第30話

文字数 3,393文字

 青木から聞いた母親探しの経緯を基に「トーヨー自動車、テスト、事故」のキーワードで警察のデータベースを検索した吉田警部はテスト走行で起きた事故の調査報告書を見つけた。
 報告書を読んで一条和実と母親の久美子の名を見つけると、今度は期待を胸に「一条久美子」で検索してみるがデータベースには何もなかった。

 捜索は両国に住んでいたのが判ったところで行き詰まったと聞いていた警部は周辺をしらみつぶしに当たるしかないと考え、そこへ向かうことにした。
 伊達がテレビを壊してしまったラーメン屋の前を通り掛かって覗いてみると、一部の内装が新しくなった店内には4,5人の客がいて、無事再開している事が分かった。
 そこで正気を失い狂乱してしまった事を思うと理由を知っている警部は伊達が可哀想になり、気付くと暖簾を潜っていた。

「いらっしゃい! お好きなとこへどうぞー!」カウンター内にいた店主が元気よく言う。

 警部は伊達がどこに座ったのだろうかと想いを巡らせ、カウンターの一番端に荷物を置くと醤油ラーメンを頼んで水とおしぼりを取りに行く。

 カウンターの椅子に戻ったその姿を見て、
「あれ、このあいだの刑事さん? 制服じゃないから判らなかったなー」と店主が警部に気付いて言う。

「ええ、近くまで来たので…」警部はそう答えながら、伊達が暴れた後の現場検証にちょっと顔を出しただけの自分を覚えていた記憶の確かさと、制服を着ていなくても見分けられる洞察力に感心していた。

 50歳位に見える年齢から母親の久美子がここに来ていれば覚えているかも知れないと思い、
「ちょっと伺いたいのですが…」カウンター越しに出来上がったラーメンを差し出す店主へ話しかけると、
「はい、餃子を追加ですね?」冗談を言って笑いながら答える。

「いえ、この辺りに住んでいた人を捜しているんですが」伊達が持っていた写真のコピーを見せながら訊ねると、
「ああー、その人ね。うーん…見た事あるなー、ちょっと待って…」早口でそう言うと再びコンロの前に戻って鍋を降り始めた。

 それを見た警部は忙しい時に訊いてしまったとその返事を諦め、出された醤油ラーメンを食べ始める。

 しばらくすると突然、大きな声で
「思い出した! ゴローだ、犬を連れた人!」と店主が叫ぶようにして、「…でも名前が思い出せないなぁー」と顔をしかめる。

 吉田警部はその大きな声に驚きながら、
「この辺に住んでいたんですか?」顔を上げてカウンター越しに訊ねると、
「うん、確かこの裏の今は開発中になっている辺りに住んでいて、ゴローって名の黒い柴犬と毎日お寺の境内を散歩していたよ。お寺には年中出前を運ぶから良く見かけたね」と、その方向を指差しながら話し、「両国院という江戸時代からあるお寺でウチも柴犬を飼っていると話し掛けたら、黒柴の名前はゴローだと教えてくれたっけ」笑みを浮かべた親しみのある顔で話す。

 鍋の炒め物を皿に盛り付けてカウンターに座る他の客へ出すと、
「あの辺りの人は皆、開発計画が始まった頃に何処かへ引っ越しちゃったけど、早く見つかると良いねぇ」と警部の前にやってきて優しい笑顔を向けた。

 ラーメンを食べ終わった警部がレジで代金を払うと、
「そういえば、ゴローが死んじゃってから会わなくなったんだっけ。その人が散歩していた所は動物の供養もやっているからその黒柴もそこに納まったかも知れないよ。お寺で訊いてみたらどう?」そう店主が教えてくれた。

 早速、両国院というその寺へ行き、久美子の写真を見せたが知っている者はおらず、ゴローという名の黒柴を供養している人について訊ねると個人情報なので教えられないと断られてしまう。

 警部が肩に掛けていたトートバッグから警察手帳を出し、
「行方不明者捜しです」そう言うと対応した女性が
「分かりました。では、こちらへどうぞ」と奥へ案内してくれた。

