第17話

文字数 5,175文字




    交差点とアオサギ



    (一)


疲れていた
しかし、急かされていた
しかし、たまらず地面に倒れ込んで横たわった
しかし、地面は割れ、そこから熱気が噴き出してきた
地面はもっと割れそうに震えていた
「それ見たことか」
私を見下ろして男が言った
気温は今にも四十度を越えそうだった
「急げ」自分に言った
見知らぬ女が私の腕を掴んで起き上がらせると
急いで逃げていった
ありがとうと言いそびれたので
「あなたは急いでいる」とつぶやいて歩き始めた
隣を歩いていた男が早口で「急いでいる、急いでいる」と言って
首を傾げ
うなずき
首を横に振った
「キャーッ」女性が交差点の先で悲鳴を上げ
通り過ぎていく人々が急に走り出した
一人の子供が取り残され
一人の老人が転び
走り込んできた自転車の女が残された子供を
前かごに乗せると大急ぎで走り去った
「ギャーッ」交差点でアオサギが叫んだ
「ギャーッ」もう一度叫んだ
私は交差点に入り、ゆっくりとアオサギの横を通り過ぎた
下を見ればスニーカーの紐が解けて長く垂れている
面倒くさいのでそのまま歩いていく
「ペタペタ、ペッタン、ペッタン」
靴底にコンクリが溶けて張り付き
垂れている紐を引っ張った
「急いでいるんだ」私は溶けだした交差点の白線に向って言った
交差点の中心は渦を巻き
そこに口らしきものが現れ
私に熱風を吹きかけた
途端に私の視界からアオサギ以外のものがぼやけていった
「アオサギ以外の風景が空へと吸い上げられていったぞ」
私は首を長く伸ばしたアオサギに言った
「今、四十度を越えた」とアオサギ
「現実は四十度を超えないと届かない場所へ行った
我々で見送ろう」と言った
私は風景が低い温度から高い温度へと
ただ移行していくところなのだと思おうとした
「急げ」誰かが誰かに言っている声がする
途端に元の景色が戻ってくる
しかし道路上に一人の男が横たわっていた
「取り残されたのか?」私はアオサギに聞いた
だが、あんなところで寝ていたら死ぬぞと思った
とにかくここで眠ってはいけないと思った
「起きろ」
私はその男に叫んだ
「おーい起きろ」「おーい誰か」
しかし近づいていくとそれはカサカサの抜け殻だった
しかしそれはどこか私に似ているようでもあった
「おかしいな」と私
「どうしたのさ」先ほどのアオサギが近づいてきて言った
「急いでいるんだ」と私
「急いでいるって誰が?」とアオサギ
「さあ、誰だろう」
「だが抜け殻はここにある」とアオサギ
嘴でつついている
そして「当然不在だ」と言う
不在?
「お前も急いでいるな」とアオサギ
「いや、抜け殻になぞならないぞ」
アオサギは首をひねって左目で私を見た
きっと右目の調子が悪いのだろう


    (二)


