第6話 熱々のアヒージョとガールズトーク
文字数 3,535文字
アンジェラは店内で作業をしていたいぶし銀の男に対して声を張り上げる。
「……いらっしゃいませ、とは言いませんよ」
「何よ。客よ、客」
「無理やり店を開けろという客を敬えと」
オーバーリアクションで溜息をつく店員。彼は騒ぐアンジェラから視線を外し、リオメルに挨拶をした。
「いらっしゃいませ。ここはまじない喫茶。もちろん当局には営業許可を取っています。まじないはまじないでも日常のちょっとした願い事。邪教を崇拝するものではありません」
ノダが口にした当局という言葉。これはこの街に置いて特別な意味を持つ。宗教が根強くあるこの街、もといこの国は、ノーデンス教以外は邪教で、そして人々を堕落させるとされている。要するに信仰の自由がないのだが、申請し、政府から許可が得られれば、異国の宗教や風習を生活に取り入れることが出来るのである。リオメルは店内レジ上の壁を見上げた。そこには、額に入った、三又の槍の紋章が箔押しされた許可証が飾られている。
「しかし、最近は物騒ですからわたくしの店も閑古鳥が鳴いておりましてね。正直なところ、お客様方が来てくれて嬉しかったです」
そうでしょうそうでしょう、とアンジェラがうんうんと頷いて、大きくはない店内の奥の二人席に向かい、椅子を引いて座る。
「リオメル。こっちこっち」
アンジェラは、茫然とその場に立ち尽くすリオメルを席に呼ぶ。彼女もだが、リオメル自身も、この風変りな店に気持ちが弾んでいる。
「ノダー? 今日のおすすめはなにー?」
リオメルの少し後ろからついてきたノダが、彼女らが座る席にメニューを置いた。
「暁麦 のバケットと天の車 海老 のガーリックアヒージョ。ワインは地元産のものですよ」
「リオメルさん。アレルギーはある?」
リオメルはぷるぷると首を振る。
「それじゃあ決まりね。それにするわ」
かしこまりました。とノダが伝票に注文を描き込んだ。彼が去るのと同時に、ずい、とアンジェラが身を乗り出して、向かいに座ったリオメルの顔を覗き込む。
「アルさんの好みの女性、分かるかしら」
「え、っと……要するにそれは」
「そうよ。私はあのひとをモノにしたいの。ほかの生徒たちに出し抜かれるまえにね!」
この女性は一体何をしに教室へ通っているのだ、とリオメルは少し呆れ、出されたお冷をひとくち、口に含む。
「なあに。その顔。言っておくけど、あの教室に本気で人形を習いに来ている人なんて居ないわよ」
「知ってるわ」
「なら話は早いじゃない。それで、先生の好みとか、聞いてる」
リオメルは思い出すように顎に手を当て、そういえば、と一番最初に教室に来たときのことを思い出した。彼は、アトリエのカウチに飾ってある等身大の人形が自分の好みである、と言っていた。リオメルは人形の外見をよく思い出して、特徴を口にしていく。
「金髪、碧眼。背は高め。とおっしゃっていた気がします。そう。アトリエのカウチに飾ってある、あの大きな人形みたいなかんじらしいですわ」
リオメルの呟きはアンジェラを大いに落胆させた。それもそうだ。アンジェラの髪は茶色、瞳も茶色だ。リオメルの見る限りでは、背の高さはクリアしているようだが、彼女の肉付きはあの人形よりはふくよかでセクシーだった。
「せめて、あなたみたいな外見だったら良かったのになあ」
羨ましそうにリオメルの髪と瞳を交互に見るアンジェラ。逆効果かもしれないと思いつつも、リオメルは慰めの言葉をかける。
「……人間、中身が大事だと思います」
「そうよね。私だって、髪と目はこうだけれども、スタイルに自信はあるわ。頑張ってきた自分はすごいと思うもの」
「その意気です」
リオメルの拳が、ぐっと身体の前で握られる。彼女を勇気づけるように。
「ガールズトークは弾んでる?」
