第23話

文字数 9,344文字


雲上の辻



しばしばここは人々によく知られた雲海の通り道となる
それで人はここを雲上の辻と呼んでいた
ここを通り道と定めているらしい雲海の名は
白き乙女
別の国では白い惑乱
などなど
様々な名を持つ最も高貴なケモノ
又それを太古の雲だと言う人々もいる
確かに恐竜時代を思わせる雰囲気やケモノの臭いが混ざっている
だが、どんな名で呼ぼうがそれはその日の気象条件によるものなどではなく
世界中を巡っている広大な雲の領域なのである
そして他の領域同様それがいつどのようにして出来たのかは謎
観測機器でそれをつかまえることは出来ない
現実にどっぷり浸かっている者にとってそれは幻に等しいから
しかし、これも世界に数多くある謎の一つに過ぎない
そしてその謎は日々増え続けている
だが人々は謎には慣れつつある
無視するのでなかったならば
そのまま受け入れる
しかし人間は大きな変化にはついて行けず
基本的には変わらないものが好きだ
どちらにしてもこの日、四つ辻は雲海に覆われていた
つまり、そこは半分ケモノの世界だったということ
そして、その中でも最も捉えどころのないケモノ
しかし、半分だ
なぜならそこは四つ辻
それがどんなものであるにせよ人間との交差点だ

今日はそこに一人の少女が登ってくるのが見えた
四つ辻まで来ると、周囲の景色に目を見張っている様子
どうやってこの真っ白な世界を迷わずに登って来られたのか
しかし、どうやったにせよ抜けられれば
全ての者にそのあり得ないような三百六十度の眺望が待ち構えている
東には切り立ったぎざぎざの岸壁を連ねた山脈が
雲上に浮いている
北には二度の火山爆発で出来た二重のお鉢
その中に二重の湖が淡いエメラルドグリーンの水を湛えている
雲海がこよない白さである時にだけ現れるといわれる、
雲上の二重湖
ケモノの頭に開いた何番目かの青い眼
それを見ると目が回るという人もいる
一種の催眠にかかる
呼び掛けられる
いろいろ言われる
しかし、それも不動のものではなく仮初のもの
ケモノを取り巻く様々な仮初のものの一つ

さて、今日の四つ辻には一本のリンゴの木が生えている
西方を向いて枝を差し出す様子はどこか人間のようだ
少女がそれを見上げ
しばらくするとその木を相手に話しかける
「私のリンゴの木なの?
私のリンゴは雲の中で育ったの?
だから他のものが食べられなくても食べることができたのかしら」
「なんだ、子供だ」
雲の中から不意に声がした
「それも木に向かって馬鹿なことを言う餓鬼だぞ」
南側の道を少年が登って来る
どこか少女と似ている
しかし少女の方がかなり年上のようだ
「あなたは誰?
あなたこそ子供でしょ
私はもう子供じゃないわ」
「ぼくは戦士だ
そしてお前は召集された
お前は女の戦士か?」
「馬鹿らしい
戦士?
それに私はもう戦争ごっこをする歳じゃないわ」
「〈ごっこ〉とは何だ
何にしても、ここには戦士以外に必要な者はいないさ
我々は戦争に突入したのだ」
「私は知らないわ
一体どこの戦争?
それに、あなたは普通の男の子の恰好だわ」
「武器は後から大人の戦士が持って来るのだ」
「まあ、武器を使う戦争のことを言っているの?
そんな戦争はもう古代の遺物だわ
私たちはもうそんな風には戦わない
それどころじゃないから」
「と、いうことはみな腰抜けか」
「違うわ
子供だってむろん少女だって毎日戦っている
学校で、家で、生き抜かなくちゃならない
負けられない
負けたら身も心も死ぬことになる」
「お前の言っている事は意味不明だ
ああ、なんで少女なんだよ」

