第15話

文字数 2,983文字


 麻理が退院する日、伊達は青木に同行して病室を訪ねた。

「私の為に伊達さんまで来てくれて…、今日はよろしくお願いします」2人が病室に入ると麻理はそう言って頭を下げた。
 青木の話によると園長の片瀬に会って以来、麻理の精神はずっと落ち着いているようだった。

「園長は麻理ちゃんが来るのを楽しみにしているよ。向こうでは知らない事ばかりだろうけどすぐに慣れるさ!」伊達が言うと、
「はい、園長の片瀬さんをお母さんと呼ばせてもらい何でも相談するつもりです。ついでに甘えたりしちゃうかも…」そう言ってふざけながら、笑って見ている青木の方を向いて小さく舌を出した。

 その数日前とは別人のような話し振りに、伊達は麻理を園長に会わせて良かったと心の底から思った。

 1台の自動運転タクシーが病院の車寄せにやって来ると3人は見送りの看護師に別れを告げて乗り込む。
「足立区の光明園」と、伊達がマイクに向かって告げるとタクシーは静かに走り出した。

 40分後、タクシーは鉄筋コンクリートで造られた、茶色い5階建ての建物の前に止まった。
 光明園という文字が掲げられた入口のゲートで先に車を降りた伊達は、数年ぶりに見る懐かしい景色に思わず辺りを見回す。

 もし記憶が戻り、実家に帰る事が出来たらこんな風に感じるのかと思いながら、
「麻理ちゃんを連れてきました」出迎えた園長に向かってそう言い、「今日からよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。

 笑顔の片瀬は何も言わずに頷くと麻理と青木が降りて来るのを待って
「ようこそ、麻理ちゃん!」と先ず麻理に声を掛け、「これまで色々と大変だったでしょうけど、ここに来ればもう大丈夫よ」優しくそう告げた後に伊達と青木を見て、「彼氏ができないと困るから頻繁に訪ねてきたりしないでね」と笑いながら冗談を言った。

 園長の前で姿勢を正した麻理が
「病院では我儘な事を言って済みませんでした。これからよろしくお願いします」深く頭を下げると、
「はい、わかりました」片瀬はすぐにそう応え、「でも、ここでは我儘にしていいのよ。自分の家と同じなんだからね」そう言ながらそっと麻理の肩を抱いた。

 2人がそのまま建物の入り口へ歩き始めると伊達と青木もその後に続く。
 入り口のドアを開けて中に入ると、そこには大勢の入園者とスタッフ達が並んでいた。

「麻理ちゃん、ようこそ光明園へ!」皆が声を合わせて言うと、一番前で車椅子に乗っていた同い年くらいの少女が進み出て、
「これ、皆の友情の印よ。これからよろしくね!」と両手で黄色いバラの花束を差し出し、「私の名は沙也香。虐待され、腰を怪我してしまったから今は車椅子なの。両親は刑務所の中よ」と告げる。

 その余りにあからさまな態度に驚いた麻理が呆気に取られていると、
「だって…、いずれ判ってしまうのに隠すのは変でしょ…。ここでは皆、家族なんだから…」沙也香は少し恥ずかしそうに言った後、笑いながら肩をすくめた。

 その奔放な態度と人懐こい笑顔のお陰ですっかり緊張が解けた麻理は
「私は麻理、田中麻理です。これからよろしくお願いします」手渡された花束を抱いて皆に笑顔を見せ、大きく頭を下げた。


 何も言わずにそこまで見守っていた園長が
「さあ、挨拶が済んだようだから、お部屋へ案内するわね」麻理へ向き直って言うと、
「お母さん、私が案内する!」沙也香が大きな声で言いながら車椅子で2人の間に割って入った。

「じゃあ、麻理ちゃん行きましょ!」沙也加はそう告げると慣れた感じでクルッと車椅子の方向を変え、先に廊下を進み始める。
 どうしたら良いか分からず麻理がその場に佇んでいるとそれに気付いた沙也香が
「何してるの麻理ちゃん、早くぅ~!」身体を捻るようにして振り返り、焦れったそうに言った。

