第24話

文字数 6,110文字


滝と目玉



男が枯れた木に寄りかかって
そこから伸びた枝に抱きついている
ピクリとも動かない
もしかしたら彫像だろうか
瞑想しているようにも見えるが
いや、何も考えていないようにも見える
その先にも一人いる
うつ伏せで寝ている
切られたばかりの生々しい切り株に口づけしてうっとりしている
まだ先にも一人
大木に空いたウロからぼんやりとした顔と裸の胸が覗いている
身体を木にぴったりとくっつけて何かやっているが
こちらをじっと見ている
何をしているのか考えないようにして通り過ぎる
「目玉が一つ、ついて来ているよ」
三人のうちの誰かが言った
「わかっている」
分かりやすい道だ


〈人間の道を行け〉

「音楽が鳴っているよ」
「わかっている」
「本当に?」
滝の轟音がどこからか響いてきた
滝はもうすぐのようだ
随分長い間歩いてきた
日が暮れていてもおかしくない
僕はまだ見ない滝に思いを馳せた
だが、着く頃には夜になっているだろう
「夜半の滝の上には細い三日月がかかる
その近くでは一つの大きな星が瞼を開く」
三人のうちの誰かが言った
それは今僕が想っていた言葉だ
盗られてしまった
「夜気にはかんばしい月の雫が混じり
星の雫は大地を濡らしていく」
「滝は夜のすべてを飲み込んで輝く」
「星と一緒に僕たちを飲み下して輝いてください
どうかお願いだから吐き出さないでください」
後ろに三人の男がついて来ていた
一人はボロをまとい
一人はシルクのシャツ
もう一人はほとんど裸
「ついてこないでよ」
「滝への道なんだ
拒めないぞ」
三人は僕を取り囲んで迫ってくる
「目を見せて」
「君だけ、あっちでいい思いをしたに決まっている」
「僕たちにも見せろ」
裸に後ろから羽交い絞めにされ
オシャレとボロに目をこじ開けられた
僕は叫んだ
「目はあっちだ
これじゃない
あっちだぞー
あの目に用があるんだろうー」
「黙れ、皆あの目には用があるんだよ
でも今は君の番だ」
今度は黒ずくめの大男がすぐそばの木から現れた


〈第一章メヌエット〉

踊っている
「おお、音楽はメヌエット
お客さんだろ
ようこそ 聞かずの森へ
乱暴に扱うなよ
聞け この霊妙な音色の高貴さを
まあ、お前には聞こえないだろうが」
そう言うと僕を担ぎ上げた
カニのような横歩き
そのうちフォックスロットで踊り始める
「あの、ぜんぜん進んでいないのですが」
なにがメヌエットだ
助けてくれたとはいえ酔っ払いだ
「滝への道だぞ
皆、欲情している」
「何!」僕から血の気が引く
「おろしてくれ やめてくれ」
「何だよ、お前なんか誰も相手にしないよ
僕たちが相手にするのはいい匂いとかだよ
なかでも木は最高にいい」
「木?」
「そう、木とか」
「お前は臭いぞ
お前に木の匂いがしたら私らは皆大いに喜ぶのだが
滝は近いぞ」
彼は突然、僕をドサッと落とした
そして僕にピッタリとくっついて隣に座る
じっと僕を見つめている
「なんなの?」
「これからどうするのだ
お前は三人見つけた
俺は自分から見つかったから数には入れない
どうするの?これからどんなことをするの?」
そうゆうことか
観客だと思えばいい
滝への道だ
観客だっているさ
さっきから僕の頭上で目玉が何やらほざいていたが
僕と目が合うと滝の中へ入っていった
「帰しちゃったの?」と大男
がっかりしている様子
「沢山になって戻ってくるよ」
三人の男だ
やっぱり僕について来ていた

夕暮れ
僕は滝の前でこっくりこっくりしている
「あああ、こんなところで寝ている
よく眠れるな
滝の前だぞ」
「起こさなくちゃ」とオシャレ
とうとう彼らは声になったようだ
そのうちこの声も僕から去っていくだろう
「暗くなるぞ
怖くなるぞ」裸だ
今度は僕を脅す気だ
「誰もお前を知らない」ボロだ 
しらばくれる気だ
三人の男に一人の大男か 僕は溜息を漏らす
しかし彼らはいない
オーケー 消えた
しかし僕は彼らを消してこれからどうするのだ


