第13話

文字数 5,104文字


検問官



〈薬の配布が始まります〉という一枚の意味不明のビラが
始まり
何かの
それは迷わず僕のドアを探し当て
その隙間から滑り込み僕のベッドへ舞い降りた
天使の軽やかな羽に似ていなくもない
ビラの裏には〈すべての業務は今宵をもって全て停止しました〉とある
しかしテレビのどのチャンネルも普段通り
なぜか僕は納得した

これは僕にだけ訪れた事態
それは突然だが極めて自然に訪れる
嫌な予感もなにもなく
すでに僕は包囲されているのかもしれない
ドアを開けようとしたが
重くて開けられない
ほらね、やっぱりそうだ
ようやく開けて外へ出ても
様子がおかしい
廊下には土埃が何層にも積もり
その上を朽ちた木の葉が覆う
これは山道だ
並んでいるドアはどれも錆び色の樹木で
僕が一晩眠っている間に天を目指して伸び上がっている
反対側に手すりはなくその先は断崖絶壁だ
そこにエレベーターの扉が嵌め込まれている
乗り込んだエレベーターは凄い勢いで降りていく
世界は何百階分も下へと伸びていく
エレベーターの中にもビラ
〈霧注意報〉

霧か
世界が自分を隠しているのか
そこの扉にもビラ
世界はビラで何かをごまかそうとしているのか
〈リヤカーを持参すること 検問は三か所 犬 羊 牛〉
途轍もなく大きなリヤカー
辺りは深い霧の中
リヤカーの他には何も見せるつもりがないらしい

どこへ行くのか書いていない
このビラは何かを知らせているのではない
消している
ほら、エレベーターの扉もアパートもすでに見当たらない
手は空をきるばかり
何もなくなっている
夢でないといい
夢まで消されたらたまらない

寒いな
リヤカーを曳いていく
真っ白だな
これが本当の世界かもしれない
犬の顔が浮かび上がる
〈検問は三か所 犬 羊 牛〉
これはもはや僕の強迫観念になりそうだ
とにかく、あの犬の所に行けばいいんだな
忘れないようにビラはすべてポケットに入れよう

どこからか現れた男が僕の肩を叩く
「あなたにも来ましたか?ビラが
私の所には朝の4時に来てそれから歩き通し
少しだけ、そのリヤカーに乗せてくれませんか」
男はさっさとリヤカーに乗り込む
僕は男を乗せたリヤカーを犬顔方面へと向ける

どこからか現れた老婆が道の真ん中に座り込む
手にはビラ
ああ、
僕はリヤカーに乗るように合図する
老婆は頷く
そしてなぜか僕を怖がっているようだ
ビラの裏側を隠して僕に見せないようにしている

まあいい、出発
犬が遠くで「ワンワン」と吠える
坂道になる
犬の顔がなんの頼りになるのだろうか

「着いたようだ」と男の声がした
目の前には大きな犬の顔だ
ブルドックと何かの掛け合わせ
胴体はない
霧の中にしまい込まれているのかな・・さあ
犬が吠えだす
どうすればいいのだろう
僕は犬にビラを見せる
「ここに来るようにと書いてありました」
何の反応もなし
「検問所ですよね。何をすればいいのでしょう」
なんの反応もなし
まあ、そうだろうな
ますます吠えながら睨みつけるばかり

「あの犬はどこの犬でしょう」
老婆がリヤカーから降りて、僕の隣に来る
どこか遠くを見つめている
「リリー」
老婆は霧の中に駆け出して行った
「キュンキュン」と犬の喜んだ声が遠くで聞こえたが
老婆は帰って来なかった

男もリヤカーから降りると
霧の中に消えていった
「あなたには世話になった」
「ありがとう」
それだけ

犬の検問官が言う「二人か?」
なんだ、喋れるのか
「はいそうですが、二人ともどこかへ行ってしまいました」
「ここで薬の配布があるのですか?」
犬は薬という言葉に飛び上がったようだが
「ギリギリだが通ってよし」とだけ言った
犬が指さす場所には見上げるような大きな門
犬は何やら大急ぎで僕とリヤカーを門の中へ押し込む
「このリヤカーはギリギリ合格」
門に向かって言ったようだ
門はギャーと悲鳴のような声を上げると
自分から門を閉じた

僕はまた一人
とにかくリヤカーを押そう
と、何かにつまずいてしまった
僕は足を滑らせ尻餅
道端には大きな蛇がいる
のたうち回っている
蛇踏んじゃった?
僕は蛇が大嫌いだ
慌ててリヤカーの上に駆け上がる
するとリヤカーは勝手に動いて蛇を轢いた
気持ち悪~、ゴトンという音
蛇は僕を恨めしそうに見た・・と思う
凄く嫌な感じ

