第8話

文字数 1,852文字


凍り付いた川



時々こうしていると彼らと同じ空気が吸えるようになった
キラキラ輝く氷の先には
太陽があった
それはいつもまぶしい
私が人間だった頃にはこうゆう事は起こらなかったと思う
「お前が人間じゃない?」
無論人間だし
他に何であればいいのだ
しかし、私があの階段から真っ逆さまに落ちた時には
そうではなかったと思う
つまり、あそこから落ちている時には
そうでなければ、どうしてあの下まで行き着けたのだ
「ニュートンなんか信じちゃいないさ」
世の中可笑しな事ばかりだとお前はいつも言っていた
しかし悲鳴が聞こえた
あの時には
長い悲痛な叫び声も聞こえた
「どこからが人間でどこからが人間じゃなくなるの?」
私はここにはいない筈
いられる訳がない
まだあの階段から落ち続けているのでなかったなら

時々息が吸えるようになった
凍り付いた川の上を冷たい風が吹いていく
時々氷の妖精たちが自分たちの物語をつぶやく
虹を身体に巻き付けたツララが垂れ下がり
霜が氷のキャンバスに様々な絵を描いていく
それは氷が妖精を見たというしるし
そして風が氷の妖精たちに冷たい息吹を吹きかける
「人間、それはどうゆう意味?」
彼らは私を見る
私は彼らと同じ空気が吸えるような気がし始める
無意味だと知りつつ彼らの絵を写して帰った
それを人々に見せたこともあった
「彼らは気にしないさ」
見せられた人々も別段気にとめなかった
しかし本当は何も持ち帰ってはいけない
その記憶さえ持ち帰ってはいけない
「でも風も見たし太陽も見たよ」
「そして、見られたら消えるんだ」
そして私は、長い夢のようにあの階段を落ち続ける
そうでないはずがない

「あなただって仲間になれるよ」
一人でいること
誰とも一緒にいちゃいけないと思ったこともあった
そうすればこの謎が解けるだろうと思ったことも
とにかくそれまでは妖精たちと一緒にいよう
せめて妖精たちが見える間は
例え凍り付いてしまっていてもここは川
どんなに小さくても川
私は何回も川を渡った
あの階段とこの川とが不意に重なる
夢の中に混ざった他人の夢のように
眠りの中を漂っていく不可解な調べの
たぶん異国の子守歌のように
そして知らなかった記憶がやってくる
だが水音はささやく
「何?」
ひ、み、つ、ひぃーみぃーつぅー、

「よく分からない階段から落ちてここに来たの?」
「それともどこかに行ってきたのかな」
誰?
「あなたを見ている
あなたを見ることができる
つまり、そう落ち込む事じゃないさ」
そうゆう問題なの?

そう、あなたが見えると彼らは言った
それは彼らの絵を盗み取ったせいだろうか
誰もここを、頭の中のフィルムに焼き付けてはいけない
きっと、帰れなくなる
「忘れるまで?」
記憶してはいけない形 
記憶してはいけない時間
記憶してはいけない場所
記憶してはいけない音と光
「記憶なんかしていないさ、できないしさ」
しかし、ここの何かを持ち去って
交換してしまいたくなる
「じゃあ、見せ合おうよ、持って来たものをさ」
違う
私はあの階段を落ち続けている筈なんだ
そうじゃなかったら世界の法則が狂いだす
でも、何と交換してくれるの?

「どこに落ちたか知りたいのならね」
とっくに下まで落ちたのだ
妖精にはそれが見えたのだと思う
彼らにはどこにいてもそのような事は見えるのだと思う
「誰一人信じようとしなくてもいいよね」
彼らは信じる
今あそこからここへ落ちてきたと言ったとしても
むろん、彼らはちゃんと見ているし
そして自分の見たものは信じる
「下へたどり着いたね」
どうしてここで息ができるのだろう
ここは本当に私の世界の続きなのだろうか
「それとも妖精たちの夢の中にある凍り付いた川かな」

中空に伸びている駅のプラットホームから
地上へと突き出している階段
空中で苦悩するように弓なりに反りかえっているその長い腕
それに掴まれたら
思い切って飛び出すしかない
下に見えるのはまるで大きな水溜りのような幾つもの踊り場
階段を登ったり下ったりして
時を刻んでいく沢山の靴音
「階段が咳き込み、お前を放り投げる
そお~ら」
それは飛ぶこと
飛ぶことと同じ

時々踊り場に突っ込んで溺れかける仲間たち
「しかし君たちは飛行隊
世界のプラットホームから飛び出していく」
やっぱり飛んでいるのだ
一番下の階段に座り込んで
今しがた落ちた気の遠くなるような階段を
ただ茫然と見上げているんじゃない
「そぉ~ら
階段が咳き込みお前を放り投げる」

凍った川の上を歩く
氷の下から水たちの騒がしいお喋りが聞こえる
何て言っているのだろう
こんな山奥の名もない川には、人間なんていない
そう言っているのか
そうかもしれない
そう、多分いないのだろうな







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