第13話 教会

文字数 3,111文字

 ☆

 小山内神父は遥か東方にある小さな島国出身である。肌は生まれつき色濃くその国ではよくからかいの対象になったものだ。そんな彼が、なぜ異国の地で神父をやっているのかと言えば、自分のルーツを知るために他ならなかった。移民としてやってきたみずからの父母は、この国の者だと亡くなる直前の母から聞いていたので、天涯孤独となったときに一大決心し、現地で神父になるための資格を習得したのち、この教会にやってきたのである。
 最初こそ奇異の目で見られていたものの、少し閉鎖的で、古臭くて、でも人情味のあるこの異国は、異国の血を引く父と、東方の国の血を引く母の間に生まれた自分のようで、すぐに小山内は好きになる。
「はいはい! みなさん! いい加減にしなさい!」
 小山内は、目の前で繰り広げられる子どもたちの喧嘩に対して声を張り上げる。
「神父さま! こいつが僕のオヤツを食べちゃったんだよ!」
「あんなところに置いているのが悪いんだろ!」
 小山内は大きくため息をついて、拗ねる子とくしゃくしゃの顔の子の視線にまでしゃがんだ。
「よろしいですか。そんなことでは、貝殻の車に乗れませんよ」
 貝殻の車とは、ノーデンスが乗っている戦車のこと。要は死後に幸せになれないという意味である。
「だってー」
「だってもなにもありません。あなたは、食べ物に名前を書かなかった。そしてあなたは、確認もせずに勝手に食べたのが良くなかったのです」
 小山内は拳を握り、彼らの頭にげんこつを落とす。彼らは孤児であるが、明るく、素直に育っていた。そう。小山内が居る場所は……教会兼孤児院だった。二人の孤児は仲良く涙目になった。そんな彼らの頭を褐色の手が撫でる。
「私が作ったお菓子はまだありますから、お祈りをささげてから食べましょうね」
 優しい言葉で諭す小山内。子供たちは、頭の痛みなどどこへいったやら、嬉しさに飛び上がり、孤児院へと駆け出してゆく。するとそこに普段の教会では見られない影が二つ近づいてくる。
「こんにちは。神父さま」
「おやおやこんにちは! ヘンリーさん! おや。そちらは?」
 黒い瞳が、隣にいた笑顔の美丈夫に向けられる。
「一応上司ですが、私にとっては我が子同然ですな」
「そうですか。はじめまして。小山内と申します」
「初めまして、レネーヴェと申します」
 にこやかに握手を交わす二人。挨拶もほどほどになされたところで、穏やかに笑みを浮かべていたヘンリーの顔が引き締まる。
「こちらの女性を、ご存じありませんかな?」
 ポケットから出されたのは、薄幸そうな女性の写真。自信というものが完全に見られないその笑顔。月と同じいろの髪が余計にそれらを印象づけている。
「申し訳ありませんがノーデンスの名においてお答えすることはできません。……と言いたいところですが」
 小山内は、ヘンリーが写真と同時に出した異教捜査官手帳の刻印に視線を落とす。
「三か月くらいまえでしたか。日が暮れる直前にいらしていました」
「なにか不審なことはありませんでしたかな」
「いいえ、特に。神への信仰はしっかりとあるように見えましたが。彼女がなにか? もしかして、昨今の爆発テロのことでしょうか」
「……そこは企業秘密ですな。ご協力ありがとうございます。藪から棒に申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ出過ぎた真似を。ヘンリーさんも、レネーヴェさんも。お仕事でお忙しいとは存じますが、定例の祈りの日に教会へいらしてくださいね」
「はは、お見通しですな……。行くぞ、レネーヴェ」
 二人は(きびす)を返した。どこか使命を背負った彼らの背中を、彼らが乗ってきた車の中に入るまで、小山内は手を振る。
「忙しさというものは、心の余裕を失くしてしまいますね。早く世情が落ち着くといいのですが……」
 そのとき、二人の子どもの元気な声が、小山内の後ろから大きくあがる。
「神父さまー! おやつはー!」
「はいはい!」
 育ち盛りの子らに急かされ、小山内は小走りで教会に向かった。