するとそこに、ぐつぐつと煮立った小さな陶器の鍋を持ったノダが現れる。お熱いのでお気をつけて、と注意を促してから、彼は器を二人が居る机の上の真ん中に置いた。二人は、まるで誕生日ケーキを出された子供のように声を出す。ぐつぐつと煮立った、香ばしいニンニクの香を放つオリーブオイルのなかに、まるまると太った海老が数個。別の皿にはバケットがきれいに並べられていた。続いてグラスワインも置かれて、アンジェラとリオメルは同時にワインを掲げて口に含む。海老をフォークで取り出して、バケットのうえに乗せて、あむっ、とそのままかじりついた。アンジェラはあまりの美味さにうめいた。リオメルも、目を丸くして、頬に手を当てる。ワインで口の中の油っぽさを流して、二人は同時に満足感からの息を吐いた。
「美味しいわあ」
「ですね……」
「こんな店が流行してないなんて、変な話よね。信仰の自由を認めればいいのに、って思うわ」
「まあ」
このご時世、なかなかに危険な言葉を吐くアンジェラ。だが、酒の勢いもあってか、リオメルも本気にはしていない。そもそも、自由こそないが認めれてはいる。宗教に息苦しくなってしまったときは、皆、今居るこの『マジックカフェ』のようなところへきて、はめを外す。外国の風習のなかで普段とは違う自分を曝け出すのである。現に、二人はここでの食事の際、昼間アルとの食事の際に行ったノーデンスへの祈りを捧げていない。
ワインとアヒージョが交互に口に運ばれ、アンジェラが二杯目のグラスワインを頼もうと手を挙げたとき、リオメルは彼女の二の腕にあるあざのようなものを見てしまう。酒の勢いもあってかいつもよりも大胆になったリオメルは、そのアザについてアンジェラに問うた。
「あら。アンジェラさん。そのあざはどうしたのかしら」
「ああ、これ? 一か月まえくらいから出始めたのよ。私ってばどこかにぶつけたかしら」
「一か月まえ……?」
アンジェラが、来ているシャツの袖をまくってリオメルに見せつける。そこには、鱗のようなアザが、点々とついている。
――一か月まえといえば、夫と結婚した時期だ。
そう思い出してリオメルの背筋が凍った。自分のあざは、幼いころからあるものだが、まさか移ることなどあるだろうか……と、リオメルは視線を下にする。
「まあそのうち治るでしょ! どうしたの、リオメル。顔が青いけれども、飲みすぎた?」
「いいえ……なんでもないわ」
「むりやり連れてきちゃったし、ここはおごるから、いっぱい食べて飲みましょ! そうだ! リオメルの旦那さんって、どんなひとなの? 写真くらい持っているんでしょ? 見せてよ!」
一瞬の不安も、アンジェラの恋話の食いつきでで霧散する。リオメルは恥ずかしそうにうつむいたあと、いそいそと鞄から連絡端末を取り出した。アルバムを表示させ、アンジェラに見えるように机に置いた。
「わーお! かっこいい!」
結婚式のときの写真が、鮮やかな色のネイルがつけられた指に引き延ばされる。リオメルよりも濃い色の金髪、海原のように美しい鮮やかな青の瞳に、ほうっ、とアンジェラは熱い吐息を漏らす。
「どこで出会ったの?」
「元々、カレッジ時代に一緒のゼミだったんです。卒業後、就職のために引っ越したさきの教会のミサで、たまたま出会いまして。結婚式も、そこで……」
「神様の思し召しってわけ? ロマンチックねー! いいなあー!」
両方の手で自分の肩を抱き締めるアンジェラ。さらに酒を飲もうとしたところで、グラスが空になっていることに気が付いて、ノダを呼びつけた。
「おなじのくださいー!」
「わたくしも同じのを」
はーい! という元気な声と共に、トレイにグラスを乗せたノダがやってくる。
「これはサービスです」
と、出されたのはナッツ類が入った小鉢だ。リオメルはノダに礼を言ってからナッツをひとつ摘まんだ。まだ暖かった。
「もしかして、いりたて?」
「ええ。お客様がぜんぜん来てくれないので、ひまでひまで」
「あら……。ありがとう」
「いいえ。それではごゆっくり。……アンジェラさんはもう飲むのはやめては?」
なにをー! とノダが履いている革靴を、アンジェラは鋭いヒールで踏みつぶした。ギャイン! っとノダの叫び声が上がり、彼のおかしな様子にアンジェラ大口を開けて笑い、リオメルもくすくすと笑った。
「そういえばさあ……リオメル。さっきの、アル先生の好みの話」
ポリポリとナッツを齧りながら、アンジェラは頬杖をついた。
「ええ」