少年のあとから男が一人杖を突きながら坂を登ってきた
相当の年配に見える
「あらあら、戦争だなんて馬鹿らしい
男の子の次は息を切らした老人じゃないの」
「ああ、あなたか」と少女を見ると男は言う
「あなた、私を知っているの?」
「ああ、知っているとも
有名だからね
あなたはリンゴしか食べないそうだが本当か?」
「ええ、そうよ」
「なぜなのかな」
「分からないわ
ただ、ある日リンゴしか食べてはいけないと思ったのよ
それからはリンゴを食べて世の中と戦っているの」
少年がすかさず、そう言っている少女を突き飛ばす
男が転んだ少女を助け起こしながら
「そんなに痩せていては自分を守れないぞ
まともな食事をしないで何ができるというのだ
さて、ここに来て
何を考えている?」
「何も
何も考えない事にしたの
まわりを考えてばかりいたらおかしくなったのよ
もう気にしない事に決めたの
私はリンゴを食べようと決めたように
だからリンゴで生き抜くしかないの」
少女はリュックから赤く熟したリンゴを一つ取り出してかぶりつく
相当お腹をすかせていたのかすぐに食べてしまった
少年が馬鹿にしたように
「拒食症で引きこもりだ」とつぶやく
「お前、家から一人じゃ出られないだろ?
そして、いつも腹ペコ
意気地なしなんだ
師匠、ここはまだこの子の家の中かもしれません」
「まあ、いいさ
雲海が解決してくれるさ」
「このリンゴの木はどうしたのかしら
元気がないようだわ」と少女
「いや、冬だからだよ
充電期間さ
それで、お前、リンゴは幾つ持って来たんだ?」
「三つよ
一日三つ
いつもリュックに入れている
一つ食べたからあと二つ
足らなかったらスーパーで買えばいいわ」
「スーパーだってよ、先生
教えてやってくれよ」
「いやいや、この子に私から教えられる事は何もないのさ」

少女が四つ辻から西の道へ駆け出していく
「わあ、綺麗な夕陽だわ
もう、町なんかウンザリ
こんな夕焼けをこんな山の上から見たかったんだわ
でも、誰も連れて来てくれなかった」
「誰にも頼まなかったくせに」と少年
「それに、あれは夕陽じゃなくて、お前の町が燃えているだけだ
まだ、オレたちの町からはかなり遠いな」
「嘘つきね
戦争なんかしていないわ
私たちの町は鉄筋とコンクリで出来た大都市なのよ
世界で一番大きい都市の一つ
簡単に燃えたりしないわ」
「なら、その世界一の都市の一つが焼かれて炎になったんだよ」
「なぜ?
爆撃もされていないのに」
「なぜ?
先生、教えてやってよ」
「ケモノだよ」と男
「ケモノって?
説明して」
二人は年配の男の方を向く
男は少しどぎまぎして
「私は疲れたよ
この空気は私にはこたえる
私はもう子供でも青年でもないからな
君たち二人で戦いなさい
今のところはそれで何とかなるかもしれない
そのうち、他の戦士が来るだろう
待つさ」
そして、男はリンゴの木に寄りかかって早速うたた寝を始めた
「やばい
先生、寝ないで下さい」
そして、少女に言う
「先生が寝るといつもおかしな事になるんだよ
参ったな
四つ辻で寝るなんて、どうかしている
きっと、このリンゴの木のせいだ
こんなのが生きているなんて信じないぞ」
「あなた、何言っているの?
リンゴの木はいつだって生きているわ
勿論、この先も生きていく
そして、私のリンゴをならせてくれる
私はきっとこのリンゴに会いに来たのだわ
ここはまるで、おとぎ話の世界のようだもの
リンゴと私のおとぎ話の世界なのよ
そしてこれは私に力をくれるリンゴなのだわ」
「おとぎ話じゃない、戦争なんだ、ボンヤリ者
力をくれるのはリンゴじゃないだろ
オレの見るところ、お前は今にも死にそうだぞ
その腕、枯れ木と同じだ
春になって死んだものらが生き返ったとしても
お前のその腕は空洞のままだ
きっと枯れたままだ」
すると、そこに何と絵に描いたような女神が現れた
そして、小さな声で「お待たせしました」と言う

