官の一人がヘンリーに問う。
「ああ。やっこさんな。


「羨ましいであります!」
「はっはっは。……そうだな」
 ヘンリーは乾いた笑いを出す。隣の捜査官はヘンリーは恐妻家なのだと考えてそれ以上は追及しないことにした。

 同じころに、レネーヴェとリオメルは自宅で、すでに亡き小山内神父より受け取った菓子を茶請けにティータイムを楽しもうとしているところだった。レネーヴェが緑茶を淹れ、リオメルがナイフで菓子を切り、皿へと盛り付ける。そうして二人は互いにそれらを持って食卓に着席した。簡単に祈りをささげたあと、まずさきにレネーヴェが菓子を口に入れる。
「美味しいねえ」
「東国の茶菓子でヨウカンというそうですわ。調べてみたら豆と砂糖と海藻で出来ているんですって」
 今度はリオメルはヨウカンをフォークで切り、口へ運ぼうとするが、レネーヴェがそれを静止する。
「リオメル。あーん」
 と、レネーヴェは自分の皿にあるヨウカンをフォークに刺して、リオメルの口元に差し出す。リオメルは驚いたが、レネーヴェなりの愛の示し方なのだろうと納得して、照れくさそうにはにかんでから口を開ける。だが――。
「……うっ」
 リオメルは口をおさえて立ち上がり、急いでトイレへと駆け込んだ。心配したレネーヴェが彼女の背中をさすりながら、もしやと考え、次のように問うた。
「君……。もしかして、身籠ったのかい?」
「わかりません」
 リオメルの表情は、無い。レネーヴェは彼女が自分の体調の変化に戸惑っているのだろうと察したようだ。彼女から静かに離れ、居間へと戻ろうとする。
「あなた。ちょうど平日ですし、これから病院に行ってまいりますから、家で待っていてくださいな」
「なんだい。俺も行くよ」
「健康な男性が産婦人科の待合室を圧迫してどうするおつもりですか。お気持ちはとても嬉しいですが、あなたも数少ない休日ですし、ゆっくりと自宅で休んでいてくださいまし」
 トイレから出てすぐリオメルは身支度をはじめる。名残惜しそうなレネーヴェを置いて外に出た。
「さて、と。

