第25話

文字数 3,127文字

 次の日の朝一番、吉田警部が留置場の担当官と共に伊達の元へやって来た。

 警部は伊達の姿を見るや否や、
「伊達さん、おはようございます。移送の準備が整ったのでこれから警察病院へ移ってもらいます」と告げ、留置場の担当官が鉄格子の鍵を開けると、「青木さんは準備があるのでこちらへは来られませんが病院で待っています。気分はどうですか?」すぐに中に入って来て伊達の具合を気遣った。

「手錠は?」それ以上何もしないでいる事の方が気になった伊達がその問い掛けには答えずに訊ねると、
「必要ありません。そのままで結構です」警部はきっぱり言った。

 警察署の目の前に警部が張り込みに使う為に乗ってきたセダンが停めてあり、留置場の担当官が助手席側のドアを開けるので伊達はそこから乗り込んだ。
 運転席に座った警部は「加平警察病院」と行き先を入力して自動運転で車を発車させる。

 車が走り出すと助手席にいる伊達の方へシートを向け、
「私は現在、市川の倉庫を張り込んでいて今日もこの後向かう予定です」警部はいつもの真面目な面持ちで言った。

「じゃあ、警察もコジローを?」頭が混乱したままの伊達が勘違いして訊くと、
「いえ、コジローを追っているわけではありませんが2度も倉庫に現れたのには何か理由があると思い、それを確かめる為に張り込みを始めました。他で進展が見込めないという理由もありますが…」警部は少し困った顔でそう答えた。

「コジローと犯人がどこかで繋がってるかも知れないと警察は考えているんですね?」ようやく頭を整理出来た伊達が訊ねると、
「いえ、何か関係があると思っているのは私だけです。上司は犬が犯人を追っているなんて非科学的だと全くとりあってくれません」警部はそう言うと張り込みで見た怪しいステーションワゴンの写真をモニターに表示し、「この車に見覚えがありませんか?」と訊ねた。

 画面をじっと見詰める伊達の表情を伺いながら、
「この車が毎日場所を替えながら倉庫の周辺に停車しています。中に人がいて何かを見張っているようなのです」と話す。

「…コジローの目撃記憶の中でこんな車は見たことがないです」伊達が目撃者から転送された記憶を思い返しながら答え、「ところで、例のワンボックスは見つかりましたか?」警察が追っている車について訊ねると、
「それが一番重要だと分かっているのに何も掴めていないんです」警部は残念そうに言った。

「麻理ちゃんがあんな事になったからには早く犯人を捕まえて墓前に報告しないと僕も気が休まらない。協力できる事があったら知らせてください」伊達は真剣な顔になって言ったが、
「伊達さんは治療に専念してください。その為にこれから入院するんですから…」警部はそう言うと、「警察も伊達さんに転送をお願いした責任があります。それで精神が疲れきってしまい、あんな事になってしまったのだと反省しています」申し訳なさそうにする。

「いや、警察の仕事でこうなった訳ではないんです。精神が安定しない原因は過去の愛された記憶を失ってしまった事だと青木さんが言っていました。母親を捜し出し、その記憶を取り戻しさえすれば僕はすぐに回復出来ます」どうしても犯人逮捕の協力をしたかった伊達はそう言い、「コジローさえ捜し出せれば、その記憶から犯人の行動が判るかも知れないんです…」と続けた。

「え、……」何を言っているのか一瞬疑問に思ったが警部は伊達の精神状態を考え、聞き流す事にした。


 警察病院に着くと1階の玄関で青木が待っていた。
「伊達さん、具合はどうですか?」伊達の顔を見てすぐに訊く。

「車の中で事件について話していたら大分頭が回るようになりました」伊達が言うと、
「もうそんな事は考えなくて良いですから、ゆっくり回復に努めてください」呆れたように言って警部の方を見る。

 その目でここに来るまでの様子を訊ねているのだと察した警部は、
「済みません、事件の話を持ち出したのは私です。大分落ち着かれたようでしたのでつい、質問してしまいました」そう答え、「伊達さんの回復にお母さんが必要ならその捜索に私も協力させてください。警察のデータベースを使えばもっと早く捜せる筈です」2人を交互に見ながら言った。


 3人が病室の前までやってくるとドアを塞ぐように立っていた看護師と警察官が青木の顔を見てすぐに道をあけた。

「どうぞ、中へ…」青木は顔の高さに鉄格子付きの窓がある白い鉄のドアを開けると少し気まずそうに伊達を誘導する。

 そのドアの内側にはもう1つ同じドアがあるが今はそれが開かれ、10畳程ある部屋の正面に置かれたベッドと低い壁で隔てられた場所にあるステンレス製の便器と洗面器が見える。
 部屋は暴れたり、自傷の恐れがある患者用に作られたもので内部は全体にマット運動に使うようなクッションが貼られ、体当たりしても怪我をしないようになっていた。
 左側にはソファ代わりに壁のマットと同じものが7枚程重ねて置かれ、部屋の中はそのマットに使われている帆布の少し埃っぽい匂いで満たされていた。

 伊達はその部屋のベッドに腰掛けると、
「色々ご迷惑をお掛けしてすみません。早く回復するように頑張ります」青木と警部を見ながら申し訳なさそうに言って頭を下げた。


 入院した伊達は毎日スケジュールに沿って行われる回復プログラムに取り組み、その他の時間は心の休養に努めた。
 併せて行う薬物療法では、様々なものを試しながら自分にあった薬の組み合わせを探し当てると徐々に精神が安定し始め、入院当初は悪夢にうなされてばかりだった夜も問題なく眠れるようになっていた。

 回復プログラムの時間以外は病室から出られないだけでテレビを見るのもスマートフォンを使う事も許されており、ペット探偵の藤岡との連絡も途切れることはなかったが、コジロー捜しは進展がないままだった。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 入院からちょうど1ヶ月経った日に青木が退院の許可を出し、伊達は病院を離れる事になった。
 青木の医院で今後の治療方針について話し合っていると、伊達が入院している間に考えた事を話し出した。

「青木さん、実は前に話してくれた犬の記憶を人間に転送することですが…」そこまで言うと、
「また、いきなり何を言うんです。それは危険だと言ったじゃないですか、やめてください」その顔を大きく左右に振った。

 伊達は入院中に調べた事について、
「今は短い記憶なら転送できるし、その程度なら危険はないという記事が科学雑誌の電子版にありましたよ。ロシアでは頻繁に行われているそうですね」そう話して青木の反応を伺う。

「病院でそんな事を調べていたんですか」青木が少し呆れたようにしたが、
「このまま犯人もコジローも捕まえられなければ、麻理ちゃんとの約束を果たせなかったという後悔を一生背負って生きなくてはならない。それこそ精神的に立ち直れなくなってしまいます」伊達はそう言うと続けて、「いつまでも犯人を捕まえられずコジローを捜し出せない事が原因で精神を病んでしまったんだと分かっているし、それらを解決しない限り母親を見つけても本当の回復は望めないと感じているからこうして必死に頼んでいるんです」と熱く語った。

「…………」その通りだと思っているのか何も言わずに小さく頷く青木を見て、
「ほんの一瞬の記憶で良いんです。それで事件が解決しコジローも見つかる。そうしたら僕は完全にメモリーハンターを引退し、母親から自分が失った記憶を取り戻す事に専念出来る。ようやく本当の自分に戻れるんです。それとも今のように精神を病んだまま生きろと言うんですか? 分かってください」と懇願するように言った。

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