少女が「嘘でしょ」と言って女神を見上げた
少年が「ああ、やっぱり、しかし、そうきたか
先生、起きてくれよ」
少女が「女神様」と言って跪く
少年が「やめろ、女神じゃない」と言って少女を引っ張る
「眠りの妖精だ
時々ひどい悪さをするんだ」
少女が少年を睨みつける
そして、リュックからリンゴを取り出すと女神に差し出して言う
「女神様、どうか私の願いを聞いて下さい」
女神はリンゴを手に取って何か考えている様子
小女は言う
「私は今眠っていません
だからあなたは眠りの精などではありません
リンゴは私の命を養ってくれているもの
私の命と同じ命です
真っ赤な命の果実
美しいわ
この実がなかったら私は生きられません
リンゴと供に戦っています
女神様、どうか私を褒めて下さい
よく頑張っていると」
少年が少女の前に立ちはだかって
両手をひろげる
「近かずくな
悪いことが起こると言っているだろうが
お前は馬鹿か
そんな歳になってもまだ褒められたいのかよ
戦士ともあろう者がこんな奴の前でへいこらするな
毅然としていろ
こいつは女神どころか女でさえないんだ」
「私にはやっぱり女神に見えるわ」
「目がおかしいんだよ」
しかし、少女には信じられない
だが、少年の言う通りかもしれない
少女のリンゴにかぶりつく様子はどう見ても女神などではなく男だろう
それも、相当に飢えていたのか上品とは言い難い
そのうち、男が身に着けているスカートのような衣がはだけて
毛脛が現れる
「きゃー、男だわ
やだ、私に近づかないで」と少女
少年が男に「お前さ、暑いの?汗でメークが剥げているぞ
何時見ても、酷い顔だ」と言う
「それに、いつ飯を喰ったんだ
がっついてさ」
「それが、昨夜はひどいもんだった
誰にも呼ばれなかったし
誰も何も恵んでくれなかった」
「いえ、綺麗よ」少女が割って入る
「とても素敵だわ
でも、その足をどけて
私は若い男の人が苦手なの
だから近くには行かない
ただ遠くから見ているだけ」
「ありがとう、お嬢さん
綺麗は誉め言葉だ
ぼくも君を誉めたくなったぞ
これでもぼくは人気者なのだよ
夜な夜な、夢に呼び出されてきたのだ
しかし、君のように若い男が苦手な人もいるからね
これでも女神は考えたのだが
でも、バレバレだな
可愛いお嬢さん」
「ヒヨコが一番好きなの」と少女
「え!」と男
「私は今一番好きな生き物を聞かれたらヒヨコなの」
「え!」
男は戸惑っている
少年はそれ見た事かという顔で言う
「ヒヨコだってよ
どうする?
お前が召集されるはずがないと思ったよ
お嬢さん、この人にヒヨコになってと頼んでみたら」
少女は何がなんだかよく分からなかったが
「そう言ったらどうなるの?」と聞く
「ヒヨコになって欲しいって・・・」
「待った、やめてくれ」と男
しかし、遅かったようだ
男の代わりに辻の脇の草むらから可愛いヒヨコが現れると
少女の足元でピヨピヨないた
「え!」と少女
「だから言っただろ
夢の精だって
戦士のはずないさ
よくてへぼな女優が関の山
先生、起きてくれ
生徒をほったらかして寝ちまっていいのかよ
しかし、お前、たいしたもんだ
悪さをする前にヒヨコにしちまった
見ろ、ヒヨコだぞ
びっくりしたな 」
少年は喜んで四つ辻の真ん中でぴょんぴょん飛び跳ねる
ヒヨコが逃げ回る
「あの、このヒヨコどうする?」と少女
「ほっとけ
勝手に生きていくさ」
「でも、夢なのでしょ?」
「いや、ここに現れたものは現実さ
お前がそうしたんだよ
お前もそうだろ?」
「私も?」
「お前、自分を夢だと思っているわけ?
てなこと、ないだろ?」
「時々、あっ、これはきっと夢だわと思うことはあるわ」
「あのな、夢の精はいなくなったのだ
お前がやっつけちまったんだよ
だから、もうどこにも夢はない」
「全部、いつか見た夢だったかもしれないと思ったことはない?」
「あのさ、お前、しつこいな
人の話を聞いていないのかよ
夢の精がいる、いない、
ここじゃ単純なことさ」
「でも、私の夢だったら?」
「あのね、お前がここへ来たんだろ?
あそこから登って来た女は誰だ?
お前だろ
他の誰だと言うんだよ
オレは戦士を期待したが
師匠は別の夢を見ているかもしれないが
とにかく、この国は戦争なんだよ
そして、なぜかお前は召集されたのだ
もう戦士なんだよ」
「でも、夢も召集されたわ」
「それが戦争なんだろ」
「あなた、本当は良く知らないのね」
「オレは未成年
この狂える世の中を理解出来てたまるか
大人に聞け
それとも、お前さ、何か知っているのかよ」
辻でピヨピヨ大騒ぎしていたヒヨコが疲れたのか
何時の間にかリンゴの木の枝に止まっている
「あれ、アイツどうやってあそこまで登ったんだ
ヒヨコは飛べるのか?
あそこは結構高いぞ」
「分からない
ヒヨコを見たのは初めてなの」
「オレも、だ
だが、元は男だからな
そう考えると登れるかも
それにしても誰も来ないな
オレも眠くなってきた」
「ねえ、ケモノの中なのでしょ?
寝てもいいの?」
「それを言うなら、半分ケモノの世界」
「同じでしょ」

