第14話

文字数 2,509文字


砂漠の馬



馬が言った
これは秘密だと
誰にも言ってはならないと
そう言って馬は私を乗せた
日が沈むと彼方の砂丘の上に月が昇ってきた
その下で砂漠の民は太鼓を叩き踊っていた
吹き付ける砂の中には金が混じり
舞い上がった砂の中で黄金の花を咲かせた
やがて、もう一頭の馬が砂の中から現れた
「あそこにいる風神が見えるか」私の馬が言った
「いや、見えない
ここは死の国なのか
それとも夢の国なのか」
答えはなかった
砂の中から現れた馬はすぐに風化し骸骨と化していった
砂漠の風神は一体何を吹き払ったのか
「自由だ
しかし物騒な事を言ってはならない」と私の馬がたしなめた
私の馬も透けていた
「筋肉など必要ない」と馬
羽虫が陽気に歌いながらその身体を透り抜けていった
今や、太鼓の音に鈴の音も加わっていた
踊りは激しくなり踊り手の数は増え続けた
「来るか、来ないか」
とにかく私たちは行こうと馬が言って砂漠の丘を登って行った
月の方角へと
すると私にも風神の姿が見えてきた
風の音を聞くことも出来た
すると砂漠は姿を変えた
「自由だ
しかし胡乱な事を考えてはいけない」と馬が言った
何だかここはとても女性的だった
乳房のような丘
大きな尻のような谷
「とにかく行こう」と馬が言った
「隊商は死んだと、風神は彼女らに伝えるだろう」
とうとう歌い手たちが歌い始めた
私は馬に尋ねた
「これは夢ではないのか、そのはずではないのか」
「夢は醒めるから」と馬は言った
さらにもう一頭の馬が砂の中から這い出してきた
「暑い、熱い、寒い、寒い、
熱くて寒い、寒くて暑い」
這い出してきた馬は苦しそうだった
「夢はいつ醒めるのか
いつ醒めるのがいいのか」と私は馬に聞いた
「占おう」私の馬が言った
ここは占いの地でもあるようだった
その時風神が笑い声をあげ頬を膨らませると息を吐き出した
風神に息を吹きかけられて私は砂漠の果てまで飛ばされた
或は、砂漠から消え去った
しかし私の馬は何事もなかったかのように私をそのまま乗せて
砂漠をとぼとぼと歩いて行った
夢か夢でないかと考えながら夢見る私を
その背で揺らしながら
歌と踊りは続いていた
歌声は砂漠の砂と同じだった
一夜、二夜、
その次には一年分の夜があっという間に過ぎ去って行く
どこにも切れ目などない
そこにいるあなたがどれかの数字を選ぶ?
いや、選べない?
馬は四頭になった
眠れない夜に羊の数を数えても眠れないように
増えて行った
増えても思いは叶わないだろう
「馬の数など無意味だ」私の馬が言った
風神が笑いながら目の前の丘に現れたが
すぐに見えなくなった
なぜか死んだはずの隊商がラクダを連ねて帰って来た
馬たちはオアシスの町の前でいななき
やがてイラついた唸り声を上げ始めた
ラクダたちも苛立って鳴き始めた
やはり死の国だ
しかし夢は醒めるから
いつどこで醒めればいい
私はもう一度前と同じような事を考え
そして無意味だと思い直した
馬たちはまだ骸骨のままだった
やはり筋肉さえ無意味なようだ
何時の間にか夜が更けていき
火の周りに蛾たちが集まってきていた
どれも大きな蛾だ
様々な蛾が月光の中で舞っていた
「金色になる、金色になる」
「金色になれ、金色になれ」
馬たちが蛾に魔法をかけていた
私はつぶやいた
「どこにも行かない、どこにも行きたくない」
しかし砂漠では歩き続けなければならない
どこまでも歩き続けなければならない
風神が現れ息を吹きかけるとここは忽ち別世界となる
ここには形などない
もともとない
もともと何もない
「ない」から「ある」へとひたすら歩き続けても
しかしここでは歩き続けるべきなのだ
ここでは動かないものは誰にも見つけられない
馬がささやく
「私があなたを乗せたことは秘密だ
誰にも喋ってはいけない」
六頭目の馬が砂の中から這い出してきた
「蛾の羽はどこで拾える?
どこで拾えばいいのか」
這い出してきた馬たちは二本足で立ち上がり
蛾の周りで蛾たちと一緒に踊り始めた
その時私はここで歌おうと初めて思った
そして歌ったと思う
しかしその声はどこか自分の声ではないように思えた
馬たちは魔法をかける
「自由だ」と
「歌え」
私は自分に「歌え」と言った
蛾たちが辺りに降らす鱗粉の中から
その金色の霞を通して一際大きな星たちが瞬き始めた
「魔法だ、魔法の夜だ」
皆が恍惚として踊っていた
「一度あったことは二度起こるかもしれない
すべての事は一度きりではないかもしれない
しかし二度目など信じるな」
馬たちがいなないた
「目覚めよ、一夜目で」
ラクダたちが叫んだ
「それともいつまでもここを歩き続けるか」
「自由だ」と馬たちが叫んだ
「踊ろう」
私の馬も立ち上がり、二本足で踊り出した
そして私は馬の背から砂の上へと転げ落ちていった
砂に手を入れると
「暑い、寒い、熱くて寒い」と砂がつぶやいていた
天上からは朝明けでもないのに一筋の光が差し込んできて
砂の上には一本の光の柱が立ち上がった
様々な蛾たちが乱舞しながらその柱を昇って行く
「暗くて明るい、明るくて暗い」
「踊るべきか、まだ踊っているべきか
ずっと踊っているべきか」
馬たちは砂塵を巻き上げ、風神のように旋回した
或は踊り辞めて彼らを見るべきかと私は思った
しかし私はまだ踊ってさえいなかった
「暗くて明るい、明るくて暗い」
砂たちが何かの呪文のように無意味な言葉を唱えながら
できたばかりの丘を滑っていく
すると砂丘は平らになり馬たちは再び砂の中に埋もれていった
「お前たちはいつ目覚めるの」と呼び掛けたけど
風神がやって来て砂丘を変えていく
「上は下、下は上」と私の馬
そこにはいつの間にか神殿が建っていた
そして神殿の周囲を、砂がまるで生き物のように動き回っている
「下は上、上は下」と私の馬
砂は神殿の中へとなだれ込み
私の馬が砂の中に埋もれていく
私は思わず「生きるのか、それとも死ぬのか」と呟いていた
すると風神は笑ってまた一陣の風を吹きかけ
神殿の後ろにまるで女体のような豊満な丘が盛り上がった
「一瞬こそ永遠、一瞬は時間を止める」
「一瞬は永遠、永遠は一瞬」
砂漠の風が呪文を唱えた
砂たちが相変わらず何事か呟きながら豊満な丘を滑り降りていく
私は突然、皆に笑われているような気がした
そして知らないのは私だけだと気付いた
「時間よ、止まれ」
ラクダたちが丘の向こうから叫んでいた
「時間よ、止まれ」




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