間もなくリヤカーは坂道を転げだした
僕はリヤカーの上で何回も大きく跳ね上がる
遠くに羊の顔が見える

リヤカーは急に止まった
僕の息もしばらく止まった
辺りは動物で一杯だ
ありとあらゆる動物たちの姿と体臭で
僕は目を回した
目も鼻も耐えられそうにない
「お前はなんて臭さだ
お前が臭さでは一番」
羊がそばで鼻を押えていた
なんだか貧相な羊だ
思っていたのと違うな
しかし検問官だろう
僕は持っていたビラをみんな見せた
言葉が通じるなら文字も読めるだろう
僕も羊も鼻を押えたまま
しかし羊の検問官はビラを全部食べてしまった
羊じゃなくて山羊だったのかな

「合格」
羊・山羊が言った
ビラは美味しかったらしい
「あちらへどうぞ」
そう言われても動物たちで身動きもままならない
牛はどこだ
牛は動物たちの中にはいない
動物たちが次々リヤカーに乗り込んでくる
どうゆう事だ
羊が言う
「リヤカーは合格、行ってよし」
「従者はしっかり曳かなきゃならない
次がつっかかっちゃう
もっと力を出して
もっともっと力を出して」
僕は慌ててリヤカーを曳いた
これ以上動物たちに乗られたらたまらない

しかし周囲にいる動物たちでやはり身動きができない
「どいて、通らせて」
他の動物は言葉を知らないのかな
まあ、当たり前だな
「どうかお願いします
そこを通して」
やはり反応なし
そうだろうな
それでは
「ワンワン」
これも全くダメ、もっと押された
それなら
「メーメー」
反応あり、しかし皆に睨まれた
羊・山羊は嫌われものらしい
今度は「モー モー」と僕
するとモー モーらしき声がした
すこし違っているようではあるが
どちらにしても返事があった

周りの動物たちがざわめき出す
一本の道が目の前に現れる
そこには動物は一匹もいない
動物たちは今やその道を避けようと押し合い圧し合い
僕は慌ててリヤカーをその唯一の空き地へと曳く
重いったらない
しかし坂道だったらしい
リヤカーは進む
動物たちを一杯乗せて

しばらくして僕は来た道を振り返った
そしたらキリンの頭と衝突した
どうやってキリンまで乗り込んだんだ
その時急にリヤカーにストップがかかった
キリンが立ち上がって
垂れ下がっている樹から葉を食べ出したのだ

どこからか吹いてくるそよ風
晴れてきた霧
ああ疲れた
辺りには草原が広がっている
小さな花々が咲き、蝶々が舞っている
極楽へ来たような気分だ
僕は眠くなった
何時の間にかあんなに一杯いた動物たちの姿はなかった
リヤカーの動物たちは次々草原へと降りていくようだ
リヤカーに肉食獣はいたかな
「みんな、草を食べてね
僕を食べたりしないでね」
僕は我慢出来なくて眠った
・・ようだ

顔に何か冷たいチューブが当たって目が覚めた
・・ようだ
いや、象の鼻だ
周りを象の群れに囲まれている
まるでアフリカのサバンナみたいだ
リヤカーの動物たちの姿は見えなかった
みんな食われたのかな
リヤカーを見ると先程のキリンだけが乗っている
行儀よくお座りをして
やがて僕に興味をなくした象たちが動き出した
辺りはまさにサバンナだった
ということはライオンがいるぞ、豹も
僕は注意しながら一頭の像の後について行こうとした

しかし道は平らでしかも砂のような土
キリン一頭だって僕の力では動かせない
利口なキリンは下りて僕の隣を歩いた
キリンにしては小さいな
「君は子供なの?」
「小キリンよ」
そんなキリンがいたかな
「ここはサバンナかな
キリンの姿は見えないけど」
「そうね」
「ライオンや豹がいるよね」
「さあね」
僕は象に歩調を合わせるのに汗だくだけどキリンは超然たるもの
「とにかく危険動物を見たら教えて」
「いいわ」
「牛よ」
見れば前方に牛がいた
それも沢山いた
アフリカ水牛の大きな群れだ
怖くてとても近寄れそうにない
どれが検問官なのだろう
都合よく象の群れはそちらへ向かっていた
「ところで君はどこへ行くの?
なぜ他の動物たちと行かなかったのか分からないな
僕のリヤカーが気に入ったとか
まさかだよな」
「まさか」
そのうちヌーの大群も現れた
物凄い数だ
「あれも牛だな
みんな同じ顔に見える」
見ればガゼルもいるしトピもいる
イランドもいる
確かどれも牛族だったな
辺りは今やすべて牛族の群れ
牛 牛 牛だ
どの牛族かさえ分からない
数だって多すぎる
なんでこんなに牛がいるんだ
あんまりだ