少年も寝てしまった
少女がため息をつく
「やっぱり私ひとり
戦争なのに
どこが戦争なのか分らないけど
でも、何にしても一人ぼっち」
しかし少年が飛び起きる
「やばい」
「あ、お前か
いたか
良かった
先生、質問があります
うたた寝中失礼しますが
生徒の質問には答える義務があります」
少年が少女の手を取る
「一緒に来い
少し避難しよう
まともな戦士がまだ来ないからな」
「どこへ?」
「いいから、目をつぶれ」
少女は素直に目を閉じる
そして、少年の「もう、いいよ」ということばを待つ
しかし、目を閉じた途端目がクルクルと回って、気分が悪くなった
それでもじっと我慢していた
しかし、待ちきれずに目を開ける
「ここはどこ?」
あたりは真っ白だ
なんだ、あの雲海の中だと少女はがっかりする
少年が雲の中から現れる
「俺たちの教室だよ」と少年
「先生は無論アイツ
おっと失礼、あの師匠、オレの先生」
「机も教壇もないわ」と少女
「おかしなところだわ」
しかし少年が「先生」と言って、手を上げる
「何か質問かな?
今は自由時間だぞ」
「自由な質問時間ではないですか?」
「そうだった、どんな質問でもいいぞ」
「では、先生、ケモノはどこですか?
見たことがありません
見た人はいるのですか?
なぜ、説明されないのですか?」
「ケモノなどめったな事では姿を現さないからさ
見た者は死との狭間にいるということだ
狭間は幻の一種だとされている
ケモノはそれを見た者の死と幻とされている狭間とセットでしか、
姿を現さない
で、研究対象とはなりえない」
「でもなぜです
みなケモノを知っているように話すし
みなが話題にするというのに」
「いや、手遅れなのだよ
真実を言うには
なぜかいつも手遅れなのだよ」
「しかも私ほど長く生きてしまっては目をやられている
新鮮な目でないとなのだよ」
「新鮮な目でないと駄目なのですか?」
「駄目?
何が駄目なのか思いつかないが」
「新鮮な目はどこにあるのですか?
どこに行ったら手に入るのですか?
少年や少女でも手に入れられますか?」
「手に入れるものだが
最初から持っているものでもあるのさ
それを知れば、まあ、なにがしかは見ることが出来るな」
「先生、なんだか大人が良く言う一般論のようで
面白くありません」
「そうだな
授業は面白くないか
戦争でも駄目か」
「先生、よく聞こえません」
「私が生徒に言えるのは一生に一度はケモノを見なければならない
そんなことかな」
「あの、先生、四つ辻に戦えるような戦士が一人も登って来ません
これでは戦いになりません」
「そうか、誰も子供の相手などしないか
では戦争など出来ないな
やめればいい」
「降参ですか
負けたくありません
勝ちたいです」
「少年と少女で勝ちたいと?」
「少女が言っていました
今の戦争はやり方が違っていると
子供でも勝てるのではないですか
よく先生は言っていた、すべて心だと
心の問題だと
子供にも心はあります
それに大人にはない頭脳があります」
「でもな・・・それだけでは・・・
いや、どんな戦いであれ、勝つのは容易ではないぞ
それに、勝っても思っていたのとは常に違っている
やめとけ」
「戦いを誰がやめるのですか?
やめられないから戦争なのに」
「あの、負けたらどうなるのでしょう?」
「負けたら?
いや、負ける事は出来ない
負けない事だ
戦いぬくことだ
負けずに日々切り抜ければこの日のように
ひとときの休息も訪れる
私は随分心が軽くなったよ」
「え!先生、これが休息なのですか
ここはケモノの辻ですよ」
「世の中、そういうものよ
みな世間で言われていることとは違うのだ
いつだって人は子供に本当の事を伝えられない
心せよ
自分の目で見よ、少年少女よ」
少年が少女を振り返る
そして「師匠は寝ぼけているようだ」と言う
「それに自分に酔っている
時々そうなる
ケモノの説明もきっと先生の思い込みだな」
「あっ」少女が空に手を伸ばす
教室が雲に飲み込まれてしまったのだ
「私に発言権はないの?
なによ」
いつのまにか元の四つ辻に戻っていた
少年が「避難終了、師匠が変な話を始めたからな」
「どこが避難なのさ」と少女
「やばい時にオレたちが逃げ込めるのは教室
そこでは先生に質問すること位しかないだろが
大人なら他にも色々あるだろうが」
「私は先生なんかに質問しない
家に帰る」
「じゃ、親にするのか?」
「まさか
それに質問が悪いわ
ケモノですって?」
「ここは時々最も高貴なケモノと言われるからだよ
あのさ、この際はっきり聞くけど
お前は死に損ないか?」
「何を言っているのよ
頑張って生きているわ?」
「どこで?」
「どこで?
私の町でよ
ここにいるのは、きっと・・・
そうよ、さっきあなたの先生が言っていたじゃない
休息よ
それに私をお前なんて呼ばないで」
「じゃ、名前を教えろ」
「あら、忘れている
どうして?」
「オレに聞くわけ?」
「思い出せるわよ
すぐに
どうして忘れたんだろ
あんたたちの変な話に頭がすっかり混乱したのよ
急に戦争だなんて
でも、動転してしまったのかしら」
「そらみろ、やっぱり、だな
自分の名前さえ失くしている
死に損ないだ」
「どうしよう」
「とりあえず今年の二十三番にしとこうか」
「なんで、二十三番なの?」
「ここへ間違ってきてしまった子供の二十三番目だから」
「もう、子供じゃないわ」
「そうだな、子供にしては大きいな
では大人になりかけの子供、今年の一番
これでいいだろう
オイ一番、うん、良い手ごたえだぞ」
「オイなんて呼ばないで」
「一番、うるさいぞ」
「あのさ、手ごたえってどうゆう事よ」
「お前の心を掴んだ時の手ごたえだよ
触り心地とでも言えばいいかな
ここではそうされるということさ
俺たちみたいな者にね
ぎゅっと掴んで握り潰してやってもいいんだぞ
どうだ
何かほざいてみろよ」
「やだ
あなた、本当は狂った子供なんじゃない?
あなたの言っていることはおかしいわ
そんな変な事
恐ろしい事を言う人はきっと嫌われ者になるか
狂ってしまうのよ」
「そうかい
だがな、一番さん
ここがどこか忘れてやしないかい
ケモノの辻だぞ」
「ただの雲の中よ」
「じゃ、なぜそこから一番が来たんだ
オレや先生やヒヨコや変身する男が」
「あっ、そうだ、ヒヨコはどこだろう」
「なんだよ、ヒヨコの心配か
あああ、いやだ、いやだ
強い兵士よ、来い、来い
オレの国じゃ兵士は死に絶えたのかよ」
「きっと、みんなまだ子供なのよ
あんたみたいに餓鬼なのよ
一人も本当の強い兵士なんて育っていないに決まっている」
その時リンゴの木が茂った葉を風にカサカサ、カサコソ
二人はリンゴの木に走って行く
少年が言う
「おっと、季節がいっぺんに通過だぞ
一番があんなことを言ったからか」
そしてリンゴの木が風に傾いだ
「風が強くなった
オーケー、さあ実を実らせてみろ
リンゴの木よ」
少女が寒そうに身体を縮める
「私、なんだか、あまりお腹が空いていないわ」
「そんなの、関係ないだろ
そら、お願いしろよ
来た時のように
そら、どうだ、実らせられるかよ」
「私が実らせるんじゃないわ
怒らないでよ」
「戦争のさなかだぞ」
「戦争なんて関係ないでしょ
何かと言うと戦争、戦争
男の子なんて、いつもこう
他の遊びを知らないのかしら
あのね、リンゴの実が実るのは春じゃなくて秋よ」
「ここには季節なんかないんだよ
リンゴの木がここで何を見て何を思うかなんだ
一番が来たのを見えていたらいいけどな
もう一度、お願いとか言ってみたら」
「お願い、リンゴを実らせて下さい
その中の一つを
一番小さいのでいいですから
私に落として下さい」
「思ったより素直な奴だぞ」
その時、強風に揺れて、くねる枝からヒヨコが落ちて来た
「あっ、」
少女が慌てて受け止める
「お、ナイスキャッチ
少女が大人の男をキャッチ」
「失礼ね
これはヒヨコよ」
「一番は目がおかしい」

