第15話

文字数 2,913文字

    漂流物



風がどこかから運んでくるなつかしい匂い
しかし私たちの裸足の足は今日も浜辺を走っていった
潮騒の中
打ち寄せる波が残した白い泡に私たちの足跡をつけながら
彼女と、しっかり手を繋いで
しかし彼女が友人だったか妹だったか、もう思い出せない
遊びに夢中になった子供たちの上げる甲高い声が
砂と共に強風に吹かれて、私たちへと吹きつけてきた
いつの間にか解けた私たちの髪は絡み合って
一つの旗のようにたなびいていた
私たちは浜辺を走ることが楽しくて
大声で笑いながらいつまでも走っていた
そのうち二倍に膨れ上がった髪の束が
私たちの頭を容赦なく後方へと引っ張り
私たちの頭をのけぞらせた
まるでその砂浜をもう走らなくてもいいようにと願っているかのように

私たちは毎日、この海岸で会った大勢の人々に笑顔で話しかけた
毎日、その人の話を聞き私たちの話をした
そうしてここになくてもいい記憶を捨てていったのだと思う
それは毎日のようにここに吹いていたあの強風のせいだったかもしれない
そのうち私たちはもうこれ以上走れないと思うようになった
私たちの笑顔も叩きつける砂の為に引きつっていった
ふいに襲ってくる不安に互いの手を握りしめたが
もう私たちの髪をふりほどくなんて不可能みたいだ
それはもう過去の一部になったのかもしれなかった

私と彼女とは似ていた
砂浜の人々はよくその事を話題にした
中には性格が正反対だと言う者もいたが
どうだろうか
ただ彼らの話をいつも真剣に聞かなくてはと思っていた
ところで、ここの人々はここに打ち寄せてくるものを
ただのガラクタだと私たちに言った
だからここでは浜に打ち上げられたものを拾い歩くのは
とても恥ずかしい行為なのだと
だから私たちもそんなことはしなかった
ある日大勢の人達がそれらの流れものを取る為に
浜で場所取りをしているのを見てしまった時も
そんな彼らのことは知らないふりをしていようとした
あのサンダルも、あのワンピースも
何も気にしないと
その代わり私たちは彼らと沢山の世間話をしたのだと思う
彼らの事を根掘り葉掘り聞き出したこともあった
しかしその間にも絶え間なく様々なものが
彼らの言うゴミが、浜に打ち上げられてきていた

だが、私たちは自分たちの生活を
実は彼らが見捨てたゴミの中から漁っていたことを今は認めよう
しかしそれが目的で一日中話し相手を求め浜辺をさまよっていたのではない
彼らが見逃したゴミなどいくらでもあったからだ
浜辺の近くで口を開けていた洞窟は
それをどんなに沢山銜えこんでいたことか
それなのに、いつから二人だけでいられなくなったのだろう
二人でいれば安心だったのに
しかも彼らは私たちの話に耳を傾け、愉快だと言ってくれたものだった
私たちはそうしてほぼ一日中人々と話し続けた
なぜだろう
ここでは退屈は敵ではなかったのに
ここでは誰もが多かれ少なかれ退屈していた
一日中、明るい日差しを浴び、沖で波の砕ける音を聞きながら
退屈していた
別にそのことを恥じることもない
退屈からここで何かを始めるのは決して良いことではなかった
ここ自体に身を任せられなくてはならなかったから
だから私たちが時として彼らに長い議論を仕掛けたのは
何も彼らを活動的にする為ではなく
その話題で明日も彼らに会いたかったからに過ぎなかった
それに私たちはこの海岸で彼らのように泳ぐこともしなかった
その代わり彼らと話したのだ
私たちの身体があの打ち上げられてきた瓦礫のように
最後には粉々に砕けてしまわないように
どうしてそう思ったかは今となっては分からない
海へ入るともっと心細くなっただけかもしれない

いや、彼らの愚痴なら飽きる程聞いてきた、それも長いこと
私がとうとう彼女と親密に語り合うことがなくなってしまう程に
そうやって私たちの為の時間の多くを彼らとの会話に割いてきた
それでも、ここに長くいればいる程
私たちのものも浜に打ち上げられてくるようになったのだ
そうすると私たち自身も彼らが言うように
浜に打ち上げられたものは
つまらないゴミなのだと思えてきた
どうしてなのだろう
だがある日、そのようなゴミの一つを拾い上げたら
腐食した所が砕け
中にいた白蟻たちが飛び出してきた
そして私の腕へと這い上ってきて私を噛んだ

私たちが浜辺に作った家
傾いて幽霊が出そうになってしまった家
しかし砂浜と微妙なアンバランスを取っていた家
そこに施した色々な仕掛け
その仕掛けには今は不用意に触れないほうがいいかもしれない

ところで、何時になったら彼女の口から
私の事を聞くことができるのだろう
私たちはそうして確かめ合い、何かを与え合わなかったなら
生きてはいかれないというのに
私たちが始終笑い合おうとするのもそうだし
私たちが固く手と手を握り合っているのも
そして彼女によって承認されたことの中にはこの浜辺へ戻って来て
私たちの大切なものとなるものもあるのだ
それでも、私たちが互いの顔を覗き込んで見ていた記憶とは
一体何なのだったろう

ところで、この海岸に漂流物が溜まって
手がつけられなくなってしまわないのは
彼らがそれを自分のものにするばかりではなく
それをよそ者に売りさばいていたからだ
この浜で退屈している人々が或る時には強欲な商人に変貌するのだ
なにせ買い手の方がここへ押し寄せて来たから
しかし彼らが一番気にするのが仲間に何を売ったか知られることらしかった
それでも彼らは海の彼方からやって来た人々の前に
今まで注意深く他人の目から隠していたものを持ち出してくると
早速交渉に取りかかったものだ
しかし彼らは大概代金の支払い前にその人の話を聞きたがった
買い手はしばしば自分の生涯を物語る羽目になってしまったが
別に嫌がっている様子もなかった
しかしそれらの商品は彼らがガラクタだと言っていた、
あの漂流物に過ぎなかったのだが

それなのに毎日海の向こうから人々がやって来てそれらを買っていった
買いに来た者たちは「それは実は見た目とは全く違うもので
私たちにはその価値が理解できるのだ」と言った
いったいそれで彼らは何をやらかそうというのだろう
この波打ち際を行ったり来たりして、一番長く漂っている物は
さぞかし彼らにあることないこと吹聴するに違いなかった
とにかくここで一番の物知りで、まちがいなく一番の嘘つきは、
打ち寄せる波に散々痛めつけられた漂流物なのだ
そしてここではそれらのことを、手に負えない本当のガラクタと呼んでいた
神々の物語をしたのもきっとそんなものたちの一つだったろう
そして神々の物語によれば、ここはもうじきなくなるということだ
或る時大きな嵐がやって来て、
ここをまったく別の世界に変えていくのだそうだ
そうなれば、そこに漂着していたものたちも、
茫漠とした海へと、今度は本物のゴミとして散らばっていくのだと
そして神様は私たちにも言うのだ
今まで毎日人々に隠れて一生懸命かき集めてきた私たちの物語を諦めると
またただのゴミとして生きられると
そして再び新しい海岸が見つかると
しかしそこであなたが必要とするのはもうあなたの物語ではないと
思えば、私たちが互いの手を握って離さなかったのは
そうすると何だかここで
時間が止まったような気がするからだったのだろうか

しかし、あくまでゴミたちの話が真実ならだが


















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