第4話

文字数 2,934文字


人形



(一)猫


寝ていた人形が起きた
外から見たのでは分からないが
それをもっと分からない猫が見つめる
口にアジフライをくわえている
人形にすり寄って行く
気が合いそうだ
外から見ても分からないが
猫はくわえていたアジフライを落とす
前足で宙を切った時にだと思う
そうして爪を出して見せた時に
女の子に爪を見せてと言われたのだろうか
つまり人形に
むろん外から見たのでは分からないが
猫は落ちたアジフライを爪でつついている
下で呼び声がした「・・・ちゃん」
猫は返事をせずに身を翻すと窓に飛びつく
女の子を見る
そして屋根へ飛び降りた
行ってしまった
アジフライが一つ
猫が一匹
女の子が言った
外からでは分らないが
猫のせいで窓が開いた
猫のせいで引かれていたカーテンが破れた
陽の光が差し込んできた



(二)庭


どこかの誰かの庭
何かの花の中
蜂が飛んでいる
蟻が地面を這っている
人形が起きた
地面の上に寝ている
ベッドはなし
お布団もなし
枕もなし
人形の手に何かの切れ端
綺麗な鳥の羽に見えなくもない
何時間かして
家の窓が開く
窓辺に猫がいる
庭を見ているようではない
丸まって尾をくわえる
尾を舐める
足を舐める
長い時間をかけて
伸びをする
庭の塀のそば
草むらから顔を出したネズミが
走り出る
一瞬身をこわばらせる
人形につまずく
女の子の顔にネズミの足跡が二つ
ネズミは巣穴へ向かって走る
猫は窓辺で見て見ぬふり
しかし人形に気付いたようだ
外から見たので分からないが
そしてもっと分からない人形へと近づいていく
玄関の扉の影から猫が現れ
庭への道をゆっくりと歩いていく
人形は泥のついた顔を舐めとってもらいたいに違いない
女の子はとても美しかったから
しかし猫は塀の端でこちらを見ているネズミと目が合う
ネズミは逃げる
猫は逃げるものは追う
ネズミになど興味はなかっただろうが
なぜなら人形に気があったから
人形が地面で寝ていたから
ベッドもなしに
外から見たのでは分からなかったが
猫は一走りしてから戻って来る
家の中から呼び声がする
「・・・ちゃん」
猫は知らんふり
なぜか女の子に近づくとその足を舐め始める
日が翳ってくる
空には雲がいっぱい
蜂はとっくに飛んで行ってしまった
蟻の行列はもっとずっと先にいるかもしれない
雲が落とす黄色い影
人形のところへ降りて来る月の光
猫が顔を上げ女の子の顔を見る
そこについている二つの手形を珍しそうに見つめる
空を雲が次々と通っていく
沢山の影を率いて
その影はいずれ地上に降りて来るだろう
猫はやっと何かに気付いた
そして人形を置いて家へと向かってゆっくりと歩いていく
その時猫が何を思ったにせよ
それは今の猫の問題ではなかったようだ
猫は諦めが早そうだ
隣の家の庭から犬の吠え声がしていた
焦ったネズミが犬小屋の前を通ったのだろう
しかし犬は喜んで飛び出したものの
鎖は伸びに伸びたものの
ネズミには届かなったようだ
犬の吠え声は何時までも続いた
今の所あの庭ではコトリとも物音はしなかった
草が息を吐き出す音は人形には聞こえただろうが
そう、外から見たのでは分からなかったが
ただ、ムンとする草の香りに庭は包まれていく
人形の居場所は育っていく草に囲まれていく
「何か言ってよ」女の声だ
家の中から聞こえる
そのうち風が出てきたようだ
かぶさってくる草の中に埋もれて人形は見えなくなっていく
しかし人間にはもとより何も見えなかっただろう
そこは夜だったのだから
庭の妖精が持つ照明は
このところ点いたり点かなかったりしていたし
鮮やかだった妖精の羽も今では錆が目立っていた