その時、リンゴの木に寄りかかって眠っていた男が
やっと目覚めたようだ
大きなあくびと伸びをしている
思ったより年寄りではなさそうと少女は思う
「おお、もうこんな時間か
子供は家へ帰る時間だ
これにて授業は終了」
「先生、授業ではありません
戦争です」
「なに、お前たちここで、戦争か?
少年と少女で、か?
それでどちらが勝ったのか?」
「先生、私たちは隣国と戦争をしているのでしょ?」
「ああ、大昔にそんなこともあったな
二人で歴史の勉強とは偉いものだ
少年と少女、どちらが勝ったのかは知らないが
お前にはこの間落とした単位の埋め合わせをしてやろう
ここまで来る生徒はほとんどいないからな」
「あの、先生、この女の子はどうしますか?
このまま死んじゃうのですか?」
「さあ、分からないな」
少年とその先生だと言う男は
ヒヨコを抱えて四つ辻に呆然と立っている少女を見て
それから、四つ辻をキョロキョロ見ている
「お、やっと来たか」と男が言う
そして「間に合ったようだ
戦士ではないが、いいとするか」と言う
しかし少年と少女には何も見えない
「先生、見えません」と少年
「私も何も見えません」と少女
男が笑い声を上げる
「まあ、そうゆうものよ
見えるのはもっと先だよ
古びた私の目が役に立つこともある」
しかし、その時雲海は四つ辻まで這いあがって来て
三人と一匹をすぐにかき消してしまった

