第6話

文字数 3,001文字

 次の日、伊達は江戸川区にある『スマイル・ペット探偵社』の事務所を訪ねていた。

「はじめまして。ペット探偵の藤岡と申します」自宅の1階にあるオフィスで探偵が名刺を差し出しながら言い、「それで、今回はどんなペットをお捜しですか?」伊達の顔を見て訊く。

「僕のペットではないんですが品川の家からどこかへ行ったきり、行方が分からなくなった犬を捜して頂きたいのです」伊達は少女から貰った画像データをプリントした、数枚の写真を上着の内ポケットから取り出してテーブルの上に広げた。

「柴犬ですね、何歳ですか?」1枚の写真を手に取りながら藤岡が訊くと、
「確か3歳と言っていました。名前はコジローです」伊達が思い出しながら答える。

「柴犬は飼っている人が多く、行方不明になっている犬も多いので時間が掛かりますよ」少し申し訳なさそうに藤岡が言った。

「その品川の家と言うのは1ヶ月ほど前に起きた品川一家殺人事件の現場で、そこの飼犬が事件当日から行方不明なんです」時間が掛かると言われて困った伊達が眉間にシワを寄せながら告げると、
「じゃあ、伊達さんは警察関係の方なんですか?」藤岡が意外そうな顔で伊達を見る。

「いや、僕はメモリーハンターとして事件に関わっただけなんです。成り行きで犬を捜す事になりまして…」複雑な表情で言うと、
「メモリーハンター?」今度は分からないという感じで伊達を見た。

「他人の記憶を自分の脳に転送してもらい、それを必要とする別の人に再転送するのが僕の仕事でメモリートラベルもなども時々請け負います」伊達が説明すると、
「メモリートラベルなら良く知っていますが、伊達さんは警察の仕事もされているんですね?」先ほど手渡した名刺に目をやりながらそう言った。

「僕はフリーなので依頼されれば何でもやりますよ。過去には資格試験に合格した人の記憶を受験する人に転送するなんていうのもありました。実際はその記憶をうまく思い出す事ができず、あまり役に立たなかったようですが…」伊達が笑いながら話した。

「転送は聞いた事がありますが、再転送は初耳です。他にはどんなものが?」探偵という性分からか藤岡はその話に興味をそそられ、椅子から乗り出している。

「警察では犯罪の被害者から事情聴取をする代わりに事件の記憶全体を私に転送し、私から聴取してその詳細を聞き出すという方法を用います。再転送は主に犯人の似顔絵作成の為に行います」藤岡の興味を満たすように伊達は詳しく話した。

「被害者本人からの事情聴取をやらない場合があるんですね?」藤岡が訊くと、
「被害者に何度も事件を思い出させるのはメンタルに悪い影響を及ぼし立ち直りの障害になりかねませんし、事件が悲惨な場合は2度と思い出したく無いと感じることで記憶が封印されてしまったり事実が歪められてしまう事も少なくないんです」そう応えた伊達は「訓練を積んでいるメモリーハンターなら事実を冷静に記憶できるし、何度も正確に思い出す事が出来るので後からの聴取も可能で警察にとっては都合が良いんです」と続けた。

「なるほど。でも、メモリーハンターだって被害者と同じ人間ですよね。メンタルに悪影響はないんですか?…」そこまで言うと藤岡は気が付いたように、
「あ、ご依頼と関係ない話をさせてしまい申し訳ありません。私も職業柄、何か協力をお願いする事がありそうな気がしてつい…」藤岡は犬の捜索とは関係のない話をした事に恐縮しながら言った。

「構いませんよ。芝犬の捜索でも目撃者の記憶がはっきりしない時は、私に転送する事なども考慮してください。本人が上手く思い出せないだけではっきりした記憶が脳に残されている筈ですから」今度は伊達が椅子から乗り出して言った。

「分かりました。では早速、本日から捜索を開始します」藤岡は伊達が持参した写真をフォルダーに仕舞いながら立ち上がった。


 ペット探偵の事務所を後にした伊達は資料作成の為の転送を依頼された自動車部品会社の工場へ向かった。

 その自動車部品を製造する『株式会社トーヨー部品』は千葉県の東金市にあって創業が1945年と古い会社で、自社の歴史資料作成に関わる記憶の収集と再転送を伊達に依頼してきたのだった。

 工場の一角にある新しい事務所棟の受付で名前を告げると2人いた女性の1人が先導し、伊達を2階の大きな会議室に案内した。

「すぐに担当が参りますので、こちらでお待ちください」女性は丁寧に頭を下げると戻って行った。
 
 静まり返った会議室は真っ白な内装で仕上げられ、中央には真っ黒に塗られたツヤのある大きな会議用テーブルが置かれている。
 テーブルの周囲に30脚程置かれている、白い革が貼られた事務用チェアの1つに座った伊達は隣のチェアの脚元にブリーフケースを置き、そこからノートパソコンを取り出して開いた。
 伊達は受け取るデジタルデータを保存する他、メモを取る事や顧客への記憶転送のプレゼンテーションにいつもそのノートパソコンを使っているのだ。

 しばらく待つと会議室のドアがノックされ、5人の男性と2人の女性が入ってきた。
 それぞれが席へ向かいながら軽く頭を下げるので、立ち上がった伊達もそれに応じる。

 全員がそれぞれの席の前に着くと伊達の正面にいる背の高い男性が話を切り出した。

「遠い所をお越し頂き、ありがとうございます。広報部長の遠山と申します」そう言って伊達に名刺を差し出した。
「メモリーハンターの伊達と申します」伊達も自分の名刺を差し出してお辞儀する。

 遠山という男が着席すると、
「他の者の紹介は後にさせてください。早速ですが、お願いしたいのは…」と予定が詰まっているのか、すぐに依頼内容について話し始めた。

 その依頼内容は元社員で木更津市に住む金田という男性と同じく元社員で市原市に住む井東という男性の2人から昔の記憶転送を受け、その記憶を広告代理店の映像クリエーターに再転送するというものだった。


 その元社員達が記憶している1970年代当時の工場の風景などを映像クリエーターがコンピューターグラフィックスで再現し、5年後の100周年祭に会社の歴史資料として展示するらしい。
今すぐに必要という訳ではないが2人が高齢で何時その記憶が無くなってしまうかわからない為、保存の意味も含めて伊達に転送しておこうと考えたようだ。

「では、それぞれの連絡先や今後のスケジュールについては他の者と打ち合わせ願います」遠山は周りに座る社員に目配せしながら言い、「私はこれで失礼します。ありがとうございました」頭を下げると足早に会議室を出て行った。

 伊達は会議室に残った社員から昔の記憶を持つ元社員の2名とその記憶を再転送する映像クリエーターの連絡先を教えて貰い、トーヨー部品を後にした。

 駅に向かいながら元社員の金田と井東に連絡し翌日、転送装置がある『市原メモリーツアーズ』という旅行会社へ来てもらう約束を取り付けるとそのまま電車で市原に向かった。

 伊達が転送場所として選んだ『市原メモリーツアーズ』は駅前で手軽にメモリートラベルを楽しめる、中谷という若いメモリーマイナーが経営している店で青木から紹介してもらった所だ。
 今回のように送り手が高齢者だと昔の事をクリアに思い出せない場合もあり、そうなれば記憶の掘り起こしが必要になるという理由から伊達はメモリーマイナーがいるその店を選んでいた。

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