第7話

文字数 4,044文字


水の寺院



私たちは三々五々道を登って集まる
道の角々で挨拶を交わし
今日の出来事などを語り合いながら
老いも若きも
女も男も
そして、竹刀を取ると今日の相手と対戦する
私たちはそうして毎日戦う
老いも若きも
男も女も
それはもしかしたら私たちにとって神聖な儀式なのかもしれない
ここには戦争はない
私たちは戦争をしない
ここに戦争がなくなってから
次第にこの国は他国から離れていった
しかし、なぜかは分からない
私たちの国は他の色々なものからも離れて行った
今や浮遊している
なぜかは分からない
そして今や滅びの途中であることも確かだった
どんなに平和であっても滅びることはある
滅びはどんな時にでも起こる
そして私たちはどんなに平和であっても互いに剣を交える
毎日生きる為に戦う
戦ってこの命を新たに獲得する
決して対戦相手に勝つのではない
私たちは皆そうやって自分自身に勝たなくてはならないのだ
決して負けてはならない
何に負けてはならないのかもそうして学んでいく
相手と剣を打ち鳴らしながら学んでいく
我々の老師たちは舞うように戦う
優雅な舞のように組合い
鳥のように宙を飛び
打ち合わせた剣からは高貴な音色があたりに響き渡る
彼らはまるで互いに別の相手と戦っているようなのだ
対戦相手を見つめ命がけで剣を交えながらも
他のものをみている
そこにはいないものにむけて互いの剣を振り下ろしている
そうやって剣を交える以外には見えてこないものを見つめている
だから誰もそれで死ぬことはない
それでもこの国はいずれ滅びる
恐らくそう遠くない未来に

突然海岸で鐘が打ち鳴らされた
浜辺に建つ鐘楼の番人が鐘を打ち鳴らしている
私たちの国が彷徨い始めているのを見つけたのもその番人だった
番人が言うには毎日毎日私たちは離れつつあるのだそうだ
そう、色々なものから
国からも
あらゆる陸地からあらゆる文明から
そして浜辺に打ち寄せる波からさえ
そうあの海からさえも
そして、今日はそこから久しぶりに一人の人間がやって来たと告げている
或は打ち寄せられてきたと鐘は告げている
おお、おお、あの凍り付いた波に乗って?
あの凍り付きつつある海を渡って?
本当に海からか どうやって どうして
なぜ
私たちは皆浜に駆けつけた
風は止んでいた
しかし今日も海の凍り付く音が高らかに鳴り響いていた

いつからか私たちの国の周りで
或は単に私たちの国で
暖かさが奪われていった
だんだん気温が下がってきたのだ
庭の花々を咲く前に凍り付かせ
寒風は道を真っ白な雪と氷に変えていった
今やどの家の窓辺にも巨大な氷柱が垂れ下がり
真昼の太陽の元でこの世のものとも思われぬ輝きを放っていた
一番大きな川には海から吹き上げられてきた氷の塊が流れて行く

私たちの国はその一本の大きな川を中心に
そこからあまた枝分かれた支流によって成り立っている
その支流ごとに様々な民族が住み分けている
一本の巨大な木が枝を広げるようにその川は私たちの国を広げ
様々な人々を実らせてきた
しかし海は凍り付きつつあり川を止めるかもしれない
川は海にも様々な恵みを注ぎ込んできたというのに
そして私たちの命も一人また一人と尽きつつあった
浜辺には亡くなったあまたの人々の石塔が立ち並んでいる
私たちはいつの頃からか
海岸に亡くなった人々の石塔を立てるようになった
海に向けて 
その向こうの人々に向けて
或いはもっと別の何かに向けて
石塔は今や氷の木のように氷の枝を何本も伸ばして林立している

やって来た人は死んだ
或は流れ着いた人は
その人は私たちの国を見上げて死んだ
その人は周りの人々を見つめ何かを語りながら死んだ
胸に手をあて涙を流しながら
透明な氷がきらきらと輝いている真昼の浜辺をじっと見つめ
私たちの顔をじっと見つめ
何かを語ろうとしながら死んだ
しかし、何と言ったのか分からなった
私たちにはもうその言葉を理解することが出来なかった
かつては様々な言葉を話し
ほとんどの言葉の意味を正確に理解出来たというのに
私たちはそれらの言葉をだんだんに忘れていった
寒風が私たちの言葉も吐く息と共に奪ったのだろうか
かつてはここにたどり着いた人々の話を聞き取り
親身に語りかけることができた
やって来た人々は私たちの語る言葉の一語一語に真剣に聞き入っていた
しかし誰もがすぐに死んでしまった
なぜか何年もここで生きられる人はいなかった
そしてなぜか自分の故郷のことを余り語ろうとはしなかった

私たちは再び始まった海の唸りに耳を澄ませた
悲しい叫びが聞こえた
私たちはすでに凍り付きつつある遺骸と共に
もと来た道を戻り始めた
川沿いの道を氷の塊と化しつつある遺骸を皆で担いで登った
やがて山頂に寺院が見え出した
明日そこで葬儀を執り行うのだ
そして葬儀の最後には閉じられていた寺院の扉を
海に向かって開け放つだろう
そこには遮るもののない空と海が厳かな壮麗さで広がっている
異国の死者は初めてその限りなさと
その下に点在している私たちの多くの国を見るだろう
そしてその人がどうやってか知らぬが渡ってきた広大な海を
最後に確かめるだろう
そして一番見たかったと思われる景色を多分見出すことだろう