そこは、全きケモノの世界に戻っていき
交差点は消えた
しかしよく見れば雲の上にリンゴの木が頭を出している
西に向けて枝を伸ばした枝が心持ち下へと傾いでいる
どうやらそれは彼らが行ってしまった後に実を付けたようだ
ケモノが欲しがったのだろうか
それとも時間を間違えたか
そこには誰もいない
それにケモノは美味しいリンゴの味を知らなかったのかもしれない
なぜなら、その木はまだ未成熟で
少し苦味のある実を実らせたから
しかし、木はそれを地上へと落とした

二人の声が聞こえる
少年とその先生だと言う男だろう
「何事にもタイミングがある
その僅かな間でないと噛み合わないということだ
だから、こんなことでも
間に合わないより余程いいのだ」
少年はがっかりしているように肩を落としている
「先生、なんで、戻るのですか?」
「私たちにはもうやれることがないのだよ」
「オレはまたここに来ます
戦士はなぜ一人も来なかったのでしょう
オレはもっと大きくなったら戦士になって
ここを登ります
そして辻に来ます
来たら辻を通ってその先へ行きます」
「そうか」と男が言っている
「そうか、お前はまだ知らないだろうが
我らがどこへ行こうがケモノの中だぞ
我らはなぜそこにいなければならないのか
心するがいいぞ
誰も分かってはいないのだからな」
「はい、よく考えます
ところで先生、あの女の子はどこへ行ったのでしょう?」
「ああ、女の子か
やはり男の子は女の子が一番気になるとみえる」
そのうち、四つ辻もすっかり暗くなり
どの声も聞こえなくなった
しかしリンゴの木がカサカサ、サワサワいわせていた
音は声のようにケモノに届く
すると、ささやかな声のように葉が揺れる
単純な音だ
しかしそれだけがなぜかまだ残っている
そう、その木は最後にそこにポツンと残されてしまう
そして皆が去って行くのを感じている
そして、すぐに闇が降りて来て
夜にその木を誰も見ないように消してしまう







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