 本堂の広い玄関ホールに置かれた応接セットで待つと、すぐに袈裟を着た50歳位の男性が段ボール箱を抱えてやってくる。

「お待たせしてすみません。私はこの寺の住職をしている山田です」お辞儀すると抱えていた箱をテーブルに置き、「これらが動物供養者リストで年別にファイルが分けてあります。確認頂き、終わりましたら受付にお声掛けください」箱の蓋を開け中にある10冊程の分厚いファイルを見せると丁寧に頭を下げ、どこかへ歩いて行った。

 警部はその箱の中から先ず、再開発用地の買収が始まった年のファイルを取り出してページを捲っていく。
 年を戻りながら3冊目のファイルを開き、10ページ程めくった所に一条久美子の名前があった。

 住所はやはり現在再開発中の場所となっており、それ以上の情報がファイルからは得られそうにないので再び住職を呼んで聞き込みの許可を貰い境内を歩いてみる。
 実際に歩いてみると東京の寺としてはかなり広く、5ヶ所ある入口からは犬を連れた人が次々とやって来る上、猫と散歩する人も沢山いた。

 境内と再開発中の現場周辺で聞き込めば何か掴めるかも知れないと思った警部は翌日からそれを始めることにした。

 聞き込みを初めて4日後の夕方、両国院の境内で久美子が連れていたゴローという柴犬を知っている初老の女性に出会った。
 ラーメン屋の店主が言っていたようにその女性もゴローは死んだと話し、久美子は谷中へ引っ越した筈だと言う。

 当時、引き取り手のない動物の里親探しをしていたその女性は良い犬がいたら紹介すると、久美子の引越し先の電話番号を聞いていたが1度だけしか電話した事が無く、今も通じるのかどうかはわからないようだ。
 警部はすぐにスマートフォンを取り出し、その場で聞き出した番号へかけてみるが呼び出し音が鳴ることはなく使われていないようだった。
 時計を見るとまだ4時過ぎで電話会社の窓口が開いている時間だったので、その女性に礼を言って急いで向かった。

 電話会社の窓口で警察手帳を見せながら事情を説明すると部長を名乗る人がやって来て、その番号は数年前から使われていないと告げられた。
 念の為、契約者の住所を調べて貰うとやはり谷中となっている。

「もうそこにはいないのかも知れない…」思わずそう呟いた警部に、
「住所の方から検索してみるともう1つ新しい電話番号が出てきました。事情があって番号を変えたのかも知れません」とそこに置かれたパソコンで何かを調べていた部長が教えてくれた。

 その場で掛けてみると呼び出し音は鳴るものの誰も出ないので、警部は部長に礼を言って電話会社を後にした。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 病院の伊達は入った時と変わらず、回復の兆しすら見せていなかった。

 様子を見にきた青木は申し訳なさそうに伊達を診察し、
「もっと早くメモリーハンターを辞めさせるべきだった…。記憶を失った人がやるような仕事じゃないんだ…」と呟くように言った。

 ベッドの上で手足を拘束された伊達はいつも血走った目をして誰かが近づこうとすると「うぅー、あ゙ぁー」と唸って威嚇しその身体に触れさせようとしなかったが、何故か青木だけは別だった。

 薬を飲ませる時は暴れないように7人掛かりで押さえ付け無理やりその口を開くので、伊達の顔と身体はアザだらけになり、あちこちにどす黒い痕となって残っていた。
 入浴もままならない伊達の髪の毛は束になってウェーブし、アザだらけのどす黒い顔で血走った目を見開き、その上髭まで伸びていたから獣になってしまったのかと思わせた。

 診察を終えると、青木は休暇中の警部に電話した。

「青木です。伊達さんの母親を捜して昨日、両国のラーメン屋で聞き込みをしたら、もう警部さんに話したと言われてしまいました。その後そちらはどうですか?」と状況を訊く。

「谷中に住んでいた、若しくは今も住んでいるという所まで判りました。住所を訪ねてみましたが留守で、それ以上の事は確認出来ていませんが電話番号も判明しましたので何かあればすぐにお知らせします」そう言うと、「伊達さんの具合はどうですか?」伊達を気遣う。

「相変わらずですね。色々と治療方法を考えてはいるんですが…、なかなか良い方法が見つけられずにいます」力なく青木が言うと、
「捜索の方は私に任せて、治療方法を考える事に専念してください」警部は励ますように言って電話を切った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み