第7話

文字数 2,920文字

 市原に着いた伊達はいつも泊まるホテルを目指して歩く。
 そこはビジネスホテルというよりリゾートホテルに近く、それぞれの部屋も広くて落ち着ける所だった。

 電車の中でツインルームを予約した伊達はチェックインを済ませると最上階の大浴場に隣接して設けられた温水プールでひと泳ぎする為に1階まで降り、売店で水着を買って再びエレベーターに乗る。
 誰もいないプールで休まずに1時間位泳ぐといい感じで疲れてきたので、シャワーを浴びる為に水着のまま隣の大浴場へ移動したが、まだ4時を過ぎたばかりだからかそこにも人の姿はなかった。

 30分程で部屋に戻ると腹に何か入れるためにアーケードのある商店街まで歩き、小綺麗な洋食屋のショーケースにあったアジフライ定食のサンプルを横目で見ながら店に入る。

「いらっしゃいませ。奥の席へどうぞ」50歳位の気の良さそうな男性店主が水の入ったグラスとおしぼりを持ってくると、
「アジフライ定食を1つ」伊達はまだ空いている店内を見回し、入り口の横にあるテレビが見えるテーブルに座って笑顔で注文する。

「はい、アジフライを1つね」店主は静かな声でそう言うとカウンターの脇にあるドアの中へ消えた後、再びカウンターの内側に現れて何やら作業を開始した。

 伊達がテーブルに置かれた水を1口飲んでテレビに目をやると、何処かで起きた事件が報道されていた。
「…大田区の一家殺人事件は本日の早朝に発生した模様です。10歳の女の子が1人生き残っただけで他の家族4人は……」と現場の映像と共に記者が実況を伝えている。
 女の子が1人だけ生き残ったという事を聞いて品川の事件と同じだと思ったその時、伊達のスマートフォンが鳴り出した。

 画面に『吉田警部』と表示されているのを見て、今の想像は正しかったのだと確信しながら応答すると、
「吉田です。今、話せますか?」先日、青木の医院で会った警部の声が聞こえてきた。

「ええ、どうぞ」外で話そうと、伊達が席を立ちながらカウンター内に視線をやると店主は分かったと言うように頷き、油の中に落とそうとしていたアジをパン粉の中へ戻した。

「伊達さん、品川の事件と同じ手口でまた…」そこまで聞いた伊達が
「たった今、テレビのニュースで知った所です」説明を省けるように割って入ると、
「ご存じなら話が早いです。また再転送をお願いできますか? 場所は青木さんの所で」と早口で続ける。

「いいですよ。ただ、今は千葉にいるので早くても明後日になってしまいますが…」伊達が申し訳なさそうに答えると、
「わかりました。伊達さんのご都合に合わせます」警部はすぐにそう返す。

「では、こちらの予定を確認し、正確な時間をお知らせします」伊達は一旦電話を切るとすぐに広告代理店の映像クリエーターへ連絡を取り、翌日の夕方に有楽町で再転送することにした。

 それが終わると再び警部へ電話を繋ぎ、
「伊達です。明後日なら何時でもオーケーです」そう伝えると、
「では、13時に青木さんの所で」警部がそれだけ言い、すぐに電話が切れた。

 短い会話にもかかわらず、電話の向こうでは何かの指示を出すような大きな声があちこちから響いていたので署内はかなり慌ただしくなっているようだった。
 警部が同じ手口だと言っていたので同一犯による犯行の可能性が高いのだろうが電話で感じた慌ただしさから、品川の事件の捜査ではこれまで何も手掛かりを掴めていないのだと伊達は思った。


 その夜、久しぶりの水泳で疲れていたにも関わらず伊達はなかなか眠れずにいた。

 午前2時過ぎにようやく眠りについたがすぐに悪夢でうなされて「うあぁー!」と叫んで目が覚め、しばらく見ていた夢の事を考えていたが知らぬ間に寝付き、再び同じ悪夢を見て今度は「ぐあー!!」と叫んで目が覚めた。

 ナイトテーブルの足元に灯るフットライトだけの薄暗い部屋で最近は毎晩何度も悪夢を見るようになったと思い、眠れずにいたが知らぬ間に寝付いてその後は朝まで目覚める事はなかった。
 7時にベッドから起き上がり、顔を洗うと1階にあるレストランでてフルーツ中心の朝食をとる。

 午前中の約束は10時でこのホテルから徒歩5分の所だったから1時間程プールで泳いだ後、フロントでチェックアウトを3時まで延ばしてもらい、待ち合わせた市原メモリーツアーズへ歩いて向かう。
 転送にどの位掛かるのか分からなかったが掘り起こしはさほど難しくないと思えたから1時間半程の転送時間を想定していた。

「こんにちは。予約を入れた伊達です」店に入り、対応にやってきた女性店員に告げるとすぐに奥の部屋へ案内される。
 部屋に入ると、記憶転送用のヘッドギアを装着した男性がすでにベッドで横になっていた。

 伊達が少し驚いてその老人を見ると照れたように笑って、
「年寄りで早くから目が覚めるから、時間より前に来ちゃいまして…」と頭を何度も下げて言う。

 その人が井東だと判った伊達が
「はじめまして伊達と申します。わざわざ起こし頂きありがとうございます」丁寧に頭を下げると、
「いえ、自分が勤めていた会社の事だから…」自分の役割だと思っているのか気にするなという素振りを見せた後、「あ、井東、私は井東三郎です」と付け加えた。

 市原メモリーツアーズと文字が書かれた転送用のヘッドギアを手に中谷というメモリーマイナーがやって来て、
「伊達さん、ご無沙汰しております」爽やかな笑顔を向けると、
「中谷さん、お久しぶりです」伊達も脱いだ上着をハンガーに掛けながら笑顔で応える。

 中谷は伊達から上着を受け取るとそれを後ろにいた助手の女性に手渡し、
「今日の掘り起こしはお電話で伺った内容でよろしいですか?」と再び伊達の方を向いて確認する。
 伊達は転送用のベッドに横になりながら、
「お伝えした通り、井東さんが工場で働いていた頃の記憶をお願いします」と告げる。

 女性店員が2人に酸素マスクを着け終わるのを待っていた中谷は
「では早速、転送を始めさせて頂きます。時間は2時間以内の予定です」慣れたように告げ、手際よく機械のスイッチをいくつか押した。

 その後、井東のベッドの横で語り始める。
「井東さん…思い出してください。トーヨー部品にいたあの頃を…」

 その声が聞こえてくるとすぐに麻酔が効き出して伊達も意識が遠くなった。



 中谷が告げた通り2時間足らずで転送が終わり、午後1時から金田という男性の記憶を転送してもらうと伊達は一旦ホテルに戻って荷物を受け取り、そのまま東京に向かった。

 東京へ向かう電車に乗りながら、伊達は2人から転送された記憶を頭の中で整理していた。

 その記憶には会社の古い工場内やそこにある機械、働く人たちや工具など当時の物が沢山詰まっていて自分が知らない時代だったが何だか懐かしい感じがした。
 その中で一瞬、自分が知っている景色と人物を見たように思い、少し気になったが色々考えると記憶の鮮明度が落ちてしまうのでそのまま記憶の整理を続ける。

 東京に着くと有楽町にある『フォー、メモリートラベラーズ株式会社』で転送部屋を借り、待ち合わせた広告代理店の映像クリエーターへ記憶を再転送して夜の9時にようやく全てが終わった。

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