第31話

文字数 2,707文字

 医院に戻った青木は治療方法を考える為に伊達が狂乱した原因を整理してみることにした。

 先ず、精神が病んでしまった根本的な原因を考えればメモリーハンターとして長年働いてきた事に間違いはない。
しかし、伊達がラーメン屋で叫んでいたのはメディアが社会の興味を満たす為だけに報道を控えるという約束を破り、子供達を傷付けたという具体的な事だったから、狂乱した原因はもっと別な所にあると考えられなくもなかった。
 
 その後、光明園の片瀬へ向けられた謂れのない誹謗中傷を見て暴れた時は、何も知らずにただ批判したいだけの大人に対して、寄ってたかって弱いものいじめする社会に対しての怒りが爆発したようだった。

 それらは皆、基本的心情から生じたように思え、すなわち伊達の元々からの精神構造そのものに思える。
 そして、それらに共通するものとして考えられるのは「社会」であり、子供の視点から見た「大人」だと精神科医である青木は分析した。

 親や他の大人達から愛情を受けた筈の子供時代の記憶を全て失った伊達は犯罪記憶の転送で多くの事件に関わる事で「大人」をただ悪いイメージの存在として捉えるようになってしまったのだと考えた。
 そして、その精神の反応は子供時代に大人から虐待されたり、全く愛情を与えられずに育った人と同じで大人に対しては軽微な犯罪や必要悪も許そうとはせず、結果的に正義の為なら何をしても良いと考えてしまうのだ。
 やがて、それが高じて一部の大人が犯す悪事を大人全般のものとみなすようになると大人たちが築いた「社会」まで悪だと決めつけ、社会の矛盾に対して猛烈に反発したくなってしまうのだ。

 子供の頃の記憶を失った事でそうなった伊達の場合、治療法は愛されていた頃の記憶を取り戻す事になるのだがもしそれができなければ母親から愛情の記憶に代わるものを与えてもらう必要がある。
 精神が正常なら母親が持つ伊達の子供時代の記憶を転送することで再び大人から受けた愛情の記憶を持つ事は可能だが、狂気の沙汰にある今、転送された記憶を正しく受け入れられるとは考えにくい。
 記憶転送が出来ないとなると子供時代に愛されたその事実を一つ一つ話し聞かせて解らせるしかないがその場合、実感の薄いものとなり、確実に回復へ繋げられるかどうか分からなかった。

 他にも、伊達が今のようになってしまった原因として過去のトラウマなどがある。
 トラウマを取り除く事で回復に向かうかも知れないがそれには先ず、トラウマが何なのかを本人から探り出さねばならず、今の状態では不可能だ。
 トラウマを知る人が本人以外にもいるとすれば伊達の場合は恐らく母親だけだと思え、いずれにしても治療にはその母親が不可欠だと青木は結論付けた。

 青木は伊達の将来を大きく左右する、その捜索の成功を祈らずにはいられなかった。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 吉田警部はこれまで9日間、休みなく伊達の母親の住所に通い、数えきれないほど電話もかけてきたがようやくその努力が実を結ぶ時がやってきた。

「もしもし…」と、初めて繋がった電話の向こうで女性が応えた。

「あ、伊達さん…、いえ…、一条久美子さんですか?」警部が予想していなかった返事に驚きながら訊ねると、
「はい。そう…ですが、どちら様でしょう?」その訊き方に違和感を持ったのか相手は不審そうに応えた。

 警部は1度大きく深呼吸をしてから話し始める。

「私は警視庁の吉田と申します。今、隼人さんが病院でお母さんを必要としています」落ち着いた声でそう話すと、
「隼人がどうかしたんですか!? 病院って、どこにいるんですか!?」今度は電話の相手が慌てだした。

 警部は久美子が落ち着けるようにゆっくりした口調で、
「現在、隼人さんは精神を病んでしまい警察病院に入院していますが、その治療にはお母さんの協力が必要です」そう告げると、「今、お宅の前におりますので、詳しい事は直接お話し致します」そう言って電話を切り、マンションの2階の窓へ顔を向けた。

 その視線の先のカーテンが大きく開き、50代の女性がバルコニーへ出てきて下を見るので警部はお辞儀をしてからマンションの入口へ向かった。
 エレベーターの横にある階段を使って2階の廊下に出ると3件先のドアが開き、先程の女性が出てくる。

 警部がトートバッグから警察手帳を出しながら近づき、
「警視庁の吉田です」短く言ってお辞儀をすると、
「一条久美子です」女性も丁寧に頭を下げた。

 リビングに通された警部はソファに座るとすぐ、青木から聞いた事を話し始めた。

 息子の隼人は雪山で遭難し記憶を失ってしまった為に今は伊達圭一と名乗っている事、凍傷で顔の再建手術を受けその顔が変わってしまった事を告げ、現在はメモリーハンターとして警察に協力している事も話す。

「隼人さんの協力が無ければ、今も犯人は捕まっていなかったと思います」警部はそう前置きをしてから、「そうして事件に関わって来たのが原因で精神を病んでしまったようです」申し訳なさそうにした。
 伊達が母親を捜していた事と両国の住所に辿り着いたところで突然、精神に異常をきたしてしまった事を話すと、
「すぐに行って助けてあげたいのですが、私はどうすれば良いですか?」黙って聞いていた久美子は冷静な口調で訊ねた。

 警部はその話ぶりと落ち着いた態度から、久美子が物事を論理的に考えられる頭の良い人物だという印象を持った。

「今、青木という精神科医が治療方法を考えている所です。どんな協力をお願い出来るか相談してこちらから連絡いたします」警部がそう言うと伊達の母親は携帯電話の番号を示した。

 その後、警部が差し出す伊達の写真を見た久美子は
「これが、隼人…」そう言ったきり言葉を失っていたがしばらくすると、
「では、連絡をお待ちしています。よろしくお願いします」そう告げて深く頭を下げた。

 久美子と会えた事を早速、青木に知らせた警部は打ち合わせをする為、自動運転タクシーを拾って東銀座の医院へ向かった。


「時間がかかりましたがやっと捜し出しました。今後どのように伊達さんの治療に協力してもらいましょうか?」警部は医院長室に入るとすぐにそう訊ねたが
「うーん…」青木は何も答えられず、腕を組んだまま黙ってしまった。

 目を閉じてしばらく何かを考えていたが、
「伊達さんがあのままでは…、危険過ぎてお母さんには会わせられません」ようやくそう答えると、「先ずは色々話しを聞いてみましょうか。失った記憶がどんなものか判れば、治療の手掛かりも掴めるかもしれない」青木は翌日、母親を連れてくるよう警部に頼んだ。

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