そのうち象の群れに置いていかれた
サバンナの真ん中で僕たちは丸見え
牛の検問官さんや~
「モウー モウー」と僕は叫んだ
すると「ヌー ヌー」「グー グー」らしき声
しかしどこへ行くか僕には決められない
検問官を僕が決める訳でもないだろうし
その時この僕のいるサバンナらしき世界のどこかが
縮み始めた
そうか、予兆はあった訳だ
小キリンだ
ここはもうすぐミニサバンナになる
そして一枚の紙に収まる位になり
あのビラと相似形となる
そしてそんな事とは思ってもみない誰かが
そのビラをポケットに突っ込む
或は羊・山羊が食べてしまう
「メー メエー」
小キリンの声だ、羊の声みたいだな
そうだ、ここには「小キリンよ」から「そうね」までの語彙しかないのだ
五文字までの世界
牛 牛 牛はまやかしか
薬ってなんだ?
僕はあのビラを手にした途端どんな世界に囚われたのだろう
そういえば、あの二人はあそこから何所へ行ったのだろう
〈リヤカーを曳く青年〉というチラシの世界が僕の頭に浮かぶ
〈リヤカーの上には男と老婆〉
〈リヤカーの上には小キリン〉という二つのバージョン
いや、今は〈空っぽのリヤカーを曳く青年と小キリンがサバンナを行く〉だな
こんな世界があったりして
「あるわ」
相変わらず小キリンは超然たるものだ
僕は意を決して牛・牛・牛の中へリヤカーを曳いていった

「ところで、君には仲間はいないの?」
「いないわ」
「最後なの」
そうか、最後の小キリンか
「検問官が誰か知っているかい?」
「すぐよ」
すぐね、何がどんな事が「すぐ」なのだろうか
しかし小キリンの「すぐよ」はここの「すぐよ」でも
僕の「すぐ」でもないようだ
僕は馬鹿らしいとは思いつつ周りの牛・牛・牛に尋ねる
「どなたが検問官ですか
あなたですか
それともお隣のあなた
誰か検問官を知りませんか?」
「それとも僕の行先を知りませんか」
やっぱ、バカみたいだ
牛・牛・牛の答えは当然なし
ああ、疲れた
もう限界、何時まで牛の中を歩いていれば見つかるのだろう
「すぐよ」
しかし、ここには長くはいられない気がする
「そうね」とキリン
僕は小キリンに言う
「やがて縮んでいく途中の世界にこのリヤカーだけが残されるんだ
そこに毎日動物たちが乗り降りするんだ
どうしてだか惹きつけられてしまうから
しかしリヤカーを曳くことの出来る者はもういない
誰もどこにも連れて行ってもらえないんだ
だよね?」
「そうね」
小キリンの大きな目が僕を見つめている
「ねえ、僕は検問官がどんな奴か分かった気がするぞ
そいつは、牛は牛でも人間とのアイノコなのさ
そいつが僕たちと動物たちとの仲立ちをするのさ」
「そうね」
やっぱ、〈そうね〉なのか
「君はどうするの?」
「牛よ」「あっち」
あっちね、ハイハイ、では、牛さんに会いに行きましょう


    追記

君はここのキリンの仲間にはなれないのかい
「なれないわ
無理なの」
おや、語彙が増えた
でも、どうして僕と一緒にいるの?
「恋人を捜す為よ」
君に恋人がいたとは
最後の一頭じゃなかったのか
「そうよ、でも私と同じようなキリンがいるのよ
これから二人で捜すのよ」
益々語彙が増え出した
どうして、〈僕と〉なのか
「そのキリンは鐘を撞くの」
え、鐘を撞くキリン?
どこかで会ったような気がする
夢の島でだったかな
「夢の島はゴミの島よ」
僕も彼を捜すの?
「捜すわ 捜したいでしょ」
さあ、どうだろうか
牛もまだだよ
小キリンはメエーというような鳴き声を上げた
「あそこ」
もしかして、交換条件かな
「そうよ」
牛だ
最後の検問官だ
その時どこかで鐘の音が聞こえたようだ
時間が迫っている
その鐘の音はどうやら僕の頭の中で懐かしそうに
鳴り響いていた
「牛よ」
最後の検問官は目の前にいた


     追記の追記

僕たちは
僕たちと言うのは小キリンとリヤカーだが
牛の大きな舌ベロの上にいた
どうしてこうゆう事になったのやら
僕は小キリンに聞く
「これで良かったの?」
小キリンは首を傾げて
「困ったわ」と言う
牛が・・・?
まさか舌、だけ?
まあいいさ、牛がどこにいようが
牛がどこにいるのかは僕たちには分からないけど
そいつが舌を下げれば僕たちは舌ベロの滑り台を
どこかへ滑り落ちて行く
で、そいつが舌を上げれば
僕たちはどこへ行くのか
牛の検問官はどこだ
こいつじゃない
これはただの気の迷い
「ねえ、まだ見つかってはいないんでしょ?」
「さあ」









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