「アル先生と旦那さんは幼馴染だって言っていたわよね? さっきあなたが言っていた人形って、どこか旦那さんに似てない? ……まさかね」
「……いらっしゃいませ、とは言いませんよ」
「何よ。客よ、客」
「無理やり店を開けろという客を敬えと」
オーバーリアクションで溜息をつく店員。彼は騒ぐアンジェラから視線を外し、リオメルに挨拶をした。
「いらっしゃいませ。ここはまじない喫茶。もちろん当局には営業許可を取っています。まじないはまじないでも日常のちょっとした願い事。邪教を崇拝するものではありません」
ノダが口にした当局という言葉。これはこの街に置いて特別な意味を持つ。宗教が根強くあるこの街、もといこの国は、ノーデンス教以外は邪教で、そして人々を堕落させるとされている。要するに信仰の自由がないのだが、申請し、政府から許可が得られれば、異国の宗教や風習を生活に取り入れることが出来るのである。リオメルは店内レジ上の壁を見上げた。そこには、額に入った、三又の槍の紋章が箔押しされた許可証が飾られている。
「しかし、最近は物騒ですからわたくしの店も閑古鳥が鳴いておりましてね。正直なところ、お客様方が来てくれて嬉しかったです」
そうでしょうそうでしょう、とアンジェラがうんうんと頷いて、大きくはない店内の奥の二人席に向かい、椅子を引いて座る。
「リオメル。こっちこっち」
アンジェラは、茫然とその場に立ち尽くすリオメルを席に呼ぶ。彼女もだが、リオメル自身も、この風変りな店に気持ちが弾んでいる。
「ノダー? 今日のおすすめはなにー?」
リオメルの少し後ろからついてきたノダが、彼女らが座る席にメニューを置いた。
「
「リオメルさん。アレルギーはある?」
リオメルはぷるぷると首を振る。
「それじゃあ決まりね。それにするわ」
かしこまりました。とノダが伝票に注文を描き込んだ。彼が去るのと同時に、ずい、とアンジェラが身を乗り出して、向かいに座ったリオメルの顔を覗き込む。
「アルさんの好みの女性、分かるかしら」
「え、っと……要するにそれは」
「そうよ。私はあのひとをモノにしたいの。ほかの生徒たちに出し抜かれるまえにね!」
この女性は一体何をしに教室へ通っているのだ、とリオメルは少し呆れ、出されたお冷をひとくち、口に含む。
「なあに。その顔。言っておくけど、あの教室に本気で人形を習いに来ている人なんて居ないわよ」
「知ってるわ」
「なら話は早いじゃない。それで、先生の好みとか、聞いてる」
リオメルは思い出すように顎に手を当て、そういえば、と一番最初に教室に来たときのことを思い出した。彼は、アトリエのカウチに飾ってある等身大の人形が自分の好みである、と言っていた。リオメルは人形の外見をよく思い出して、特徴を口にしていく。
「金髪、碧眼。背は高め。とおっしゃっていた気がします。そう。アトリエのカウチに飾ってある、あの大きな人形みたいなかんじらしいですわ」
リオメルの呟きはアンジェラを大いに落胆させた。それもそうだ。アンジェラの髪は茶色、瞳も茶色だ。リオメルの見る限りでは、背の高さはクリアしているようだが、彼女の肉付きはあの人形よりはふくよかでセクシーだった。
「せめて、あなたみたいな外見だったら良かったのになあ」
羨ましそうにリオメルの髪と瞳を交互に見るアンジェラ。逆効果かもしれないと思いつつも、リオメルは慰めの言葉をかける。
「……人間、中身が大事だと思います」
「そうよね。私だって、髪と目はこうだけれども、スタイルに自信はあるわ。頑張ってきた自分はすごいと思うもの」
「その意気です」
リオメルの拳が、ぐっと身体の前で握られる。彼女を勇気づけるように。
「ガールズトークは弾んでる?」
するとそこに、ぐつぐつと煮立った小さな陶器の鍋を持ったノダが現れる。お熱いのでお気をつけて、と注意を促してから、彼は器を二人が居る机の上の真ん中に置いた。二人は、まるで誕生日ケーキを出された子供のように声を出す。ぐつぐつと煮立った、香ばしいニンニクの香を放つオリーブオイルのなかに、まるまると太った海老が数個。別の皿にはバケットがきれいに並べられていた。続いてグラスワインも置かれて、アンジェラとリオメルは同時にワインを掲げて口に含む。海老をフォークで取り出して、バケットのうえに乗せて、あむっ、とそのままかじりついた。アンジェラはあまりの美味さにうめいた。リオメルも、目を丸くして、頬に手を当てる。ワインで口の中の油っぽさを流して、二人は同時に満足感からの息を吐いた。
