第3話

文字数 1,551文字

蛇と夢



蛇は私たちの世界では賢者だと言われている
その知識が私たちを誘惑するとしても
それを私たちが大いに錯覚しているとしても

夢を見ることも、希望を抱くことも、私は蛇から教わった
あなたは誰から教わったのだろうか
今、昼の世界はどうなっている?
私たちはそこで何を教わったかもう忘れてしまったが
まあいい、あなたはたぶん今でも夢を語っているのだろうから

そう、二匹の巨大な蛇だ
彼らは闇の滑り台をするすると滑り降りてくる
彼らの長い背
長い傾斜
長いロータリー
高々ともたげた頭には、大きな金色の眼が開いており
夢の場所を捜している

私はあなたのことを夢見ているのだろうか
あなたは蛇たちがどこから来るか知っているか
しかし、私はあなたに教えられない
夢見るでもなく、眠るでもなく、あなたはいったいどこにいるのだろう

二匹の蛇は進んでいく
大きな川のはた、天空では星が瞬いている
川に張り出したマリーナの上に白いグランドピアノがある
白い光を浴びて静かにたたずんでいる
誰もいない
だが、その蓋は開かれている
私は何かを思い出しけかける
すると二匹のうちの一匹がその大きな瞳で、私をじっと見つめた
その瞳に写っている川
岸辺の満開の桜

星たちが舞い降りてきた
あまたの星が
空中で舞い踊っている桜のように
花びらと遊びながら
ピンクに煙る岸辺を
そこに現れる光の環
その中には一人の若者がいる
両岸を埋め尽くす何万本もの桜の木が震え
今宵満開を迎えた桜たちは薄墨色の光を散らしていく

桜の木の下にたたずみ
向こう岸の桜とその前を流れる黒い水を眺めていた若者
深い悲しさが水に揺れている
しかし、どこか解放されたような不思議な表情
蛇たちの金色の眼が夜を見つめていた
その瞳には彼の姿が映っていた

ああ、彼は誰?
教えない。誰にも教えない
蛇たちが飲み込んだ風景が川面を流されていく
時々彼らが返してくれる景色も
ふいに彼以外の亡霊は消え去り
境界も消え去っていく

満開の桜の宵、私たちは皆、酔いしれることしかできない
二匹の大きな蛇が絡みついた巨木はそこにある
そう、そこだ。目の前にある
そこから降り注ぐ薄紅色の花びらが顔にかかる
木は蛇に絡みつかれた時、悦びの声を上げたかもしれない
しかし私たちには聞こえないだろう
私たちはそこでは見ることも聞くこともできない
それでも蛇たちの為に酔わねばならない
彼らはそこで一晩眠りにつくのだから
やっと安心を手にし、何も誰も思い出すこともなく

あの桜の迷路には、彼らによく似た二本の大木がある
その根方は絡み合った何匹もの蛇のようだ
だがそれは合体して地面から盛り上がり、寝台になる
そう、蛇の為に木が用意した寝台
しかしその持ち上げられた寝台に
よろよろと酔ったように誰かが横になる
そう、それが桜の宵
満開の桜が星のようにそこに降り注ぐ宵であったならば

地中では彼らのように太い根が寄り添い
絡み合い
時に一体となる
すると、二匹の蛇の目が閉じ、特別な夜がやってくると言われる
しかし、誰も何も覚えていない
今宵はすべての人が何かに酔いしれ
酔いしれたまま眠りにつくがいいのだ
夢も見ず、決して醒めない夜であるがいいのだ

おや、分からない?
どこにいるのだろう?
もしかして、あなたは酔うことを知らないのか?
この、星降る地で
この、花咲き、花散る地で
あなたは酔いしれることを知らないのか?

今宵も星々が降り注ぎ
星の光の中を妖艶な花たちが
その星が落とす光と影の中
その花びらを一斉に散らしていく夜がやって来る
一匹の蛇はすでに眠りについた
もう一匹の蛇もその首を垂れ始めている
対岸の桜並木が水鏡の中で揺らぐ
川面を沢山の花びらが流れていく
人々の祭りの喧騒の中
蛇は夢を見始める
夢を見ながらやがてもう一匹の夢へと落ちていく
彼は誰?
蛇たちは問いかける
そうして水面にたゆたう寂寥に胸を打たれながら
もう一つの夢へ
別の夢へと落ちていく








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