 リオメルが祈りの門に至ってから一か月が経過した。彼女はレネーヴェとの結婚生活と、アルとの不貞を、二重生活として演じていた。
 ……リオメルは、目の前で胃の中のものをにぶちまけている男を冷たい視線で蔑んだ。
「そんなになるのが分かっていて、どうしてわたくしと不貞を犯すのか、理解しかねるわ」
 侮蔑の声を素肌に浴びて、アルはホテルのトイレの便器より顔を上げる。振り向いて見るリオメルの顔は、何の感情も見受けられない。アルは激情する。顔を、怒りで醜く歪ませて、胃液で汚れた口をすすぎもせずに、リオメルの頬を大きな手でわしづかみにする。開始される口づけは吐き気を伴った。苦味と酸味が唾液と交じり合う。
「あなたは馬鹿ね」
 接吻の最中にリオメルはそう呟いた。二人は唇を話して見つめあうが、そこには不信だけがある。
「来い」
 リオメルの細い二の腕を、アルは乱暴に引っ張って、大きなベッドにその罪深い身を放り投げる。頬にかかる赤茶の髪が煩わしく感じて、リオメルは思わず眉をひそめた。レネーヴェの名をうわごとのように呟きながら己の手で必死に自身を奮い立たせようとするアルの姿は、リオメルにはただただ滑稽(こっけい)に映った。
 すぐに彼女の下半身に圧迫感が現れる。レネーヴェとは違い優しさの欠片も見られない動きは彼女の頭の芯を冷やしていく。冷えていくのは思考だけではない。すぐに指先から変化が起こる。足が蛸のように枝分かれをし汗ばんだアルの身体を這った。肌から生えてきた鋭利な鱗はアルの身体を傷つけるが、その変化もアルが彼女の体内で達すると同時に収まるのだ。そうしてアルはトイレに駆け込んで、限界まで吐く。その繰り返しはすでに三回も行われていた。
 ぐったりと身を便器にもたれさせるアルを見て、リオメルは彼の限界を察した。
「それでは、わたくしは帰ります。お金はこちらに置いておくわ」
 リオメルは財布から金銭を取り出して机に置いた。衣服を身に着けて、靴を履き、彼女はホテルの扉のノブを回す。事前にフロントへ話を通しておいたおかげで、彼女はスムーズに外へと出ることができた。そこで、リオメルの携帯連絡端末が鳴る。
「はい。もしもし」
『リオメル! 今月の祈りの日には家へ帰れそうだよ!』
「どういう風の吹き回しですか? 珍しいですね」
『ははは。厳しいな。いやね、実はこのまえ、神父さまに叱られてしまってね』
「まあ」
 夫の、通信越しでの困った様子を思い浮かべて、リオメルはくすくすと笑う。
『それで、ものは相談なのだけれども。今度の祈りの日に、一緒に教会へ行かないかい』
「……」
『リオメル?』
「いいえ。なんでもありません。そうですね、一緒に行きましょうか」
『良かった! あんまりにも君をほったらかしにしているから、断られるかと思ってヒヤヒヤしていたんだ!』
 通信会話の向こうから、大声を張り上げる初老の男性の声が、リオメルの耳をつんざいた。どうやらしきりにレネーヴェを呼んでいるらしい。
「っと、ごめん。おやっさんに呼ばれているから、ここらへんで切るよ。またね! 愛してる!」
「はい。お仕事がんばってくださいね。わたくしも愛しております」
 キスの効果音をわざわざ唇で演じて、レネーヴェは慌てて通信を切る。音がなくなった長方形の板を、しばらく耳につけていたリオメルだったが、上がっていた腕が、徐々に力を失くし、下がった。
「……わたくし。いったい、なにをしているのかしら……」
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登場人物紹介

リオメル【主人公】

自分に自信の無い、おどおどした地味な主婦。あることをきっかけに妖艶な美女に変容する。

レネーヴェ【主人公の夫】
容姿端麗、非の打ちどころのない男。リオメルのことを愛している。彼の就いている職業を、リオメルは知らない。かつて、アルとは深い仲だったようだが……。

アル【レネーヴェの幼馴染かつ親友】

街の芸術家。レネーヴェの親友だが、アル自身はそうとは思っていない。レネーヴェに対して偏執的な愛を向ける。

小山内【街の教会の神父】

東国とのハーフで、故郷を離れて、リオメルたちが住む街に移住してきた。非常に信心深い。孤児院を営んでいる。

季朽葉【祈りの門の番人】
リオメル、アル、レネーヴェの三人を、高次元の場所である『祈りの門』から見守っている。アルと強く関わることになり、彼にこきつかわれている。

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