第20話

文字数 4,222文字




     首に蛇を巻いた少年



男が突然振り返って私に言った
「なぜ、ついて来るのだ」
「いけないの?」
「この道を私と歩けるのは死者だけだぞ」
「じゃ、なぜ私はここにいるのかしら」
「そんなこと知らない」
「私は死んで生まれてきたそうよ
産声も上げられなかった黒紫色の塊だったそうよ
だから、ここにいるのかもしれない」
「そうか、お前は死に損ないか」
「いえ、一度死んだ者よ」


そこに今あるのは古びた立て札だけだ
「建設予定地
立ち入り禁止」
しかし柵などはなく夏の雑草がおい茂っているばかりだ
その丈高い草の間から
途切れた鉄路の先がキラッと光ってのぞいた
それは美しい鋼鉄の輝きを放っており
決して錆びつきボロボロになったものなどではない
私はあの時枕木の外された線路をたどって歩いていた
やがてそれは古びた倉庫の中へと入っていった
扉は開け放たれており
中で舞っているホコリに光が当たって
それが優雅なカーテンのようにたなびいていた
中に入って行くと
うす暗い室内に天井に開いた穴からから無数の光線が
まっすぐ何もない床へと降りてきている
倉庫はきれいにかたづけられており、さっぱりしている
ホコリなど舞い上がってはいなかった
窓はすべて板を打ち付けられていて
外から侵入出来ないようになっていた
それなのになぜ扉が開いていたのか不思議だ
線路は倉庫の真ん中で断ち切られていた
切られた先は不自然に持ち上がっている
私はその先に触った
するとそれは熱を帯びていた
鉄路は冷たい輝きを放っていたのでその熱にひどく驚いた
その熱は自然に温められたものなどではなく
間違いなく発熱したものだった
見れば床には何か長い物が這った跡が黒くついている
それは濡れていたようだ
私はとっさに飛び上がって鉄路の先にぶら下がった
その時、確かに何かがすぐ下を通って行った
しかしそれが何かは見ることが出来なかった
どうして見えないのだろう
すぐに倉庫のもう一つの扉も開いており
そこから私の顔に真っすぐ光が来ているのだと気づいた
すべてがその逆光の中でただの影の輪郭になってしまっている
その光の元では動くものを捉える事はできないのを知った
私はすぐに線路の上に這い上がった
どうしてそうしようと思ったのか
しかし背後が光ってすぐに大勢の人々の話声がした
振り向かなかったと思う
しかし何を話しているのか聞こうとした途端
それは私のことだと気づいた
そしてどうしてか恐怖にとらわれていくのが分かった
同時に「私はここにいないのだ」と思った
でなかったら私の後ろであんな大声で私の噂話などしないだろうと
しかしすべてが見えるようになっていた
光と光がぶつかり合って均衡をとったのだと思った
ほっとしたのを覚えている
そして開け放されていた光の扉から彼らが入って来るのが見えた
二人の少年
彼らはどちらも首に蛇を巻きつけていた
それも一匹や二匹ではなさそうだった


前を歩いていた男が振り返った
振り返った男の首には蛇が巻かれていた
私はその蛇を見つめながら男に言った
「もう一人の男の子はどうしたの?
大人になれなかったの?」
男は珍しいものを見るような目つきで私を見ると
「なぜ、もう一人のことを知っているのだ」と聞いた
男は私の前に来ると首に巻いていた蛇の一匹を取り
私に差し出した
「知っているわ
これはニシキヘビよね
あなたたちは言った
『こいつらはおとなしいんだ、怖くないさ
巻いてみろよ』と」
男はその蛇を私の首に巻いた
蛇はあの時のようにおとなしかった
男の首で残った蛇の一匹が鎌首をもたげ
口を開け
細い舌を出して揺らした
「蛇たちもお前の匂いを嗅いで思い出そうとしている」
「そうなのね、あの時の蛇なのね」
「そうだ」
しかし男の首には他にも何匹もの蛇がいた
そして道の先からはひときわ大きな蛇が這ってくると
男の足を這い上がって行った
私は男と並んで歩き始めた
「何回死に損なったのだ」
男が不意に聞いた
「三回かしら」私は素っ気なく答えた
男の表情は読めなかった
男はさらに聞いた
「どこからが現実でなくなったと思うのか」
「いえ、みんな現実に起こったことよ
あなたも、二人の少年も、ここも、蛇たちも」
しかし男は私から顔をそむけると前を向いただけだった
私は知っている
どちらも現実だと
しかしこれからのことがどうかは分からない


列車は終着駅に着いた
私はそこに降り立ったその列車最後の乗客だった
昔はこの駅前は大きな工場だった
そしてここからこの国最大の工場地帯が広がっていた
空には見渡す限り煙突が立ち並び
そこからは終日様々な色の煙を吐き出していた
空は時に極彩色の異様な色をしていたものだった
今では工場の大半が海岸地帯に移転して
整備された住宅地として開発し直されていた
駅前はショッピングモールで大層賑わっている
駅ホームの時計は丁度十二時を指していた
ホームには誰もいなかった
向かいのホームも同様
まるで廃線になった鉄道の駅のようにやけにひっそりとしている
私はこの雰囲気なら経験していると思った
何かが終わる前の
どこから漂ってくるのかわからない不思議な気配
そして私は知っていた
ここに私が最後に降りればそこに人は誰もいないと
そして列車止めの先にはやはり枕木のない鉄路が続いていた
想像したとおりに