にとっては吉報かしらね?」
 リオメルが足を向けたのは病院ではなくアルの工房だった。
 彼女が完全に家から出たのを確認し、レネーヴェは、鞄のなかに忍ばせてあった通信機器を耳に嵌めた。
『レネーヴェからヘンリーへ。対象C(クトゥルフ)が外出した。さきほど背中につけたGPS発信機によると向かう場所は病院ではなく工房の模様。どうぞ』
『了解した。ヘンリーより、レネーヴェのそばに待機している全捜査員に告げる。対象Cを尾行せよ。決して気づかれるな』
『了解』の返答が、五人、いや、十人以上。レネーヴェとヘンリーの耳に一斉に入る。レネーヴェもまた、数分待ってのち家から出、リオメルを尾行する。
 そんな緊迫した状況の空の上で、季朽葉は、魔法による迷彩テントを空中に展開させて、祈りの門から持ち込んだ、アルからの支給品であるカップ型即席麺を美味しそうに啜っている。時折フォークと即席麺を床に置いて双眼鏡で下を覗き込むその姿はすっかり犯罪者である。
「アルはどうでもいいんだけれども、リオメルがなあ」
「……いつまでここで籠城しているつもりですか?」
「うわっ! いきなり現れないでよ!」
 季朽葉の真後ろに祈りの門をつなげて、狭いテントのなかに入ってきたのは骨男の獅黒だ。両手は携帯食料やスナック菓子などが大量に入った袋でふさがっている。
「……気になるんだよ」
「ああ。このまえの可愛らしい女の子ですか。僕もあの顔には縁がありましたが、あなたの縁はなかなかに濃いようだ。こうやって執着するくらいにね。で? いま、なにをやっているんです? 彼女は」
 骨男の獅黒は季朽葉の手から双眼鏡を奪って眼下を覗き込む。ちょうどリオメルがアルの工房のなかへ入るところである。工房のとびらには『本日休校』の札がかかっていたが、リオメルはそれを無視した。
 内部は荒れ果てていた。明かりは消え、あちこちにあったオブジェは、すべて破壊され無残にも散らばっている。いちばん最初に来たときに目を惹かれた等身大の人形も、内部のゴムがとりはらわれ、ばらばらになり、四肢が散らばってしまっていた。リオメルは床に転がっていた首部分を持ち上げ、顔に被せられていた仮面を取り去った。
「……。まあ、妬いてしまいそう」
 それはレネーヴェそのものの造型だった。リオメルはその人形の唇に口づけ明後日の方向へと放り投げる。陶器が割れる。じつにつまらない音だった。オブジェとガラスが飛び散る床をヒールで踏み潰し、彼女はさらに奥へ進んでいく。作業スペースがある部屋で、アルは酒を飲み、椅子に座って項垂れていた。
「アル。良い知らせがありますわ」
「レネーヴェが、来ないんだ。約束したのに。おまえなんかもういらない」
「いまさらなにをおっしゃるの? わたくしとあなたは言わば共犯。後戻りなどすでにできませんわ」
「……うるさい!」
 アルの両手がリオメルの胸倉をつかんだ。細い体がコンクリートの壁に打ち付けられる。
「暴力はお良しになって。わたくし身籠りましたの。あなたが待ち望んだ神さまが生まれますわ。父親は夫かあなたかは分かりませんが、あなたにとってはどうでも良いことですものね」
 力が弱められたアルの手を振り払い、リオメルはアルの頬に両手を添え、唇を親指でなぞる。
「いい加減、あのひとに愛される妄想など捨ててしまいなさいな。あのひとはわたくしのものです。誰にも渡しません」
 勝利宣言とも言える言葉だった。アルは、リオメルの手首をつかんで捻り上げる。
「ふ。ふふふふ。ふはははは。そうだ! そうだよ! だからオレはお前を利用したんだ。邪神(クトゥルフ)教の巫覡(ふげき)の家系のオレと、その邪神(クトゥルフ)の転生体であるおまえの間に仮にできた子なら、どんな国も、世界も、しがらみも破壊してくれるはずなんだよ! ……来い! リオメル!」
「まあ。手荒いのね。少しは気を使ってほしいですわ。……そうだ。せっかくですし、レネーヴェに会ってお別れの挨拶をなさったらどうかしら。――そうねえ。嫉妬からわたくしを攫ったということにしましょうか?」
 くすくすと笑って、リオメルは空いているほうの手で通信機器を取り出し、アルへ渡す。すでにレネーヴェの番号は表示されコール音を鳴らしている。ほどなくしてスピーカーからレネーヴェの声が響いた。
『おや、どうしたんだい? リオメル』
『……レネーヴェ。オレはお前に会いたい』
『残念だがいまは忙しい』
『リオメルを人質に取っているとしてもか?』
『……君はいまどこにいる?』
『工房だよ。待っているよ。愛しのレネーヴェ』
 ブツリ。通信がレネーヴェの方からあっさりと切られる。
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登場人物紹介

リオメル【主人公】

自分に自信の無い、おどおどした地味な主婦。あることをきっかけに妖艶な美女に変容する。

レネーヴェ【主人公の夫】
容姿端麗、非の打ちどころのない男。リオメルのことを愛している。彼の就いている職業を、リオメルは知らない。かつて、アルとは深い仲だったようだが……。

アル【レネーヴェの幼馴染かつ親友】

街の芸術家。レネーヴェの親友だが、アル自身はそうとは思っていない。レネーヴェに対して偏執的な愛を向ける。

小山内【街の教会の神父】

東国とのハーフで、故郷を離れて、リオメルたちが住む街に移住してきた。非常に信心深い。孤児院を営んでいる。

季朽葉【祈りの門の番人】
リオメル、アル、レネーヴェの三人を、高次元の場所である『祈りの門』から見守っている。アルと強く関わることになり、彼にこきつかわれている。

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