第24話

文字数 3,338文字


 入り口の引き戸を開けるとカウンターの中にいた男性が
「いらっしゃい! どこでも好きな所に座ってくださいねー!」と忙しそうに中華鍋を振りながら威勢の良い声を響かせた。

 伊達は今時のラーメン屋では見られなくなったカウンターの一番端に座り、醤油ラーメンとチャーハンに加えて餃子も頼む。
 喉が渇いていた伊達は何か飲みたくなったが店には炒め物をしている店主らしき人しかおらず、注文しても今は持って来られそうにないのでとりあえず店内を見回してみる。
 入り口と反対側の壁際にマンガの本棚と共に置かれたウォーターサーバーを見つけ、その前まで行くと立ったまま一杯飲み干し、再び満たしたグラスを持ってカウンターに戻った。

 壁の50インチ程あるテレビに目をやると神奈川の工場で起きた爆発事故の続報が終わった所で、
「続いては…」アナウンサーがそう告げると画面が切り替わり、何処かで見たことのあるような景色が映し出された。

 その景色に興味を惹かれた伊達が画面を食い入るように見ていると、
「品川の一家殺人事件で唯一生き残り、光明園という施設にいた被害者の少女は2週間前に自殺していた事が判明しました」アナウンサーが記事を読み出す。

 知っている景色だと思ったのは光明園の前の道路でカメラが右にパンすると入口のゲートが映し出された。
 その後、中庭の麻理が落ちたであろう場所をズームアップし、
「少女は午前0時頃、屋上から飛び降りて中庭に落下し、その後病院に搬送されましたが翌日の早朝、死亡しました。殺人事件の犯人からレイプされ、その子供を宿した事を苦にして自殺を図ったもようです」と告げ、「自殺した日まで、少女はレイプされた事を誰にも語らなかったようです。また、死亡後の解剖で妊娠している事も確認されました」とアナウンサーの声が続いた。

 伊達は気付くとテレビの真ん前で仁王立ちになっていた。

 テレビは警察署で行われた記者会見の様子を映し出し、
「警察で行われた会見の席で自殺した少女を担当していた精神科医は犯罪被害者や関係者への精神的なダメージを避ける為、レイプと妊娠についての報道を自粛するようメディアに対して要望しました。我々はその要望に従いこれまで報道を控えて参りましたが、ニュース報道者には真実を伝える使命があるとしてこの番組で報道する事を決め……」

 そこまで黙って見ていた伊達が
「何故だ! 何故そんな情報を伝える必要があるんだ!!」突然大声で言い、「大人が守ってやるべきなんだ! 彼女を守ってやらないからずっと言えずにいたんじゃないか!!」と狂気の目になって大きな声で叫んだ。

「言わなかったなんて…、真実じゃない! 我々大人が言わせなかっただけだ!!」
 伊達はそう怒鳴りながらテレビの両端を掴みバリバリと壁から剥ぎ取る。

 その後、頭の上まで持ち上げて床に叩きつけると電源コードがバチバチっと火花を散らして切れ、ヒビだらけになった画面は真っ暗になった。

 血走った目で仁王立ちの伊達は
「ぐっそお゙ぉぉお゙おぉー!!!」と獣のような叫び声を上げると近くにあった椅子を手に取り、床で壊れたテレビを叩き始めた。

 バカンッ! バカンッ!とテレビが叩かれる度に激しい音を立てる中、
「どうしてだ! 大人達が彼女を守れず、自殺に追い込んだのに!!」
「まだ足りないのか! いいかげんにしろ!!」
「一体どこまでやれば気が済むんだ!!」と伊達は狂気の叫びを続けた。

「人が傷ついて苦しむのを見たいのか!」
「真実を知ったからと誰か手助けをしてくれるのか!!」
 バキッ!という大きな音と共に壊れた椅子がどこかへ飛んで行き、伊達の手には椅子の脚が一本だけ残った。

 それをじっと見つめながら、
「何が真実を伝える使命だ!! そんなものは真実でも何でもない!! 真実は、真実は…」今度は近くのテーブルを両手で持ち上げ、「真実なんて決してわからない。…分かるのは傷つけるのが大人だということだけ!」、「犠牲になるのがいつも子供たちという事だけだ!!」床でボロボロになってもうテレビだと分からなくなったものに叩き付ける。