「お前は見つけたのか?」
隣を歩いていた男が私に聞いた
「分かりません」
「そうか」
「だから、どうしてここにいるのか分かりません」
「そうだろうな」
「ただ苦しくなったとしか覚えていないのです
しかし乗り越えたのです」
「そうだろうな
それで鉄路はどうなっていたのだ」
「あなたは知らないのですか」
返事はなかった
しかし知らないはずはなかった


枕木を取り外された鉄路はもう普通の線路ではなかった
それは見つけようと思った者に見つけ出されるものだ
「どこに連れて行かれるかはその人次第だ」と言う者もいるだろう
しかし廃線したばかりの頃には
逆にこの路線を拡張する計画が取り沙汰されていた
そして十年程経った頃、まだ枕木の取り外されていないこの線を
列車が久しぶりに走るという噂があった
そしてその噂には様々なバリエーションがあった
一番ばかばかしいものは
夜中に誰にも知られないように走るというもの
まるで幽霊列車のように
そしてそこに乗り込んだ者はあの世へ連れ去られる
工場が大きくなるにしたがって大きくなっていった町
その度に延ばされていった鉄道
工場と町と鉄道は一体のものだった
そして工場は移転し廃墟をあちこちに残していった
私は町というものはどこかに廃墟を抱えているものだと思っていた
それがその町の余力のようなものだと
そしてその廃墟をも鉄路はつないでいたものだった
そしてそれが枕木の取り外された鉄路
しかし、それももう昔の話だ
結局その廃線を列車がもう一度走ることはなかった
しかし町の人々は何年もいつか列車が通るのではないかと
その知らせが届くのを待っていたのではなかっただろうか
無論何年待ってもそのような知らせはどこからももたらされなかった


前を歩いていく男は速度を落とすことをしなかった
私は男から次第に遅れ
今では随分先を男は歩いていた
男との距離
不意にそれが気になり出した
首に巻かれていた蛇に触ったが
その蛇が煩わしく感じた
早く蛇を男に返さなくてはと思い始めた
それで私は走った
しかし走ったせいでかえって男を見失ってしまった
そして今まで男がここを懐中電灯のように照らしていたかのように
途端に周囲が真っ暗になった
見失ったのは或いは男ではなく時間の感覚だったのだろうか
「真昼でも漆黒の闇になることはある」男の声がした
すぐに前方からぞっとするような冷気が吹き付けてきて
首の蛇が鱗の一つ一つをぎゅっと閉じていくのが分かった
「それじゃ、これは日食なんだわ」
自分がとんでもないことを言っていることは分かっていた
しかし「そのようなものだ」と男が答える声がした
「それとも、あなたを見失ってしまったのかしら?」
「いや、見失ったと思う時ほど近くにいるものだ」
男がすぐに答えた
しかしその姿はなかった
そして私はなぜか蛇を返し損ねる事をひどく恐れていた


あの工場で何が作られているのか
とうとう私は知らないままだった
板金工、旋盤工という言葉から
大きな鉄板が火花を上げながら
様々な形に切断されていく光景を思い描いていた
その時倉庫の中に幻が立ち上がった
様々なネジ、歯車、バネ、鋼鉄の筒、アルミの板
ピン、釘が空中を漂っている
その間を途轍もなく大きな歯車が走っていき
まず小さな歯車を集めていく
その車が再びとって返すと
今度は床の上で飛び跳ねているネジやバネなどの間を通っていき
飛び跳ねているものたちがそこに次々乗り込んでいく
私はその歯車の後を歩いて行った
次第に工場の床が持ち上がって来た
突然大きな鉄板が前を塞いだ
そして大きな車輪が見えない床の底から現れると
両脇を埋めて立ち
回転し始めた
今や私は廊下のような所を歩いているのではなく
明らかに箱のような何かに乗っていた
そして今までもこれより大きな金属の乗り物の上を
それと知らずに走っていたのではないかと突然思えた
そしてそれこそが工場なのだと
枕木のない鉄路が繋いで行くのはこのような工場なのだと
「脱輪した」という声がどこからかした
目の前には「決して私たちは不良品を作りません」という張り紙
「今年こそ事故ゼロを目指せ」という張り紙
「不良品はそこに捨てるな
不良品箱を持って来い」というキンキンした声
再び大きなあの車輪が走って来た
これは不良品箱かなと私は鉄の壁を叩きながら思った
両脇の車輪は回り続けていた
身体が熱くなってきた
鉄の箱が熱くなったのだろうと思った
行先は溶鉱炉でこの中身は溶かされるのだと思った
「これではまるで地獄めぐりみたいだ」
私は他人事のようにつぶやいた
その時前方から再び冷たい風が吹き込んでくると
途端に空気が変わった
パシャ、パシャとライトが炸裂した
まるで古いカメラのフラッシュのようだ
「列車が来るぞ」
「俺の前に立つな」
「この子に見せてあげて」
振り返ると後ろに貨車を曳いている
最後尾が見えないほど長い
カンカン、カンカン、踏切が鳴っている
「お前も楽しめ」
あの男の声のようだ
私が唯一の乗客ではなさそうだ
ざわざわとした気配が周囲でしていた
人だか動物だか分からない
しかし多くの者が詰め込まれているようだ
「あそこでは日食ってこうゆうことだったのかしら」
しかし私はその踏切で放り出された
そこに立ち尽くし、通って行く列車を熱心に見つめていた
いや、それは私ではなかった
少女が一人今しも目の前を通って行く列車をじっと見つめていた












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