第26話

文字数 5,394文字


シャッター



シャッター街となった駅前の中央通り
閉じたシャッターに絵が描いてある
私が昔餌をやったことのある上目遣いの牛だ
その隣には鼻の尖ったバス
鼻にはカイザー髭が追加されている
見たことのない特急列車
「北アルプスツアーズ」という文字
列車の窓ガラスには小学生たちが描かれている
未来の車が空を飛び回っている
想像上の町
漫画が描かれている道
砂糖菓子のように美味しそうな家々
その屋根と屋根との間にはパスタのようなロープが
張り渡されている
絵の下にはやはり何か書いてある
「どの家がいいかな どの家にも住めるよ」と読める
つたない字だ
きっと子供だろう
「ただし、その家には綱渡りで行かなくちゃ」
これは別の子供が書き込んだようだ

牛の絵まで戻る
何かが気になる
あの上目遣いの所為か
考え事をしながらじっとその目を見ていたら
突然その瞼が閉じた
ゆっくりと とてもゆっくりと
そして牛が喋った
「見られてしまったな
我慢できなくなった
じっと見られるのは好きじゃない
とにかく、早く隣のシャッターの窓を覗いてくれ」
どうして、絵が喋っているのだろう
きっと、気のせいだろうが
「それはお前と話す為に決まっているだろうが」
気のせいにしては何かおかしいが
まあ、いいか
「どうして、ぼくが来ると知っていたの?」
「ここじゃ、何事もそうゆうものなのさ
お前も、ここへ来たからには
それやこれや納得していくしかないな」
「ここへ来た?」
絵が喋る世界へ来たと、どう納得すればいいのか
やはり、気のせいの続きにしておこうか
「いいから覗いてみろよ」と牛が急かす
隣のシャッターには絵が描かれていない
「いいからさ
のぞき穴があるだろ」
「いいよ」とぼくは結局答えた

しかし何も見えなかった
カメラのシャッター膜が下りたままになってしまったかのように
ぼくは牛に「覗いた」と言った
牛は首を震わせながら突然モーと大声で鳴いた
馬鹿にされたらしい
しかし何もないのは確かだ
おや、窓の下に棚があってそこにサングラスが置かれている
これで覗けとでも?
牛がぼくをじっと見ていた
しかし中は真っ暗だというのにサングラスとは
まあ、気のせいでここまで来たのだから
サングラスで闇を覗くのも悪くはないか
その時、牛が唐突に「毒には毒で対処すべし」と言った
びっくりした
意味が分かるのだろうか
とにかくサングラスをかけて中を覗いた
やっぱり、真っ暗だった
駄目か
当たり前だとは思うが
その時、突然前のめりになった
手を突き出したが手は空を掴み、ぼくは地面に顔から突っ込んだ
いや、地面ではなかった
フワフワしていた
しかし何も見えない
しかし、そのうちギザギザの線が見えてきた
稲妻みたいだ
パシャッ・シュポと音がして光も見えた
なんだかぼくの持っているカメラのシャッター音のようだ
だが、その音に続くゴロゴロ、ドカンはない
写したのは稲妻みたいだ
起き上がると顔から落ちたサングラスが割れていた
割れ目は稲妻のようなギザギザだった
周囲を見回すと、他にもたくさん割れたサングラスが散乱していた
しかも宙に浮いている
「わお、まるで抽象画の中にいるようだ」とぼく
牛が「割れたサングラスの世界さ」と言った
そして「オレを解放してくれてありがとう」と言った
牛はぼくの隣までフワフワと歩いて来るとぼくを上目遣いで見た
そして「見えるかい」と言った
割れたサングラスの世界だって?
しかしそこは雲の上のようだった
いや、雲の中
雲海かな?
やけに湿気っている
牛の鼻づらもしっとりと濡れてテラテラ光っている
牛が言った
「雲海に取り残された世界だろ
だからオレとお前がここにいる
これでいいかな?」
ぼくに聞かれても何がいいのかさっぱり分からない
とにかく、今ぼくはそこにいる、それでいいと思う事にする
「いいよ」と答えた

