第33話

文字数 2,660文字

 藤岡と別れた2人は警部の車に乗り込み、コジローと共に再び光明園に向かった。
 連絡しておいた園長の片瀬が沙也加と共に玄関で2人を出迎える。

 コジローを連れた久美子が車から降りると、
「コジロー!」沙也加が走り寄ってその頭を嬉しそうに撫でた。

「コジローはおとなしくなったのね?」意外と言う感じで片瀬が訊ねると、
「すべて久美子さんが解決してくれました」と警部が答え、「そして、このブレスレッドも…」そう言いながらブレスレッドを手渡すと、
「あ、それ!」コジローを撫でていた沙也香が驚き、「麻理が事件の日に失くしたと言ってた…」とそのブレスレッドを指差して言う。

「そう、麻理ちゃんのものだったのね…」片瀬が差し出すと沙也加がそれを受け取り、
「うん。16歳になった日、父親から生みの親は麻理が2歳の時に亡くなった別の人だと打ち明けられ…」麻理のことを思い出したのか声を震わせながら話し、「その時に形見として貰い…ずっと大切にしていたと…」と涙で声を詰まらせた。

 それを聞いて久美子も涙が止まらなかった。

 麻理と出会った事で心の奥底に刻まれていた「真里」という妹の名が伊達の無意識の中に呼び起こされ、その少女を特別に感じて守ろうとしたのだろうと思った。
 そして、必死で守ろうとしたにも関わらずその特別なものを失ってしまい、耐えがたい苦痛と共に深い悲しみの谷に突き落とされ、今も這い上がれずにもがいているのだと思うと自分の息子が不憫でならなかった。

 しばらくすると、涙を拭いた沙也加は
「麻理が信じていた通り、コジローは帰って来たわよ。あなたが大切にしていたこれと共にね」と手の中の赤いブレスレッドに語り掛けた後、
「いつか伊達さんが元気になったら、一緒に麻理のお墓へこのブレスレッドを届けましょう」と久美子を見て言った。
 
 そうやって丸一日掛け、関係した人達にお詫びや感謝を伝えて回った久美子は警部と共に伊達の病院へ向かった。


「今日の具合はどうですか?」警部は病室の前で待っていた青木に伊達の様子を訊ねた。

「変わりないですね…。早く拘束を解いてあげたいのですか、それすら出来ません…」青木は警部を見て答えた後、「こんな状態をお見せするのは心苦しいのですが…、どうぞご覧ください」と申し訳なさそうに内部が見える位置を久美子に譲る。

「はぁ…」窓にしがみつくようにして覗いた久美子は静かにため息をつくと、「隼人……」と呟いて黙った。

 青木と警部が辛そうにそれを見ていると、
「明日から一緒に暮らします。そうさせて頂けますか?」窓から中を覗いていた久美子が振り返り、決心したように言った。

「え、…」青木がその意味を理解出来ずにいると、
「それしかありません。隼人…いや、圭一は私が助けます。私にやらせてください」覚悟を決めたように言い、「命掛けでこれを出来るのは母親の私しかいません。これは私の役目です」何も言わずにいる青木にその決断を迫るように続けた。

「まだ危険です…」青木が答えると、
「先ほど申し上げた通り、命掛けでやります。どんなに危険だと言われても覚悟はできていますし、圭一のこんな姿を見ても何もできないのなら死んだ方がましです」鬼気迫る表情でそう言い放った。

 返す言葉が見つからない青木がしばらく考えた後、
「拘束を解くことが出来ないうちは…」呟くように告げると、
「それでも構いません。圭一は危険じゃないと私が証明します」久美子はそう言い、「それとも他に良い方法があるのですか? あるなら早くその治療をしてやってください」と詰め寄った。

 すっかりその気迫に押された青木はしばらく考えた後、
「…では、出来るだけお母さんに危険が及ばない方法を考え、準備しますのでお待ちください」自分では伊達を助けられないと諦めたのか、力なく言って頭を下げた。


 翌日、警部が久美子を迎えに行く事にして青木と別れた2人は病院を後にした。

 車の行き先を久美子の自宅にセットした警部は自動運転で発車させると、
「伊達さんの治療を急がなければならないような理由があるのですか?」と訊ねてみる。

「いえ…、私はただ、圭一を早く助けたいだけです…」久美子はそう言ってすぐに外の景色に視線を移す。

 警部はその答えに違和感を持ったが久美子が病院で語った覚悟の大きさを思い出して、
「では、何か必要なものがあれば言ってください。出来る限り用意しますから…」それ以上は訊かずに話を終わらせた。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 次の日、警部の車で警察病院に来た久美子は数冊のアルバムともしもの事があった時のためにと書き留めたメモや大事な書類を持っていた。
 青木がその書類を受け取り、3人で打ち合わせ用の部屋へ向かう。

 部屋に着くと病院側が行う毎日の清掃手順や投薬方法、食事の方法などについて青木が詳しく説明した後、預かる書類の内容を確認して貴重品ロッカーに入れるとようやく久美子が伊達の病室へ入るための準備が整った。


 3人は少し緊張した面持ちで病室のドアの前にやってきた。

 ドアの横に立っている係官を見て頷いた青木は
「これから1名病室に入ります。解錠してください」と静かに告げる。

 係官は一度敬礼した後、ポケットからカードを取り出して壁のスキャナーに翳し、カチャッという音と共にロックが解けると、腰に付けていた鍵をドアノブの穴に差し込んで解錠する。

「どうぞ、お入りください」ドアは音も立てずに開いた。

 中に入るとそこは3畳程の小部屋になっていた。
 係官は今と逆の手順で内側からロックすると反対を向き、病室へ繋がるもう1つのドアを解錠する為に別のカードを取り出す。
 狭い空間と緊張の中、青木と警部はその一連の作業を息が詰まる思いで見つめていたが久美子は落ち着いた表情でまっすぐ前を見て立ち、ゆっくり呼吸していた。

 その様子を見た2人は改めてその覚悟の大きさを感じ、治療の成功を祈らずにはいられなかった。

「こちらのドアからは久美子さんだけが入ります。カメラで24時間監視していますので何かあればすぐに救出します」青木はそう言うと久美子へ向き直り、「彼のことは圭一と呼んであげて下さい。過去の記憶がない今は自分を隼人だとは思っていないでしょうから」と告げ、「では、よろしくお願いします」深々と頭を下げた。

 内側のドアが音を立てる事なく静かに開くと久美子は一度大きく深呼吸した後、病室に静かに足を踏み入れた。
 再びドアが閉められると、その空間は伊達と久美子だけの世界になった。

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