「誰も来ないね」アオサギがポツリと言った
「いや、皆ついに融合を果たしたのだ
例えばAとBとが」私は拾い上げたカードを日にかざした
交差点には沢山のカードがぶちまけられ散乱していた
「Aは飛ぶこと、Bは歩くことにしよう」とアオサギ
私はカードをひっくり返す
Aには足、Bにはイタリアと書いてある
アオサギはまだ私の隣にいた
そこは交差点の真ん中だった
しかし交差点は拡張されていた
そして日時もそうかもしれなかった
「さて、ここは人間には果てのない場所になった」
私とアオサギは同時に言った
「ここでは見渡すだけでいい」とアオサギ
「ここでは待つだけでいい」と私
「しかし急いでいるんだ」とアオサギ
「急いでどこへ行くんだよ」
「ⅭとⅮだよ
一緒に行こう」
「だから、どこへ?」
「次はⅭとⅮだろ、分からないなら踊りながら行こう」とアオサギ
私はⅭとⅮのカードを拾い上げる
Ⅽには上、Ⅾには駅と書いてある
「君、飛ばなくてもいいの?」
「もういいんだ」とアオサギ
「℮とFならどうだろうか」と私
「それはバカがすることだよ
気分が落ち込むな」
「では、GとHでは?」
「それはだんだん死んでいくということだぞ」
「それはペリカンか何かの占いなのか?
どちらにしても、私たちは皆死んでいくところだよ
では、戻ろうAとBへ」
「戻れないさ」とアオサギ
「何だかつまらなくなってきた」と私
「Hの先はないの?」
また左目で見ている
「勿論あるさ
まだまだうんとあるさ」と私
「それではそれにしようか」とアオサギ
「それとは何なのだ?」
「勿論まだまだあるものだよ
ところであれは何だろう?」
拡張された交差点の中心に
白線の途絶えた灰色のコンクリートの真四角の場所に
いつの間にか五本足の靴が並べて置かれている
私たちは拡張された中心へと向かって歩いた
その靴は五本足ではあったがどこか巨大な鳥の足を思わせた
その時道の向かいからショッピングカートが転がるように走って来ると
私の前でピタリと止まった
「こんにちは」とアオサギ
「で、お前、その靴をお買い上げか」
「そうだと思う」
私は早速スニーカーからその靴に履き替えた
ここは靴を履き替える場所、そしてその頃合いだと思った
しかし、それを履いてみると鳥になった気分ではなく
木になった気分だった
しかし私は歩くことにした
それは木靴のようにコンクリートの上でコンコン鳴った
「いい響きだ」と私はアオサギに言った
「しかしコンコンではないな
こうするのだ」
アオサギはグェッ、グェッとなぜかしゃっくりをしながらステップを踏んだ
私もクック、クックと真似してステップを踏んだ
すると気分が盛り上がってきた
途端に自分のステップがなかなかのものに思えてきた
木靴なのにこれなら何時間でもステップを踏んでいられそうだった
しかし靴は明らかに私には大きすぎた
いつの間にかもう一つカートが走って来ると先程のカートの後ろに止まった
私は二つのカートを押しながらステップを踏み続けた
「ショッピングセンターはどこだろう?」
「それをサギに聞くのかい?」
アオサギは飛び上がるとカートの上に止まった
そして「カートA カートB カーカー」と言った
「これは君と私との融合の証
或いは私たちはこの中で生まれた」私は踊りながら言った
大きすぎる靴の中では五本の指が跳ねていた
「飛びたいな」と私
「いや、これは交差点を占拠する為にはるばるやって来たんだ」とアオサギ



    (三)