〈第二章セレナード〉

眠っていたのかな
「おお、夢ひとつない真っ暗闇
誰もいない森
星も月もいない」僕
「いいよ、戻って来ても」ボロ
「君は三人しか見つけられなかった」オシャレ
「今度はもっと見つけるようにするから許しておくれ」僕
「そうだ努力と何かが足らなかった」裸
「そうだ、その何かと欲情が足らなかった」大男
「あ、流れ星」彼ら
「ああ、星よ
どうか僕の胸に火を灯しておくれ
流れ星ひとつに願いはひとつ
どこかでどれかの星が願いを叶えています
だから僕を許しておくれ」僕
「いいからさあ、カウントダウンしよう
十からでいい?」知らない人
「その前におまじない
日づけよ、変われ」オシャレだ
あれ ボロはどこ?
見ていないな 
九 あれ オシャレはどこ?
八 あれ 裸はどこ?
七 あれ
六 あとは一人でやれ 大男だ
五 あれ 僕はどこ
四 何を血迷っている 滝の前だぞ
三 メヌエット
二 違うメヌエットはもうやった
一 セレナード
〇 滝の中から沢山の羽虫たちが飛び出してきた
びっくりした びっくりした これは羽虫たちの声か
一 僕は起き上がった
二 起きたか やっとやる気になったな
三 僕は寝ていませんでした
四 四人の証言 彼は寝てしまいました
五 目玉よ と言え
六 目玉よ
七 来るぞ 
八 あれ ボロとオシャレだ
九 あれ 裸だ
十 あれ 僕はどこだ
ここにいるのは僕ですか?
カチン
はずれた
結構単純な番号だったな
ゼロ 目玉が沢山滝から飛び出してきて羽虫たちを追って行く
「助けて 助けてくれ」知らない人
一 食べないで 食べられちゃう
四人が悲鳴を上げながら叫ぶ「カウントダウン中止」
お前、目玉に何を食わせる気だ
奴らには羽虫でも食わせておけばいいんだ
さあ、君の眼玉を返すぞ
え!
ひとつ それとも、ふたつ もしかして、みっつ?
二つにしといてください
見えたか?
何が?
番号合わせだよ 
数字を入れろ お前だと証明しろ
私の見たものに間違いありませんと
それって どんな数字になるの?
誕生日
なんだ、では・・・
なにそれ お前の誕生日か
違うの?
僕たちの誕生日だよ 
じゃ、ここに並んで、順番に自分の誕生日を言ってくれ
さあ、打ち込むよ
オーケー
俺たちの誕生日を知らないんだとさ
ボロ 恋人の誕生日を忘れた奴は最低
オシャレ 恋人の誕生日を無視した奴は最低
裸 恋人に誕生日を聞かなかった奴は最低
大男 恋人の誕生日に殴った奴は最低、いや地獄落ち


〈第三章アダージョ〉

ベートーヴェンの森へようこそ
さあ、楽しいことを思い出そうか
そうしないとこの森はこんがらがるぞ
こんがらがると厄介で面倒くさいぞ
大男はピンク色だ
綺麗なピンクですね、でもあなたには似合いませんよ
うるさい
これは彼女を思い出す色、恥ずかしいけど本当
ベートーヴェンにピンクを混ぜ合わせると彼女の記憶になる
どんな曲になるのだろう? 僕の独り言
さあ、みんな 我慢が肝心だ
君が恋人を探し出したようにやろうな
そうだ僕たちも見習おうぜ
僕が何を探し出したって?
僕たちだよ、君の恋人たち
まさか
男たち 本当

