第1話

文字数 2,871文字

    森


森は私たちの周囲に広がっている
私たちはその森を描き続けている
その前の画家たちと同じように
そして同じ照明がここを照らし出す

それは散乱する絵具のチューブを見出し
立てかけられたキャンバスの絵を見つめる
ここは家、ではなくて照明
そしてライトたちは明滅し私たちの目に囁く
森は苦しんでいると
木々は身をよじらせ
もはや天を目指さないと
大気は悪夢にうなされ
水は耐えていると
そして私たちが家にこもり、どんな森を描こうが
ここの証明を変えることは叶わないと

チューブからは
様々な絵具が垂れ流され
やがてキャンバスから床へと滴り落ちていく
家は次々押し出されてくる様々な色彩の中で
混乱した水の渦巻く池となる
私たちはイライラして家中を歩き回り
足はジャブジャブと絵具をかき回すばかり

森の木々からも
私たちが押し出した絵具が溢れ出していく
それはほっそりしたツルツルの幹や
太いゴワゴワの幹を流れ落ちていく
昆虫たちはヌルヌルした絵具を頭から浴び
まるで絵具の一滴のように垂れていき
姿を変え
森の深みへと落ちていく
その時、洞窟から船がやって来る
そして船長が呼ぶ
「最後の船だ
乗らないか」と

巨大な船は森の中をすべるように進む
森は水没したと照明はささやく
木々は腐り、川は汚物で溢れていると
瘴気を発している沼沢地に迷い込んだ船は
池の中をくるくると回る

船長は言う
「今や、色彩が力を持っている
色彩がこの船の動力源だ
そして黒へ向かう
そして黒は白へ向かう」
私たちの家から流れ出た絵の具が池へと向かう
船の周囲では青と赤が渦を巻く

森の中の乾いた地面の上に座っている人々は
瞑想し続けている
そのまま座り続けてやがて木株になる
森にはそのような人々があちこちに生えている
木と人と何かのハイブリッドたちも生えている
船はそれらの間を抜け
そして、人々と木々と何かのハイブリッドたちを積みこんでいく
腐った木や枯れ木と合一した者たちも積み込んでいく

ここでは毎日人々が木々の中で木と共に腐っていく
そして、人々と木々との交配の朽ち果てた森に夜がやって来ると
金色に光輝く人々が天使の恰好で降り立つ
黒い森に家々が星々のように散らばる中
家々の門を通って彼らと彼らの意識が
微細な糸のように何物かを紡いでいく
暗い森の中で星々を巡るように
そして私たちは彼らを見出だす
そして何かが互いに絡み付く

何か見えないものらが別のものを見ようとする森
交配した者たちはあらゆる場所に浸潤していく
地面の中、草の中
壁の中、机の中
そして、このところ落ち葉は降り続いている
家の中に
キャンバスの中に
心臓と心の中間地点に

木の葉たちが夕刻うす暗くなった空に舞い上がる
朝明けの空へと舞い上がる
そして彼らは私たちを通っていく
すると私たちの描いた絵が私たちからこぼれ出し
床へ滴り落ちていく

まだあの池でくるくる回り続けていた船
その船の舵を船長がとうとう切る
ぎいぎいぎしぎしという音を響かせ船は動き出す
突然目の前に姿を現す巨大な船
星々のような家々を巡って船長は呼ぶ
「最後の船だ
乗らないのか」

天使たちの手にも絵筆が握られている
彼らのべったりと絵の具に汚れた手
その中には目がある
彼らはその目を私たちに渡したがっている
私たちのもう一つの目に差し出したがっている

天使たちが冬の日差しを見つめて物思いにふける時
私たちも時々木の葉を纏う
冬枯れの日には森にも腐って湿った木の葉が
小雨のようにしとしと降りしきる
家の中で私たちは様々に降ってくる枯れ葉を纏って
サラバンドを踊る
森のはずれの滝の下で
行き場のなくなった木の葉たちが円舞を舞うように
そして私たちは繭になった振りをする
そして何者かと共に変成しようとする