(三)満開の桜


細かくひび割れたコンクリートの上を
初々しいピンクの花びらが滑っていく
早咲きの桜だ
とてもピンクが濃い
風に従って右へ
そして 左へ
風はそこで渦を巻いているようだ
昨日散った花の上へ今日の花が舞い落ちて行く
誰も足を踏み入れていないのは一目瞭然だった
桜は相当な大木で三本ある
地面も灰色の敷地もピンクに埋もれつつあった
そこは閉じられた場所のようだった
それをまた閉じ込めるように薄緑色の塀が回されている
塀は新しかった
しかし小さな門は閉じられている
長い間閉じられたままのようだ
いや、一回も明けられたことがないかもしれない
門はすでに塀の一部と化している
或は最初から塀の一部だったのかもしれない
最初から見分けるなどできなかったのでは
ここの他のものと同じように
すべてが何を閉じ込めるのか分からぬ塀の一部
その中に埋もれている
背後には古い家が見える
玄関の扉がバタンバタンと音を立てている
開けられたままのようだ
そして風がそれを時々閉じる
今日のような日に
桜を見ていた者はそのうちギョッとする
一本の桜の根元から小さな指が覗いている
しかしすぐにそれが玩具のものだと分かってホッとする
近づいて行く
まるで、その指に「おいで、おいで」をされたように
そう、たぶん「おいで」と呼び掛けられたのだろう
外から見たのでは分からなかったが
その人はなぜか桜の下を掘っている
そのうち人形の全身が現れてくる
女の子だ
顔の泥を手でこすり落とす
可愛い
閉じていた瞼がパタンと開く
パタンパタンと音を立て続けているあの家の扉のように
男は不意に怖くなる
なぜかはわからない
しかしはじかれたように立ち上がると後ずさりする
そのまま立ち去って行くようだ
足音がコンクリートに響く
しかししばらくすると足音は止み
男はもう一度桜を見上げている
男の靴の上をピンクの花びらが滑って行く
右へ
左へ
男の足元で風が渦を巻いているようだ
男は自分がそこに埋もれて行くような妙な感覚に襲われる
ニャー ニャー
背後の家で猫が鳴いたようだ
いや、気がしただけかもしれない
男はなぜか家を避けるようにして戻って行く
その家を見ないようにして
そして振り返らないように
しかし振り返りたくてしかたがない
ニャー ニャー
すぐ近くにいるらしい
男は周囲を見まわして猫の姿を捜す
いや、心の中で捜したに違ない
見えてきたのだから
そして振り返ってしまった
猫が気になってしかたなかったようだ
すぐ後ろに猫がいるような気がする
そして振り返ればやはりそこに猫がいた
しかし猫は男を見ない
男が今しがた歩いて来た道を見ている
猫はその道に向かってゆっくりと歩いて行く
なんだか気取った歩き方だ
たぶん、あの少女の元へ行くのだろう
男は突然何かに気付いたようだ
つまらなそうに帰って行く
しかし道を見つけたのはその人だ
女の子への 人形への道を
猫はただ道がついていたのでそこを通って行っただけ
例え女の子に惚れていたとしても
猫は苦労して何かをすることなどない
しかし、いつも、そんな余計な事をするのが人間だ
だから待てばいい
猫はそれを知っている
必ず誰かが来ると
今年も桜が咲けばいいのだ
そうして桜が満開を迎える頃になると
すべてがここの現実へと帰って来る
何百回何千回そうしてきたように猫は窓辺に佇む
あたりはまだ冬だった
草もまだほとんど見えない
しかしよく探せば気の早い草が幾つか見つかる
しかし他の木は裸のままだ
茶色の世界
そこにピンクの靄がかかっている
人々が遠くからそれを見ている
あの桜だと知っている
しかし近所の人はなぜか来たがらない
たぶん、あの家には悪い噂があるのだろう
この世界、そんなものだろう
そこら中に色々と噂があるものだ
桜は年々早く咲いていくようだった
何を急いでいるのが知らないが
早く咲いて、さっさと散っていった
















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