山上の寺院から四人の僧の上げる読経が聞こえてきた
読経が死者の魂を山上へと誘っていく

ところで、私たちの寺院の後ろ堂には大きな洞窟がある
誰も入ってはいけないと言われている洞窟が
そして私たちの川はその洞窟からやって来る
後ろ堂の岩壁から染み出て寺院の周りを一巡りしてから川になる
そう言われている
だから私たちの寺院は
山頂にあるにも関わらず水の中に建っているのだ
そしてその洞窟は私たちの国の地下の川となり
その川は大木の根のように四方へと張り巡らされており
それは又はどこにも行き着かぬ迷路のように
私たちの下で彷徨っているのだと
壁に耳を当てると私たちにも
洞窟が歌う不思議な響きが聞こえた
その響きが寺院を揺らし
僧たちの心をも揺らしていることだろう
しかし後ろ堂は今も暖かかった
何かの救いのように
そして岩壁からは
今も昔も、変わらず清涼な水が滴り落ちていった

寺院ではお香が焚かれ祭壇がしつらえていた
寺を守る四人の僧が階段で死者を迎えた
これから一晩彼らが死者の魂に寄り添いその供をするのだ
そして明日の旅立ちの準備をさせる
死者を清め
新しい言葉を授け
四人の僧たちがそれぞれ悟りへの道を指し示すだろう
私たちの頭上を彷徨っている死者の魂は
四人の僧が発する四つの大気の声を聴くだろう
真夜中になって空に満天の星々が輝くと
棺の前の扉の先には星たちの光が降り注ぐ
船の形をした棺は
いまにも満天の夜空へと乗り出していくかにみえることだろう

海辺ではともらいの鐘が鳴り続けていた
日は傾き
大気は赤く染まり始めていた
私たちの国は日没にはどこもかしこも真っ赤に染まっていくのだ
私たちの川も町も森も森の中の動物たちも
人々も家も家の中の物たちも
皆赤く燃えていく
四人の僧の声が唱和し、私たちの胸をうつ
皆寺院の窓から海を見た
海も又真っ赤に染まりつつあった
僧たちの礼賛の読経の中で
死者もその魂も又同じ色に染まっていく
今や死者から魂は離れ自由になる
道は出来つつある
皆死者の旅立ちに思いを馳せた
皆魂の無事を祈った
彼の最後の試練を思って

しかしここのところ四人の僧たちは何やら心もとなげだ
私たちは皆心配している
そう思い始めたのは随分と前の事だ
彼らが去りつつあるように思われたのは
なぜならこの寺院さえ凍り付きつつあり
私たちの中の何もかもが氷の中に閉ざされつつあるのだから
しかし今何が起ころうとしているのか
誰も知らなかった
私たちは知りたかったが何一つ分からなかった
私たちの最後の国は氷に閉ざされ
何から守られようとしているのか
僧たちにも答えられない
教えられない
しかも彼らの姿が私たちの解けない疑問のように
次第に見えづらくなってくると
半分あちらの世界に行っているのではないかと思われてくる
ああ、浜辺に灯火が灯った
夜光虫たちがやってきたのだ
彼らは石の塔の周りに群がり
その周囲を飛び回る
そしてその後を追うように先祖たちの魂がやってきて
夜光虫たちのほのかな輝きの中で
光ってはまた消える
今やあまたの光が浜辺に集い乱舞していた
やがて光は一筋の光の帯となって私たちの国を取り囲むだろう
生者の国と死者の国とを
そして夜の深い底で扉を開き本当の夜を招聘する
私たちすべてが眠りに捕らわれる夜がもうすぐやって来るだろう
夜、この国で何が起きているのか本当の事は誰も知らない
夜が来て私たちが眠りに絡め取られていくように
やがては昼も氷の中に捕らわれていくのかもしれなかった

浜辺には毎日のように新しい石塔が立ち続けていた
そして夜な夜な夜光虫の光は増し
四人の僧たちの声はだんだんに高まり
この世のものとは思われぬほど恐ろしくなっていった
ああ、夜はあの氷のように透明になっていき
やがて私たちの川を凍り付かせるだろう
どんな大河だとしても
この不気味な冷気の中で耐えることはできないだろう
海がすべて凍り付かなかったとしても
川がすべて凍り
洞窟の雫が途絶えた時
私たちは滅びていくのだと思う
夜光虫がどこからかやってきてこの国を取り囲む時
私たちが眠りの精に絡め捕られて
自分自身の繭の中でたった一人になっていくように
氷の中で私たちは皆独りぼっちになっていくだろう
夜の静寂の中、僧たちの礼賛の声が山頂の寺院から響き渡って行く
そうだ、讃えよ
讃えよ
氷に閉ざされた私たちの夜を
何を守っているのか言わなくてもよい
私たちはすでにそれを知っているかもしれぬ
僧たちよ、今宵は一晩中死者の魂の供をせよ
私たちは家路に着こうぞ
明日は異国の人の葬儀だ
再びこの長い階段を皆で登って来よう

そして明日の正午には葬儀も終わり
私たちは彼の為に寺院の扉を押し開くだろう
あのおおらかな、限りない空と海に向かって
死者の魂よ
今宵安らかであれ
わが道を見つけよ
四人の僧が途中まで共に行ってくれるだろうか
迎えはくるだろうか
ああ、明日は旅立て
勇気と誇りをもって
皆で見送ろう
心安らかであれ
そして私たちは純白な柄の一振りの刀を
彼の胸の上に、組まれた手の上に
置いてから帰った





























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