「ほら、沙也香ちゃんが呼んでるわよ!」園長の片瀬にそう促された麻里は
「あ、はい!」と応え、小走りで沙也香の元へ行く。

 沙也香は麻里が追いつくとゆっくり車椅子を進めながら、
「麻理ちゃんのお部屋は私の隣よ。私たちの部屋は中庭がある方だから時々、綺麗な声の鳥や可愛い野良猫達がやってくるの…」と嬉しそうに話し始めた。

 片瀬は廊下の奥へ遠ざかるその話し声を聞きながら、
「あの2人は仲良くなれそうね」伊達と青木に笑顔で言った後、「麻理ちゃんが困っていたら皆、助けてあげてね」と、そこにいた入園者とスタッフに声を掛けた。

 伊達が納得したように頷いた後、
「やっぱりここを選んで良かった。園長、麻里ちゃんをくれぐれもよろしくお願いします」そう言うと青木も安心した表情で、
「ここの皆が癒してくれるでしょうから私は毎日来る必要はないですね。今後は週2回の診察にしましょう」と告げた。

 2人は片瀬に礼を言い、待たせていた自動運転タクシーに再び乗り込むと光明園を後にした。



 自宅に戻った伊達はホッとしてソファに腰を下ろした。

 精神的なダメージは今後も悪化の一途を辿り、記憶を取り戻さない限り回復は望めないと先日青木から告げられ、気分が落ち込んでいた伊達は行き先が決まらずにいた麻理を光明園に預けた事で気持ちが少し楽になっていた。
 後はコジローを麻理の元へ連れて行き、犯人を捕まえさえすればメモリーハンターを引退し、ダメージを受けた精神の回復や母親を探す事に専念できると思った。

 そんな事を考えていると、しわくちゃな1枚の古い写真のことを思い出した。

 それは冬山で遭難した伊達が救助された時にお守りの中に入れて身に付けていたいたものらしく、20歳過ぎの女性が2歳位の男の子を抱いて写っている写真だった。
 自分と母親だとは簡単に想像出来たがその写真を使って記憶の掘り起しを行っても何も思い出せなかった為、それが正しいとは確信出来ていなかった。

 伊達はサイドボードの引き出しの中に大切に仕舞っていたその写真を久しぶりに取り出した。

 それを見た瞬間、稲妻に打たれたようになった伊達は
「こ、これは!!」と思わず大きな声で叫んだ。

 以前、『トーヨー部品』という会社の元社員から昔の記憶を転送してもらった事があるが、その記憶の中に今、手にしている写真と同じ女性が作業服姿でいたことを伊達は思い出した。
 転送後、電車の中で記憶を整理していた時に一瞬見たことのある人物がいたように思ったのはこの写真の女性だったのだと、ようやく理解出来たのだった。

 写真がしわくちゃで今まで気付かなかったがよく見ると、その女性が着ているのは胸に社名が入った作業服に思えなくもない。
 つまり、写真の中にいる伊達の母親と思われる人物が『トーヨー部品株式会社』と胸に社名がある作業服を着て、その工場で働いていたのだ。

 伊達はついに判明した事実に身体を震わせながら、
「ようやく写真の人が誰だかハッキリする…。いや、それどころか母親と再会を果たせるかも知れない…」そう呟くとスマートフォンを手に取った。

 呼び出し音が数回鳴って相手が出るや否や、
「以前、工場の記憶を転送して頂いた伊達と申します。その記憶についてお尋ねしたい事があり、またお会いしたいんですが」少し興奮気味に話した。

 伊達が電話したのは『トーヨー部品』に勤めていた井東だった。

 井東は伊達の事を覚えていたのか、
「ああ、伊達さんですか。私は暇だから今日でも明日でも大丈夫ですよ」と笑いながら答えた。

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