「悪いのは大人たちなんだ…彼女じゃない…」伊達は静まり返った店内でそう呟くとスマートフォンを取り出し、キャッシュレスアプリに100万円と入力して店内のレジに読み込ませ、「申し訳ない、この金で修繕してくれ…」最後にそう告げると店の出口へ向かう。

 引き戸を開けると、外で待ち構えていた十数名の警察官が一斉に銃を構え、
「器物破損及び営業妨害でお前を逮捕する! 抵抗したら発砲するぞ!」と数メートルしか離れていないのにメガホンを使って伊達に告げる。

 伊達は両手を上げながらゆっくり警察官の1人に近づき、
「名前は伊達圭一、職業はメモリーハンターです」力なく言って下を向いた。

「おとなしくしていろ!」そう言われて差し出した手首にはすぐに手錠が掛けられ、そのまま停めてあるパトカーまで連行されると中に押し込められた。

 伊達はその傷だらけになった手で頬を伝う涙を拭い、
「こんな世界は…」と消え入るように呟いた。


 留置所に入れられてしまった伊達の元へ青木と吉田警部がやって来た。

「伊達さん…」
 背中を丸めて抱えた膝に顔を埋め、身じろぎもせず部屋の隅の冷たい床に座っている伊達を見て青木が言葉を詰まらせる。

 何の反応もない伊達を見ながら、
「警部。精神的にかなり参っている、…というかそれを超えています。すぐにここから出して病院へ移した方が良い、治療が必要ですよ」青木が悲しそうに告げた。

「伊達さんがこのようになってしまったその責任の一端は転送を依頼してきた警察にもあります。私が責任を持って警察の病院へ移送しますので準備の方をお願いします」警部も悲しい面持ちで応えた。

 2人が留置場から出ようとした時、
「青木さん…」それまで黙っていた伊達が突然、話し出した。

 青木と警部が驚いて振り返ると伊達は膝に顔を埋めた姿勢のまま、
「自分が別人になってしまったようで…、何故こんな事をしたのか分からないんです…。報道されないと勝手に思い込んでいたその約束が破られたと…、大人達が裏切ったと思ったら何も抑えられなくなったんです…」と話し、「今は落ち着いてそう考えられますが、またこうなってしまうかも知れないと思うと怖いんです。僕をどこかに縛り付けて何もできないようにしてください…、その方が安心できる…」途切れ途切れに話し終えた。

 いつもクールな警部が泣き出しそうだったので青木はそれを見ないようにして、
「では、早速入院の準備をします」そう言うと、下を向いたまま頭を下げて留置場を後にした。


 いつしか眠りに落ちた伊達は夢を見ていた。

 留置場にある鉄格子付きの窓から見える筈のない両国の狭い路地の景色を眺めていると、あのしわくちゃな写真のままで若い、自分の母親が通り掛かるという夢だった。

「母さん!」思わず呼び止めると母親はもう後留置場の中にいて、
「これまでよく頑張ったわね。私がこの手で悲しい事や辛い記憶は吸い取ってあげるから安心して休みなさい」と伊達の頭を優しく撫でながら言った。

 その母親の手は白く透き通っていて、辛く悲しいドロドロした記憶が真っ黒になって吸い取られていくのが良く見える。
 やがてそのドロドロの記憶が全て吸い取られると同じ手の平から真っ赤なものが伊達の体に注がれ、心がほんわかと暖かくなっていった。

「これでようやく救われる。母さん、ありがとう!」その真っ赤なもので身体が満たされると伊達は満足げに礼を言ったが次の瞬間、優しい顔をしていた母親は風船が膨らむようにどんどん大きくなっていき、突然パンッ!と破裂してだるまの顔をした真っ赤な怪物になってしまった。

「あ、ああぁー!」伊達は大声で叫びながら目が覚めた。


 現実に戻った伊達は薄暗い留置場の冷たい壁を見詰めながら、(最後の怪物は怖かったけど、それまではとても良い夢だったな…)と声に出さずに呟き、もし自分が回復して元気になったら絶対に母親を捜そうと思った。
 そして、麻理と最後に会った時、「お母さんを必ず捜し出してね」と言っていたのを思い出し、(今度こそ本気で捜すよ…)と心の中で誓った。

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