「なら、乗れよ」と牛
「乗る?
何に?」
「オレとお前しか残されていない
ということはオレに乗るということになるのではないかい」
「なぜ?」
「落ちるから
お前だけ」
「どうして」
「さあ、知らない
でもさ、ぼくは飛べる
ここに描かれ、それから解放されたから
ここに描かれた者は飛べるのだ
お前はここに描かれたことがあるのか?」
「いや、ないと思うよ
あっ」
「ほら見ろ 乗れよ」
「乗ります」
「そうさ、そうでないとお前は地獄へ真っ逆さまさ」
「あの、この下は地獄なのですか?」
「オレはそう聞いている」
「あの、ぼくは地獄へ落とされるような何か悪い事をしたのですか?
いったい、何を?」
「オレに、牛に、聞くの?」
「いえ、そうゆう訳では
しかし、そんな罪を犯した覚えがないので
しかし、もしかしたら、あの時・・・」
「待てよ
お前は牛に懺悔するわけ?」
「いえ」
「そうだよ、やめとけ」
「ただ、牛肉は好物だったから
そのことに何か意味があるのかと思って」
「オレは牛肉なんかではないぞ
オレは牛、お前らがつけた名前だろ?
お前が食べた焼き肉やすき焼きとは違う
オレのどこがそれらと似ているのだ」
「あの、牛はあなたの名前という訳では・・・まあいいか」
しかし牛の耳の後ろに
小さな、とても小さな字で
田中と書かれたプレートが付けられているのを発見する
「あの、あなたの名前が分かりました
田中です
ほら、耳に、今ぼくが揺すっているものに書いてあります」
「オレの耳に?
何でそんなオレには見えない所なんかに」
牛は怪訝な様子で身体を揺すっている
「待って、田中雄二号です
そう書いてあります」
「田中雄二号か
名前が伸びたな」
牛は首をめいっぱい後ろへ向けようとしているようだが
やはり名前を見たいのだろうか
しかし、くるくると回り出す
「落ちそうだから止めて」とぼく
「ごめん
でも、なんで見えないのだろ
それで、お前の名前は?」
ぼくは一瞬戸惑う
「私は菊池です
その、菊池裕司です
同じ、ゆうじ」
「菊池裕司号か」
「いえ、号はなし」
「オレより一字短いのか
しかし、同じゆうじで兄弟という訳か」
「あの、そういう訳ではないけど
これからどうするのですか?
どこかへ行くのですか?」
「あの、ではなくて名前で呼んで欲しいな」
牛はどうもさっきからぼくの名を菊池裕司号、菊池裕司号と
つぶやいているようだ
余りはっきりとは聞き取れないが
しかし、僕は牛にもう一度尋ねる
「あ、そうですね
では、田中雄二号、これからどこへ行くのですか」
しかし牛はまだ、僕の名を歌のように口ずさんでいる
それから、自分の名前を口ずさみだす
「ああ、名前か
良い響きだ
気持ちいいな」
「ああ、オレはこんな名で呼ばれていたのか
ああ、
でも、なぜ忘れてしまったのだろう」
どうも、牛はなかなか名前から抜け出せないようだ
「あの」ぼくは少しイラつく
名前なんか
「なあ、菊池裕司号」
「いえ、ぼくには号はいりません」
「いや、そろえておいた
多い方がいいだろう?
で、どこへ行くかって?
どこへも行かない
何もしないでこのまま
つまりオレには何もできないのだ
オレは絵だからな
忘れたのかい?
つまり、これはお前が見ている世界
シャッターを覗いただろ?」
「ぼくは見ているだけなのですか?」
「そうゆう事だと思うよ」
「しかし、ぼくはあなたに乗っている」
ぼくは牛の腹を蹴って思い出させてやった
しかし牛はむずむずし、くすぐったがっているばかり
蹴られる度に「むぐむぐ・むぐむぐ」と言う
蹴らなくてもしばらく「むぐむぐ・むぐむぐ」
それとも何かをまだ咀嚼している最中なのか
そして、大きなゲップをした
「ああ、すっきりした」と牛
「くさい」とぼく
「ごめん
しかし、牛は動けないのだ」
ぼくはなぜか腹が立ってきた
抗議してやる
きっと何かをするのが面倒なだけだ
それで牛に言った
「いや、田中雄二号は違う
動けますよ」と
「ぼくがあなたに乗ったからです
ここはそうゆう所でしょ?」
「そうなのかい?」と牛
「それならどこかへ行こうかな」と牛
「行ってもいいの?
誰かの迷惑にならないかい」と牛
「他に誰がいるのさ?」
「いる筈なんだ」と牛はキョロキョロしている
「さっきはぼくたちだけだと言わなかったかな」
ぼくもつられてキョロキョロした
すると牛が「見つからない」と言った
「そうだろうさ」
「でも、菊池裕司号の言う〈さっき〉は過去形だからね
絵は動かなくても周囲の世界は止まってくれないぞ
それに菊池裕司号は田中雄二号という時間に乗ったんだよ
今も乗っているだろ?
そのうち二つの時間が絡まって色々な事をしてくれるさ」
牛は田中雄二号となって
だんだん訳のわからない事を言い出したようだ
名前など教えなければよかったとぼくは少し後悔した
「では、下の地獄ともおさらばだな」
ぼくは田中雄二号にそう言った
「いや、地獄はお前がいつも引っ張って行くものだろ?」
「違うよ」とぼく
「違う?
本当?」
「違うよ
いや、そうかもしれないけど
やっぱり、わからない」
でも、ぼくの地獄って何なんだ