どこにも行った覚えがなかった
まったく動いていなかった
しかしこれは次の日のことだと思った
「ここで踊っていよう
これからはどこにも行かないことにしよう」とアオサギが言った
カートは二つとも見あたらなかった
白線は塗り替えられていた
真っ白だ
私は空を旋回している他のアオサギたちを見上げた
下を向いて踊っているアオサギ
右目の悪いアオサギ
その二本足が白線を踏みつけ
白線を飛び越え
白線をまたぎ・・・
私は自分の五本指の重い靴でそれを見て突っ立っている
今は本当の木になった気分
私はアオサギに言った
「果てはあるさ
それだ
その白線だ」
アオサギは途端に動きを止めると
馬鹿にしたように私に右目を向けた
それは昨日より濁っていた
「これが果てなら僕の目にだってあるぞ
この目を見ろ」
しかし私はその目を余りよく見る事は出来なかった
途端にその目に取り込まれてしまったからだ
そして閉じ込められてしまった
「どうしてアオサギなんかが付きまとっているのか
おかしいと思っていたよ」
「ごめん」と青サギは言ってコンクリを嘴でコンコンと叩いた
「いや、コンコンではないな」と私
「ここはもっと複雑なはずだ」
空を旋回していたアオサギたちが次々交差点に降りて来た
そして私を右目の悪いアオサギごと空へ運び上げた
しかし彼らはそこに私たちを置くと飛んで行ってしまった
「ここは空の何なのだ?」と私はアオサギに聞いた
「あまり複雑ではない所かな」自信がなさそうだ
「君、飛べるだろうな」
「さあ」
「さあ?」
そのうちアオサギたちがどこからか戻って来ると
右目の悪いアオサギの前で大きく旋回した
私は彼らをアオサギの目で追った
彼らは高度を下げると交差点の先の歩道に降り立った
そこにはペンキで池の絵が描かれていた
子供の落書きみたいだ
だが、そこに降り立ったアオサギたちの口には
なぜか羽ペンが咥えられている
そして道の脇に並べて置かれているペンキ缶
彼らは歩いていくとそこにペンを突っ込み
池に何やら書いていった
さも楽しそうに、首を振り、振り
「クックル、クックル」私は叫んだ
アオサギの中のどこかで私は五本足でステップを踏んだ
「今は踊りたくない」とアオサギ
私は構わず「クックル、クックル」と叫んだ
彼らは様々な色で線を引いていった
ただの、何でもない線を
しかし複雑らしく見える線を
しかしこんがらがることのない線を
「サイン、サイン」私はなぜか楽しくなった
その時道端の木の陰に私が見知ったショッピングカートが見えた
そこに置かれている袋の中で何かが飛び跳ねていた
出たがっているようだ
「間違って買われて今は袋の中、
そこでバタバタ、ジタバタ」私はつぶやいた
書き終わったらしいアオサギたちが足踏みを始めた
「サイン終了」私は叫んだ
「カリ、カリ、カリ、」彼らはコンクリを足の爪でひっかく
そこに女が乗る自転車が走り込んでくると
子供を歩道に放り出した
「消すの?」子供が女に聞いた
「違うでしょ?
完成させるのよ」
女は走り去っていく
子供は歩道に座り込むとすぐに落書きの続きを始めた
赤と青の水がペンキ缶から歩道へと流れていく
その上に黄色い花が咲く
水中からそれを見上げている大きなサギの顔
そこに緑色のカエルと茶色いカエルが跳んでくる
茶色いカエルは池から出て歩道をはねまわる
赤は池の中の太陽になる
「カエルが一匹、カエルが二匹、三匹のカエルに四匹のカエル」
「カエルがピョンピョン」
「二匹がピョンピョン、三匹がピョンピョンピョン」
私はステップを踏む
「世界はこうして交差点から始まる」とアオサギ
「ここから出してくれ」と私
すると私の手に一本の羽ペンが落ちてきた
「サインするの?」
「そうだろうね」
私は早速羽ペンを近くの血管に突っ込んだ
そして、赤字で「交差点」と書いた
「なんて書いたの?」
「交差点」
「想像力なさすぎ」
「それでは」
私は青サギのドッキンドッキン言っている心臓のすぐ近くに
再び羽ペンを突っ込んだ
「それは心臓」と書いてハートと矢をその下に描いた
「なんたる平凡」とアオサギ
だが、その赤く染まった羽ペンを握りしめて下を見ると
あの交差点が又見えてきた
白線の途絶えた交差点の中心が
そして、そこに羽ペンから赤いインキが垂れて落ちていった
三つの赤い点
「サイン完了」
少し眩暈がしてきた
「気温が上昇しても
ぼくたちが上昇してもそこは交差点」とアオサギ
そして「降りようか」と言った
緑のカエルも池から上がって歩道から交差点へと差し掛かっていた
アオサギはカエルを横目で見ながら交差点に降りると
赤い点へと歩いて行った
子供の姿はなかった
代わりに交差点の真ん中には私が脱ぎ捨てたスニーカーがあった
しかしペチャンコになっていた
「トラックが轢いていったんだよ
君はあそこにいてよかったね」とアオサギ
「あそこじゃないだろ?
君の中だろ?」私は地団駄を踏んだ
「なんで怒っているのさ」とアオサギ
横断歩道の白ペンキは黄ペンキに塗り替えられていた
「出たいかい」とアオサギ
「いや、もう少しここにいたくなった」と私
道の向こうから一本の木が合図を送っていた
道が地震のように揺れてコンクリが割れていった
道の向こうの木がコンクリから根を引き抜こうとして
身体を揺すっていた
持ち上げられてくる五本の大きくて太い根
私の大きすぎる五本足の靴の指先
広げられていく五本の根
「あそこへ行くかい?」とアオサギ
「ああ、いいね」と私
「急ごうか」とアオサギ
「別に急がなくたっていいよ」と私
「しかし、もうすぐ君の現実を吸い込んだ空が
それを返しにここまで来るよ
おっと、仲間たちだ」
アオサギが「ギャーッ」と鳴いた
行けと言っているようにも
来いと言っているようにも思えた
それとも「池」かもしれない
「気温が四十度を越えて良かったね」とアオサギ
「そうだね」と私
「君の現実もその温度を越えると変形するからね
もしかしたら、その温度と共にピンと跳ね上がって
果てまで飛び上がったのかもね」
「ところで、君から出るにはどうしたらいいの?」
私は無性に自由になりたかった
「ああ、それなら簡単さ
そのペンをぼくの心臓に突っ込めばいいんだ
さっきよりも正確に、するんだよ
そしてそれがピクピクと合図を送ってきたらもっと深く突き刺すんだ
そうして君は身構えるのさ
用意はいいかな
そしてだよ、そのピクピクが止まった途端
とにかく、がむしゃらに
しゃにむに
飛び出る」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「君はどうするの?」
「どうもしないさ」
「そんなことをしたら君は死んじゃうだろ」
「そうなの?」
「そうだよ、きっとそうだ」
「それは困ったな」
「そうだね、もっと考えようよ」
「そうだね、そうしよう、もっと考えよう」
「ねえ、もう少し一緒にいてもいいかい?」
「ああ、いいよ」
「ありがとう
苦しくないかい?」
「気にしないさ」
「ありがとう」



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み