芥子の花畑だった
誰がこんな危険な花を植えたのだろう
満開だった
滝の向こう側で僕たちは芥子の花をつんで
次々に匂いを嗅いだ
「頼むから酔わせてくれ」僕
「花を千切らないでよ」オシャレ
「倒れるなよ 倒れたら滝に放り込むぞ」裸
「ある時、蜂が芥子から蜜を作った
時には酔っぱらいたい
おお アダージョだよ 」ボロ
「蜂から蜜を盗んだのは?
みんなが犯人?
蜂を殺したのは?
それは蜂?
では誘拐したのは?
巣ごもり中の蜂たちよ
人間注意報発令中
あれ 砂糖で誤魔化されたのはどいつだ
おや、砂糖のほうが甘いぞ」大男
「芥子と酔っぱらいのダンサーたち
それに盗人
混ぜ合わせるとどんな蜜になる」僕
「花の中の蜂に睨まれた
ごめんなさい
あなたの悪口はもう言いません」オシャレ
「どうか僕たちを酔わせて下さい」三人
「捜せ 蜜じゃないぞ」大男
「蜜は甘くて危険だ」裸
「ここには他のご褒美があるのかな」ボロ
彼らの声はつづく
声はつづく
「ミツバチたちはブンブンいって僕たちに魔法をかける」
「この世に催眠術は存在しない」
「眠りの中は麻薬だらけ」
「彼、また眠たそうだよ」
彼らは叫ぶ
「気高くも、ベートーヴェンの森だ
耳をすませ」
鳥たちの囀りが聞こえた
いや、羽虫たちだった
「聞かないで
これは誰の眼玉か
何に使うのか
今は見る時ではない
見る者はまだ存在しない
それでも君たちの眼玉を運んでいる
ああ、重い
なんで私たちがこんな重労働
あ、ダメ
誰のか言った者は死刑よ
それでも重たい
死刑宣告されたって重さは変わらない
どうでもいい
なんでこんなところで重労働
沢山の目玉
飛べない目玉
ああ なんて大変な仕事
ああ ここに降ろしてもいい?
誰か
ああ ここらへんで落しちゃおう」
「ここはやめといたほうがいいよ
芥子のお花畑だよ」僕
「芥子だってさ
誰がそんな余計なものをこしらえた
いやな匂いだ
人間に騙されるな
戦争の手先になるな
お花畑なんかじゃない
蜂が重労働
監獄 地獄
ここにほっぽり出して腐らせてしまおう」
「見るべきところはどこ?」三人
「お願いだからもう少し先へ運んでおくれ」僕
「ここで墜落した振りをしよう
わあ、細い木だな 糸玉のように絡まり合った木だわ
痛い 痛い 彼らが私たちを叩く」
「ああ、ロンドに変わった」三人
それでもベートーヴェンの森を抜けるのはキツそうだった
「抜けたら大空へ行くわよ
真空を目指すわよ」
「待って 行かないで 僕たちを見て」
「あなたたちはそこで墜落していなさい」
行ってしまった
「恋人はどこだ 恋人はいない」彼らだ
「幸せはどこだ 幸せもない」
「人生はどこだ 人生を失った」
僕は無性に腹が立ってきた
「情けない声を出すな
歌え
鳥のように歌え
ここには羽虫しかない
お前たちが歌え
ベートーヴェンになんか負けてたまるか」
四人の男「あんたをどうやって歌えばいい?」
「僕ではない
愛を歌え」
「あんたを森のように愛そう」
「あんたを川のように愛そう」
「あんたを山のように愛そう」


〈第四章ロンド〉

逃げろ 急げ
彼らは逃げる
逃げるんじゃない 怖いものなどいない

〈滝の中〉

参ったな 短長だ 悲しいのは願い下げだぞ
「水は歌う」
水は歌っていた
短調だけどもロンド 
クルクル回ろう
歌っている水を掻き回そう
離れちゃうよ
手を繋ごう
そうだ、ポーズを変えよう
ポーズにもっと変化をつけたら 手が届かない 足も届かない 唇も
ポーズにもっと刺激をつけたら 卑猥だと言われた 逃げられた 出てけって
ポーズに 木が僕に蹴飛ばしてくれって どうしよう
今度は仰向きにしようかな まて、あれを枕にするの? さあ?
ウロから出たくない いい子だから出ないでおくれ
君はどんなポーズをとるの?
僕?
そう、君
早く決めてくれよ
ロンドなんだからさ
目玉が戻ってくるからさ
みんな、飛び回れ
皆で跳ねまわってピョンピョン飛んだ
羽虫たちはおっつけ全滅
奴らロンドになると集まるぞ すると一網打尽だな
羽虫たちは狂っている
狂っているのは音楽
え!ベートーヴェンが狂う?
違う 僕たちの音階
この中にひどい音痴がいるぞ
誰がここに音楽なんか持ち込んだのだ
音楽は最初からここでクルクル回っていました
それは羽虫だろ
では音楽は羽虫です
それとも僕たちに目を回した目玉とか
あの目玉最初から僕たちを見ていた
君を見ていたのだ
あ、雷が落ちた
森だ 森に落ちた 木だ 僕たちだ
それで、停電になったの?
え? そうかもしれない
それで?
それでって?
君はどうしたの?
僕は誕生日のロウソクに火を灯した
ああ、なんと
君、誕生日をもやしてしまったのか
それでここに来た?
あのさ、ロウソクの炎は完璧だったのかな?
そうだな、惚れ惚れするような火だった
おお、完璧な火の玉だ
さては、まだ燃えているのだ
いや、そうゆうことはないと思うけど
あ、目玉たちだ やけに多いぞ 手ごわいぞ
「お願いします 僕たちに火の玉を下さい」四人の願い
みんな早くポーズをとれ 大男だ
君、早く新しいのを決めてくれ
僕? 僕もするの?
そう、君のポーズを決めて
君のポーズは?
そうだな、僕はあの木に縛って欲しい
ロープがない 
ロンドだ 急げ ロンドだ 急げ
ベートーヴェンは急いでいなかったぞと僕
ロープがないんだと三人 
あの木に絡まっている蔦に伸びてもらえばいいだろうが と大男
だから君は呪文を唱えろ
え!
みんなを中に入れろ
え! え!
大きい火の玉を取るんじゃないぞ
大きいのはみんなを焼いてしまうからな
いいな 小さいのにしとけよ