「美味しいわあ」
「ですね……」
「こんな店が流行してないなんて、変な話よね。信仰の自由を認めればいいのに、って思うわ」
「まあ」
このご時世、なかなかに危険な言葉を吐くアンジェラ。だが、酒の勢いもあってか、リオメルも本気にはしていない。そもそも、自由こそないが認めれてはいる。宗教に息苦しくなってしまったときは、皆、今居るこの『マジックカフェ』のようなところへきて、はめを外す。外国の風習のなかで普段とは違う自分を曝け出すのである。現に、二人はここでの食事の際、昼間アルとの食事の際に行ったノーデンスへの祈りを捧げていない。
ワインとアヒージョが交互に口に運ばれ、アンジェラが二杯目のグラスワインを頼もうと手を挙げたとき、リオメルは彼女の二の腕にあるあざのようなものを見てしまう。酒の勢いもあってかいつもよりも大胆になったリオメルは、そのアザについてアンジェラに問うた。
「あら。アンジェラさん。そのあざはどうしたのかしら」
「ああ、これ? 一か月まえくらいから出始めたのよ。私ってばどこかにぶつけたかしら」
「一か月まえ……?」
アンジェラが、来ているシャツの袖をまくってリオメルに見せつける。そこには、鱗のようなアザが、点々とついている。
――一か月まえといえば、夫と結婚した時期だ。
そう思い出してリオメルの背筋が凍った。自分のあざは、幼いころからあるものだが、まさか移ることなどあるだろうか……と、リオメルは視線を下にする。
「まあそのうち治るでしょ! どうしたの、リオメル。顔が青いけれども、飲みすぎた?」
「いいえ……なんでもないわ」
「むりやり連れてきちゃったし、ここはおごるから、いっぱい食べて飲みましょ! そうだ! リオメルの旦那さんって、どんなひとなの? 写真くらい持っているんでしょ? 見せてよ!」
一瞬の不安も、アンジェラの恋話の食いつきでで霧散する。リオメルは恥ずかしそうにうつむいたあと、いそいそと鞄から連絡端末を取り出した。アルバムを表示させ、アンジェラに見えるように机に置いた。
「わーお! かっこいい!」
結婚式のときの写真が、鮮やかな色のネイルがつけられた指に引き延ばされる。リオメルよりも濃い色の金髪、海原のように美しい鮮やかな青の瞳に、ほうっ、とアンジェラは熱い吐息を漏らす。
「どこで出会ったの?」
「元々、カレッジ時代に一緒のゼミだったんです。卒業後、就職のために引っ越したさきの教会のミサで、たまたま出会いまして。結婚式も、そこで……」
「神様の思し召しってわけ? ロマンチックねー! いいなあー!」
両方の手で自分の肩を抱き締めるアンジェラ。さらに酒を飲もうとしたところで、グラスが空になっていることに気が付いて、ノダを呼びつけた。
「おなじのくださいー!」
「わたくしも同じのを」
はーい! という元気な声と共に、トレイにグラスを乗せたノダがやってくる。
「これはサービスです」
と、出されたのはナッツ類が入った小鉢だ。リオメルはノダに礼を言ってからナッツをひとつ摘まんだ。まだ暖かった。
「もしかして、いりたて?」
「ええ。お客様がぜんぜん来てくれないので、ひまでひまで」
「あら……。ありがとう」
「いいえ。それではごゆっくり。……アンジェラさんはもう飲むのはやめては?」
なにをー! とノダが履いている革靴を、アンジェラは鋭いヒールで踏みつぶした。ギャイン! っとノダの叫び声が上がり、彼のおかしな様子にアンジェラ大口を開けて笑い、リオメルもくすくすと笑った。
「そういえばさあ……リオメル。さっきの、アル先生の好みの話」
ポリポリとナッツを齧りながら、アンジェラは頬杖をついた。
「ええ」
「アル先生と旦那さんは幼馴染だって言っていたわよね? さっきあなたが言っていた人形って、どこか旦那さんに似てない? ……まさかね」