第17話 秋空での攻防

文字数 2,999文字

「……俺としては無益な殺生をしたくないんだけれども、今回は俺もアルの願いに紐付けられちゃっているからなあ。仕事が終わったら精神にきそうだ」
 そう寒空のなかで愚痴をこぼす季朽葉。彼の両手が印を結ぶと光る魔法円が展開されていき、同時に街が爆発し、それらは無秩序ではなく、左右対称の大きな頭部と数本の触手という一定の形を作り上げた。しかし続くはずの爆発音が止まる。
「あれ? あ! ここ呪文エラーじゃないか! 久しぶりだから間違っちゃったよ。ああ、もう!」
 季朽葉の横にある魔法円が赤く点滅している。それら構築した魔法円を手で払うとガラスが飛び散るようにして消えた。
『――どうした、キクチバ』
『ちょっとトラブルで』
『早くしろ』
『わかってるよ!』

「まったく人使いの荒い……えーと、確か印がこうで」
 新しく印を結び、呪文を唱えようとする季朽葉。空を切った手の甲に鋭いものが刺さった。季朽葉は思わず呻いてそれが何かを確かめる。
「なんだ? 三又の食器(フォーク)? ――って、うわあ!」
 そのフォークと同じものが、大量の矢が放たれたように季朽葉の大きな身体を襲う。彼は瞬時に防御の魔法円を展開、それをすべて防ぎきった。
「〝風〟と〝水〟の反応が増えたので空を見てみれば……あなたはいったいどこから来たのですか? 見たところこの世界の住人では無いようですが」
 季朽葉と同じようにして空中に浮いていたのは寝かされた大きなフォークに腰掛ける姿。まるで魔女そのものだが外見は女性ではない。丁寧に整えられた白髪と顔の各所に刻まれた皺。その老紳士はフォークから降りて背筋を伸ばし、季朽葉に一礼をした。
「お初にお目にかかります。旧神ノーデンスこと野田丞と申します。どこの世界のハスターなのかは分かりませんが以後お見知りおきを」
 箒代わりのフォークを両手で構えて野田は空中を蹴った。目にもとまらぬ突進に季朽葉は避けきれない。フォークの先端が服の一部をかすると、彼は珍しく軽口を叩いた。
「王様の一丁裏を破るなんて良い度胸をしているね」
 そんな彼の動揺の隙を狙って二度目の突きを繰り出す野田。ギリギリのところで季朽葉は身体を捻り、体勢を整えて、素早く呪文を唱える。
「魔法円展開! 召喚!」
 赤い魔法円が、空間に大きく描かれると、現れたのは蜂のような外見で爬虫類の翼を持った二匹の化物。化物たちは、季朽葉の周りを飛んだあと、野田に襲いかかった。
「ぬ……!」
 野田は手に持っている槍をさばいて化け物たちの攻撃を防いだ。だが多勢に無勢。大きく槍を薙いで、彼らと距離を取り、視線と殺気で牽制する。
「残念ですがここまでのようです。元々わたくしの役目はあの四人を……リオメルとレネーヴェ、アル、そして小山内をまるごと封印すること。もう少しで彼らは尻尾を表すでしょう。もうひとつの〝水〟の気配も気になるところではありますが……。いま、あなたと遊んでその期を逃すわけには参りません」
 その丁寧な口調は季朽葉を心底安心させた。魔法の使用が久しぶりだったのもあるが、季朽葉は自世界の神話で知っていたのだ。彼が名乗った名前・ノーデンスは、彼の先祖の神と敵対する存在であると。召喚した化け物らに攻撃の手を止めるよう命令し、彼らは睨み合う。
「またいつかあなたには会うことでしょう。それでは、そのときまで」
 野田は最初現れたときと同じように槍に跨がり、五芒星の煌めきを伴って去っていく。
『――キクチバ! どうした! 応答しろ!』
『あ、ああ』
『らしくないな。引き続き爆破を頼む』
『自分でやればいいじゃない。昔を思い出して首が痛いんだけど?』
『おまえは何も考えずにオレの命令だけを聞いていればいい』
『はいはい……』
 アルの横暴な口振りに、季朽葉は溜め息交じりに返事をした。彼は気を取り直して呪文と印を、その手で結びはじめた。遠くに火柱と悲鳴が上がる。
「リオメルが、危ないのか……? どういうことだ」
 季朽葉の独り言は秋の寒空に霧散した。