私たちの家は森の中にぽつんぽつんと建っている
誰にでも見つけられる
枯れて変色した木々のような家々
木々が倒れるより前に倒壊していく家々
その壁に囲まれた小さな空間が唯一絵描きたちの場所
私たちが描いてきた風景の場所
それはやがて森に食い荒らされて
昆虫たちと共に土に飲み込まれていく
しかし、そこからはまだ緑色の森が見える
例え誰も信じなくとも

森の中に点在する瘴気を発する沼地
その端で動物たちが死んでいくと
そこには彼らの毛皮が残される
厳粛な静けさが辺りを包み込む時
私たちの誰かが思わずそれを描く
それは美しい
朽ちた森も腐った沼沢地も美しい
天使たちが、或はただの夢遊病者たちが
この世界の先へと歩いて行くのが見える
ここがどこか見失った私たちの森を抜けていくのが見える

やがてここが冬になっていくと
真っ白い毛皮を羽織った者たちがやって来る
彼らが優雅にまとっている毛皮の美しさ
冬はあの池の端で獣たちが脱ぎ捨てた毛皮を通ってやって来る
そして彼らは家々の玄関でその毛皮をもう一度脱ぎ捨てる
彼らが空へと放り投げた毛皮を風が受け止め
彼らの森の何万本かの枯れ枝の一つに引っ掛ける

冬枯れの凍り付いた川の端に家々は建ち並ぶ
森の中、家々は何かの道標のように建ち並ぶ
そして家々は、或は照明は、時々その配置を変える
森の枝々には真っ白な毛皮が掛けられている
空には冬の瞳が開く
そして毛皮の中で閉じられている獣たちの瞼の下を見つめる

私たちは彼らを招き入れる
彼らは私たちの瞳を見る為に奥へと入って来る
そこで私たちが描く瞳は様々な色彩を放っている
青やオレンジ、緑、黒、黄などあらゆる色を持った瞳の光彩
しかし彼らが来ると家の中にはもっと別な瞳の色彩が溢れ出す
瞳の色彩はそれぞれにそれぞれの世界を持っている
そう、世界は冬になり彼らがやって来ると益々重なり合っていく
白の世界で
来訪する者と招き入れる者
そして獣たちの瞳が開き別の灯が灯ると
張り詰めた氷の上をあの船がすべるようにやって来る
「黒から白へ船は進む
色彩は船を動かす」
船長が呼ぶ
「最後の船だ
乗らないのか」
森の奥からは寝つけなかった動物たちが
雪のライトに照らされた道を
船に向かってやって来てその船に乗り込む
彼らも又森の中にその毛皮を脱ぎ捨てて来る
森には彼らの脱ぎ捨てた毛皮が
船への道標のように続いている

氷の間を風が通っていくと毛皮の微細な羽毛は
ささ波のように揺れ、草のようにたなびく
そして私たちは家の中に座り
さまざまな色彩の瞳に取り囲まれながら
混ざり合ったものたちを取り出そうと苦労している
森に凄まじい吹雪が吹く頃
動物たちはその視界のきかない世界で
自らの瞳と共に行ってしまった
森は純白になった

翌朝私たちは家から出て
玄関や庭に雪だるまを作り雪合戦をする
凍り付いた道を滑ってスケート靴を履いた子供たちが
何所からかやって来る
雪合戦をしないかと声を掛けると子供たちは私達と一緒に遊んだ
次々と子供たちがやってきて私たちと遊んだ
私たちは子供たちと描いたキャンバスを森へ持っていく
そして木々の間に立てかける
枝々では雪を纏った毛皮が
凍り付いた無数の毛皮が
死体のようにぶら下がっている

夜になると子供たちはいなくなり
真っ白い森は独りぼっちで灯火を灯した
私たちは家の中で再び森の絵をかき始める
私たちを乗せた家は、或は照明は、何かを証明する
そして魂は木霊のように朽ちた森をさ迷い
まだ何か見るものはないかを心細げにさ迷っていく







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