その時、どこからか時計たちがやって来た
牛が叫ぶ「おお、時計だ、時計だ」
牛が叫ぶ「時計だ、身に着けろ 時計だ、捕まえろ」
そういえば・・・この先のシャッターに時計の絵があったな
ぼくは思い出した
確か腕時計に目覚まし時計に柱時計が
雲の中を楽しそうに飛び回っていた
「取れよ、早く
早くしないと」
田中雄二号がぼくをせっつく
「わかった」
ぼくは目覚まし時計の一つが気に入ったので
それを取って首から下げた
それを見て牛が「正解だといいな」と言った
「どうゆうことだい」とぼく
「起きられればいいねと言ったのさ」
「寝てもいないのに?」
「さあ、どうだか」意味深な答えだ
ぼくは無意識に他のシャッターには何が描かれていたのか
思い出そうとした
それを察したように牛が「やめてくれよ」と言う
「やっと解放してもらえたのにさ
絵の中に戻さないでくれよ
菊池裕司号にはまだ未来があると思うよ
ぼくを解放できたんだから
ねえ、時計は取れた?」
「ああ、捕れたよ」
「なら、どこかへ行こうよ」
「うん、そうだね」
「頑張れ」
「え、頑張れだって?
何に?
何にどうがんばるのですか?」
「さあな、でも菊池裕司号の世界では
もっとがんばって生きるということかな?
違うかい?」
「もしかして、ぼくは死ぬのですか?」
「なぜだい?」
「いや、田中雄二号の話を聞いていたらそんな気がしてきたから」
「いや、〈死ぬ〉じゃなくて、〈死ぬまで生きる〉だろ?
どちらにしても何時か死ぬから安心しろ」
「そうだけど
まあ、安らかな死を願いたいですね」
「もう、どうでもいいさ
ここまで来たんだからさ
行ける所まで行こうよ
ねえ、行こうよ
一番遠い所までさ」
あ、思い出した
その先のシャッターに描かれていたのは骸骨だった
それと他には角の生えた鬼のようなケモノだった
そして、どちらも飛び跳ねていた
踊っているように
いや、焦ってイライラしているように
そしてそれを思い出した途端
ぼくはもうどこにも行きたくなくなった
ここでいいと思った
牛とこのまま、この真っ白い物の中でフワフワしていたいと
しかしその途端
ぼくの胸で目覚まし時計がけたたましく鳴り出した
ぼくは願った
「どうか、起きて
お願い、起きてくれ
誰でもいいから起きてくれ」

「花はいらんかね」
そこに花車を曳いた花売りが通りかかった
ぼくは何て綺麗な花車だろうと見とれた
そしてそれを曳いている女の人の顔をどうしても見たいと思った

「さあ、どうぞ」
女性の声でどこかの玄関の扉が開いた
古めかしいが感じのいい家だ
きっと旅館だろう
「一晩泊まりたいのですが
部屋はありますか
予約したはずなのです」
そう言いたかった
しかし言えなかった
どうしても声が出てこなかった
「あの、牛を連れているのですが大丈夫でしょうか
ちょっと訳ありで
牛は田中雄二号と言います」
なぜかそう言っていた
すると分厚いノートのようなものがパラパラめくられる
「あなたのお名前は何と言いますか?」
「ぼくは菊地雄二号です
いえ、間違えました
号はありません」
ぼくはとにかくそこに一晩泊まれれば大丈夫だと思った
しかし胸では目覚まし時計が相変わらず鳴り続けている
こんなにうるさかったら誰の声も聞こえやしないとぼくは焦った
早く鳴り止んでくれと願った
「それより、早く起きろ」
誰かがそう言っていた
しかし、ぼくは途轍もなく疲れていた
休みたかった
「菊池裕司号よ
休むな
今は休まず働け」田中雄二号だ
そうだ、あなたは働いている
ぼくの所へ来た
それは大変なことだ
骨の折れる仕事だ
ぼくはそう思った
しかし町はシャッター街だった
あの牛がいた農場ももうなかった
いったいどこで働けばいいのだろうと心細くなった
行き場などないのではないか

しかし、夜になると人通りの途絶えた町に
影のような人物が現れ
閉じられたシャッターに新しい絵を描いていった
「誰かが必ずここで迷うからな
しっかり閉まっていろよ
喋るんじゃないぞ
誘惑に負けた者は消しちゃうぞ」
その人物は少し頭がおかしいらしい
さかんにシャッターに話しかけていた

ぼくは子供の頃に行った町の
今はシャッター街で
田中雄二号と言う時間を捕まえた
そう思った
そして牛はぼくを乗せた
「乗れよ」
ぼくは思う
「きっとこの先は地獄道だぞ」と

「田中なにがし氏 往生
菊池なにがし氏 往生
・・・
・・・・
・・・・・
・・・・・・
寺で読経が響き僧侶が名前を延々と読み上げていた
ぼくはどこかで
多分その寺の座敷で
亡くなった人の親族として
その声を聞いている
そして、あんなに大勢の人がと思って胸を打たれている
しんみりとしてくる
切なくなる
しかし、僕はウカウカと浮かび上がってしまう

ぼくは牛の背でふかふかと気持ち良く揺られてどこか遠くへ行く

その時、やっと目覚まし時計がぼくの胸で鳴り止んだ




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