〈滝の中の空間〉

空洞だ 空洞だ ぽっかり開いた空洞だ
おお胸の痛みよ
おお胸を焦がす炎熱よ
火の玉がいたぞ
森の女神が言いました
こんなひどいところに落ちたなんて なんてかわいそうなあなたたち
僕 落ちたのですか
ボロ 転んだのです
オシャレ 倒れたのです
裸 死にそうなのです
四人 お助けを
女神 ここに火の玉が三つあります 好きなのを選んでください
ありがたい これで火を灯そう これで暖まろう 灯しかたは?
ボロ 一番大きいのをください
僕 大きいのは服を焼いてしまうよ
ボロ こんなの洋服とはいえない 誰が僕にこんなのを着せたのだ
オシャレ このシルクのシャツの趣味の悪さ こんなの着せられて
裸 僕には燃やす洋服がない
あ、火がついたぞ 言っただろ
燃えろ 燃えろ いい気味だ こんなの燃やしてしまえ
僕には燃やす洋服がない
お前、気の毒に こんなにいい火があるというのに
燃やすものを何も持っていないなんて
みんな焼けちゃうよ 君たちまで焼けちゃうよ
だって、こんな恋人たちなど君はいらないだろう?
でも僕たちは君の胸の火を大きく、うんと大きくしてやろう
ああ、女神さま
どうか僕に一番小さな火をください
彼らが焼けないようなささやかなものを
あ、消えた 全部なくなった 空洞の空気も
空気がなくなった だから火は消えた

再び滝の前
大男が座っている
あの、目玉たちがどうなったか知りませんか?と僕
君たちがいないので滝の中に帰ったよ
途中で会わなかったの?と大男
「誰にも会えなかった」ボロ
「落ちたから」オシャレ
「おお空洞よ」裸
「女神の火よ」ボロ
「優しき女神の火で目がくらむ」オシャレ
「女神様、僕たちにもっと空気を」裸
「火には勝てなかった」ボロ
「空気に殺されかけた」オシャレ
「女神様、あなたの火で僕たちを窒息させてください
僕には焼かれる洋服がありません」裸
僕は大男に言う
僕は失格したと思うと
女神から火はもらえなかったと 女神は笑わなかったと
いや、笑ったな 俺たちのこのバカ騒ぎに
そういうことなのですか?
ああ、そういうことだな
送ってやるよ
三人は別のポーズで固まったから
俺は自分から見つかったから固まれない


〈ロンドは終わった〉

くよくよするな
帰り道はとりわけ寂しく感じるものさ
もう来るなよ
誰にもここのことは言うな、いいな
「あの、それで羽虫たちは僕たちの眼玉を一体どこに降ろしたのでしょう」
知らない 俺たちには 
お前なら、俺が返したその目で見始めたらいい それで終わり
何が終わりなのですか?
おお ベートーヴェンよ さようなら だな
行けよ しんみりするのは嫌いだ
お別れだよ もうそれしかここにはない
大男は引きかえして行った
彼の姿はだんだん白っぽくなっていった
その大きな肩の上に、どこから飛んできたのか三羽の鳥が止まった
歌だ、と僕は思った
どこからか歌が聞こえてくるのを感じた
しかし小鳥は歌わなかったのかもしれない
今となっては小鳥だったかどうかもあやしいが




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