第2話

文字数 1,347文字

夜明け前



もう間もなく朝だというのに
山並みの上には細長い強情な顔を持った月が
かかっている
人間の顔を持った鳥たちよりも早く起き出した私だが
窓を開ければきっと
泥棒の夜風がなだれ込んで来て
私の残った記憶を盗んでいくことだろう
まだ、そんな胡乱な時刻だ
窓辺に火の玉がやって来ると私の足元を照らした
ひどく暗かったのだ
そして夜の最後の呪文を唱えた
「また一日、もう一日、まだ一日、もう一日だけ・・・」だったか
しかしその前に幻のケモノたちが次々やって来て言った
「どうか私にあなたの身体を、どうか身体を」と
何のことやら
しかし私には返さなければならないものがあるのを思い出した
昨日の夕刻この窓辺にやって来たニシキヘビが
自分の腹を裂いて一日分の命を取り出し
ここに置いて行ったのだ
そしてヘビは呪文を唱えた
「赤い空 火の空」と
そうか「火の玉」ではなかった
私は「赤い空 火の空」と叫んだ
そしてニシキヘビの置いて行った一日分の命を飛ばした
この言葉は取りに来なかった時にそれを飛ばす為のエネルギーだ
どちらにしても夜に私が持っていられる言葉はこんなものでしかない
そして私は一日先の未来を覗いてみた
ニシキヘビが開けた穴からその先が見えていたのだ
だが、たいした未来でもなかった
それに私が覗いても何の役にも立たないだろう
今更ニシキヘビになどなりたくはないし
それなのにその穴からは今にも私の無知がしみだしてきそうだ
「昨日の事なんかみんな忘れた
昨日がなくなれば明日もなくなるというものさ
覗いても意味ないな」
私に言っているのだろうか
幻の中の一匹が現実化していた
ハイエナに似ている
大きな斑のあるハイエナ
なぜかその斑が可愛らしく思えた
「この窓辺で寝過ごしてしまったな」
この窓辺?
ここで寝ていた者がいたとは
そんなことが出来るのかと私は思う
私はハイエナを見下ろした
ハイエナは私を見上げた
「なんて、ひでえ顔だ
何をしたらそんな顔になるんだ
何日も寝ていない顔だぞ
窓くらい開けろよ」
私は窓を開く
外は暗かった
「何も見えないじゃないか」ハイエナは文句を言った
「それに嫌な匂いの風が吹きこんでくるぞ」
その時インコが窓から飛び込んできた
夜の間中、闇の中をめくらめっぽう飛び回っていたインコたちだ
それが家の壁にぶち当たる寸前
開けられた窓から飛び込んできた
そして叫んだ
「何も起こらない 何も起こらない」
これも呪文だろうか
ハイエナが「ふん」と鼻を鳴らした
そして「おや、生臭いぞ」と言った
「血の匂いだ」
「血の匂いだ」
床を這っている
「誰が通ったのだ」
心臓が途端にドキドキして
私を締め上げていった
しかしそうして心を逃がさないようにしているのだと思った
ハイエナが私を胡散臭そうに見ている
私はその視線を受け止め
ハイエナにうなずいた
すでに限界なのはわかっている
まだ暗かったが
明るくなり始める前に夜道へと
足を踏み出す時なのだ
人間の顔を持つ者の去る時刻なのだ
それは今日一日の顔ではなく一生分の顔だと心して
あとは一日で一生を終える潔い昆虫の顔と入れ替わるのだ
おお、吹き込む風が窓を壊してしまった
インコもハイエナも慌てて逃げ出していく
やがて幻は消えていった
しかし木々があんなに傾いでいる所をみると
「今」を通って行くのは今年初めての台風だろう
しかも夜明け前の一番暗い目を持った台風に違いなかった
 





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み