 一方、地上では、レネーヴェが奮闘しているところであった。アルの姿は逃げ惑う住民たちに紛れて見えなくなっている。
「おやっさん。至急警察や消防に出動要請を」
『すまん! どうやら各地で同時に爆発が起こったようだ。すぐにはいけそうにない。俺も駆り出された。おまえは、対象から……リオメルから決して離れるなよ。ヤツも恐らくアルとグルだ』
「ええ、分かっていますよ。俺は妻を愛しているんだから」
 レネーヴェとヘンリーをつなぐ通信はそこで切れる。通信回線が混濁しはじめたようだ。仕方なしにレネーヴェは端末を締まった。
 初撃のときに伏せた身体をゆっくりと動かし、リオメルが居た方向へと進んでいく。あるていど進んだところで、目の前にあった太い街路樹に背中を持たれさせて座る。鼻から息を吸い、静かに吐いた。なんども繰り返して平静さを取り戻していく。そのさなかレネーヴェは辺りの音に注目をした。銃撃などの音はない。ほかの爆破も、この近くではないようだった。
「おやっさん。すいません。俺、どうしても親の仇をとりたかったんです」
 擦りむいた掌には朱い血が滲んでいる。ポケットからハンカチを取り出して傷口をきつく結んだ。このハンカチは、彼がリオメルと出会うきっかけとなったものだった。
 レネーヴェは、父親の殉職を聞いたあとすぐ、祈りの門へと至っていた。そこで彼が願ったのは犯人やその原因となった者への復讐だった。それがたとえ、この国の基準で犯罪であっても、彼は願わずにはいられないかった。
 夢から覚めた翌日。カレッジで彼はまさに運命的な出会いを果たす。当時、ヘンリーが言っていたとおり、レネーヴェはアルと秘密裏に交際をしていた。だが、リオメルの顔をひとめ見た瞬間、レネーヴェは恋に落ちたのである。
「あの門が俺にやらせようとしたことと、彼女が仇だっていうことは一瞬で分かったっけ。アルのこと、あんなに好きだったのに、どうでも良くなっちゃって。最低だよ、俺は。アルは急に別れ話を告げて納得してくれなかったなあ。当然か」
 周辺の人々はすでに避難を終えたようだ。悲鳴も、足音もなく、すべてが無音である。その静寂を破る者が、レネーヴェに近づいてくる。
 ――アルだった。
「やあ、アル」
「レネーヴェ。どうしてオレを捨てたんだ。どうしてあの女を選んだ。あの女は、おまえが思っているような女じゃない」
「ん? 知ってるよ。それでも好きなんだよ、愛しているんだ」
「……。工房で、待っているから、いつでも来てくれ」
「ああ、わかったよ」
 足音と気配が遠ざかる。徐々に砂埃が晴れていき、アルの姿形は無くなっていた。辺りは爆発によって様変わりしたものの原型は止められている。さきほどまでランチを楽しんでいた噴水前は、がれきが散乱していた。レネーヴェは、小声でリオメルの名を呼ぶ。
「あなた。こちらです。すぐに救急車を呼んでくださいまし。神父さまが!」
 みれば、小山内神父の腕からは血が流れ出している。リオメルが手持ちのハンカチで止血していたのだろう。水玉柄のハンカチが腕に結ばれていた。レネーヴェが連絡端末で救急車を呼ぼうとしたとき、けたたましいサイレンの音が遠くから鳴った。
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登場人物紹介

リオメル【主人公】

自分に自信の無い、おどおどした地味な主婦。あることをきっかけに妖艶な美女に変容する。

レネーヴェ【主人公の夫】
容姿端麗、非の打ちどころのない男。リオメルのことを愛している。彼の就いている職業を、リオメルは知らない。かつて、アルとは深い仲だったようだが……。

アル【レネーヴェの幼馴染かつ親友】

街の芸術家。レネーヴェの親友だが、アル自身はそうとは思っていない。レネーヴェに対して偏執的な愛を向ける。

小山内【街の教会の神父】

東国とのハーフで、故郷を離れて、リオメルたちが住む街に移住してきた。非常に信心深い。孤児院を営んでいる。

季朽葉【祈りの門の番人】
リオメル、アル、レネーヴェの三人を、高次元の場所である『祈りの門』から見守っている。アルと強く関わることになり、彼にこきつかわれている。

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